有栖 in ワンダーランド 後編
女王と目が合った時点で、もう逃げられる方法なんてないのだから。
あたしは女王の間に足を踏み入れる。
「……誰よ、あんた」
雨宮の姿をした女王があたしを睨みつける。腕の中にいる時計ウサギはあたしを見て驚いた顔をする。
「君、あの時の……」
「あたしは有栖。貴方が女王様?」
「だったら何? 私はあんたに用はないからどこか行ってよ」
「それは無理かな。あたし、この子に用があるの」
あたしは踏み込んで時計ウサギの手を引く。驚く女王をよそに、時計ウサギをあたしの腕の中に収めた。
「ねえ、時計ウサギさん。言いたいことがあるならはっきり言ったらいいよ」
時計ウサギが勢いよくあたしの顔を見る。
あたしには分かる。時計ウサギが何を言いたがっているのか。咲と取引して魔法少女になった姿を知っているから。
時計ウサギが頷いて、女王に向き直った。
「あの……。わ、私……自分のことができるようになりたい……!」
女王の目が見開く。
「何もできなくても、私は時計ウサギのことを許すわよ」
「そ……それでも、私は……自分のことをちゃんとできるようになりたいの。……私、女王様に迷惑を掛けたくないから」
「迷惑だなんて、そんなこと思ったことないわ」
「それでも、私はもっと自分で何でもできるようになりたい。……もう、何にも、誰にも置いて行かれたくないの」
時計ウサギは、はっきりと女王に告げた。女王は信じられないものでも見るように、ショックを受けた様子でよろよろと後ずさる。
「……時計ウサギ、私から離れるつもりなのね?」
「へ? そ、そんなこと思ってないよ」
「嘘よ! 私のことが好きなら、そんなこと言わないでしょ!」
女王があたしを振り返って睨んだ。
「……あんたのせいね、アリス。あんたが時計ウサギに何か吹き込んだのね! 許さない……!」
「ち、違うよ女王様! これは私が決めたことで――」
「聞きたくない!」
女王が叫ぶ。固まる時計ウサギを置いて、女王はあたしの胸倉を掴む。あたしは思わず顔をしかめた。――やっぱり嫌だ。いくら偽物だと頭では分かっていても、雨宮に拒絶されるのは辛い。
あたしの気持ちなんて何も知らない女王は、思いのままにあたしを罵倒する。
「あんたなんか死刑! 死刑、死刑、死刑っ! 死刑にしてやるんだから!」
突き飛ばされて、そのまま後ろに倒れ込んだ。さきほど通って来たはずの廊下はない。床も何もなく、あたしは重力に従って暗闇へ体が落ちていく。
――どうやら女王に嫌われたらしい。この世界から出るための条件は達成できたようだ。だったら、もういいだろう。
あたしは女王を見て、笑みを浮かべた。
「嫌われても、あたし君のことが大好きだよ」
女王の瞳が揺れる。その顔が見られただけで、あたしは満足だ。
どうしてもそれだけは伝えたかった。たとえ雨宮じゃなかったとしても、あたしは少しでもあたしを雨宮の視界に入れてもらえたことが嬉しいから。
女王の後ろから、時計ウサギがあたしの手を掴もうと手を伸ばした。けれど、その手は掴めないままあたしの身体は重力に従って落ちていく。あたしの足が床から離れた。
時計ウサギが、絶望したような顔をする。――ああ、そんな顔させたかったわけじゃないのにな。
この不思議な世界にもう後悔はないと思っていたのに。あたしはゆっくりと目を閉じる。――今はただ、早くみんなの笑顔が見たかった。
「――――……す、……――ありす、……有栖」
ゆっくりと目を開ける。真っ先に視界に入って来たのは、咲の顔だ。
「……帽子屋?」
「違う。俺は守里咲だ」
確かに、名前にもなっている特徴的な帽子は被っていない。いつもどおりボーイッシュで可愛い女の子の咲がそこにいた。
そういえば頭が柔らかいものの上に乗っかっている感触がする。もしや膝枕をされているのだろうか。
「咲の膝枕か。悪くないね」
「何言ってんのよ、月詠。さっさと起きなさい」
視界に雨宮の顔がひょっこりと入ってくる。
「まだ寝る気なら許さないわよ。早く来ていたから、月詠のことを少し見直したのに。寝ているだけなら全然見直さなくて良かったわ」
「それは残念。他のみんなは?」
「もうすぐで来るところよ。ほら」
雨宮が指を差したほうを見る。草加部さんが八雲を励ましている姿が見えた。
「八雲さん、もう少しだよ」
「待って、草加部氏……、坂道つら……どんなつもりでこんな山の中に公園作ったのか意味不なんだが……」
八雲はぜぇはぁ言いながら山を登り切り、地面に座り込んだ。
「す、少し休憩しませんか……うち、体力が持たないです……」
「もう、だらしないわね。……まあいいわ。少しだけ休憩しましょう。月詠も、その間に準備をしなさい」
雨宮の声に、八雲は糸が切れたようにだらんと地面に寝転んだ。よっぽど疲れていた様子である。
まったりとした時間に、ふっと笑みが零れる。あたしはちゃんと現実世界に返ってこられたんだな。
そもそも、なんであんな夢を見たのだろう。もしやみんなに構ってほしかったのか。そういうことなら心当たりがないでもないが、だったらもっと分かりやすい夢にしてほしかった。
まあ、理由はなんだっていい。とりあえず無事に帰ってこれたのだから良しとしよう。
「みんな来たんだし、特訓するわよ。月詠」
怜奈が手を差し出す。――夢の中の女王と、雨宮が重なって見えた。
「まだ、あたしと友達でいてくれる?」
思わず口から零れる。今さら口を抑えたところでもう遅い。雨宮はしっかりとあたしの言葉を聞いていたようで、不思議そうに首を傾げた。
「何言ってんのよ、月詠。……まあ、そうね。友達でいてあげてもいいわよ。日和に手を出さないなら」
「ふふっ。それはどうかな」
睨みつけて来る雨宮にあたしは笑みを向けて、雨宮の手を取る。
「……突き飛ばされなくて良かった」
「私、そんなことしないわよ」
「さて、それはどうかな」
不思議そうにする雨宮に、あたしは微笑んだ。
今はとりあえず、みんなといられる何でもない温かな時間に浸っていたい。




