有栖 in ワンダーランド 中編
先に進むと、建物が見えてきた。扉はあたしを招き入れるようにあっさりと開く。
「誰だ?」
中から咲の声が聞こえた。帽子のせいで顔が見づらい。シルエットから察するにいつものボーイッシュな女の子の姿だろうが、果たして。ジャケットを着てテーブルについて、こちらを見ないまま紅茶をティーカップに注いでいる。
チェシャ猫の話と照らし合わせると、この人が帽子屋なのだろう。
「あたしは有栖。君は帽子屋?」
「ああ、そうだよ。……また一つ、知ってしまった」
咲は悲しそうに紅茶が入ったカップを眺める。
「紅茶が美味しいことが分かったら、紅茶があると嬉しくなり、ないと嫌な思いをする。感情に波を作る原因を生み出してしまった」
「気持ちは分かりますけどネ、帽子屋サン。ミーは、何でも知ったほうが楽しいと思いますヨ! 一つ知ったら、一つ怖いことが減るんですからネ!」
帽子屋の横から、うさ耳が映えたツインテールの女の子がひょこっと顔を出した。
「三日月ウサギの考えは分からないな。分かりたくもない」
「帽子屋サンの考え、ミーは分かりますよ。そうなりたいとは思わないですけどネ」
二人の会話についていけないでいると、三日月ウサギが自分の向かいの席を指さした。
「さあさあ、アリス。まずは座ってお話ししましょうヨ。ユーのこと、ミーは何も知らないのでいろいろ教えて下さいネ」
あたしは三日月ウサギが指を差した席に座る。ちらっと三日月ウサギを見た。この子は好奇心旺盛な様子だ。咲の姿をした帽子屋は何も知らないようだし、三日月ウサギに聞いてみることにする。
「あたし、この世界を出て元の世界に帰りたいの。どうしたら帰れる?」
三日月ウサギと帽子屋が顔を見合わせる。三日月ウサギはあたしを見て、得意げな顔に笑みを浮かべた。
「簡単ですヨ。女王を怒らせればいいんでス。この世界は女王様のものですからネ。嫌われて追い出されればいいんですヨ」
女王様のもの。チェシャ猫も同じことを言っていた。女王様に嫌われれば、この世界から出ることができるらしい。
想像してみる。時計ウサギが草加部さんだったので、女王様はおそらく雨宮だ。
「三日月ウサギ、女王様はどこにいるの?」
「あっちですネ」
「そう、ありがとう。助かったよ」
三日月ウサギが指を差したほうに行こうと立ち上がる。
「待ってくださいヨ! まだユーのことを何も聞いてないですけド!」
うさぎの名の通り軽々とジャンプをして机を飛び越え、あたしの前に立ちはだかる。
「だいたい、ユーはどうしてこの世界から帰りたいんですカ?」
「なんでって……普通はよく知らない場所に来たら帰りたくなるものだと思うけど」
「普通なんてつまらない言葉は止めてくださいヨ! あと、ミーは普通じゃなくて、ユーに興味があるんですからネ」
「やめてくれ、三日月ウサギ。俺は何も知りたくない。知らないことは権利だ。分からない奴にしか分かったふりはできないし、何も知らなければ何の責任も負わずに済む」
帽子屋は紅茶を一口飲み、ふうっとため息を吐く。
「だから、アリスの情報が俺の耳に入らないうちに、そいつを女王様のところへ案内してあげてくれ」
「あれれ~? 帽子屋サン、ちゃっかり話を聞いているじゃないですカ」
「……無視するわけにもいかないだろう」
帽子屋はそっぽを向いて素知らぬ顔をする。クールそうでいて優しいところは、咲と同じかもしれない。だとしたら、はっきり伝えれば分かってくれるかも。
「帽子屋、三日月うさぎ、聞いてほしい。――あたしは、元の世界に戻って友達のみんなと会いたい。だからここにはいられないよ」
「……そうですカ。残念ですネ」
三日月ウサギは肩を落とすと、とぼとぼと部屋の奥にある扉を開けた。
「この先に女王様がいますヨ」
「ありがとう」
二人に礼を伝えて、扉をくぐる。
「――応援してるよ、有栖」
背中から、そんな声が聞こえた気がした。
廊下を歩いて女王の元へ向かう。歩きながら想像してみた。雨宮に、あたしが嫌われるところを。
「……」
嫌かも。もちろん、相手が草加部さんでも咲でも悲しいけれども。あたしにとって雨宮は、魔法少女の仲間だと一番話しやすい相手だ。友達だと思っている相手から嫌われるのは中々にショックである。
――嫌われたくないな。叶わない願いを抱きながら、あたしは扉を少しだけゆっくりと開けて中を覗く。
「女王様、遅れてごめんなさい……」
草加部さんの悲しそうな声が聞こえてきた。おそらく時計ウサギだ。会話から察するに、そばにいるのは女王なのだろう。二人の姿を探して、――言葉を失った。
「いいわよ、時計ウサギ。貴方が何もできなくても、私は貴方を許してあげるわ」
女王が時計ウサギを抱きしめ、頭を撫でている。まるで自分のものだというように時計ウサギを離す様子はない。女王の腕の中で何か言いたげに、けれど何も言わずに不満そうに時計ウサギはただ顔をしかめる。
あたしは確信する。この世界の人たちは、きっと同じ姿をしているだけじゃなくて、根っこの欲求がきっと一緒なのだ。
どうしたら嫌われるか、想像はつく。問題は、心が拒否をしていることだ。
「――!」
扉にぶつかり、扉がキィっと鳴る。
思わず顔をあげる。――女王と目が合った。もう逃げられない。
「っ……」
あたしは、覚悟を決めて一歩踏み出した。




