有栖 in ワンダーランド 前編
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目を開けると、あたしはおかしな森にいた。
たくさんの木と草花に囲まれる。それ自体は普通の森の中にいるのと変わらない。しかし、その草木の色合いが緑一色ではなく、赤や黄色といった紅葉のような色から紫が混じった色まである。カラフルな森は現実のものとは思えない。
いったいどこなんだ、ここは。
「遅れちゃうよ~!」
聞き慣れた声がした。草加部さんの声だ。けれどもなんでこんなところにいるのか。そもそも本当に草加部さんがこんなところにいるのか。半信半疑で振り返る。
「っ……かわいい」
「へ?」
草加部さんが間の抜けた顔でこちらを見る。草加部さんは相変わらず愛らしい。だというのに、その頭には――うさぎの耳がついている。
「草加部さん、かわいすぎる」
「ひ、人違いだよ! 私は草加部って人じゃなくて、時計ウサギだもん」
ぷくっと顔を膨らませて懐中時計を見せてくる。あたしから見れば、うさ耳の生えた草加部さんだ。けど、どうやら違うらしい。
時計ウサギがはっとした顔をする。
「いけない、遅れちゃう~!」
「待って」
「待てないよ! 私、時間に置いて行かれたくないもん!」
あたしの声に振り返ることなく、時計ウサギは焦った様子で走り去ってしまった。
時計ウサギ、と聞いてぴんと来るものがあった。時計ウサギといえば、不思議の国のアリスに出てくるキャラクターである。
もしかしてここは不思議の国のアリスに似た世界なのだろうか。そして、あたしは有栖の名のごとく、アリス役というわけか。
ふっと笑みが零れる。主役なんて柄ではないが、課せられた以上はやるしかない。時計ウサギの後を追って、森の奥へと入っていくことにした。
森の中は、案外何もない。相変わらず色とりどりの草木に囲まれて、時折変な声がするが、それ以外は普通である。いや、既に普通ではないのだろうが。
「そこの旅人、何しに来たん?」
声が振って来た。木から何かが下りて来る。
「……八雲さん」
「八雲、誰? うち、チェシャ猫だけど……そっちは、何て言うの?」
「有栖。覚えてくれるかな?」
「アリスか。エモい名前じゃん」
八雲――チェシャ猫が笑う。本物の八雲では、あたしはあまり見たことが無い笑顔だ。
「君は、そうやって笑うんだね」
「ん、何の話?」
「気にしないで。こっちの話」
友達になれたらもっと見ることができるのかな。そんなふうに思ってしまう。
「困ってるのかと思って声掛けたけど、アリスは平気そう……。メンタルつよつよじゃん」
「そうかな? こう見えて、あたしは正直どうしたらいいか分からなくて困っているよ。この世界から出る方法ってある?」
「えー? うーん……トラックに引かれれば異世界転生できるんじゃない?」
「アリスの世界観に似合わなすぎるね。というか、チェシャ猫は現代の知識持ってるんだ」
「だって、ネットに全部載ってるから」
「ネットあるんだ」
なんなんだ、この世界。そういえば、そもそもこの世界ってどういうところなの?
「細かいことはいいの。それで、あんたはどうしたいの?」
チェシャ猫はあたしの肩を掴む。急に言われても、そもそもこの状況がなんなのかよく分かってない。
困っていると、チェシャ猫が首を傾げた。
「どこに行ったらいいか分からないの? あー、分かる、分かる。だいたいどこにも行かなくていいしね。でもここにいたらここにしかいないから、どこかに行きたいんだよね」
「……何の話?」
「うちの話で君の話」
チェシャ猫が笑う。おおよそ本人からは見たことのない慈悲深い笑みを浮かべていた。
「うちはここで満足してるからここにいるよ。ネットあれば十分だし。もし迷ったら目印にしていいからね」
そう告げるとチェシャ猫は立ち去ろうとする。さすが猫らしく気分屋だ。何も分からない今、いなくなられると困るのであたしはチェシャ猫の肩を掴んだ。
「待って。結局、ここから出るにはどうしたらいいの?」
「えー、だからトラックに引かれれば大丈夫だって」
「君のそれって本気だったの?」
あたしはため息を吐くと、チェシャ猫が不服そうな顔をした。
「オタクなうちの言うことは本気にできないってことなんだ。ワロタ。いや、全然笑えないけど。そんなに知りたいなら、帽子屋にでも聞けばいいじゃん」
「帽子屋?」
「あっちにいるから。じゃあね」
行こうとするチェシャ猫の肩を離さずに掴んだままでいたせいで、チェシャ猫は前に勧めない。チェシャ猫が怒ったように振り返った。
「なんなん!? アリス、まだうちに何かあるの?」
「もう一つだけ聞かせて。さっき、ここを時計ウサギが通ったの。あたし、あの子にももう一度会いたい」
そう言うと、チェシャ猫は目を見開いた。そして気まずそうに目を逸らす。
「あー……あの子はやめておいたほうがいいよ。女王様のお気に入りだし。この世界は女王様を怒らせたらダメだからね」
「どうしてダメなの?」
「何でも! この世界は女王様のためにあるから、女王様の嫌なことはしちゃダメ! うちは関わりたくないから、じゃあね」
チェシャ猫は強引にあたしの手を外し、べえっと舌を出す。
「さっさとどこかに生きなよ。うちらはどこにでも行けるんだよ。どこにも行かないだけで」
そう笑って、どこかへ去っていった。あたしはふっと息を吐く。
ここかどこかは結局さっぱり分からない。分かるのは、不思議の国のアリスに似ている不思議な世界ということ。そして、あたしの知っている人たちによく似た人たちが出てくるということだ。
「この世界は女王様のもの、か。……時計ウサギがお気に入りね」
時計ウサギが草加部さんなら、女王様はもしかしたら……。そんな想像をする。ただ、帽子屋が誰かまでは分からない。
ひとまず、進まないことにはどうにも何も始まらないらしい。あたしはチェシャ猫に教えてもらった帽子屋のいるという方向に向かって歩き出す。
「……ちゃんと、元の世界に帰れるかな」
不安が、つい口から零れた。




