12 ライターと月
旦那様は夜にわたしを呼ぶ日と呼ばない日がある。呼ぶ日は二、三日に一回。それ以外の日は朝食も夕食も会わない。旦那様は毎日朝早くお仕事に行き、夜遅くに帰ってくるからだ。
呼ばれた日の翌日と翌々日は、旦那様と会わない可能性が高い。つまり、わたしが消えてもバレないというわけだ。
その間に、ここを出て指輪を換金し、村に帰って家族に会って、再びここに戻ってくる。
それが、わたしの一時帰省計画。
と、いうことで脱出する。
お昼にお手伝いに行かず、しっかりとお昼寝をして夜に備えておく。夕方頃に目を覚まし、夕食で腹ごしらえ。すっかり夜も更けた頃にわたしは作戦を開始した。
上着を着て、小さな肩掛け鞄にお菓子たちを入れ、手に指輪をはめて、そっとダイニングに向かう。ダイニングが裏庭と最短距離に位置している。おそらく食料の買い出しのためだ。
ダイニングには、もちろん裏庭に出るための扉もあったが、鍵が付いていた。もしわたしがドアを開けたまま帰省したせいで、強盗でも入られたら困る。
なので、わたしは窓を使った。ダイニングの窓は客室と違って鉄格子もないので、簡単に出入りできる。
わたしはダイニングの窓から外に出た。
建物に沿って設置されている植え込みに着地し、月明かりを頼りに周囲を見渡す。かまどや薪、そして小道を発見。裏口に続いてるかもしれない。急いで走り出したとき、
「何してんのよ、ちんちくりん」
冷徹な声と同時に首根っこを捕まえられた。軽々と持ち上げられ、足が宙に浮く。
え。人の気配なんてなかったのに、いつの間に。最悪だ、お姉さんに見つかるなんて。最近見てなかったけど、どうして今日に限ってここに。
びっくりして肩が跳ね、体が硬直し、ぶわわっと鳥肌が立ち、嫌な汗がダラダラ溢れ出した。ど、どうしようどうしようどうしよう。
「あんた、何か喋りなさいよ」
逃げるにはどうすればいい。わたしは何をすればお姉さんを退治できるのか。そもそも倒せるのか。いや、倒す必要があるのか?
「お、お姉さん」
お姉さんに掴まれながらも首を動かす。振り向いて目を合わせたら、お姉さんの手の力がわずかに緩んだ。いけるぞ、押せ押せ。
「お姉さん。わたし、家族に会いに行きたいんです」
「はぁ?」
お姉さんがわたしから手を離した。ドンッと地面に落ちてお尻を強打した。痛い痛い。コホンと息を整えつつ、お姉さんを見上げる。
わたしはクズ兄や妹のようにモテなければ、二番目の兄ほど賢くもなく、姉みたいに人にも好かれてない。情に訴える会話術なんか知らない。わたしらしく、直球勝負で行くしかない。
「あの、旦那様のところには戻ってくるつもりで、今回は一瞬だけ帰るつもりなんです。明日か明後日には、必ず戻って来るので、家族に会って様子を見たらすぐに帰ってくるので、だからここは、見逃してもらえませんか」
押して押して押しまくる。どうだ、やったか?
おずおずとお姉さんを見たら、彼女は影の差す冷ややかな目でわたしを見下し、手元に小型の銃を構えていた。ためらいをなく引き金に指をかける。嘘、嘘嘘嘘、待って待って。
「ま、待って、本当に本当に、逃げるつもりなんかないですから!」
情けない懇願の声とともに、ガチッと音が鳴った。
あ、あれ。痛く、ない。
おそるおそる見てみたら、お姉さんの銃にチリチリと小さな火が灯っている。お姉さんが慣れたように火に何かを近付けると緩やかに煙が上がった。この臭いはタバコだ、お兄さんと同じの。
「え」
「これ、銃の発火を利用したライターよ。殺されるとでも思った? バカね」
なにそれ。しなしなと腰が抜けた。お姉さんは、へたり込むわたしにタバコの先を向けてきた。
「あんたって娼館に売られたんじゃないの?」
「ちが、違いますよ。あれは、あれは」
「なによ」
「お金がなくて、もうダメだって、娘を渡さないといけないかもって、お父さんたちが話してたから」
「ほらね、やっぱり家族に売られたんじゃない」
「違う、売られたんじゃなくて」
思い出す。ふと夜中に目が覚めて、父たちの会話を耳にして、わたしは考えたのだ。どこかにわたしたちの誰かを引き渡さないといけないのだとしたら、わたしは、わたしが。
「わたしが、い、一番、役に立ってない、気がして」
今頃遅れて、はやる鼓動が脳に響く。緊張と安心で全身の血管がドクドクと沸き立っている。
「お姉ちゃんは家でも村でも人気だし、うちの末っ子ちゃんのことはお母さんもお父さんも可愛がってて、だから」
村の唯一の酒場なら、大金を稼ぐ情報を得られるかもしれないと飛び込んだら、たまたまそこには旅の商人がいた。ヒトを取り扱う、商人が。
父たちが話していたのは、このことだったのか。わたしの値段を尋ねたら、聞いたこともない額を提示された。相場的に高いのか低いのかはわからないけれど、酒場の店主も驚くような額だった。迷いはなかった。
「わたしが決めたことなんです、最初から最後まで」
自分の身一つで大金が手に入り、娼館とやらで働けばお金も手に入る。わたしがお金を稼げるようになれば家族も喜ぶだろう、と。
胸を押さえて呼吸を繰り返す。
「家族に会ったらすぐに戻って来るので、なのではここは見逃し」
「なんでご主人様に言わないのよ。家族に会うだけなんでしょ? あんたが頼めば、村にでもどこでも連れて行ってくださるでしょ」
お姉さんが疑わしそうに見てくる。それは少し考えた、けど。
「以前デートをお願いしたとき、旦那様はわざわざお仕事をお休みしてくれたんです。最近は前よりも忙しそうだから、これ以上迷惑はかけられないです」
たとえ熱が出てもお仕事してしまうし、寝不足でも早朝からお仕事に行ってしまう。あの人はなかなか重度な仕事病だ。
あの人はわたしのお願いならなんでも叶えようとしてくれるだろうが、わたしは彼に無理をさせたいわけではないのだ。ちょっと家族に会ってすぐに帰ってくる程度のこと、旦那様の手をわずらわせることではない。
しばし考え、お姉さんの不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らした。お姉さんがそばの壁に背を預け、腕を組んでタバコの煙を吐き出す。
「ちんちくりん、この都市のことはどのくらい知っているの?」
「えっと、国内でもそこそこ大きな規模で、区画されていることは知ってます」
「各地区がどんなところかは知らないの?」
「どんな? それは知らないです」
「あっそ。では、大好きな家族に会いたいなら、よく聞きなさい」
トンと指で叩いて灰を落とす。そして、わたしの目をじっと見つめて、息を潜めて言った。
「ここ、西地区は金持ちが多くて警備が固いの。都市外に出る道の全てに厳重な検問所が設けられているわ。だからあんたは、中央地区の鐘の塔を目指して、そこから北地区と東地区に行きなさい。北と東はダンジョン目当ての冒険者や商工業者で往来が盛んだから、細かい検閲がないのよ」
「……北と、東」
「南区は一見住宅街に見えて、実はスラム街もあるの。独自の自警団や正式許可のない奴隷商もいて、取り仕切ってるやつらも危ないのよ。近寄らないことね」
「……詳しい」
突然の情報量に圧倒される。思わず呟いたら、聴こえてしまったのか、お姉さんがツンとそっぽを向いた。
「昔、わたくしたちが狩り場にしていたのよ。ちょっと騙したり、ちょっと盗んだりね。とにかく、そういうやつらがはびこっているんだから、行ってはダメよ」
「北か東に行けばいいんですね?」
「そうよ。南東の検問所が一番緩いのだけれど、南区に近付くのは危険だから東をおすすめしてあげるわ」
「あ、でも、わたしの村はこの都市の北西部なんです。いや、東から出て北西部まで、都市を迂回すればいいんだ」
「はぁー……。あんたみたいな、雑魚ちんちくりん、狙われたら一瞬で終わりよ?」
脳内で計画を立てるわたしを、呆れて笑うお姉さんの顔が、ふと優しくて敬愛のあるものに変わる。遠くをぼんやり眺めて、愛おしそうに微笑んで。
「あいつらに捕まったとき助けてくださる冒険者様なんて、滅多にいらっしゃらないんだから、気を付けなさいよね」
わたしは知ってる、お姉さんをこんな表情にさせる人のこと。
わたしは立ち上がって、ぱんとスカートを払って砂を落とした。お姉さんの様子とアドバイスから判断して、多分お姉さんは告げ口しない。
「お姉さん、その、教えてくれてありがとうございました」
ペコリとお辞儀とお礼をして、わたしは裏口に向かった。するとなぜか、お姉さんもあとをついてきた。
入り組んだ暗闇で迷っていたら「こっちよ」と誘導してくれ、わたしはお屋敷の塀の外に出ることができた。こんなにも、あっさりと。
裏口を出たら、お屋敷の廊下よりも狭く、月も見えないほど建物と建物の影に隠れている路地に出た。さらに、お姉さんの先導に従って大きな道に出ていく。
そこには、おとぎ話の中でしか聞いたことのないような景色が広がっていた。道の両端には街灯があり、真っ暗な通りを照らし出している。手を伸ばせば触れられる距離にあるお月様がいくつもいくつも並んでいる。
整備された地面は石畳が敷いてあってデコボコしておらず、路肩にある馬車さえも頑丈そうな作りで立派。何もかも目新しくてワクワクした。
「わあ、夜なのに眩しいですよ!」
「もう少し早い時間帯なら、窓からの光やパブからの歌が聴こえてきて、騒がしいけれどね」
「今でも、とても綺麗です」
空を見上げて星を探す。地上にある無数のお月様の光が散らつくけれど、天上の星々も方角を確認する程度には見える。北の方角はどっちだろう。きょろきょろしていたら、肩に硬いものが当てられた。
「これ、あげるわ。賄賂にでも使いなさい」
「わいろ?」
「北区と東区は比較的安全だけど、ちょうどご主人様の縄張りなの。検問で止められたら、金目のもので黙らせればいいわ」
手に握らされたのは、さっき脅された銃形ライターだった。わたしの手にずしりと重たくのしかかる。
「ここ引いたら、この蓋が開いて火が出るから。ま、灯り代わりにもなるでしょ」
「お姉さん、どうして」
わたしが尋ねようとしたら、ふうっと顔に煙を吹きかけられた。うう、酷い酷い。頭を振って煙を追いやり、お姉さんをジトッと見上げる。
ふたりきりの静止した月夜の街で、唯一揺れ動いているタバコを煙を身にまとうお姉さんは、ハッとバカにしたように笑って、わたしの頭をぐしゃっと撫でた。
「クソ生意気なところが、どっかの小僧に似ていてムカついただけよ」
お姉さんが少し屈み、わたしの目の高さに合わせて、ひとつの道に指をさす。わたしもその方向を目をやると、ひときわ目立つ、天にまで届きそうな高さの細長い棒が見えた。
「鐘の塔が見えるでしょ、あれを目印にしなさい。一晩あったら十分中央区に着くわ。わたくしは今夜の暇つぶし相手をカモりに行くからこっちなの。じゃあね」
「お姉さん、色々ありがとうございました」
ひらっと薄手のコートを翻し、颯爽と逆方向に歩いていくお姉さんにお礼を言う。お姉さんは前を向いたまま、タバコを掲げて軽く揺らした。その後ろ姿はカッコよかった。
あ。わたしは、ひとつ、とてもとても大事なことを言い忘れた。離れていくお姉さんに重要事項を呼びかける。
「お姉さーん、わたしがいない間に旦那様とっちゃダメですからねー!」
その瞬間、優雅に歩み進めていたお姉さんが勢いよく振り返って、キーッと牙を向いた。
「うるさいわよ、ちんちくりん! それ、今言うこと? シリアスな空気くらい読みなさいよ! さっさと行きなさい!」
ひえ。わたしはスタコラサッサと塔に向かって走っていった。
見渡す限りを埋め尽くすレンガ造りの大きな建物、それを凌駕するのは、高くそびえる鐘の塔。道行く人はゼロ、空には霞がかる月と星のみ。長年暮らしたド田舎の村とはまるで別世界だ。文明の発展した真夜中の都市を、わたしひとりで駆けていく。
いざ、目指すは鐘の塔へ。
◆
その日は天気が良い日で、そのときは僕が市長と話をしていたときだった。
市長は父の友人だ。僕より冒険と武器作りが好きな父は、母を連れて世界各地のダンジョンを渡り歩いている。そんな両親は面倒くさがり屋で僕以外に連絡を取らない。
先日彼女の家族の移住関連でお世話になっていたこともあって、僕は再度お礼も兼ねて父の近況報告のために話をしに行っていた。
雑談をしている中、護衛のふたりが部屋に入ってきた。片方は市長に、もう片方は僕の耳元にソッと口を寄せた。なんだろう。
彼から報告を聞き終え、僕は思わずため息が出た。対して、前に座る市長はほっと安心した様子だった。
「どうしたの、嬉しそうだね」
「敵国が国内に降伏を宣言したって。いきなりでびっくりしたねぇ。あぁ、でも良かった。若旦那の店はさぞ忙しかったろう?」
降伏。なんだ、そのことか。僕は愛想笑いで返事をした。
「おかげさまでね。ずっと国と取り次いでくれてありがとう。感謝しきれないよ」
「いやいや、そんなこと。若旦那は浮かない顔だね? 同じ知らせかと思ったのに」
不思議がる市長に、僕は「いや」と作り笑いを返しておいた。
「逃げ出たうちの猫が捕まっただけだよ」




