13 刻印とナイフ
猫は北区の東寄りの質屋で引っ捕らえられた。
仮に彼女が村に帰りたがっていたとして、向かうべきは北西なのに、捕まったのは北東である。誰かの入れ知恵が透けて見えた。
小賢しい知恵を教えられるのは彼女と接触を許している世話係か、老婆か。どちらも違うだろう。なにせ、この罠の発案者は世話係であり、老婆は各地区の検問事情を知らない。
となれば、残るは一人である。
出張に行く前、指輪のデザイン案を考えているとき、僕は彼世話係に、彼女の思惑について相談してみたことがあった。書斎の椅子に腰掛け、白紙の紙の上でインクの付けていないペンを一回しして。
『ね、どんな指輪が良いと思う? 結局、最後まで自分の好きなものは言ってくれなかったんだよね』
『確認しますが、指輪を欲しがっていたんですか?』
『いや、特に指定はなかったよ。小物の装飾品がいいんだって。安いものでいいとも言っていたけど、それはちょっとね』
『自分を店に連れて行き選ばせろ、とは言わなかったんですか?』
『そういえば、そうだね』
僕が記憶を辿っていたら、世話係がにこっと笑った。
『そんなにも興味がないなら、自分で使わないものなのでしょう』
『……どういうこと?』
『新しい服を着たとき、何度か自慢されたことがあります。身に着けるものに対して、関心があることは明らかです』
『指輪には興味ないのかもしれないよ?』
『服に興味関心があって、自ら装飾品をねだっておいて、指輪にだけは興味がない、と本気でお思いですか?』
これを聞いて、僕は何も反論できなかった。確かにそうだ。冬に贈ったもこもこコートはいたく気に入ったようで、室内でも何度か着ていた。
返礼の際も、装飾品との指定はあったのに、それ以降はあやふやな回答だったのも不自然だ。では、彼女は何が欲しいんだろう。
世話係は、一拍置いて『そうですね』と話し始めた。
『標的は装飾品を欲しがっています。自分で使うわけでもありません。不用品が手に入ったら、どうするでしょうか』
『捨てる』
『……旦那様はダンジョンで薬草を手に入れました。しかし怪我をしていないので使い道がありません。どうしますか』
『それなら、薬屋に売るかな』
『そうでしょう。同じことです。標的の目的は売って得られる金でしょうね。少額ならどこの質屋でもすぐに換金できますから』
すんなり、迷いのない答えだった。捨てないならば、確かに、売るという選択肢が出てくる。
僕は考えた。彼女がお金を欲しがっている? なぜ。彼女はお金で買いたいものがあるのか。僕は望むものを全て与えられていないのか。彼女に不自由させているのか。
違う。僕は屋敷に質屋などを入れたことはない。彼女が換金できる方法は屋敷の中には存在ない。彼女が換金するためには、外に出るほかあり得ない。
『……彼女は外に出たがってる?』
『その可能性も十分考えられますね』
『でも、僕は外に出たいなんて聞いたことがない』
『自分も聞いたことはありません。我々に言わないだけの、言えないだけの理由があるのかもしれません』
『…………』
会話が途切れたあのとき、世話係が素敵な笑顔になったのを覚えている。知ってる、これは自信のある策があるときの顔だ。
『ところで旦那様、オーダーメイドの指輪をお贈りするとおっしゃっていましたね?』
『あぁ、新しいうちの店で作ろうと思って』
『何か刻印を入れる予定はありますか?』
『どうかな。あの子はシンプルなものが欲しそうだったけど』
『では、一目見て旦那様に関するものだとわかる刻印を、必ず入れてください』
念押ししてくる。何か掘るなら、せっかくだし宝石店のロゴでも入れようか。でもまだ図案が確定してなかったんだ。近いうちに職人たちとも会議しないといけない。
『時間があれば入れてみるよ』
『いえ、必ず入れてください』
『ロゴの候補がいくつかあるんだ。気取らず店名だけにしようって案もあるし』
『何でも構いません。旦那様に関係するものだとわかればいいのです。それこそ、旦那様のお名前ひとつあれば十分です』
やけに強く押す。僕の名前が入った指輪なんてあげたら、彼女はどうするだろう。心中はどうであれ、多少は売りづらく感じるはずだ。
『売らせないために、名前を入れろと?』
『いえ、標的は刻印があっても無くても売るでしょう。現状、それでしか金を得られる手段がありませんから。けれど、買い手は違います』
世話係が少し息を吸い込んで、僕の目を見た。
『旦那様に関する刻印がなされた指輪を見て、質屋はそれを信用するでしょうか』
ふむ、買い取る側の視点か。僕の武器屋は、材料となる魔物の素材買い取りも行っている。鑑定の腕には自信がある。
『僕は質が高ければ買うよ。あ、違うな。他の人は、傷が入っていれば買取価格を下げるんだっけ? ロゴが傷判定されたら、買取不可になるのかな』
『いえ、そういう話ではありません』
『やっぱり素材で判断するよね。今回はね、結構希少な素材を使うんだ。冒険者でもなかなか見かけないから、質屋なんて見たことないかもしれないな。価値がわからない場合、買取不可になるのかな?』
僕は質屋を利用しないからわからないし、僕が判断を下せない未知の素材なんて年単位で出会っていない。この都市のダンジョンに出現する主な魔物は大体は倒したことがあるし、採れる鉱石や魔獣の素材も把握している。でも質屋はどうなんだろう。
ぶつぶつ言っていたら、世話係が苦笑した。
『もっとご自分の名前の重さを自覚してください。旦那様の名を騙った偽物を出回らせたとなれば、市長や冒険者ギルドはもちろんのこと、あの有名な大旦那様からも、戦争絡みで取引している国や騎士団からも、目をつけられる可能性があるんですよ』
どうやら素材の話ではないらしい。僕の名前?
『あなたは敵に回したくない相手なんです。質屋もそのことを理解しています。即決買取をせず、事実確認をすると思いませんか?』
『……彼女が換金しようとしたら、僕に連絡が入るってことか』
僕は大層な者ではないし、彼女が外に出たがっていると確定したわけではない。が、保険くらいはあってもいいか、と思った。
指輪にロゴひとつ。たったこれだけで、僕は都市に猫捕獲網を張り巡らせた。
世話係の思惑通りに捕まえられた彼女は、地下牢にいるという。僕は仕事終わりに会いに行くことにした。
「旦那様っ!」
僕が格子の扉の前に立ったら、彼女が走ってきて両手で格子を掴んだ。仄暗いランタンの灯りで、裾が破れた服や縄の跡がついた手首が見えた。どうやら随分暴れたらしい。
「大丈夫? 痛そうだね。血は出ていない?」
「これは全然、それより旦那さ」
「それより、どうしたかったの? 僕からの贈り物を売り払おうとして、お金を得て」
「……そ、それは、ちが、違ってはないけど、でも」
彼女から目を離さずに扉を開けてゆっくり中に入る。彼女は引きつった表情で一歩下がって尻もちをついた。
「ご、ごめんなさい」
「なんで謝るの? さっきの質問の答えになってない」
「それ、それも、ごめ、ごめんなさい」
床につく彼女の手から、その横にある小さな肩掛け鞄へ、視線が移る。放り投げられたように乱雑に置かれ、近くに食べかけのチーズやチョコレートが散らばっている。さらに見覚えのあるライターも。
やっぱり女スパイの入れ知恵だったか。あーあ、天使みたいに可愛い彼女は、僕の下僕までたぶらかしているらしい。浮気までしやがって。
「僕の目を欺いて、他の人と一晩デート? 楽しかった?」
「し、してない、デートなんか」
「それじゃあ、なんで逃げ出したの?」
「ちがう、逃げたわけじゃなくて、家に帰ろうとして」
「そういうの、世間では逃げたって言うんだよ」
馬乗りになって彼女の肩を押さえる。僕の形の影に、彼女がすっぽりと覆われた。
「約束したのにね、逃げないって」
「やくそく……? なに、なんのこと」
「覚えてないの? 記憶飛ばすだる絡みの酔っ払いか、たちが悪いな。あのとき忠告もしてあげたのに」
「な、なに、ねえ、何言ってるの」
「まぁ、いっか」
彼女を見下ろして優しく髪をすき、おでこに軽くキスを落とす。
「君の家はもう無いし」
「…………え?」
嘘は言っていない。現に、彼女が暮らしていたあの村の小さいボロ屋にはもう誰もいない。家族全員でそれぞれこの都市に引っ越しただけだ、僕の息が掛かるところに。
あー、僕以外の存在にこんな表情をするなんて、妬けるな。青ざめる顔にキスをする。頬にも鼻にも唇にも。首筋を撫でれば、脈はバクバクと速く、強い鼓動は服越しでも伝わってきた。
「これで逃げる理由はなくなった? 良かったね。もっと、余計なこと考えなくて済むようにしてあげるよ」
「……ど、どういう、どういうことなの、わたしの家族は」
「君って薬の勉強はしてないよね?」
「意味わかんない、離して、や」
「今から教えてあげるよ」
「待って、旦那さ、ぁ」
小さな口に指を入れて開かせ、もう片方の手でポケットから紙に包まれた錠剤を取り出す。これはキマると意識が飛ぶくらい気持ちよくて依存性も高いのだとか。僕は試したことがないけれど。
錠剤を彼女に見せて、にっこり笑いかける。
「これ、可愛いでしょ。君は飲み込むだけでいいからね」
「待っ、や、話を聞いてってば!」
ドンと突き飛ばされた。あ、獲物が逃げる。僕の体が自ずと動いた。
魔獣は一体でも逃してしまったら味方を呼んでくる。だから、どんなに小さくても逃してはならない。ダンジョンの掟のひとつだ。
「……っ」
金属音の大きな悲鳴が上がってハッとする。鉄格子の前で腰を抜かす彼女の目の前にはナイフが落ちていた。あれは僕の携帯用折りたたみナイフだ。内ポケットに入れてあったはずなのに、いつの間にあんなところに。
彼女がまんまるした目でナイフと僕を交互に見た。
「な、ナイフが、飛ん、と、飛んで」
「そうだね。僕が落としちゃったみたいだ」
ナイフを拾い上げて、クイッと回して刃を折りたたむ。そのままポケットに戻して、彼女に目線を合わせるようにしゃがむ。彼女は後ずさりして震えた手で胸を押さえていた。
「大丈夫だった? あぁ、ごめんね、怪我しちゃったね」
「……え」
白い首に目立つ赤い線が入っていた。後ろに待機している使用人に目配せをする。そこまで深くはないけれど、傷が残ったら大変だから手当てしないといけない。
ハンカチを出して僕が手を伸ばしたら、頭をふるふる振って逃げようとする。潤んだキャラメル色の瞳の奥で大きくなった瞳孔が、僕をじっと見つめていた。
「こ、殺さないで」
鼻をすする、か細い声だった。僕は慌てて彼女を抱き締めた。
「僕が君を殺すわけないよ。大丈夫だよ。痛かった? すぐに手当てしようね」
「……こ、こわい」
「そうだね、怖かったね。もう落とさないようにするよ。ごめんね」
「な、ナイフじゃなくて……」
彼女は涙を堪えていた。悔しそうに歪める目も、紅潮した頬も、すすしゃくりあげる喉も、噛みしめる唇も、食べちゃいたいくらい全部可愛い。
愛しいところ全てにキスをしてしたら「うう」と泣き出してしまった。どうしたのどうしたの。背中をさすり、頭を撫でてあやし続ける。
泣き喚く彼女をなだめるのは、出会って間もない頃以来だ。救護箱を持って駆け降りてきた老婆に彼女を預け、地下牢から上がる。
あぁ、僕たちは、あのときの関係まで、振り出しに戻ってしまったのか。




