Lv263「黙ってられないから」
「ほう、ほう。おねーさんは編入生さんでしたか。これはこれは、失礼をば」
栗色の髪はメロディ。ポチャっとした金髪はゼリーといい、真っ赤なローブが示すとおり、火クラスの学生であった。年齢は十三歳。レイシーからしてみれば、遥かに年下である。
彼女たちは、ためらいなくひとりぼっちであったレイシーを食事に誘ってくれ、食堂がはじめてだと知ると、それこそ手を取るようにして使い方を説明してくれた。感謝である。
「食事はみんなでとるほうが楽しいですからね。うむうむ。それにしても、ついに、ピヨネットが再び心を開いてくれたかと思うと、わたしはうれしくてうれしくて」
「メロディ! ダメだよ……」
ポチャ子のゼリーがメロディの肩を揺すってその先を制止した。どうやらピヨネットがやたらにツンケンしているのは理由があってのことらしい。レイシーは、手にしたフォークを止めると、真摯な顔で向かい側の少女たちに向かって、訊ねた。
「お願い。会ってすぐに、こんなことを聞くのは失礼だけど。もしよかったら聞かせてちょうだい。あたし、これから先も、同室のピヨネットと仲よくしていきたいから」
レイシーの真摯な態度に心打たれたのか、メロディは軽く肩を揺らしてゼリーに離れるよう無言で伝えると、ほにゃほにゃした口調を改め、語りだした。
「ま、どうせ明日、彼女と同じクラスに行けば嫌でもわかるでしょうから――」
メロディの話はそれほど珍しいものではなかった。学院の寮は相部屋が基本であり、夏のこの時期にピヨネットがひとりきりだったのは、同室だった少女がつい先月学院を辞めて出ていったことに起因していた。
原因は、なんてことのない。水クラス内における陰湿なイジメであった。
魔術学院は、建前として、家柄には関係なく才能のある人間すべてに門戸を開いていると謳っているが、実のところ学生の九割がたは貴族階級であった。
ピヨネットも、かつて彼女と同室だったマイナも商人階級の出身であり、水クラスではマイノリティに位置していた。
「あは。わたしとゼリーはピヨネットと違いまして、火クラスでしたけれど、たまたまいっしょになった数少ない合同授業でいっしょになりまして。でも、やっぱり、クラスが違うと顔を合わせることも少なくて。気づいたときには、ピヨネットと同室だったマイナは退学していまして。それからですよ。彼女がああもかたくなに、すべての人をさけるようになったのは。元々、彼女キツい性格でして、今も、クラスでは孤立気味なんですよ。おねーさんは、こうして話してみるといい人みたいですし。よければ、少しはピヨネットに目をかけてあげてくれませんか? 全面的にかばえとはいえませんけど……。なにしろ、マイナをイジメのまとにしていたのは、あのランベール・ヴァリエだそうですから」
「そのランベールっていうのは?」
「水クラスの級長で、ここの領主であるステイ伯爵の一族ですよ。彼の家、この魔術学院にも多大な寄付をしているそうで、教師もあまり強いこといえないようでして。でも、レイシーおねーさんも自分のことがあるでしょうから、強くはいえないですし。やはは。わたしも、ゼリーも商人の小娘で表立って庇えないんですよ。なにせ、一族の期待を背負ってここに来ているんですし。入学金も寄付金も安くないですしねえ。ツライところですよ」
――なんてことだ。
レイシーは、ただ、魔術の修行だけに励めばいいと思っていたが、最初からこのような問題に巻き込まれてしまった。
が、そこは困っている人を見ていれば黙っておけない姉御肌の彼女である。
「うん、任せて。ピヨネットはあたしが守ってみせるからっ」
夫である蔵人ならば、一諾しているに違いない。レイシーは、ガッと椅子から立ち上がると、力強く自らの胸を叩いてみせる。
しかし、忘れていたが、ここは公共の食堂である。楽しくおしゃべりに興じていた娘たちは、いきなり席を立ってドラミングしてみせた見慣れぬ歳上の女をいっせいに見つめ、それからはしたないくらいの笑い声で押し包むのであった。
――レイシーはさすがに恥ずかしかったのか、素早く夕食を終えると、すごすごとその場を退散した。
「えー、今日から皆さんと同じく魔術の研鑽に励むこととなりました、レイシー・アップルヤードさんです。中途で、このような時期ではありますが、仲よくしてあげてくださいね」
「レイシーです。不束者ですか、みなさまよろしくお引き回しのほどお願い申し上げます」
担当の中年教師から紹介を受け、昨晩考えていた言葉を述べると、思っていた以上に友好的な拍手に出迎えられ、レイシーは笑顔を作りながらも胸を撫で下ろした。
(うん。よく見れば、みんな顔が子供子供してるよ……。これなら、あまりビクビクする必要なかったかな)
昨晩のピヨネット関連の話もあって、教室に入った瞬間「この薄汚い場末の酌婦め!」などといわれもない罵声を浴びるのかと、緊張していたが、水属性クラス初等科の二十二名はあたたかくレイシーを受け入れてくれたようだ。
当然ながら、そのなかには同室であるピヨネットの姿もあったが、彼女は皆から離れた長テーブルの一番端に座ったまま、外の景色を眺めていた。
(ありゃりゃりゃ。これ、あれだよね。自分から壁作ってるパターンだよ。困ったな)
レイシーが幼いと感じたのはそれもそのはず。水クラス初等科の同級生は軒並み、十三歳で五つほど下なのである。レイシーからしてみれば、ハナやリネットのようなものである。
ここで上手くリラックスできたのが功を奏したのか、レイシーはたちまち皆の質問攻めにあった。一度輪に入ってしまえば、レイシーの銀馬車亭で鍛えた社交術及び、人心掌握術は際立っていた。
特に、このくらいの男女にとっては、ひとつふたつの年の差は大きいものだった。男子は、レイシーの持っている大人の色気と包容力に、女子は母や姉に対する愛情を代替するかのように、蕩けきった。
「レイシーお姉さま、なにかわからないことがありましたら、ペネロペに頼ってくださいまし」
「うん、ありがとうね。それから、あたしはレイシーでいいからねっ」
なかでも、ペネロペという金髪巻き毛の少女は、やたらにレイシーのことが気に入ったのかものすごく懐いてきた。
レイシーはできれば自分を通してピヨネットとクラスの子たちの融和を図ろうとしたが、彼女の名前を口に出すたびに全員が口を重たくするので、どうにも思ったようには上手くいかない。
魔術学院のカリキュラムは、一年を通してそれほど代わり映えしなかった。午前は座学、午後は実技。特に、座学に力を割くのは、魔力というものが行使するたびに多大なエネルギーを必要するものであり、連続で放出し続けられるものではない。
これが、レイシーにはピンと来なかった。なぜなら、同じ仲間であるルッジやカレンやリザ、それにドロテアといった一流といってもいい彼女たちと比べてみても、教師たちが実演してみせる術の持続時間は「あまりにも短すぎる……」のであった。
魔術の実技が、午後だけに絞られてしまうのも仕方がない。教師や生徒の魔力がもたないからである。
学院に通うようになってからも、基本、食事は寮の食堂でとる。レイシーは、そのたびごとにピヨネットを誘うのだが、彼女はクラスの人間へと強い忌避感を持っているようで、もはや返事すらしなくなっていた。
「うーん。困ったなぁ」
「お姉さま、どういたしました?」
ある日の昼食時間。
レイシーを囲んで話に花を咲かせていたペネロペがフォークを止めて、訊ねた。
「ピヨネットのことよ。あの子、確かに愛想がいいとは思えないけど、ちょっとみんなの避け方がさ、普通じゃないと思って。ねえ、本当はなにか理由があるんじゃないかな。教えて欲しいな」
「えっと……」
ペネロペは、言葉を詰まらせたが、まわりの皆と視線を交わし合うと、意を決したように大きくうなずくと、言葉を選び選び話しだした。
「お姉さま。マイナと、ランベールの話はもうお聞きになりました?」
「うん。学院を辞めた子と、級長の男の子だよね」
「だったら話は早いです。マイナを退学に追いやったのは、ランベールなんです。彼、実はマイナに気があって、それでわざとクラスのなかで孤立するように取り巻きの数人を煽って追い込んだんですよ……。彼が級長になったのも、それだけ明白な問題行動を起こしても咎められないのも、彼が領主の一族であることが大きいのです。彼は気まぐれで、ここ数日学院を休んでいるのですが……。また、明日から、登校してくるみたいなのです。私たちも、本当はマイナをかばってあげなくちゃいけなかったのですが、家格からいって彼に面と向かってものをいえるのは、富裕商人の家柄であるとかでなければ、どうにも……。少なくとも領内の貴族で彼より高位の人間はクラス内にいませんので。下手に食ってかかれば、お父さまにもご迷惑をかけることになってしまいますし。私たちにできることは、せいぜい、マリナの退寮の日に、馬車を裏手に回すことくらいしか……」
「それってどういう……」
「ランベールは、マリナが学院を出て行く日に力づくで自分の物にすると公言してはばからなかったので。現に、従者を何人も集めて、マリナを攫おうと計画していました。私たちは、彼女をウッドレスから逃がすのが精一杯でした」
「そんなの、そんなの絶対おかしいよっ! 先生たちは、なんの力にもなってくれないのっ?」
「教師たちは、皆、ステイ伯爵のお抱えのようなもので」
「わたくしたち、貴族といっても、ほとんど平民と違いはありません」
「それどころか、家によってはランベールに見初められることは結構なことだと容認する空気も」
「魔術学院に入るだけでも相当なお金がかかっております」
「無事卒業できれば、私たちは親のいいつけ通り決められた家に嫁ぐことが決まっているのです」
「マリナは不憫に思いますが、世のなかにはできることとできないことが」
「ピヨネットの態度にも問題があるのですよ?」
「あんなふうに反発されたら、かばいたいと思う気持ちも失せてしまいますわ」
少女たちは堰を切ったように、思いの丈をぶちまけていった。まわりで聞き耳を立てていた、違うクラスの少女たちも、話の内容が重たいものだと悟ると、潮が引くようにレイシーたちのテーブルからサッと離れていった。
レイシーは青ざめた顔で唇を引き結ぶと、怒りで身体を震わせながら、どうにもし難い感情を必死で押し殺していた。そこへ、ペネロペの友人である少女が血相を変えて飛び込んできた。
「え! なんですって?」
耳打ちから顔を上げると、ペネロペは泣きそうな表情でレイシーの袖口にすがりついてきた。
「……今、校舎の裏でランベールとピヨネットが揉めているって。なんでも、刃物を抜いての斬るの斬らないのと」
レイシーはスッとテーブルを立つと、震え上がっている少女たちにぐるりと視線をめぐらせ、微笑んで見せた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから。ね?」
幸か不幸か荒事には経験を積んでいる。命をかけての切った張ったも日常茶飯事だ。
レイシーは現場からやってきた少女に向かって歩み寄ると、肩を引き寄せていった。
「その場所に案内して」
「レイシーお姉さま! すでにこのことは私たちの手にあまりますわ。教師たちにまずは報告を」
ペネロペが黄色い声で叫んだ。
「ね、あなた。先生たちには報告したの?」
「は、はい。でも、彼らは生徒同士のやることだと、ちっとも取り合ってくれません……。だから、だから! 私、どうしていいかわからなくて……!」
レイシーは食器の片づけをお願いね、といい残すと少女と連れ立って食堂を出ようとする。
「ダメです! いっては、いってはなりませんっ。どうして、そこまで――」
レイシーはペネロペの声に振り向かないまま、いった。
「だって、黙ってられないから」
クリスタルレイクから北北西に進んだ位置に、ダークエルフたちが盤踞する「入らずの森」があった。
人間とダークエルフが、不戦を定めた場所として設けられた路を大きく外れた地点で、蔵人はしつこく猛襲をかける褐色の悪魔たちと必死の攻防を続けていた。
「ったく、やってくれるぜ一方的によ」
無尽蔵に広がる森の奥。岩場から激しく流れ落ちる滝壺があり、その岸辺で蔵人は一息入れていた。外套を脱いで割られた肩を清らかな流水に晒すと、固まった血がさらさらと溶けてゆく。
胸元にある不死の紋章が白く輝くと、みるみるうちに傷口はふさがっていった。血を失いすぎたのか、頭がクラクラとする。
そういえば、日が高いうちから追っかけっこを行っているのだ。空きっ腹を満たすため、がぶがぶと水をやったが飢えは一向に遠ざかろうとしない。
未だ、交戦中とあらばおおっぴらに火を使うことも憚られる。火が使えないのであれば、湯を沸かし、茶を飲んだり干し肉を炙ったりすることはできない。
蔵人は、ズタ袋を背中から下ろすと、情けない気持ちで硬い肉に歯を立て、ゆっくりと咀嚼した。近頃、屋敷で甘やかされていたせいか、固い行動食を口にすることもあまりなかったので、顎が弱っている気がする。
――ポルディナのあったけえ飯が恋しいぜ。
ガジガジとやっていると、干し肉の妙に硬い部分に歯が挟まって取れなくなった。こういう、精神にやさしくない頑固さは絶対によくないと思った。
ええい、メンドくせぇなあ、と胸のうちで呟く。無理やり干し肉を噛み千切って飲み下す。淵の流れに手を突っ込んで、冷たい流水で顔をじゃぶじゃぶと洗うと、いささか気分が落ち着いた。
「勇者さまー。とりあえず、追っ手は撃退しておきましたのでご安心をー」
「……おう」
河原に広がる石ころをぴょんぴょん避けて飛び跳ねながら、ハナが軽やかに近づいてきた。
(ちぇ。ひとりで行くつもりだったのに。勝手に追いかけてきやがって……)
「あれ、今、なにかよからぬことでも考えつきましたですか? ワルーイ顔なさってますよ」
「ギクギクッ! ぜーんぜん、そんなこたぁねえぜ。神に誓うよ」
「勇者さまっ。みだりに神の名を口にしてはなりませんっ。めっ」
気づけば旅のお供にハナが加わっていたのは、想定の範囲外だった。なかんずく、責任の一端を感じていたヴィクトワールが密かに蔵人のあとを追うよう指示していたらしいが、ハナ自身が隠れるつもりがなかったらしい。クリスタルレイクを航行する客船のなかで、あっさり蔵人の前に姿を現したのだった。
「しっかし、なーんでこんなところでダークエルフなんかとやりあうハメに……」
「不思議ですね不思議ですね」
「おまえが、駅馬車が止まったところで綺麗なお花がありますよーとかいって、ドンドン森の奥へ行くからこんなことになったんじゃねーか!」
「勝手に境界線越えたらダークエルフさんたちも怒っちゃいますよね」
「それは、ぜんぶおまえのせいだっつうの」
「でもでも、勇者さまが、やんわりと出てゆくよう告げられたダークエルフの酋長さんの奥さまをいやらしい目で見られたことにも、責任の一端はあるかと思われますが」
「仕方ねえだろ。あんなエロエロちっくなビキニ姿してんだからよ。反応するのは、男子としてあたりまえだ。溜まってたんだよ! 文句あっか!」
「文句はないですけど、ファーストインプレッションが最悪でしたかと。姉ちゃん、ちょっと木陰で楽しく語り合いませんか、では。酋長さんは大人でしたよ。最初は、やんわりとやめるよう言葉にも気を使っていたのに、勇者さまはいきなり奥さまを押し倒すから……」
「あれは足が苔ですべったんだよっ。第一、謝ったじゃねーか! 心のせめーやつらだぜ」
「……勇者さまは、レイシーさまが公衆の面前で肉体的恥辱を加えられたら、その方をどうなされるのですか?」
「殺すね。微塵斬りにするレベル」
「でしょでしょ」
ハナは人差し指をフリフリすると、かわいくウインクを送ってきた。
とってもおしゃまな感じだ。軽くイラッとした。
「あー、とにかくだな。上手いことやつらを振り切って、この入らずの森を出よう。駅に行けばそのうち次の馬車が来るだろうし、なんとかなんだろ」
「わー。すごいですっ。なんともザックリした心強いお言葉」
「ほのかにおまえ、俺のこと馬鹿にしてね?」
「してませんよー。ハナは勇者さまのこと、とっても敬愛しています。次点はお嬢さまです」
「ぜんっぜん褒められた気がせんのだが」
「でもー、勇者さまぁ。さっき溜まっていらっしゃるって、おっしゃられましたよね?」
「おい、微妙に肌脱ぎになるな。肩を出すな。俺はガキは相手にせんのだ」
「ぶうぶう。ハナはいつでも、勇者さまのことお迎えできる準備はできていますのに。前も後ろもオッケーですよんっ」
「だから、ツルッペタには興味ないっての。おまえのおっぱいが、ばいんばいんになったら、一晩中でも揉んだりしゃぶったり挟んだり、先端にグリグリしてやっから、それまでは粛々とときを待つのだ」
「ええー。つまんないですー。ハナだって、勇者さまの公式なお妾さんなんですよー。お情けをちょうだいしたっていいじゃないですかー」
「おまえって、人の目がないとグイグイ攻めてくるのな。お兄さんはびっくりだ」
「今なら、すっごいサービスもしちゃいますよ。娼婦さんも恥じらって修道院入りです」
「おい……」
「ハナのぉ。後ろの小道を探索してみませんかぁ? ね?」
「勝手に人のチンコさわんなっ。息子が風邪を引くわ」
「とかなんとかおっしゃられて。ココは嫌だって、仰られておりませんよ。ふふ。かわいい」
「ああっ。首筋チロチロ舐めながら、大事なところギュッギュッされてっ。こんな年下の娘に責められて、屈辱的な感じが悔し気持ちいいっ! ……とか、なんとかいってる間に敵さんがおいでなすったぜ」
蔵人は膝の上に乗っているハナを弾き飛ばすと、素早く剣を抜いた。ハナは小さく「きゃっ」と叫ぶと、くるりんと一回転して立ち上がり、スカートについた埃を払っている。
川原の向こう側から、ヒシヒシと迫り来る殺気が場に満ちて、いやがおうにも蔵人に戦闘態勢を取らせたのだ。
「勇者さま……」
「なんだ」
「やっぱり、ここは一発ヌいておいたほうが心置きなく戦えるのではないかと愚考します」
「おまえって、やっぱ大物だよね?」
くだらない軽口を叩き合っていると、乱れた足音が急速に迫ってきた。影は、十二。最初に喧嘩の口火を切ったときと比べると数は半減していた。
蔵人はなるべくならこのようなくだらないことで人死にを出したくなかったので、珍しくも手心を加えていたのだが、いきり立った彼らには通用しなかったらしい。
目を凝らしてみると、殺気を放射させている人数のうち、半分ほどは手傷を負っているのかあまり動きがよろしくない。先ほど、しんがりを任せたときにハナがやったのだろう。彼女は、やはり底が知れない実力を隠し持っているのだと、改めて実感させられた。
「ロムレス人よ! 逃げ回るのもそこまでだ。我が妻ルジェナに与えられた恥辱を晴らすため、ボーナ・ボーナ族の戦士マクスミリアンが一騎打ちを申し込む!」
「あらら。ダークエルフさんたち、ヒヨっちゃいましたね。ここは、ハナが――」
ダークエルフたちは、蔵人とハナのふたりを同時に相手するよりかは、一騎打ちの方がまだ分があると思ったのか、高らかに声を張り上げて挑発してきた。
「おまえが行ったんじゃ、たとえ勝ったとしても納得できないだろうな。見ろよ、あの封建的男性優位主義に凝り固まった顔つき。ここは俺に任せとけって」
「……勇者さま。ハナ、キュンとしちゃいましたっ」
「いいからそこでキュンキュンしてろ」
「きゃっ。今のセリフ、キュンキュン度かなり高いですっ」
「二百キュンキュンくらいか。貯めるとなにが貰えるんだ」
「ハナのはじめてですっ」
「……もう少しポイント低いのと交換で」
「じゃあ、勝利のキッスです」
蔵人はジャンプしながらエールを送っているハナを無視すると、ゆったりとした足取りで前に出た。ダークエルフの戦士たちは、激しい殺気を放射しているが、ここまでの戦いで彼我の実力差を見極めていたのか、怒りのなかにも怯えが混在していた。
マクスミリアンと名乗る族長は、身体は百九十を超える巨漢で、胸板こそ蔵人よりも遥かに分厚いが、なんとか恐怖を押さえ込んで威厳を保っているという格好だった。蔵人が、激しく興味を示した彼の妻も、悲壮な表情で隣に立っている。
――ちょっと悪いことしたかな。
と、思わんでもない。蔵人の肩を割ったのはマクスミリアンの斧ではあるが、平然として痛みすら見せぬ相手に畏怖を持ちはじめていたのであろう。なんてことのない歩法で迫る蔵人に対し、過剰な筋肉の緊張が見て取れた。
これでは、いざ戦いがはじまれば、わずかであるが動きに微妙な差が出てくる。
その一瞬で勝敗が決するということがわからないのであれば、年がら年中斬り合いをしている蔵人とでは、経験に差がありすぎた。
「いいぜ。一騎打ちだな。だが、ひとつ提案がある。呑めるかどうか、おまえ次第だが」
「ボーナ・ボーナ族の戦士はどのような戦いも恐れはしないっ」
「じゃ、こういう方法で勝ち負けを決めるってのはどーよ」
「……?」
蔵人は石ころの少ない場所に移動すると、棒きれで円を描き出した。またたく間に直径五メートルほどのサークルが描かれる。
蔵人は「ぽーい」と叫びながら剣を放り投げると、モロ肌脱ぎになった。
「武器は使わねえ。この円のなかで組み合って、先に手を着くか、押し倒されるか、外に押し出されたほうが負け。俺ンとこの国技で相撲っていうんだ。この勝負受けるか?」
「いいだろう、ロムレス人よ! この勝負乗ったぞ!」
マクスミリアンの妻ルジェナはあからさまにホーっとため息を吐き出すと、両手を組み合わせて祈るような形で目を閉じた。
どうやら、彼らも本格的に命のやりとりまでは望んでいなかったらしい。蛮族蛮族と人はいうが、あきらかに彼らのほうがロムレス人よりも温和な性格である。
マクスミリアンは見事な体躯である。鍛えに鍛え抜いた身体は鉄を束ねたような筋肉がうねっている。腹筋は綺麗にむっつに分かれており、ボディビルダーの見本のような身体だった。
が、それが蔵人にとっては、少しばかり頼りなげに見えた。薄いのだ。蔵人はダンジョンに潜って世間一般の常識が通用しないモンスターと数々渡り合ってきた。スポーツやジムのマシンで鍛えたようなヤワさはない相手だが、脅威は微塵も感じ取ることができなかった。
蔵人の身体もマクスミリアンに劣るものではない。彼よりも、はるかに軽くはないが、筋繊維の一本一本からして密度が違う性根が違う粘りが違う魂が違うといってのけられる。
――悪い、負ける気がしねぇんだ。
マクスミリアンの大きな瞳がカッと見開かれ、唇から獅子のような吠え声がほとばしった。
威嚇の声だが、蔵人は彼から怯えを確かに感じとった。怒声を張り上げることによって、自らの惰弱さを打ち消すような、追い詰められ者が発する部類のものだ。心の芯を感じ取ることができない。
ならば、こちらはビクともしない巌のように受けて立とう。蔵人は弾丸のように突進してくるマクスミリアンの褐色の巨体を両手を広げ、待ち受けた。
さあ、ドンと来い。いつでもかまわない。肉と肉がぶつかり合い、膨大なエネルギーが見えないウェーブとなった互いの細胞に伝播した。熱い。火の玉を抱えているような熱さだ。
やはりといってはなんだが、マクスミリアンの突進は強烈なものではあるが、想像していたレベルを大きく超えないものであった。
体重の差から、ズズズと後方に押しやられる。ダークエルフたちがワッと歓声を上げる。
だが、そこまでだ。
所詮は人間の域を超えない。
――この程度であるならば、俺自身の力だけで十二分に対処できる。
蔵人は組み合ったマクスミリアンに向かって微笑んだ。睨んでいた男の顔が、ギョッとするのがわかった。歯という歯を、ガチンと鳴るくらいに噛み合わせて、両足で大地を踏み込んだ。
鋭く腰を落として身体中のバネを利かせた。
むくむくと、全身の筋肉が膨れ上がっていくのがわかる。
猛った。同時に満身の力を込めて両腕に力を込めた。マクスミリアンの巨体。ふわりと宙に浮かんでゆく。ダークエルフたちの声が悲痛な叫びに変わってゆく。
おお、と。
まるで自分のものではないような野獣が放つほとばしりを他人事のように聞いていた。
次の瞬間、土俵際に追い詰められていた蔵人は、左にマクスミリアンの巨体を激しく振って、見事なうっちゃりを決めたのだった。
ハナが甲高い声を上げて飛びついてくる。蔵人はきゃあきゃあいう小娘を片手で制しながら、未だ呆然と転がっているマクスミリアンに向かって手を差し伸べた。
「――いい、勝負だった」
マクスミリアンはポカンとした表情でしばし硬直すると、突如として破顔し、腹の底から笑い声を上げながら、がっしりとした手を伸ばし蔵人の右手を握った。
それは、命を懸けて競い合った者だけが分かり合える、深く清冽な魂が籠った心の交流だった。




