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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第13章「魔術学院編」
264/302

Lv264「変化の腕輪」



「勇者よ。貴殿の勲に敬意を表するため、我が一族の宝を捧げよう」

「これは……?」

 わだかまりが解けたのち。

 蔵人はダークエルフの戦士マクスミリアンがしていた腕輪を受け取った。際立った装飾はないが、複雑な文様が刻まれておりなにやら由緒正しげである。

 元を正せば、誤解とはいえ蔵人が争いの原因を作ったのだ。和解してしまえば、あとを引かないというのが蔵人の美点である。当然、宝物の受け取りは固辞した。

「ワリーよ。俺らは、駅までの道を教えてもらえばそれでいいのに」

「いや! ボーナ・ボーナ族は勇気と強さを重んじる。貴殿は、戦いに勝利した。勝者はすべてを手に入れられるのに、敢えてなにも受け取らず、敗者である我を辱めず道を示した。そういった男は、ダークエルフのなかでも極めて稀である。貴殿は、すでに我が友、我が兄弟、我が一族だ。せめても、これくらい受け取っていただけなければ我はここで自裁して誇りを守る」

 感情過多な男なのであろう。マクスミリアンは褐色の分厚い胸を震わせると、手にした腕輪を蔵人の鼻先に突きつけながら、ついにははらはらと落涙した。

 まわりで様子を窺っていた一族も、たちまち空気に感化されたのか、吠え声を上げて泣き出す。

 蔵人がなおも逡巡して頬を掻いていると、マクスミリアンの妻ルジェナがゾクッとするような壮絶な色気を全身に滲ませながら、腰にすがりついてきた。

 ぷにぷにした乳房やチョコレートのように艶やかな光沢のある腕が、布地を通してやわやわと感じられる。たちまち蔵人の目尻が下がった。

「お願いです、勇者クランド。夫の気持ちを受け取ってくださいませ」

「ええっ。そうかな、しっかたねぇなあ」

「あ! 勇者さま、デレデレしてますー」

「るせぇな! 黙ってろよ。貰うよ。いただきます。ン、これでいいか」

 蔵人が右腕に腕輪を嵌めると、マクスミリアンはがばと抱きついた。熱烈すぎる抱擁である。

 万力のようにギリギリと太く長い両腕で締め上げられ、息が詰まった。

「勇者よ、友情だ。友情の証だ! 我は一族の宝を受け取って貰えてうれしい。うれしいぞ!」

「く、くるし……。頼むから離れてくれませんかねぇ!」

 蔵人がギブアップして肩をタップするとマクスミリアンはようやく気づいて、照れながら身体を離した。なんとはなく、憎めない好漢である。力量は今ひとつであるが。

「にしても、相当に値の張る物じゃねえのか……? あとで返せったって返さねえぜ」

「うむ。それは、ただの腕輪ではない。我がボーナ・ボーナ族に伝わる変化の腕輪だ」

「変化の腕輪、だと……?」

「勇者さま。オウム返しはお行儀よくありませんよ」

「む。そうだ、勇者クランドよ。それは身に着けることによって、男は女に。女は男に化けることができる、我が里に伝わる魔術道具のひとつだ。ひとつ、試してみせよう」

 いうが早いかマクスミリアンは蔵人から腕輪をひょいと借りて自分の腕に嵌めると、目を閉じて精神統一を行った。

 瞬間、マクスミアリンの身体が淡い青の光に包まれると、数瞬のちに、そこにはもうひとりのルジェナが存在していた。

 長く美しい脚も、褐色のなめらかな肌も、大きく豊かな双丘も、後方にぷりんと突き出された臀部も、小さく整った憂い顔もすべてが同一である。

「な、なんじゃあ、こりゃあ!」

「わ、わ。これは、さすがのハナもびっくりです!」

 蔵人は突如現れたふたりの美女に駆け寄ると、両者の手を代わる代わるとって弾力を確かめた。

「幻じゃねえ……! こりゃ佐渡の団三郎狸もマッツァオだぜ」

「頭に思い描いた人物に変化できるこの腕輪こそ、我が一族の秘宝。もっとも、男衆は女衆に。女衆は男衆にしか化けることはできないのが欠点といえば欠点か。それと、注意点はもうひとつ。変化を行っているときに、強い衝撃を受けると呪いが解けてしまうこともある。化けながら戦うことは不可能だろう。活用するとしても、宴の席での余興くらいだろう。秘宝と銘打ってこの程度と種明かしでは、いささか失望させたかも知れぬが。許せよ」

「いや! すげーよ。オモシレーじゃねえか。俺っちこういうの大好きだ」

「勇者さまいたずら好きですもんねー」

 ハナがくすくす笑いながら、腕輪を両手で振り回し、はしゃいで川原のあちこちを踊りまくる蔵人をやさしく見守っている。ダークエルフたちも、蔵人のあまりに無邪気なはしゃぎように、和やかな笑いがさざなみのように湧き起った。

「クランドよ。童子のようにはしゃぐのもよいが、一度試してみるのはどうかな?」

「おうっ。そうだな、マクスミリアン。んだば、早速……。んー誰がいいかなぁ」

「上手く想像できぬときは、心を無心にせよ。貴殿がもっとも慕う女子へと自ずと変化できる」

「うわー。これって、あとで問題になりませんかね? 勇者さまの中身がドロっとわかっちゃいますね。わくわくのどきどきですよー」

「ハナ、いいから黙ってろって。集中できねえし……」

 蔵人が瞑目すると、発光が腕輪から再び放たれた。同時に、全身の細胞が魔力によって変質してゆき、一同の前にはひとりの臈たけたひとりの美女の姿が現れた。

「なんと……!」

「これは」

「わ、わ。すっごい美人さんですー。でも、どなたさまですかねぇ」

 蔵人はそっと目を開けてみた。確かに、腕輪を使うときとあとでは、身体の重み自体が違った。

 なんというか、全体的に頼りないのだ。手のひらを目の前に持ってくると、そこにはいつも見慣れた無骨で節くれだった指はなく、触れればたちまちに折れそうな細く儚げなものがスッと一種の工芸品のように並んでいた。

「なんだ? 本当に、変身できたのかよ」

 喉からすべり出た声は、鈴のように軽やかで耳に心地よい若い女性のものだった。違和感を確かに覚える前に、ハナの声が脇から飛んできた。

「できてますよー。勇者さま! すっごい美人さんですよっ」

「うむっ、いい。なんという美しさだ……」

「あなた……!」

 熱っぽいマクスミリアンの声にかぶさって、妻であるルジェナのものが噛みついている。蔵人は、とりあえず今の自分の姿を確認するために、川辺の淵へと移動した。

(なんだ……? 足元がふわふわして、すっげえ歩きにきぃや。なんか、バランスもよくないし)

 淵の溜りまでいって、川面に顔を映した。月明かりが程よく輝いて、蔵人の変化した顔をあまさず映し出した。

 そこには、蔵人が望んで望んでついには得ることのできなかった女性が、現実にあった。

「あ、あ、あ……」

「勇者、さま?」

 一瞬、天地が逆さまになったかのような衝撃を受けた。蔵人は、どこか遠くでハナの声を聞きながら、淵に落ち込む寸前にようやく手を近場の岩に置いて、落水を防いだ。

 頭の芯が煮えたぎったように、カッカッと火照る。鼓動がドクドクと荒く脈打って、視界が広がったり狭まったりした。落ち着け――と。これは、あってはならないものだ。固くキュッと目をつむると、素早く腕輪を抜いた。

「あらら……」

「むう」

 背後から、酷く惜しそうなため息が漏れる。発光が再びはじまって変化が解けたことを感じ、どうにか平静を保った。

「どうして戻っちゃったんですかぁ……? とっても綺麗な黒髪の美人さんだったのに」

「や、やはは。まあ、聞いてくれるな。昔、ちょっとあった女だっただから、よ」

 自分は、今の衝撃を流していつもどおりの態度で振る舞えるか。蔵人は、胸のなかでゆっくりと数をかぞえながら、なんでもないと笑ってみせた。こうすれば、人一倍聡いハナのことだ。なにかしら、過去に曰くがあった女であると錯覚して大人の対応をとってくれるはずだ。

「まー勇者さまは色々ありますでしょうし。変わり身ごっこはまた今度にいたしましょうか」

 果たして。ハナは深く突っ込まず、肩を抱いて寒いですとまで、か弱げなふうを装ってくれた。

 確かに、夏とはいえ、森の奥深い水辺の近くでは、動いていなければかなり冷える。

「ふむ。ニンゲン族がここから元いた場所に戻るのはさぞ困難であろう。さ、兄弟。我が案内して進ぜようぞ」

 蔵人たちは和解したマクスミリアンの先導によって、夜が明けきる前には、どうにか不戦協定地域の通路へと戻ることができた。

「ウッドレスへゆくのか? もし、帰りに時間があれば、里の集落に寄ってくれ。歓迎の宴を開きたい。是非にも――」

 マクスミリアンと再会を誓って固く握手をすると、彼らは親切にも定期便の馬車が通る駅まで見送ってくれた。こうして、心が通えばなんともダークエルフたちの情の深さがわかった。






 さて、ウッドレスシティに向かうには、再び駅馬車に乗らなくてはならない。前夜の戦闘でかなり疲労はしていたが、ここはひとつ無理をしなければ。

「ハナ、若いですからー。徹夜のひと晩やふた晩、へいちゃらへいですよー」

 彼女はそうのたまってはしゃいでいたが、いざ馬車が駅について乗り込むと、たいした時間も経たないうちに、健やかな寝息を立ててすやすやと眠りだした。

 街と街を繋ぐ定期便の馬車のなかには、蔵人たち以外に、身なりのよさげな一家が乗り合わせていた。四十半ばくらいの紳士に、三十後半くらいの婦人。それに、かしましい三人の娘。一家の下男であろうか、五十年配の中年男性がしきりに騒ぐ一番下の幼女をあやしている。

 都合、八人。馭者を除いた旅人は狭い車内で膝をつき合わせながら、ガタゴトとお世辞にも快適ではない揺れに身を任せていた。

「おつきの方、よほど疲れているのですね。そんなにぐっすりと気持ちよさそうに……」

「ええ、まあ。まだ、子供なもんでね」

 上品そうな婦人が、蔵人の肩に頭を乗せてすうすう寝こけているハナを見て、微笑ましそうに微笑んでいる。

 夫である紳士のほうは、馬車に乗ったときから一心不乱に手元の書物へと目を落とし、ギョロギョロと動かしている。よほど面白いことが書いてあるのだろうか。少しだけ気になってしまう。

「あら、うちの人ったら。お兄さん。コレは、作家なんてやってるものでして、本の虫なんでございますよ。久々の旅行だというのに、子供たちはそっちのけで。わたしはほったらかし。ええと、こんな年増の愚痴でよければつき合ってくださらないかしら? なにしろ、長い車中、暇で暇で」

「いえいえレディ。僕でよければ、いくらでも」

 蔵人は、まあ完全に守備範囲外であるが、外を眺めても鬱蒼とした緑が続くばかりの景色に飽いていたこともあり、婦人との会話にしばしつき合おうと身を乗り出した。

「まあ! レディなんて。こんな若い殿方に褒められて、どうしましょう!」

「やはは。まだまだ若い若い。あなたも二十代でしょう。僕とたいして代わり映えしませんよ」

 蔵人は経験上、女性は年齢を下に見積もるといいことがあると知っていたので、見え見えの世辞をいった。果たして、戦果はすぐに現れた。

「まあ、お上手なんだから、もう! えと、これ旅行先に持っていったお菓子なのですけど、お口に合えばどうぞどうぞ」

「こーんな美しいレディに勧められて断るわけにも参りますまい」

「まあ、まあ、まあ!」

 蔵人は意外とマダムキラーだった。

(菓子だ菓子だ。とにかく、昨日から空きっ腹だったんだ。悪いが養分にさせてもらうぜ)

 婦人がきゃろきゃろと黄色い声を上げている隙を狙って、菓子をパクつく。随時、彼女が望んでいそうな言葉を、もうやたらめったらに述べてゆく。婦人のテンションは最高潮に達した。

「もう、お母さま。恥ずかしいわ」

 すぐ隣にいた、かぶりものを深くかぶっていた巻き毛の十二、三歳くらいの娘が、顔を真っ赤にして婦人の袖を引いた。

 この世界の道徳では、よく知りもしない男性と既婚者の婦人が親しく口を利くことははしたないこととされていた。つまりは、少女に対する教育はしっかりとされていた成果が出ていたのだ。

「うううむむむ。それで、それで! この話の続きはどうなるというのだっ!」

 蔵人たちが騒がしくしているというのに、約一名。夫である紳士は見向きもしなかった。

「お父さまもっ。人前で本を読むのはやめてと、あれほど頼みましたのに」

 娘は、憤懣やるかたなく、頬をぷくっと膨らました。

 紳士のほうは、手元の書物の世界に没頭しているせいか、目の前のやりとりには、なんの興味も示さない。下男が三つくらいの幼女を膝の上に抱っこしてあやしながら苦笑している。

「エポワスお嬢さま。旦那は、騎士道物語に夢中になると、ほかのことは一切合切目に入らないんでェ。いまさら、詮なきことじゃありやせんかぁ」

「恥ずかしいです」

「ん。なんだぁ?」

 蔵人は遠くから聞こえてくる小さな声を確かに聞いた。心なしか、馬車のスピードが早まった気がする。同じく異変を感じた下男が、馬を操る馭者に向かって声をかけた。

「どうしたね。なにやら、急に駆け足になった具合だが」

「なにを悠長なことをいっていやがんだよ! うしろを見ろ。盗賊だァ!」

 まもなく。馭者の言葉は現実となった。蔵人が聞いた、小さな異音はすでに車内の誰にでも聞こえるほどの大きさになっていた。窓枠から顔を出すと、後方から追いすがってくる騎馬の影が見えた。

 その数、八騎。

 黒い影は、グングンと勢いを増して迫ってくる。威嚇のための雄叫びは、森のなかを木霊して、おんおんと不気味に鳴り響いていた。

「と、盗賊だと……! こりゃあ、いかん。馭者くんっ。なんとか、もっとスピードを上げるわけにはいかないかね!」

 あらゆる事柄に我関せずといった態度をとっていた紳士も、娘たちが妻に取りすがって泣くのを目の当たりにして、ようやく現実を直視し顔を青ざめさせた。

「旦那ァ。こっちは、もう先からやってまさぁ! けど、どっちにしろこの馬車はたらふく人を乗せてやがんだっ。追いつかれんのは時間の問題で!」

 馭者はムチを激しく馬にくれながら甲高い声でわめいている。そうしている間にも、不穏な馬蹄の響きは着々と近づいてくる。婦人が「ひっ」と短く悲鳴を上げた。

「な、なんと――」

 紳士は手にしていた分厚いを本を、どさりと落とすと、ガタガタ震えはじめた。無理もない。

 この世界の野盗のやり口は残忍極まりないものである。

 女はよほどの老婆でなければ陵辱を逃れられるものではなく、ロクに州兵の監視も行き届かない僻地の道では奇跡的に現れる救い主を望むことすらできないほどだ。

「お母さま」

「ママー、怖いよう」

「わたしたち、どうなってしまうのっ」

 下男は体格は悪くないが、明らかに農作業で鍛えた肉のつき方で、戦うもののそれではない。

 現に、日に焼けた浅黒い顔を妙に黒ずませて脂汗を垂れ流し、今にも泡を吹きそうである。

「ひっ!」

 シュンッ、と。素早い風切り音を立てて、矢が窓枠の桟に突き刺さった。

 どうやら敵は、飛び道具も持っているらしい。蔵人がそっと窓から顔を覗かせると、かなりコントロールのいい腕前で、次の矢を放ってきた。咄嗟に首を亀の子のように引っ込めてよけた。

「ひゅうっ。いい腕してやがんなっ」

「あ、あぶなっ。危ないですよお!」

 エポワスというハナと同じくらいの少女が涙をいっぱいに溜めた瞳を揺らしながら腕にしがみついてきた。かぶりものがややずれて、特徴的なオレンジ色の髪が顕になった。

 ハッとするほどの目を引く顔立ちである。これでは、まだ幼いとはいえ迫り来る餓狼の群れに見つかればタダではすまない。

「勇者さま。降りましょうか――?」

 いつの間にか目を覚ましていたのか、ハナが低い声で呟いた。体温を感じさせない酷く突き放した口調だった。

 そうなのだ。彼女は、自分たちだけならば、馬車から飛び降りて盗賊たちから逃げられる、と示唆しているのである。ハナにとっては、無意味に賊とかかずりあって無益な闘争を行うことは意味がないと断じているのだ。

 それは、同時に乗り合わせた一家と馭者を見捨てることでもある。蔵人は、自己の倫理に従って方針を決定する。

「それはできないな、絶対に。ここはひとつ、善行を積むことにするよ。ここんとこ、カルマが溜まりすぎたからな」

「そうですかー。なら、ハナも頑張っちゃいますよー」

 ハナは能面のような表情を一変させると、朗らかに笑みを浮かべた。彼女は、内と外の切り分けが徹底している。

 現代日本人の観点から見ると、酷く残酷のように思えるが、可能な限り危険を避けて己の命を保全するのは、この世界の人間にとっては本能のようなものであった。

 ハナは日頃それらを努めて抑えているようなのであるが、ときおり目を離すとそれらが首をグイともたげる。

 ――とにもかくにも。追いすがってくる危難を全力で乗り越えねばならない。

「敵さん、弓を使っているな。この馬車は弓とか、なんでもいいが飛び道具は積んでいないか?」

 蔵人が馬車を見渡しても、全員が首をふるふる振って否定する。ハナは徒手空拳で、帯剣しているのは蔵人と紳士だけだ。おまけに、紳士の剣はあくまで護身用のレイピアであり、蔵人の愛刀である黒獅子よりもはるかにリーチが短かく、ひと突きしただけで折れそうだ。

「ないか――。よし、時間がねえ。奥さんとそれに娘さん。巻いてるストールをくれ! ハナは、そいつを引き裂いて、こう、長い縄にするんだ!」

「はいはーい。できますよー。でも、なんにするんですか?」

「時間がねぇから早くしてくれ」

 夏とはいえ、このあたりは標高が異様に高く、深い緑に囲まれているせいか涼しすぎるきらいがあった。

 なので、婦人たちは日が落ちたあとのことを考え、防寒対策の一環として首に巻いたり膝かけにするストールを持っていた。ハナは、それらを素早く引き裂いて縛ると、長い縄を編んだ。

「花咲けるロムレス騎士道か……。にしても、この厚さ。大辞林が薄く思えらァ」

 蔵人は床に落ちていた厚い本を即席の縄で解けぬよう十文字に縛った。そうしている間にも、馬蹄の響きは容赦なく近づいてくる。車内の少女たちは、もう声も出せないほど怯えきって固まっていた。

 ハナに右の窓側を守るよう顎でシャクって指示すると、蔵人は左側の窓から身を乗り出した。

 騎馬に乗った男が後方に迫っている。激しい唸りを生じて矢が飛んできた。蔵人の頬をかすめて矢が虚空に飛び去ってゆく。

 近い。もう、三メートルもない。残された時間はわずかであった。馭者をやられれば、馬車は止まるだろう。横転する可能性も少なくない。

 自分とハナはおそらくだいじょうぶだろうが、なんの罪もない一家の誰かは大怪我をするだろう。それだけはさけなければならい。もう、この一家にはかなり感情移入しているのだ。

 エポワスと目が合った。

「任せろ。片っ端からけちょんけちょんにしてやっから!」

 少女のかぶりものの上から頭をガシガシと撫でてやった。

 ――さあ、ここからは男の仕事だ。

 蔵人は、本を巻きつけた縄を車外で鋭く回転させると、迫り来る騎馬に向かって投擲した。厚みのある本は凄まじい速度を保って馬上にある男の顔面へと衝突した。

「ストライクッ」

 男が絶叫を上げて馬から転がり落ちる。動揺する隣の騎馬に向かって再び放った。蔵人の投げは精密を極めていた。本は馬の横っ面を激しく叩き、怯えを誘った。

 猛烈なスピードで走っていた馬が驚愕して方向を見失う。乗っていた男はバランスを崩して、宙へと身を投げ出した。

 万が一にも助からないだろう。身体を硬い大地に叩きつけられれば戦闘不能は間違いない。

 息を吐く暇もなく、車内に叫び声が満ちた。右方向に回った男が馬車に馬をつけているのだ。男は、窓から車内に乗り込もうと左手を桟にかけた。

 同時にハナが裂帛の気合とともに手刀を繰り出していた。彼女の正確な突きは男の右目を鋭く抉って侵入を阻止した。男がわめきながら落ちてゆく。

「無作法な皆さま方にお返しですっ」

 ハナは窓枠に刺さった矢を抜き去ると、寄せていたもう一体の騎馬に向かってシュッと投げつけた。矢が男の額に深々と刺さって、墜落してゆく。

「負けてらんねーな、っと。ツーストライクッ」

 蔵人はそばに寄せていた騎馬に向かって再び本を投げつけて男を馬上から叩き落とす。続けて、窓枠から軽々と飛翔すると乗り手を失った馬へと飛び移った。

「勇者さま! 危のうございますよっ」

「ハナ、おまえは馬車を頼むぞ。残りは俺が蹴散らす」

 とはいっても、蔵人は別段馬術にすぐれているわけでもない。経験としては子供の頃遠足で牧場見学をした際に、怪しげなポニーに乗ったことがあるくらいだ。

 屋敷で馬を飼うようになったあとも、もっぱら乗馬にいそしんでいるのは、シズカやアルテミシアといった貴族連中だけである。

「おわっ。たっ! 意外とむつかしいな、コレ」

 なので、手綱を持つ手も覚束なく、いかに素人といったふうである。

 これを見逃さない盗賊たちではない。彼らは、蔵人の騎乗スキルが貧弱であると見て取るとカサにかかって襲いかかってきた。

「死ねッ!」

「うわっと!」

 盗賊は左方向から馬を寄せてくる。当然、右利きの蔵人は剣を振りにくくなった。身体を捻るようにして長剣の黒獅子を振るった。

 が、自由自在に馬を御す男とは剣の腕以外で攻防に差がつきはじめた。幾号か剣を打ち合せて、剣の腕はそれほど脅威ではないとわかったのだが、なかなかに仕留められず歯噛みした。

 こちらがトドメとばかりに近寄ると、男は馬のスピードを上げたり下げたりして容易に的を絞らせないのだ。

 一方、蔵人は御するとかそういう次元の問題ではない。ただ好き放題に走っている馬の背に座っているようなものなのだ。これでは、どうにも勝負にならなかった。

 男は巧みに馬を操り体当たりをしながらも刃を叩きつけてくる。なんとか受け止めるのが精一杯だ。

 矢が飛んできた。蔵人は鋭い痛みを左肩に覚えたが振り返る暇もない。男が悪鬼のような形相で剣を振りかぶったのが見えた。

 蔵人は咄嗟に腰から鞘を抜くと男の顎に向かって叩きつけた。鋼鉄製でできた鞘はそれ自体が凶器である。不意を打たれた男は長い悲鳴を伸ばしながら地上に転がり落ちた。

 これで残りはあとふたりになった。

 二名の騎馬が速度を上げて追いすがってくる。チラリと槍の穂先が輝くのが見えた。鞘を腰にぶち込みながら、とっさに身を馬上に伏せた。耳元を鋭い風切り音が走ってゆく。

 弓を引き絞る男の姿。この距離ならもうよけられない。汗がドッと背中に吹き出し全身の毛穴が開いた。喉を鳴らして唾を飲み込む。ただ、そのときを待つほか手はないのか。

「しっかり掴まっていてくださいッ!」

「んなっ? おまえっ!」

 ハナが窓枠に足をかけたかと思うと、スカートを翻しながら蔵人のうしろに飛び移ってきた。

 依然として馬は駆け続けている。彼女は、人間離れしたバランス感覚で馬の尻に片足で立つと、そのまま迫る盗賊たちめがけて高々と飛翔した。

「てやっ!」

 吠え声とともにハナのすらりとした右脚が矢のようにピンと伸びた。

 盗賊の持っていた槍の穂先が白々とした輝きを放って飛んでゆく。

 ハナの飛び蹴りが、槍をぶち折り、男の無防備な顔へ深々と突き刺さった。

「すげぇ……!」

 もはや感嘆の一語しかない。ハナは駆け回る馬上を猿のように飛び跳ねて、残ったもう一名へと間を置かず飛びかかった。

 垂直に伸びたつま先が男の首根を横合いからへし折るのを見た。どうっ、と土煙を上げて男は落下すると、ドンドン遠ざかって見えなくなってゆく。

 蔵人は、馬の手綱を操りながら手を振るハナの姿を目にして、ようやくのこと気をゆるめるのだった。






「あのっ。助かりました! ありがとうございましたっ」

「いや、どうってことねえよ……」

 盗賊を残らず平らげたのち。蔵人はウッドレスシティ入口にある終着駅で少女エポワスから礼の言葉を受けていた。

「クランドさま。少しだけ、かがんでくださいませんか」

「んー。なんだなんだ」

 蔵人が膝を折って腰をかがめると、エポワスは意を決したように目をつむり唇を合わせてきた。

 夫妻はしきりに蔵人に対して礼をしたいと引き止めてきたが、レイシーのこともあり振り切るようにしていずれかの再会を約束して別れた。

 去り際、熱病に取り憑かれたようなエポワスの視線が気になったが、蔵人は特にロリ好きではないので忘れることにした。

「あらー。勇者さま、モテモテですねぇ。すごいですねっ」

「あんだよ、おまえヤキモチ焼いてんのか?」

 ニタニタしながらハナの頬を人差し指でつつくと、思ったより邪険な仕草で腕を払われた。

 あら? と、いつもにないハナの対応に、若干不信感が湧いた。

「え、本当に妬いてんのか?」

「あは、そんなことないですよー」

「おい、絶対に今の根に持ってるだろ」

「ぜーんぜんですう。あのエポワスという小娘には反応して、ハナのことを無視する勇者さまが憎いだなんてこと、これっぽっちも思ってはいませんよー」

(……なんだぁ? いつもならこれくらいのこと気にもとめないで、むしろ茶化すくらいの勢いなのに、なーんで今日に限って過剰な反応をするのだ。わからん。まったくもって、わからん)

「別にいいじゃねえか。あの子だって、おまえと同じような歳だし……」

「それが嫌なんですよっ! 同じくらいの歳の子は嫌なのっ!」

「うおっ?」

 ――だから、警戒する必要ない。

 と続けようとしたら、かつてないヒステリックな口調でキレられた。どうやらハナにとっては、自分と同じくらいの年頃の娘であることがネックだったらしい。

 地雷を踏んだ。それも、ただ踏んだだけではなく連鎖反応を引き起こすように、ひとつめの周囲でブレイクダンスを踊りながら円運動を行って自ら範囲を広めたような感じだったらしい。

「……なんか、すんません。ホント、すんません」

 年頃の娘は本当に難しいと、久々に反省する蔵人であった。






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