Lv262「ウッドレス魔術学院」
「ご主人さま、またお手紙が届いておりますが、いかがいたしましょうか」
蔵人は、居間のソファに寝転びながら、心持ち犬耳をピンと立てているポルディナを見ながら、うーんと低く唸った。彼女のふさふさのしっぽは心持ち垂れて、静かに揺れている。不安な気持ちの表れだった。
「とりあえず、持ってきてくれ」
「承知いたしました」
まもなくして。ポルディナは籠いっぱいの手紙を両手で抱えながら現れると、テーブルの上にドスンと置いた。部屋の隅で暇そうにストレッチをしていたカレンとリザが近づいてくる。
「なになにー?」
「なんなんのだー、これは。お、ぜんぶクランド宛なのだ」
「嫌がらせだよ、ちきしょう。おい、リザ。読んでいいぞ」
「それじゃあ、お言葉に甘えましてなのだ。なんだこれ。ぜんぶ、罵倒の言葉で埋め尽くされているのだ。差出人は、聖騎士連合……」
そうなのであった。ダンジョンから戻って数日。蔵人の屋敷には一日も欠かさず、クラン聖騎士連合の乙女たちから、抗議と呼ぶには似つかわしくない言葉が列挙された手紙がしきりに届くようになった。
原因は、二十四階層で、彼女たちから畏敬の念で見られていたリーダー格のひとり、ナイトの称号を持つ女騎士シャノン・チェンバーズに対する蔵人が行ったラッキースケベに対しての怒りの声だった。
「ふ。モテモテで困っちゃうぜ。俺ってば、女泣かせな男だな」
「ねえ。この手紙、クランドの人格を全否定してるわよ。ちゃんと現実を見つめたほうがいいんじゃないかしら」
カレンが、自慢のツインテールを振りながら、持っていた手紙の束を顔に叩きつけてくる。蔵人は「うっせ」と力なくいうと、手を振り上げて、それらを払い落とした。バラバラと、神経質な文字で埋め尽くされた紙が、絨毯の上に散らばって広がった。慌ててそばにいた、ポルディナやメリアンデールが拾い集め出す。
「クランド。いったい、なにをしたのだ? 誤解ならば、キチンと謝らないといけないのだ」
「別に。ただ、初対面の女のケツをペロッと揉みさすったまでだ」
リザとカレンは、半目になるとそろって「サイテー」と連呼しだした。まあ、自分の夫が堂々と痴漢まがいの行為をしたとぬけぬけといってのければ、いい顔もできないだろう。
蔵人は、ケッと鋭く舌打ちをすると、ゴロンとソファに顔を埋める格好でふて寝を決め込んだ。
おまけに、口をそろえてキャンキャン吠えるエルフ組に向かって勢いよく放屁する始末。
カレンたちは呆れ返ってものもいえないというふうに、足並みをそろえると部屋を出ていった。
「けれどな、クランド。あまり表立って聖騎士連合を敵に回すのは得策ではないと思うよ」
椅子に座って本に目を落としていたルッジが、顔を上げるとおだやかな口調でいった。
「なーにがだよ」
「シャノン・チェンバーズはかの聖騎士ブリジットの右腕といわれる女だ。リザのいうとおり、君が行った行動を少しでも悔いているのなら、和解するために行動したほうがよいと思う」
「だいたい、そのナイトっていうのはなんなんだよ……」
「ブリジットが自クランの幹部たちに与えている称号さ。“ポーン”のクロエ。“ルーク”のジュリエンヌ。“ビショップ”のマチルダ。“ナイト”のシャノンといえば、聖騎士連合の錚々たるメンバーだ。つけ狙われて、決闘でも申し込まれた日には、命が幾つあったって足りないよ」
「んで、クイーンがブリジットってわけか。ん? キングがいないのはどういうわけだ」
「彼女たちは、凄まじいまでの処女信仰があってね。隊員は全員清らかな乙女のみで構成されているらしく、おまけに私的に殿方とつき合うことを禁じているらしい。特に、クランドが恨みを買ったシャノン・チェンバーズはマスターのブリジットに輪をかけたほどの男嫌いと聞いている。君に、大事なところを触れられたのがショックだったらしくて、ずっと寝込んでいるらしい。ここのところの執拗なラブレター責めは、彼女の配下たちの怒りの現れさ。とりあえず、今は下手にギルドの近くをうろうろしないほうがいい。闇討ちに遭う確率は非常に高い」
「ケッ、おもしれェじゃねえか。どいつもこいつも、まとめてかかって来いや! 女の喜びってやつをたっぷり教え込んでやるぜ」
「また、そういうくだらないことばかりいう。ボクはもう知らないからね」
ルッジはふて寝を決め込んでひっくり返る蔵人の頭を、まるで子供をなだめるかのように幾度か撫でると、分厚い本を抱えたまま部屋をあとにした。
「面白くねーな。おい、ポルディナ。酒だ。酒持ってこい。昼酒だ」
「かしこまりました」
蔵人は飲んだ。それも昼間からだ。はじめはやけ酒のつもりだったが、杯を重ねるごとに、気分が晴れるどころか、ますますモヤモヤは溜まっていった。
日が落ちきる頃には、相当にできあがっていた。ヴィクトワールやドロテアが何度か顔を出し、意見をしたが、酔いが回っている蔵人が聞き入れるはずもない。
相当に荒んだ気分になっていたたのだろう、屋敷のなかをいつも走り回っているエルフの子供たちも寄りつこうとしなかった。
(悪い酒だな。もう、これくらいにしておかないと)
心のなかでは理性的な部分が少しは残っているのだが、ポルディナが慈愛を込めた瞳で酌をするので、なんとなく許された気分になってやめるタイミングがつかめなかった。
元々底なしといっていいほど強い上、胸に刻まれた紋章の力もあってか、酔いは中途半端な具合で回りきらない。酒精が、脳を完全に犯しきる前に、不死の紋章がある程度回復するのだ。
ほとんどヤケクソになってさらに飲み続けていると、レイシーが思いつめた表情で部屋に現れ、なにごとかを話しだした。
蔵人は、もはやボロ切れ同然になった脳みその力をフルに活用しながら彼女の話を笑い飛ばした。記憶が曖昧になってゆく。途切れる、最後の視界の向こう側で、涙をこぼしながら部屋を出てゆくレイシーの姿を見た。
世界は、電源を落としたブラウン管テレビのように、闇のなかで鋭い光線を水平に引き伸ばしながら、唐突に途切れた。
「目が覚めたかい。このヤドロクめ」
みちみちと、脳の神経が焼ききれるような音を聞いた。蔵人は、腫れぼったい目蓋をこすりながら、枕元で仏頂面をしているネリーを睨み、ドロドロに腐ったような酔い覚めの息を吐いた。
ネリーは、心底疲れたようにため息を吐くと、杯にそそいだ水を差し出してくる。蔵人は杯を受け取ると、寝転がったまま勢いよく呷った。冷えた水が食道をすべり落ちると、腹の底まで清められた気分になり、幾分さわやかな気分になった。
「二日酔いになっても、酔い覚めの水はやめられねえや」
「まったく、あなたはどこまで面倒をかければ気がすむのよ、もう」
蔵人は寝癖がつきまくった頭髪をガリガリやりながら、ぼけっとした顔で室内を見渡した。
窓の外を見やると、日がとっぷり暮れている。時間の感覚が完全に狂っている。起きたばかりというのに、身体が異常にかったるいのだ。
「なあ、あれからどのくらい経った」
「もう。丸一日過ぎてるわ。あなたひとりで屋敷じゅうのお酒を飲み干すほど飲んだのよ」
「悪い悪い。たははっ」
ネリーは耳元にかかった自分の髪を、くりんくりんと指先でいじり困ったように苦笑した。
「そういう顔するから憎めないのよね。はあっ。だから、こんな役目嫌だったのに。ほら」
「ん。なんだよ、また手紙。ははぁ、ネリーちゃんからのラブレターか」
「ほ、らっ」
「わわっと。なにをそんなに慌ててやがるんだよ。読むよ。読みゃいんだろが、ったく」
蔵人は手渡された手紙をベッドの上で開き、視線を走らせると、みるみるうちに顔色を青くさせた。額には、プツプツと細かな汗を浮き立たせながら、大口をあんぐりと開けている。突如として立ち上がると、ベッドから飛び降りて、上半身半裸のまま部屋を飛び出していった。
「待って。待ちなさいっ」
「ふんぐるむっ」
ネリーは戸口のあたりで蔵人のに向かってダイブした。彼女は、両腕を伸ばして蔵人の右足にしがみつくと、見事にすっ転ばせることに成功した。
「なにしやがんだよっ」
蔵人は痛打した顔面を撫でながら目を剥いた。
「どこに行くつもりなのっ」
「決まってんだ。すぐにでもレイシーを追っかけて連れ戻さなきゃなんねえ!」
蔵人のロムレス文字の読解力はまだ拙いとはいえ、手紙にはレイシーが他領の魔術学院なるものへと旅立ったことくらいは理解できた。
期間は三年とある。蔵人の目の離れた場所へと赴けば、彼女へとどんな輩がつきまとうかわからない。そんなことは到底許しがたいことであった。
――冗談ではない。放っておけば、次に会うときは、レイシーの腹は、ぽんぽんに膨れている可能性だってないとはいいきれない。世間は悪いやつで満ちあふれているのだ。
特に、学校に通うような年の男児は精力が有り余っている。押しに弱い彼女のことだ。下手に迫られて断りきれないことだって充分に予想できる。
思えば、レイシーが酒場のような常に男の影がつきまとう職場で貞操を保てていたのも、長ずるまでは彼女の父のバーンハードが、それ以降は夫である蔵人が目を光らせていたからにほかならないのだ。
「クランド。あなた、レイシーの話を酔ったままロクに聞かず笑い飛ばしたそうね」
「うっ。それは……」
ネリーの目が肉食獣が獲物を狙うときのように、冷酷な光を帯びて輝いた。
確かに、あのときの自分は酔いに任せてレイシーを傷つけるような対応をしたのかもしれない。グッと言葉に詰まった。
「あの子、泣いてたわ。彼女は彼女なりに、あなたの役に立とうと必死で悩んで相談したのに。それをあなたって人は……! そんなことで、夫だって胸を張っていえるの?」
扉の前でいい争っているのを聞きつけて、家人がどやどやと駆けつけてきた。ネリーがうつ伏せになった蔵人を一方的に責めているのを見たポルディナが、たちまちに飛び出してかばいだす。
「待ってください。ご主人さまは、そこまで深い考えでおっしゃったわけでは――」
「だったら、なお悪いわよ! ポルディナ、あんたは黙ってなさい!」
ネリーが髪を振り乱して怒声をほとばしらせると、冷静な様子で話していたポルディナが喉の奥から、獣のような低い唸り声を上げて、威嚇するように犬歯を尖らせ、全身の毛を逆立てた。
「……おとなしくしていればつけあがったことをいって。だいたい、妻が夫に対して刃向かうなどあってはならないことだ。我がベル・ベーラ族で、仮にそんなことがあれば、妻は膾に刻まれても文句はいえない。ネリー、ご主人さまに謝罪しなさい。私が、やさしくいっているうちにな」
「上等……! 誰が謝ったりなんかするもんですか!」
母犬が仔犬をかばうように、ポルディナは蔵人を背に隠すと眦を決して手袋を脱ぎ捨て、五指から強靭で鋭い爪を剥き出し、威嚇している。
今やポルディナはしっぽを天高く突き上げ、神経質そうにうねうねと左右にくねらせていた。
ネリーも頭に血が上っているのか、顔をぐいと寄せると、互いの鼻が触れ合う距離でメンチを切り合っている。一触即発の危険な状態に移行しつつあった。
「謝りなさいっ。謝れ……!」
「あんたはクランドのことをかばいすぎなのよっ。彼は、あんたの子供じゃないのよ……!」
「私は血の一滴までご主人さまに捧げた身だ。ご主人さまの御心に背くような輩は許せない」
「この、バカッ!」
「わーかった! わかったから! やめっ、もうやめろっ」
蔵人をはじめとして見ていた家人一同そろって止めに入った。ポルディナもネリーも息を荒げながら、ちょっとでも目を離せば噛み合いをはじめてもおかしくない状況である。
「ネリー、今回の件は俺が全面的に悪かった。許してくれ」
「ご主人さま……」
ポルディナが、フンフンと鼻を鳴らした。
「私に謝っても仕方がないでしょうに」
「それでも、すまない。レイシーはこれから追いかけてキチンと謝る。とにかく、この先どうなるにせよ、ちゃんと会って話しておかなければならないんだ。それだけはわかってくれ」
「……なによ。そんな物分りのいいこといわれたら、私がただのバカみたいじゃないのっ」
「あ、ちょっ。泣くなっての」
「私だっていいたくていってるわけじゃないっ。なのにっ!」
感情が高ぶったのかネリーは顔を右手で覆いながらボロボロと涙をこぼしはじめた。蔵人が慌てふためいて抱きしめると胸に顔を埋めてくる。タイミングを図っていたのか、ヴィクトワールが飛び込んできた。
「無駄ないがみ合いはこのあたりでやめたらどうだ。うん、そうだな。クランドも悪かったが勝手に出ていったレイシーもよくないっ。みんな、このあとのことを建設的な話し合おうじゃないかっ。うんうん、それがいい。そうしよう!」
ヴィクトワールが朗らかな顔で手を叩いて明るい雰囲気を作り出そうと先手を切った。集まっていた皆も「じゃあそうしよっか」という雰囲気になって殺伐としていた空気が霧散してゆく。
「……お嬢さま。なにか態度が不自然ですね」
ハナが無表情のまま問うた。
「ギクギクッ。そんなことは全然ないぞっ」
「あはー。というか、他領に出るのは役所の証明書が必要だったはずでは? 昨日の今日ですぐに許可が降りるということがすでに疑わしいのですが。あ、やっぱり一枚噛んでましたね?」
「だ、だってだって。仕方ないだろっ。己を更に鍛え上げて次なる高みを目指す貴い志を聞いたら応援したくなるのが人情ってものじゃないかっ。当然、クランドの許可は取ってあると思っていたんだよっ。悪いかっ! ああ、私が悪うございましたよ。許可申請書も当座の路銀も私が融通してやりました。参ったか! ふーんだっ」
「お嬢さま、ハナは悲しいですよ」
「なにを逆ギレしておるのじゃ、こやつは。呆れ果ててものもいえんわ」
「リザもちょっとそれはどうかと思うよ」
「待ってくれ、みんな。こいつは寂しいやつなんだ。腹を割って話せる相手がひとりもいない。いわば、ぼっちになるために生まれてきたような女なんだ。許してやってくれ」
「シズカ! そんな悲しい慰めかたはしないでくれえっ!」
「あー、とにかく俺ァ出かけてくるから。留守中は頼まァ……」
蔵人は皆に見送られると屋敷を出立した。馬車を使うとなると、夜間にはこれまた煩瑣な許可が必要だった。城壁を越えて街をでるのに夜明けまで待たなくてはならない。こうなれば一刻も足踏みできないのが蔵人の性分だった。
グリフォンのグリ吉を使えばひとっ飛びだろうか、折からの暑さとよる年波には勝てずにお疲れ気味の彼を無理やり駆り立てるわけにもいかない。
と、なれば蔵人が頼りにするのは、やはり二親から貰った二本の足以外にない。ポルディナが作った急ぎ拵えの弁当をズタ袋にブチ込むと、半長靴の紐を締め直して颯爽と旅立った。
空には月が白々と冴え渡って輝いている。夜気は昼間の熱を孕んで生ぬるく、頬にじっとりと絡みついてくる。門の前で手を振る女たちを顧みもせず、蔵人の背中はみるみるうちに闇のなかへと飲み込まれ、溶けていった。
冒険者の街といわれるシルバーヴィラゴの東に位置する巨大湖クリスタルレイクを北北西に進み、ダークエルフたちの領地である「入らずの森」に唯一設けられた不戦協定路を通ると、ロムレス貴族であるステイ伯爵が治めるパラチオン州が見えてくる。
魔術に造詣の深いステイ伯爵の曽祖父が、九十年前に設立した魔道の基礎を習得する学院は、こんもりした別名「緑の都」と称されたウッドレスシティにあった。
ウッドレス魔術学院は、基本、三年間にてすべての単位を取り終えることを前提としている。
入ってすぐの校庭には、魔術をこよなく愛したステイ伯爵の曽祖父であるマーカス・モンティスのありし日をかたどった石像が、右手に魔道書を持ちいかめしい顔つきで空を見上げている。
クラスは、「火」「水」「風」「土」の四系統で分類され、ひとクラスは約二十人ほど。
全校生徒は、三百人弱であり、男女共学であった。国内全般で魔術適性のある人間は非常に少ないため、入学には自ずとコネが必要となり、基本は誰でも受け入れる建前であったが、貴族や裕福な商人の子女が多かった。
生徒のほとんどはウッドレスシティ外の人間が多く、基本的には学院に隣接された寮に住むことが前提となる。
女子寮と男子寮は、有力貴族の子女が多かった。寮の規律は厳格で、男子も女子も互いの寮に立ち入ることは許されず、発覚した時点で退学を宣告される容赦のないものだった。
「と、いうことで、アップルヤードさん。くれぐれも規則に反さないよう楽しい学院生活を送ってくださいねー。あ、寮は基本相部屋になりますので。なにかありましたら、また聞きに来てくださいな」
「はあ……」
レイシーは女子寮の寮長に、今日から生活する部屋へと案内され、ポツンと立ち尽くした。
なにしろ、今日案内された学院や、今いる女子寮は、想像を絶するほどの豪奢な建物であり、今まで暮らしてきた姫屋敷が質素に思えるほど金をかけた作りであった。
(壁、きれい)
シミひとつない白く輝く壁に指を這わせる。大理石で作られたそれは、顔が映りそうなほど磨き抜かれており、これで築二十年を超えているとは思えない、新品同様の美しさであった。
(ううん。ダメよ、レイシー。せっかくアルメンドラさんに紹介状を書いてもらったり、ヴィクトワールに便宜を図ってもらったんだもの。ちゃんと、ここで修行して立派な魔術を身につけて、クランドの役に立つ人間にならなくちゃ……!)
レイシーは支給された群青色のローブを震わせながら、意を決して扉を開いた。
「こ、こんにちは」
ギィ、と軋んだ音が鳴って扉が開く。広々とした部屋には、二段ベッドと机がふたつ。大きめな化粧台と衣装箪笥が、二組ずつあった。
視線を奥にやると、ウェーブのかかった焦げ茶色の髪をした少女が座っていた窓の桟から腰を浮かしかけている。彼女は、警戒する目つきのまま非友好的な声を出した。
「なによ。あなた、誰?」
「あたし、中途半端な時期だけど、明日から学院に編入することになったレイシーよ。今日から相部屋になるのだけれど、よろしくお願いね」
「ふうん。中途編入ね……。この時期に。だいぶ、年上みたいだけど。幾つなの」
「え、えーと。今年で十八になっちゃいました。えへへ」
「十八? いまさら、よくその歳で学院に入ろうと思ったわね!」
「え、えへへ」
少女が驚くのは無理もない。ウッドレス魔術学院に入学する適正年齢というのは、十三歳からが普通なのだ。おまけに、盛夏に差しかかるこの時期、レイシーほど歳の離れた少女が編入することはまずありえない椿事である。
「ま、いいか。それぞれ、事情っていうものがあるでしょうし。私はあまり人さまのことに口を突っ込むタイプじゃないのだけれど、クラスに行けばイヤっていうほど聞かれるから覚悟したほうがいいわよ。あいつらって、ホント最下等の人間だから」
「あの、今日から相部屋になるんだし。お名前、教えて欲しいな」
「……私はピヨネット・チボー。レイシーだっけ? 相部屋になるからって、あまり干渉して欲しくない。お友だちが欲しければ、サロンで屯している向上心のない愚か者どもに構ってもらいなさいな。私、部屋では、だいたい書物を読むか、寝るだけだから。最初が肝心だからいっておくけど。いい!」
「え、でも。せっかくこうして縁があって相部屋になれたんだし。あたしは、ピヨネットと仲よくしたいよ……」
「そういう馴れ馴れしいのが嫌だっていってんのよ! 寮の規律で相部屋はさけられないから、我慢してやるっていってんのに! これだから、物分りの悪い平民は嫌いなのっ」
ピヨネットはカッと神経質な声で吠え立てると、手にした書物を床に叩きつけ、ぷりぷりと怒りながら部屋を出ていった。
「え、ええー」
レイシーは開始直後に強烈なジャブを貰ったボクサーのように、ズルズルと壁にもたれながらその場に座り込んでしまった。
相部屋の子と仲よくできるかな、不安だからいろいろ教えて欲しいな、寝る前にたくさんお話したいな、などと考えていた夢は即刻打ち破られた。
(く、くじけそう……。でも、負けないもんっ)
魔術学院は貴族が多いとアルメンドラからは聞いていた。こちとら、生粋の酒場の娘で平民代表。チャキチャキの街娘である。
これが世に聞く新入りいびりかな、と深くため息を吐いていると、まもなく部屋を出ていったピヨネットがぷりぷりしながら舞い戻ってきた。
「考えたらなんで私がお部屋を出て行かなくっちゃいけないのよっ!」
「あ、戻ってくるんだ」
ピヨネットは、二段ベッドのはしごを器用に登ると、まだ幼さの残る声で宣言した。
「いっておきますけど、私のベッドは上なんですからねっ。これだけは絶対譲らないんだからっ。私より、五つくらい年上だからって好きにはさせないわよっ」
「あー、ピヨネットは上のベッドがいいんだねー。いいよー別にー」
レイシーは軽く脱力すると、ドッと押し寄せてきた奇妙な疲れを振り払うかのように、荷解きをはじめるのだった。
しばらくして。とっぷりと日が落ちる頃には、レイシーの荷物の整理も終わった。ピヨネットはベッドで寝ているのか、動く気配すら見せない。
――寂しいな。みんな、今頃なにしているのかな。
屋敷を出てから、まだ、五日と経っていない。船で湖を行くときも、高速馬車で緑の森を駆け抜けていたときも、くるくると変わりゆく景色に翻弄されていたせいで、あまり実感はなかったのだが、レイシーは、今はじめてひとりだということを実感したのだった。
故郷の街では、なんだかんだいって、毎日誰かしら知り合いがまわりにいたせいで、あまり考えたこともなかったが、レイシーは生まれてはじめてひとりで他領に足を踏み入れたのである。
ああ、こうなると出奔を決意させた蔵人の顔すら酷く懐かしかった。怒っているだろうか。それとも、今頃血相変えて皆に詰め寄っているのだろうか。
無論、学院に来たからには魔術を身につけて故郷に錦を飾り、蔵人を支えられるだけのすぐれた人間になれるよう努力するつもりであった。
が、これから相棒となるピヨネットの素っ気なさは予想以上だった。
(あたしって、こんなに根性なしだったのかな……)
「ねえ、いつまでそこにいるつもりなの」
「え!」
てっきり寝ていると思ったピヨネットから声をかけられて、レイシーはゴシゴシと目元をこすった。いきなり、泣いている姿なんて見せられない。それこそ、ちっちゃな赤ちゃんじゃあるまいし。
「な、なに?」
「もう、夕食の時間よ。食堂に行かなくていいのかしら? 私は、行くつもりだけど」
「あ、行きたい! あたしもいっしょに連れてってよ!」
「……別に、誘ったわけじゃないし。そこでウジウジされても鬱陶しいだけなのよね」
ピヨネットは、はしごを降りると、スイスイと先に立って歩き出した。レイシーは、寮長にひととおり女子寮のなかを案内してもらったのだが、まだ勝手がよくわからない。
それに、寮の人間たちとの顔合わせもまだなのだ。あまり物怖じしない性格のレイシーでも、いきなり見知らぬ集団のなかに、介添え人なしで飛び込むのは気が引けた。ピヨネットと並んで歩くと、彼女はあからさまに鼻の頭にシワを寄せた。
「えへへ。でも、教えてくれてありがとねピヨネット。ご飯食べ損ねちゃうところだった」
「ただの、ついでよ」
ガヤガヤと騒がしい声が聞こえてくる。廊下をすれ違うたび、学生たちがレイシーに向かって怪訝そうな視線を送ってきた。食堂へ近づいてゆくに連れ、色とりどりのローブが敷き詰め合って並んでいる。どうやら、列に並んで食事を受け取り、空いたテーブル席に座って食べるシステムらしかった。
「なにをキョロキョロしているのよ」
「うん。いろんな色のローブを着てるなって」
「赤は火クラス、白は風クラス、緑は土クラス。そして私たちが着ている青が水クラス。色ごとにクラスが分かれているから。基本的に、属性が違うクラスの人間とはそれほど交流がないから気にしなくてもいいわ」
「へえ、そうなんだー。あたし、知らなかったよ! ピヨネット、教えてくれてありがとうね」
「バッカじゃないの? そのくらいちょっと考えればわかるじゃない。それと、食堂には購買もあるから、小腹が空いたらお菓子とかちょっとつまめる物もあるんで買ったらいいんじゃない?
私はあまり外食しないから、関係ないけどね!」
「うん、ありがとう」
レイシーが感謝の意味を込めて手を握ると、ピヨネットは顔を赤くして振り払った。どうやら、彼女は口でいうほどに不親切ではないらしい。なんとなく、自分がこの年若い相棒に少しは認められたような気がして、自然と顔がほころんだ。
「あら、ピヨネットじゃないっ。あんたが食堂で食べるなんて珍しいじゃないっ。いつもは、部屋に運ばせてるのに。どういう風の吹き回しかしら?」
「やっほー」
そんなやり取りをしているうちに、列の後方からふたりの少女が声をかけてきた。知り合いだろうか、ピヨネットはふたりの顔を見ると、あからさまに渋面を作って列から離れ、元来た自室へと戻っていった。
「あれっ。ピヨネット、いっしょにおご飯食べないの」
「私は元々部屋で食べる気だったし。あとはわかるでしょ。ひとりが嫌だったら、その子たちがいっしょしてくれると思うから」
「ありゃりゃー。また、振られてしまいましたか。ピヨネットがほかの誰かといるなんて珍しやと思ったから、即、行動に移したのですが。早計でしたね。ところで、おねーさんは誰かな?」
「あはは……」
レイシーは、元気そうな栗色の髪をした少女を前に、ぽつねんと取り残された気まずさをごまかすため、愛想笑いをするのであった。




