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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第13章「魔術学院編」
261/302

Lv261「レイシーの決断」


「この前のダンジョンで思ったの。あたしって、ホント役たたずだなぁ、って」

 レイシーは、酒場銀馬車亭のカウンターで、隣合って座るネリーに向かいグラスのなかの酒精を揺らしながら、物憂げにため息を吐いた。

 店仕舞いはすんでいるので、客はもうひとりも残ってはいない。肉だの脂だのが入り混じった、酒場独特の匂いがあたりに立ち込めていた。

 店全体を照らし出す主要な明かりは落とされていて、すぐそばに小さなランプが ともっているだけだ。離れたテーブル席を、プリヘリヤとジュディが布巾で丹念に汚れを落としている。

「あたし、みんなの戦力になってないよ」

 レイシーは、目元を人差し指でこすると両手で顔を覆い、小さく唸った。

 ネリーがグラスの氷をカランと鳴らしながら、目を細めて唇を震わせる。

「え? なんで、この状況でそのセリフを私に……。暗に死ねっていってるんですか」

「ち、違うっ。違うって! ぜんぜん、そういう意味じゃなくって!」

「まさしくそういう意味じゃないですか。ダンジョンに潜れないようなやつは、死ね。受付しかできない、戦力外めって。うう、酷いです。まさか、相談があるからって呼び出された挙句、こんな仕打ちを受けるなんて。あなたとは、少しは仲よくなれたと思っていたのに。まさか日頃の怒りをカタチにされた上、恥辱まで加えられるなんて。もうヤダ。私、生きていたくない」

「だからなんでそうなるの! 違うよー。違うんだって」

「ほろりほろり」

 ネリーは両目を手で覆うと頭を左右に振って、長い髪をバサバサいわせた。

「ねえ、許してよー」

「ほろほろり。と、まあ冗談はさておき」

「酷いよー、ネリー」

「レイシーの活躍は聞いてますよ。黄金の狼の戦いでは、ルッジを助けたりして大活躍だったそうじゃないですか。あ、これって、やっぱりもしかして婉曲的に屋敷を出てけっていってるんですか? ヤですよ。私は死んでもクランドと別れませんからね」

「だーかーら!」

「冗談だってば。そんな絶望的な顔しないでくださいよ。でも、客観的に見て、レイシーは探索で役に立ってると思いますよ。得意の呪歌もそうですし、水精霊(セイレーン)の能力を活かしたりして。それだけできれば上等ですよ。もしかして、メリーのことですか」

「うん、まあ……」

「はあっ。別に、あなたは戦闘要員じゃないからいいじゃないですか。誰しも、あのメンバーと張り合って戦えるほど強くはないんですよ。私の長いギルド経験からいって、彼女たちの身体能力は異常です。順調に育っていけば、充分五英傑を凌ぐ実力を有してます。私たちのような凡人は、身の程を知って行動しなければなりません。ねえ、レイシー。メリーのことを思って気に病んでいるのなら、意味がありません。彼女たちは、特別なのですよ。まさか、メリーが短期間であれほどの剣才を示すとは誰も考えてはいませんでした。誰もが、英雄になれるなんて、それこそが危険な幻想です。分を知る。個々の力には限界があるのです」

 レイシーは、深くカウンターに突っ伏すと「だはぁっ」と情けないため息を吐きだした。遠くで見守っていたプリヘリヤが心配げにオロオロし出す。

 実はそうなのだった。レイシーは、前回の二十四階層の戦いで、自分だけが敵をひとりも倒せなかったという事実に、激しいコンプレックスを生み出していたのだった。

 また、そのなかのひとつに、同じく戦闘においては無力であったはずのメリアンデールに対する強い嫉妬があった。銀星杯武闘大会においては、遠目で見ていたものの、やはり近くで見ると自分との差を歴然と感じさせられた。

 かといって、元々素質があったメリアンデール同様に剣を習ってあそこまでの動きができるかどうかと聞かれれば、「はい、絶対無理です」といえるくらい、レイシーは自分を知っていた。

 貴族であるメリアンデールは、基礎的な剣の素養はあったのだし、トロそうに見えて身体はそこそこに鍛えてあった上、持久力や運動神経は並大抵なものではない。

 自分はどうだと聞かれれば、酒をついだり、場を持たせたり、唄を歌ったり、初対面の人とすぐに打ち解けたりするのは得意だがそんなことは近所のおばちゃんでもできる行為だった。

 故に、レイシーは深く自責の念に駆られる。実際、ほかの皆がレイシーのことを役立たずだと思っているかと聞かれれば、彼女ほど愛されている人間はいないのである。

 しかし、仮性鬱状態になったレイシーにとっては、そんなことは問題ではなかった。

「とにかく。考えすぎないことです。剣の手ほどきくらいはしてあげられますが、私の剣技はあくまで護身術レベルのものですし。かといって、ほかの方々に頭を下げるのも業腹なので私に白羽の矢を立てたのでしょうが……。レイシーは、戦闘以外で皆の役に立つことを考えたほうがいいですよ。あふっ」

 ネリーはそこまでひと息にいうと、こらえかねたのか大きなあくびを漏らした。

「あ、ごめんね。お仕事のあとだっていうのに、つき合わせちゃって。今日は遅いから泊まっていきなよ。ジュディ、お部屋の用意をしてあげてっ」

「はい、奥さま」

 ジュディは、とたたっと軽やかな足音とともに螺旋階段を上って二階に消えてゆく。

「ごめん。明日は、ここからギルドに出勤するから。悪いけど、先に休ませてもらうわ」

「うん。ネリー、愚痴聞いてもらってありがとう」

「……いいのですよ。私たち、家族ですから」

 ネリーは酒精で目の縁を赤くしながら、レイシーの灰色の髪をくしゃくしゃに撫でた。






「とはいうものの。はあっ」

 レイシーは二階の自室に戻ると、姿見の前に立って己の姿を見つめ直した。

 今年で十八歳になる彼女の身体は均整が取れており、無駄な贅肉ひとつない。酒場を経営していると、往々にして不摂生になりがちだがそのあたりのコントロールは完璧ではある。けれども、どこからどう見ても、戦う身体とはいい難かった。

 裸身を鏡に映しながら、身体を曲げたり伸ばしたりする。身体は柔軟なほうなので、驚くべきほど全身を曲げるのに不都合はない。

 レイシーは、キョロキョロあたりを見回すと身の回りで一番重たげなトランクケースに、雑貨品をギュウギュウに詰め込んで持ち上げようとしたが、数秒でリタイアした。

「あーっ、もお! あたしって力ないなぁ」

 トランクを下ろすと、今度は誰もいないことをいいことに、自分の胸を持ち上げたり下げたりしてみる。形は、いいほうだと思っている。

「けっこーおっきいと思うんだけどなぁ。クランドは気に入ってくれてるし。ああ、もおいいやっ。今日は、寝よ寝よ! また、明日考えてみよーっと」

 レイシーは夜着を羽織ると、ベッドにダイブしてあっという間に健やかな寝息を立てはじめた。

 決断と切り替えが早いのが、彼女の長所といえば長所であった。

 明けて翌日。レイシーは、朝食を取ったあと、珍しく屋敷には戻らず、街をぶらついていた。

 もちろん、目的は自分の「いいとこ探し」の旅である。彼女は、どちらかといえば寂しがり屋で、多人数で常にワイワイしているのが好きなタイプだった。食事も、ひとりでは絶対に食べないし、誰かしらいなければご飯を抜いてしまうこともあるくらいである。

 これは、母をうしなってから、父であるバーンハードとふたり暮らしをしていたせいで身についた、大家族のにぎわいに飢えた者の習性でもあった。

 うんうんと唸りながら、頭を捻る。しかし、良案というものは、そうなかなか出てこないものなのだ。レイシーは、いつしか中央公園にたどり着くと、噴水を囲っているレンガの上に腰かけ、脚をブラブラさせて思案に暮れた。

「うーん。ダメだっ、なーんにも考えつかないやっ」

 公園のあちこちには、多数の人々がたむろしていた。よく見れば、怪しげな出店もやたらと軒を連ねている。あちこちで、職人やら、子供やら、老人やらが買い食いを行っているのが見えた。

 これだけ、飲食に興じる人間が多いということは、物資が充分に行き届いていて貨幣が潤滑に回っているという証拠である。

 それは、シルバーヴィラゴという都市が、ロムレスにおいても、一、二を争うほど繁栄している証拠であった。

 レイシーは、お腹を抱えながら立ち上がった。とりあえず、一旦、銀馬車亭に戻ろうと。帰れば、ジュディやプリヘリヤが待っているだろう。このささくれだった心の状態で、ひとり寂しく買い食いする気にはならなかった。

「あれ……?」

 ふと、気づくと、屋台の間と間の境目に、小さな占い師が店を広げているのが見えた。

「まあ、あんまりあてにならないだろうけど。ちょっと気になるよね」

 普通の状態では気にも留めなかっただろうが、今のレイシーにとっては、箸にも棒にもかからない占いの助言ですらすがりつきたくなる心理状態であった。

「あの、お願いしてもいいですか?」

 そばまでよって話しかける。見た感じは若い女性らしい。紺色のローブを目深にかぶっている。

 長い前髪がばさりと流れているので目鼻立ちはよくわからないが、剥き出しの腕の白さや手のキメ細やかな肌から、だいぶ若いだろうと見当をつけることはできた。

 目に映っている髪は、濃い桃色である。不自然すぎるほど明るい人工的な髪は染色しているのであろう。レイシーは派手派手しい女の容姿に目を白黒させながら、それでもなにかを感じ取っていたのか、その場から去ることはなかった。

 小さなテーブルには、赤ん坊の頭程度の水晶玉が置いてある。青みがかかった水晶玉は、見ているだけで引き込まれてゆくような、奇妙な美しさがあった。

「あの……って、もしかして寝てるっ?」

「んんん。うるっさいわね、人が気持ちよく寝てるのに邪魔してくれちゃって。呪うわよ」

「あたし、お客なのにいきなり呪われたっ!」

 女占い師は、口元に手を当てると「ふああっ」と大きな口を開けて、あくびをした。その堂々すぎる態度に呑まれて、レイシーは思わず身体をやや仰け反らせる。

「……あーはいはい、お客さんね。酔狂な娘ね、こんな出店のインチキ臭い占い師に声をかけるなんて。あー、アンタ。もう終わってるわ。あはは」

「終わってるっていわれたっ。まだ、なにもしてないのにっ」

「うるさいうるさい。もう」

 女占い師は、鬱陶しそうに頭にかかったフードを取り払った。そこには、思っていた以上に艶のある髪と、あきらかに人間族ではない証拠。いわゆる長耳を突き出したエルフ族の女性の姿があった。

「で、なに? なにを占って欲しいの。あーん?」

「ううっ。声をかけた手前、やっぱやめますっていいにくいっ」

「わたしがいうのもなんだけど、アンタって結構図太い性格してるわよね」

「おいおいおいっ。誰に許可を得て店を出してやがるんだっ」

 レイシーが躊躇している途中で、不意に背後から若い男の声が浴びせられた。男たちは、人相風体からどう見ても堅気ではなかった。

 このあたりのを縄張りとする地回りであろう。どう見ても二十代の、まだロクに貫禄もない三人の男たちは、女占い師をあっという間に囲むと、巻き舌で難癖をつけてきた。

「ここいらはなっ。オレたちモゲリーニ一家が仕切っているんだ」

「許可もなく、店を出すっていうのはな。オレたち一家に喧嘩を売るってことなんだよ」

「知らなかっただと……!」

「与太を吹くんじゃねえっ」

「今からでも遅くねえ。有り金残らず差し出すか、あるいはだな」

「エルフの姉ちゃん、おめえさんの身体で支払って貰うぜ」

「オレたち三人を満足させたなら、今日のところは目こぼししてやっても構わねえがな」

「魚心あれば、水心ってやつだ」

 男たちは、口々にいいたいことを叫ぶと、女占い師にそれこそ耳を覆いたくなるような恥ずかしい言葉を使って嘲弄した。

 手口は、無頼の徒がよく使うありふれたものである。女占い師を年若いと見て、怒号と数で制圧にかかったのだった。普通の娘であるならば、身体の大きな男たちに囲まれて罵声を浴びせられるだけで萎縮してなにもいえなくなってしまう。

 なるほど、パッと見は女占い師は、華奢で儚げに見える。対するレイシーが蚊帳の外に置かれたのは、男たちが彼女が身体から発する自分たちと同種である夜の匂いを嗅ぎとったからだ。

 不名誉なことではあるが、長らくの酒場仕事により、レイシーは堅気の娘とはまるで違う雰囲気を身につけていた。男たちも酒場の女がたいていは気が強く、一筋縄ではいかないことを知っていた。故に、与し易い女占い師のほうをターゲットにしたのだった。

「ちょっと……!」

「いいの。ねえ、お兄さんちょっとこっちに来てくれないかしら」

 女占い師は、抗議しようと身を乗り出したレイシーを片手で制すると、三人の中でも一番すばしこそうな男を手招きした。

「へ、へへ。なんだ、金を支払う気になったのかよ。それとも、オレたちとお楽しみコースか?」

「これこれ。この水晶をよくご覧になって」

「んーん?」

 男が無防備に卓の上に置かれた水晶玉に顔を寄せる。

「そおいっ!」

「んべっ?」

 同時に、女占い師が男の顔面へと両手で勢いよく水晶玉に叩きつけたのは、その場の誰もが予想だにしなかったありえない行動であった。

 ぐしゃりと、もの凄い音が鳴って、男は鼻の軟骨をもろに潰した。半開きにしていた口元も、硬い水晶の部分へと打ちつけたのだろう。ポロリポロリと白い歯が、飛び散った赤い血潮のなかへと鋭く踊った。

「テメエ、ふざけんじゃねえ――ぞぶっ?」

 だくだくと、血が流れるのを呆然と見ていた男が顔を上げた瞬間、女占い師はスカートを自らまくり上げながら、長い脚で卓を前方に蹴飛ばした。ジャッキー・チェン顔負けのアクションである。卓は弾かれたように突き出て、男の股間あたりに突き刺さると、致命的な打撃を与えた。

 男が卓に突っ伏す形になると、女占い師は、男の背中の背骨あたりへ、思いきり肘鉄を叩き込んだ。ダメ押しの一撃が効いたのか、男は小さな卓を抱きながら横転して動かなくなった。

 ミカジメ料を巻き上げようとしたら、想像などしていなかった途方もない反撃に出会い完全に思考停止状態になったのだろうか。

 立ち尽くす最後に残った男に向かって、女占い師は手にしたバレーボール玉ほどの水晶を、えいと可愛らしいかけ声とともに投げつけた。

 めこっ、と骨が潰れる音が鳴った。男は、両膝を大地に突くと、糸の切れた人形のようにゆっくりと横倒しになった。刹那の攻防であり、水晶玉を拾い上げる女占い師の顔には、余裕の微笑みまで浮かんでいた。

 レイシーは、この数秒に起こった惨劇を、上手く頭のなかで整理できないうちに、女占い師に手を引かれてその場をいつの間にやら駆け出していた。

「ほらっ。アンタもぼさっとしない! あのままあの場所にいたら、とんでもないことになるよ」

「あたしは、これっぽっちも関係ないっ」






「はー、危ないところだったわね。まさか、あんな事件に巻き込まれるなんて。あ、感謝なんかしなくてもいいのよ。お礼をくれるっていうなら、やぶさかじゃないけどね」

「また勝手なことを! と、いうか、全部あなたが一方的に仕掛けたんでしょおっ。もおおっ」

 レイシーは気づけば、中央公園からかなり離れた街の一室に連れ込まれていた。狭い路地に面する女占い師の家は、日が当たらなく、いるだけで気分が滅入ってきそうな場所にあった。

 その一室は、いかにも占い師ですっ、というように、そこかしこに怪しげな道具がところ狭しと並んでいた。あちこちから、嗅いだことのない種類のお香の匂いが漂っており、ちょっとした非日常的な空間であることは間違いなかった。

「ねえ。ここがあなたのお店なの?」

 レイシーは吊る下がっている用途不明の人形やウィジャ盤を興味深そうに眺めながら、訊ねた。

「わたしは占い師のアルメンドラ。まったく、勝手に人の家に上がり込んでおいて、名前も名乗らないなんて無作法な子ね。失礼しちゃうわ、ぷんぷん」

「はあっ。もう、いいよ。だんだん、あなたって人の性格がわかってきたから。あたしは、レイシー。リースフィールドで銀馬車亭って酒場をやってます」

「ふーん。で、あたしの家になんの用なの? このお店にはお酒はないわよ」

「アルメンドラって頭のなか、とっちらかっているのかしら。あたしは、来たいなんてひとっこともいってないっ」

「でも、迷いがあった。だから、占い師のわたしに興味を示した。違うかしら?」

 アルメンドラは、テーブルの上で水晶玉をゴロゴロと弄びながら、妖艶に微笑んだ。

「うっ! ……まあ、そうなんですけど」

「さあさあ。どっちにしろ、レイシーちゃんはわたしに占われる運命にあったのよ。そら、黙って座れば、ピタリと当たる。当たらぬも八卦、当たらぬも八卦!」

「それって、詐欺っていうんじゃ……」

「まあ、まあ。まずは、無料でレイシーちゃんがなにを占ってもらいにきたか当ててみせよう。ん。むむむっ」

「どきどき」

「そうだね。レイシーちゃんの今の悩みは、お金?」

「違います。そうでもあるけど、それで悩んでるわけじゃないんで」

「あ、そか! わかった。男関係だっ。あなた、モテそうな顔してるもんねー。よっし。それでは、このアルメンドラさんが、どうやったら意中の人と効率よく仲よくなれるか、その方法を占ってあげましょう」

「いえ、あたしもう結婚してるんで」

「……帰って」

「なんで――! というか、さっきまでまったくやる気なかったのに、急になんで躁鬱気味になったんですかっ」

「淑女のアルメンドラさんは、ここに来る途中、拾ってあげたレイシーちゃんのお財布の重さに心動かされたとか絶対にいわないのさ」

「普通にゲスい答えでしたね」

「帰って! わたしの渇きを満たせないような人は帰ってよ、もおっ」

「いきなりキレないでくださいよ。ああ、もう、どうすればいいんですか、あたしは」

「と、まあ、冗談はこれくらいにしておいて。正直に答えなくて結構よ。こうなったら、意地でも占い師の名誉にかけて、レイシーちゃんの悩みを当ててみせるんだから」

「もう、お話が別方向にいってません?」

「じゃ、準備するわね」

「あ、その水晶玉使うんですね」

「そりゃ使うわよ。占い師の水晶玉をなんだと思ってるの?」

「撲殺用の武器かな、と」

「んんっ。げふんげふんっ。じゃ、とりあえずこの水晶玉にレイシーちゃんの血を垂らして」

「やっぱり血は求めるんだ。ていうか、痛いのイヤなんですけど」

「ちょこっとでいいわよー。ほら、この針消毒してあるし使い捨てだからっ」

「その準備万端加減も怖いんですけど。つっ」

 レイシーは、もう一度だけアルメンドラを信じてみようと思い、人差し指に針を突き刺すと、血の雫をいわれるがままに、水晶玉へと垂らした。

 半透明だった薄い青の水晶玉は、次第に全体の色を、濃く、深くし、そのうちになにもすかさないほどの、果てしなく黒に近い色へと変貌を遂げる。

 レイシーは人差し指を咥えながら、息を詰めてアルメンドラの詠唱を聴き続ける。

「むにゃらむにゃむにゃ、ムスターファ・ケマルン!」

「ちょ、その詠唱でだいじょうぶなんですかっ?」

 薄暗い一室を突如として輝いた水晶玉の閃光が焼き尽くした。あまりに強烈な、輝きに視界を灼かれながら、レイシーはしばし凝然と、もごもご何事かを呟くアルメンドラの額に浮いた汗のつぶに見入った。

「これは――」

「これは?」

「昨日のレイシーちゃんのお昼は焼き魚定食ね」

「……」

「あ、ちょっと! 嘘だから、冗談だって。もうっ、無言のまま出て行かないでよっ。ねっジョーク、ジョーク。ちょっとしたエルフジョークよっ。ね」

「あたしの家にもエルフたくさんいるけど、みんなそんなつまんないことしませんよ」

「もお、機嫌直して。ほら、ジュース用意したから。キンッキンに冷えたやつ。ね」

 レイシーは、ジト目でアルメンドラの用意したりんごジュースをストローで「じゅわーっ」と啜り上げると、無言のプレッシャーをかけた。と、いうか、この不毛な時間を打ち切りたい気持ちでレイシーはいっぱいだった。

「で、ここからは真面目な話に戻るんだけど。あなた、この先の人生をどう進んでいいか、悩んでいるわね。そして、さっきもいったけど、男も関係している。でしょ」

「そんなの、適当にいったって当たるに決まってるわ……」

 レイシーは弱々しい声で否定すると、スカートの裾をグッと両腕で掴んで、目を逸らした。

「話してご覧なさい。ここからの見料はお安くしておくから。悩み相談も、占いの一部よ」

 アルメンドラの目には、先ほどからのおちゃらけた色は失せきっており、言葉の端々には真摯さが宿っていた。

 レイシーは、はじめ言を左右にしていたが、アルメンドラの巧みな話術に誘導されるようにして、胸のなかにわだかまっていた思いの丈を残らず吐き出した。

 仲間であるメリアンデールに対する嫉妬の思い。自分だけが、取り残されてゆくのではないかという焦り。そして、夫が自分のことを見限ってしまうのではないかという、恐怖。

 どれも根拠のあるものではなかったが、人前では自分を取り繕ってしまう癖のあるレイシーにとって、重なり合ったそれらが、心の荷物になっていたのだった。

 そして、ついには、自分の出自、つまりは水精霊(セイレーン)のハーフであり、純粋な人間でないことの拭いきれない人種の溝に対する思いも話していた。なんだかんだいって、レイシーの周囲には「貴種」が満ちていた。

 夫である蔵人の妻のなかで、明確に貴族ではなく、また育ちに関して劣っているのはレイシーひとりであった。奴隷階級に身を落としたポルディナすら、故郷では有力部族である族長の娘である。事実、ダークエルフであるリザも、平民出身であるネリーも実家にはそれなりの力を有しており、いざとなればある程度の助力は見込めるのだった。

 レイシーにはそれはない。母はモンスターであり、父の親族はひとりも知らない希薄さだった。

 文字通りの天涯孤独さは際立ってレイシーの心の奥底を、見えない位置から常に苛み続けていたのであった。

「でも、よく話してくれたわね。つまるところ、あなたは、自分に自信がないのよ。わたしにはとてもそう思えないけどねえ」

「……あたし、結局のところ、ただの無教養な酒場の娘だもん。自信なんて持てないよ」

 話しているうちに、自分の惨めさに拍車がかかったのか、知らず、涙がこみ上げてきた。

「こら、泣いちゃダメ。あーあ、わたしってば人がよすぎるなぁ。見料も貰ってないのに、ここまで親身になっちゃうなんて。でも、レイシーちゃん。話を聞くところによると、君はそこまで捨てたものじゃあないよ。さ、顔上げて。ね」

「なに、するの?」

「アルメンドラさんは、レイシーちゃんの水精霊(セイレーン)である特質を伸ばしていけばいいと思うんだけど、それじゃあ満足できないんだよね。ってことで、ジャジャーン!」

 アルメンドラは、水晶玉をテーブルから無造作に放り投げると、なめらかな光沢のある布切れを広げてみせた。布は、中央で十字に赤青黄緑と四分割されており、アルメンドラはとまどうレイシーの手を取ると、なんともやさしい目をした。

「レイシーちゃん。手の五指をぐわっと広げて。で、ここで取りい出したる試しの水を、こうじゃばじゃばっとそそぎまーす。ま、目分量で」

「ねえ、これってなにしてるの?」

「なにって――。調べてるのよ。レイシーちゃんの魔術特性を。っていってるうちにキタぁあ!」

「ひゃあっ」

 布切れの青い部分は、レイシーの指を伝って水が流れ落ちた瞬間、激しい反応を示して、目が開けていられないくらいに激しく反応して輝きだした。

「魔術の四元素知ってる? 世界では、魔術特性を持ってる人間自体がごく少数なの。だから、どんな職種の人間であっても、適正持ちは尊ばれる。レイシーちゃんが今触っているのは、試しの布っていいまして、各人の魔術適性があるかどうか調べるものなの。赤は、火属性、黄色は風属性、緑は地属性、そして、今反応しているのは青。水属性を表すものなの。レイシーちゃん。あなた、水魔術の特性を持っているのよ」

「え、嘘……!」

「嘘じゃないわよ。水精霊(セイレーン)のハーフって聞いたときから、たぶんそうじゃないかと思っていたんだけど。身体の一部を液体化するっていうのは、水属性魔術でも、かなり難しくてピーキーなの。でも、それを無意識に使いこなせているっていうのは、あなたに才能がある証拠なの」

「あたしが、魔術特性持ち……?」

「でも、魔術っていうのは訓練をしなければ使いこなせない。どんな天才でもね。このまま、自分の才能にほっかむりをして、なあなあと生きるか。それとも、えいやあで自分の人生を切り開くか。それを決めるのは、あなた自身よ。レイシー」

「アルメンドラは、なんでそんなに詳しいの」

「あは。その、わたしはドロップアウト組、だからね」

 アルメンドラは、たははと乾いた笑いを浮かべると、右の人差し指を振って、たちまちに人間大の氷柱を作り出してみせる。やや、汗ばむくらいに暑かった室内が、途端に気温が下がって額に浮いた汗まで冷たくなった。

「アルメンドラ、お願い! あたしに、魔術を教えて!」

「ああ、そういうと思った。ダーメ、ダメだよ。だって、わたし、もうほとんど覚えてないし、変なふうに癖のついた術式を覚えると、あとで伸び悩んじゃうよ。レイシーは、本気で旦那さんを助けて、一流の冒険者になりたいんでしょ。だったら、ちゃんとした場所で学ばないとダメだよ。ね」

「あたし、でもほかに魔術を教えてくれそうな人知らないし……」

 レイシーの頭のなかに、一瞬、仲間のなかで唯一魔術を使いこなすルッジの顔が思い浮かんだが、即座に打ち消された。以前、彼女が語っていたことが思い返される。ルッジは、魔術体系を基礎から理解して使用しているわけではないといっていた。彼女の術の根源は、古代十二神器(ロスト・ハイウェポン)のうちのひとつ、星の魔道書《アストロ・グリモワール》の力に依拠しているだけであって、決して魔術の専門家ではないのだ。また、仲間うちでは、カレンが風属性の魔術、ドロテアが火属性の魔術、リザが土属性の魔術を得意とするが、属性が異なれば、基礎からしてまるで別物で、どうにもならないと聞いた。

「あるよ。アンドリュー州ではないけれど、クリスタルレイクから北北西に高速馬車で三日ほどかかるステイ伯爵の領地に、ウッドレスシティにかの有名な魔術学院が」

 平民であり、生まれてからシルバーヴィラゴをほとんど離れたことのないレイシーには聞き覚えのない都市の名前であった。

 しかし、枯れ果てた大地が慈雨を肌に感じたように、「ウッドレス魔術学院」の名は、レイシーの記憶のなかへと深く刻み込まれたのだった。

「ま、かの学院にはわたしもいろいろと因縁がありまして。レイシーちゃんが、本気で魔術を学びたいっていうのなら、紹介状を書くこともやぶさかではないけど。いい、よく聞いてね。一度学院に入ったら、卒業するまで、まず三年はきっかりかかる。学費も安くはないよ。基本的には富裕層が通う場所だしね。まず、家に帰ったら家族と相談するんだ。自分ひとりで決めてはいけないよ。それで、決意が動かなかったら――もういちど、わたしのお店に来てね。あ、それと」

「それと?」

「見料は、今すぐじゃなくていいよ。また、今度でいい。額もレイシーちゃんが決めていいわ。わたしとしては、大いなる誠意を期待していますとだけ、つけ加えておくね」

 アルメンドラはそういうと、桃色の髪を震わせながら、くふふといたずらっぽく笑った。






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