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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第12章「クラン戦:黄金の狼」
260/302

Lv260「鋼の戦乙女たち」




 ワンサイドゲームがはじまった。メリアンデールが提案した策は、丘の頂上に鉄壁の砦を構築して、攻め寄せる黄金の狼を迎え撃つというものだった。

 この作戦に蔵人たちを踏み切らせたのは、この地形における特有の地質である。錬金術師のメリアンデールは、鉄の含有量が飛び抜けて高い土を即座に見抜くと、ものの数分もかけずに、丘の上へと石の壁を張り巡らせ、同時に巨大な石の玉を無数に錬成した。

 予想通り、黄金の狼の団員たちは、蔵人たちが丘の上に到着するやいなや、襲撃を開始した。

 彼らとしては、なにも知らずに逃げ場のない丘の上に到達した冒険者たちを、四方の裾からいっせいに攻め上って一網打尽にする、徹頭徹尾の力攻である。

 が、それは伏兵と呼ぶにはあまりにも杜撰すぎる寄せ方であった。メリアンデールは、波濤のように押し寄せる男たちを充分に引きつけると、錬成した石の塊を片っ端から叩き落とした。

 黄金の狼の団員たちにとっては、丘の上へと突如として無数の石塊が現れたかのように見えただろう。それらは、まるで意志を持ったかのように、大地からポコポコと湧き出すように生まれて、斜面を転がり、男たちを強襲した。

 ほとんど芸術的ともいえるほどの、美しい円形をした玉である。また、多く鉄の成分を含んだ石は、硬度も重さも充分すぎるほどのものであり、ただ無策に突っ込んでくる人間たちを紙きれのように押し潰してゆくのは造作もないことであった。

 あ、と思ったときにはなにもかもが遅いのだ。逃げ場のない男たちは、ただ暗闇から忽然と姿を現した質量とスピードの化物に喰われる作業が残されていた。

 砂煙を上げて転がってゆく石の塊に抗することなく轢き潰されてゆく男たちは、いっそ憐れですらあった。薄暗い闇のあちこちで、悲鳴や怒号が渦巻いている。幾度かの攻防で、男たちは百五十七のうち、半ばを瞬く間に失った。残りは約八十ほど。

 蔵人たちを利するところはほかにもあった。攻め寄せてくる集団のほとんどは、十人くらいの小さなグループに分かれてまとまっており、系統だった攻撃も連携もまるでないことだった。

 むしろ、互いが我先に逃げようと、押し合いへし合いどころが、刃を抜きあっての共食いめいた状況にまで陥っていた。

「チャンスです。どんどんやっつけちゃいましょう」

「よっしゃ。プチっといったれい!」

 メリアンデールは、さらにノリノリで石の玉を錬成して、続けざま三十人ほどをさらに轢き潰した。が、さすがに残って頂上にまでたどり着いた五十人ほどの敵は強者だった。

 彼らは目を血走らせて剣を振るってくるが、あらかじめ作っておいた石の壁に阻まれ、蔵人たちがいる中央部にまで寄せることができない。人間の背の高さの倍もある石壁は、メリアンデールの術で構成されていて、そう安々と越えることはできない代物だ。がちん、がちんと懸命に剣を叩きつけているが、巨象に立ち向かう蟻のごとし。ここで、わずかな覗き穴を突いてアルテミシアの槍が唸った。彼女の繰り出す穂先は、壁に取りついた男たちを次々にその穂先へとかけてゆく。真っ赤な血飛沫が舞って、石壁を鋭く叩いた。

 同時に活躍したのはシズカだった。彼女は、剣だけではなく、槍も弓も馬も超一流だ。シズカは、敵から鹵獲した弓を使うと、ひらりと壁の上に立ち、瞬きの間に十数人を射殺した。

「矢が切れた」

 シズカが手にした弓をポーンと放り投げる。蔵人は弓をキャッチすると、割れんばかりの声で叫んだ。

「よっしゃ、斬り込め!」

 蔵人の号令一下、アルテミシア、シズカ、ポルディナ、メリアンデールが突撃した。彼女たちは、槍、刀、薙刀、剣を振るうと当たるをさいわいに次から次へと薙ぎ倒していった。

 特に圧巻であったのが長物を使うアルテミシアとポルディナである。彼女たちは、槍や大薙刀を風車のように旋回させながら、迫り来る男たちを、まるでネギを切るようにスパスパと切り刻んで、その圧倒的な強さを見せつけた。

 シズカやメリアンデールも疾風のように動きながら、戦場を駆け巡り、自分よりもはるかに大きな男たちを斬り倒してゆく。血煙が、あちこちで舞って、灰色の巨岩たちを朱に彩った。

 勝負は圧倒的に蔵人たちが有利だった。

 潮目が変わったのは、数人がなりふりかまわず壁を乗り越えたことであった。

「クランド!」

 シズカが焦った声で蔵人を呼んだ。振り向けば、頭上にはルッジを拘束して浮遊しながら戦線を離脱してゆく、ローブ姿の男がいた。

「くそったれ、魔術師がいたのかっ」

 あれよあれよという間に、ルッジを捕らえた男は遥か彼方へ飛び去ってゆく。見れば、彼女の魔道書はすぐそばに落ちていた。おそらく、抵抗する暇もなかったのだろう。蔵人たちの攻勢がゆるんだと見た男たちは、武器を投げ捨てて潰走した。ローブの男はいかなる秘術を用いたのか、追撃しようとする蔵人たちに向かって、火炎を放った。赤々とした巨大な炎に行く手を遮られて右往左往していると、間もなくあたりには耳が痛くなるほどの静けさが戻っていた。

 蔵人は激しく肩を上下させながら手にした剣を地面に叩きつけた。怒りで視界までがドス黒く染まっている。あきらかにこちらのミスであった。四方から、女たちの怯えたような視線が突き刺さってくるが、それは蔵人の神経をより苛立たせる以外のなにものでもなかった。

 落ち着け。とにかく、生きたまま捕らえたということは、必ず向こうからアクションを起こしてくるに違いない――。

 蔵人が、後ろ頭をガリガリと掻きむしっていると、シズカやメリアンデールが、素早く飛びかかってきた。

「……だいじょぶだ。そこまで考えなしじゃねえや」

 おそらく、見境を失ってすぐさま追いかけてゆくと踏んだのだろう。ふたりは、あからさまにホッとした様子で離れると、さりげない態度で前方を遮ったりしている。

「あたしは信じてるからねッ」

「信用しているぞ、クランド」

「ぜんっぜん信じてないじゃないですかねぇ」

 ともあれ、黄金の狼の推定数である四百のうち、三割近くは葬り去った。同時に、ルッジを手取りにされたのは痛かったが、今は無闇に追っても被害を増やすだけだろう。少ない戦闘時間であったが、各々は少なからず手傷を負っていた。

 蔵人は手近な石に腰を下ろすと、息を長く吐いた。すぐさまポルディナが駆け寄ってきて、水筒を杯に入れ手渡してくる。ひと息に呷ると、両手を胸の前で組んで、死骸の散らばった丘を眺めた。まだ、息があったのだろう。あちこちで、もぞもぞと動く音や呻き声が聞こえてきたが、それらもやがて闇に吸い込まれていった。

「ご主人さま。後方の気配ですが、かなり近づいています。もう、それほど距離はありません」

「で、あるか」

 ポルディナは薙刀を手にしたまま後方への警戒を微塵もゆるめない。蔵人は、シズカに周囲の偵察を頼むと、目をつむって考えをまとめようとしたが、襲ってくるのは肩に伸しかかるようななんともいえない倦怠感と、ルッジを失ってしまうかもしれない恐怖だった。

「クランド」

 ほどなくして、シズカが即席の陣地へと戻ってきた。その後ろには、半裸である年若い少女がゾロゾロと十数人続いていた。詳しく経緯を聞けば、彼女たちは黄金の狼たちに捕虜とされた憐れな冒険者たちであった。シズカは、丘の茂みを探っていたところ、拘束された彼女たちを偶然見つけて解放したのであった。

「なあ、アンタ! アンタがこのクランのリーダーなんだろっ。アタシたちに武器を貸しておくれよっ! あいつらをこのまま許しちゃおけないんだっ」

 ルルサと名乗った焦げ茶色の髪をした女戦士は涙混じりに食ってかかってきた。よほど酷い目にあったのだろうか。彼女の瞳は、黒々とした怨嗟の炎で燃えたぎっていた。

 蔵人は彼女をなだめすかして事情を聞くと、どうやら黄金の狼では、捕虜にした女たちをひとまとめにして奴隷として売り飛ばそうと計画しているらしい。蔵人の顔に焦燥の色合いが濃く浮かんだ。無法者たちのやることである。捕らえた女に手をつけないという可能性はまずないだろう。やつらはきっと、先ほどコテンパンにのされた礼として、捕らえたルッジに向かって筆舌に尽くしがたい陵辱を加えはじめているだろう。蔵人の脳裏に、長い脚を抱えられながら無理無体に陵辱されて泣き叫ぶルッジの凄絶な表情が、現実のように浮かべられた。やつらは、代わる代わるルッジの白い腹に乗ると、思うさま己の憂さをこれでもかと晴らしていることだろう。怒りで腸が焼けきれそうなほどだ。蔵人は憐れな女たちをなだめすかすと、この場に留まるよう説得した。彼女たちの力量はよくわからない。いざというと、足でまといになるようでは困るのだ。

「実はな、クランド。先ほどの襲撃に、チラホラと私の顔見知りを見かけた……」

「アル」

 アルテミシアは苦痛をこらえるような顔つきで蔵人の肩をなだめるようにさすっている。

「彼らのひとりは、歴とした身分のある騎士だ。ルッジが連れて行かれたのが、バインリヒ卿のもとであるならば、ルッジの貞操が守られる可能性は高い。私は、少なくとも、そう信じたい」

「アルテミシアのいうことはもっともだが、あまり希望的観測を抱かないほうがいい。少なくとも私は、その程度のこと、いつでも覚悟している」

 シズカがいつもと変わらぬ声音でそういった。口では平静を保っているが、細く整った眉が小刻みに痙攣している。蔵人が心中で神仏に毒づきながら、座していた石から腰を上げると、軽やかなヒヅメの音が前から近づいてきた。皆がいっせいに身をこわばらせると、間もなく闇のなかから、鎧を着込んだひとりの騎士が姿を現した。

「クリューグ! 貴公が、なぜここに……!」

「アルテミシアか。やはり、君で間違いなかったようだね」

 金色の髪を短く刈り込んだ若い男はそういうと、悲しげに目を伏せた。アルテミシアの口ぶりからすると、どうやら彼は黄金の狼のなかでも数少ない理性を持った人間のひとりであることがわかった。

「どうして、黄金の狼はこのような蛮行を! これでは、もはや野盗と変わりはしないじゃないか。バインリヒ卿はなにを考えておられるのだ!」

「……手厳しいな。けれどそれは、勝手にクランを抜けてしまった君にいわれたくないよ。アルテミシア元副隊長殿」

「私を非難しても黄金の狼の正当性は保てないぞ。たとえ、私たちを討ったとしても、ここまでやればギルドが黙っていない。たとえ、バインリヒ卿が名の知れたロムレスの貴族であっても」

「お説教を聴きに来たんじゃない。要件だけを伝えよう。クラン“ダンジョンマスター”に告げる。我らが黄金の狼の捕虜である、ルッジ・ブラックウェルを解放して欲しくば、アルテミシアひとりだけでこの先の陣地に赴かれたい。これが、バインリヒ卿の口上だ。うん、それと彼女の身柄は男爵の名誉において守られている。彼女も、ロムレスでは有数の家柄だからね。とりあえずは、安心して欲しい」

「バインリヒ卿は私の命を欲しているのだろう? ならば、なぜ回りくどいことをせず、アルテミシアの首を寄越せといわぬのだっ!」

「僕はただの使者だよ。条件に按分を持たせる権限はない」

「クリューグ。君は、昔とまるで変わっていない。頼む、ルッジを。私の親友を救い出す手助けをしてくれないか?」

「……できない。もう、黄金の狼にはまともなやつはひとりも残っちゃいない。それに、僕の家は代々男爵に仕えてきたんだ。たとえ、卿が処断されようと、家は続いてゆく。背くことは許されないんだ」

 男は力なくそれだけを告げると、馬首を返して元来た斜面をゆっくりと戻っていった。沈黙が場に落ちる。

 蔵人はこわばった表情で凍りついているアルテミシアから視線を動かすと、口中に含んでいた水を勢いよく地面に吐き出して、手にしていた杯を叩きつけた。硬質な音が響く。同時に、蔵人は頭のなかにひとつの考えが形作られ、その顔にふてぶてしい笑いが浮かんだ。


 男爵ジャック・バインリヒは、丘から遥か離れた沼沢地に陣を張っていた。このあたりの地形は洞窟内でも独特である。腰まで浸かる湿原のそこかしこには、板を浮かべた簡易的な拠点を作り、そこで次々にやってくる冒険者たちを誘い込んだ上に虐殺していたのだ。黒く、濁った冷たい上には無数のミズバショウが咲き誇り、水面との色合いの対比が際立って美しい幻想的な光景を醸し出している。バインリヒ卿が質も選ばず集めた冒険者の数は、先の敗戦の報を受け、百を割っていた。むしろ、よくこの数が残ったと思われるが、現実にはこの場を逃げ出したとしても明日の食にもこと欠く食い詰め者の集まりにしか過ぎない。

「クソ、クソ……。アルテミシア、アルテミシア……! 貴様さえおらなんだら、我が無敵のクランは……永久に……」

 バインリヒ卿は傍から見てもわかるように、この時点で完全に精神の均衡を失っていた。いっときは、ギルドの一、二を争うまでといわれた、黄金の狼の権威は地に落ちて泥にまみれ、彼が選んだ犯罪そのものの「実力行使」による作戦は完全に破綻していたのだ。

 が、彼に従うならず者たちは、ダンジョン内における功績や名声など至極どうでもいいものであった。命ぜられるまま猟犬のように獲物へと食らいついて、お宝と女色をたっぷり楽しめればほかには考えることもない。そういった、思考停止の最下等軍団に成り果てていたのだった。

 バインリヒ卿のなかには、すでに、己に降りかかったすべての災厄を、かつては副隊長であったアルテミシア・デュ・ベルクールというひとりに責任転嫁され、かの女を斃すことにのみ集約されていた。

「あの、裏切り者を……。アルテミシアさえ、討ち取れば、我が黄金の狼は、必ず……。必ずかつての栄光を……取り戻せるはず……」

 親指の爪を無心に噛み続けながら、バインリヒ卿はトレードマークのシルクハットをズリ下げ、うわごとを呟き続けている。すぐそばには、後ろ手に縛られたルッジが、ふたりの男に剣を突きつけられながら、冷えた目をバインリヒ卿に送っていた。

「きたぞ!」

「アルテミシアだっ!」

「伝言通りのこのこひとりで現れやがった!」

 広々とした空間の彼方に、ポッとマッチの火がついたように、小さな点が姿を現した。その点は、男たちの騒ぎをものともせず、一定のリズムをとって水音を鳴らしながら、ゆっくりと大きくなり、やがてバインリヒ卿に接近してきた。

 美々しい白銀の甲冑には、赤地に目にも涼しげな白十字を染め抜いたサーコートを纏っている。

 兜をかっちりとかぶり、目庇を下げ、面頬をつけているので表情はわからないが、確かにそれはトレードマークといえる「聖女」と謳われたアルテミシアの姿であった。

「おお、おおっ!」

 バインリヒは口髭を興奮のあまりに涎で濡らしつつ前へ出ようとするが、隣にいたクリューグによって制止された。

「男爵。不用意に近づいてはなりません。あやつの槍は、この距離なら充分に届きますゆえ」

「そ、そうかっ! クリューグ、あとは任せたぞ」

「御意」

「……なんで、来たんだ。アルテミシア。ばかっ」

 ルッジの悲痛な叫びも虚しく、白銀の甲冑を纏った騎士は槍を担いだまま、ある一定の地点に到着すると、ネジが切れた人形のようにピタリと動きを止めた。クリューグは手にした矛を突きつけるようにして白銀の騎士の前に立つと、泣き出すのをこらえるような声でぼそりと呟いた。

「来ないで欲しかったよ……。副隊長」

「クリューグッ! 早く、早くそいつの首を上げろ! それが貴様の使命だろうがっ」

「了解。さあ、アルテミシア! 彼女の命が惜しければ、手にした槍を捨てるんだ。ここまできてしまえば、せめて僕の手でひと思いに楽にしてやるっ」

 クリューグの声が聞こえた瞬間、プログラムされていたかのように、騎士の手から槍がすべり落ちて水中に没した。竜殺しの聖女の名を聞き知って、腰が引けていた無法者たちが、そろって安堵のため息を吐くのがわかった。こちらが、百人近く残っているとはいえ手ごわい相手と戦うのはできうる限り避けたいのだ。なにしろ、彼女へと最初に向かってゆく人間は確実に命を失うだろう。それは、勝ち戦であるとわかっていればなおのことであり、できれば命を張って斬り合うことは回避して、「いい目」だけを見たいというのが本音であろう。

 これ以上恥辱を与えるのは無念だろうと慮ったクリューグが手にした矛を白銀の騎士の腰に向かって素早く繰り出した。先端は勢いよく騎士の甲冑の継ぎ目にすべり込むと、グサリと突き貫いて、先端を背中の腰骨のあたりまで露出させる。ビュービューと激しく黒い液体があふれ出し、騎士の重たげな身体は、ぐらりとバランスを崩して、水飛沫を上げて倒れ込んだ。

 男たちのなかからドッと歓声が上がった。彼らの頭のなかにはすでに脅威はない。それぞれが持ち場から離れて、かの竜殺しの聖女の顔を一目拝もうと、まるで砂糖にたかる蟻んどのように集まってくる。クリューグは、眦を決して矛を旋回させながら彼らを追い散らす。バインリヒ卿ですら、口の端から泡のような涎を吐きつつ右手を突き上げていた。

 ――すまない、アルテミシア。なぜこのような仕儀に。

 クリューグは誰にも聞こえないほどの小声で呟きながら、水に没したアルテミシアの遺体を抱き起こそうと、混ぜ返されて濁ったなかへ躊躇なく両手を差し伸べる。

「え――?」

 やけに軽い。そう、まるで人ではないような、異様な肉の軽みであった。クリューグが騎士の身体を水のなかから抱き上げると、兜が取れて死相が顕になる。手のひらからは、真っ黒な泥土がごぼごぼとこぼれ落ちた。

 それは、目も鼻も口もない、泥でできた人形、であった。

「これは、違う!」

 クリューグの吠えるような合図とともに、後方から激しい水飛沫が噴き上がった。水中を、水精霊(セイレーン)のハーフであるレイシーが、身体を水溶化させて忍び寄って、囲みが解けたのと同時にルッジへと飛びついたのだ。こうなれば、レイシーの独壇場だ。

「ルッジ、息止めてて!」

 レイシーは素早くルッジを回収すると、迫り来る敵の囲みをすり抜けるようにして、離脱した。

 すべては蔵人の策だった。メリアンデールに命じてゴーレムを作成すると、それにアルテミシアの甲冑を着込ませ、囮としたのだった。レイシーが、黄金の狼たちが陣取る遥か向こう側に位置する沼の辺まで泳ぎきると、そこには剣を抜き連ねて立ちはだかる蔵人たちの姿があった。

 黙っていられないのは、バインリヒ卿である。彼は喉を嗄らして男たちに罵声を浴びせるとサーベルを抜き放って、身を乗り出して突撃を命じた。

「さあ、こっからがクライマックスだぜ!」

 蔵人は聖剣黒獅子の黒々とした刃を閃かせると、集団に向かって真一文字に突っ込んでいった。

 逃げるという考えはない。文字通り、どちらかが滅ぶまで徹底的に斬り結ぶまでだった。

 蔵人のあとから、ポルディナ、シズカ、アルテミシア、メリアンデールが続く。

 敵影は、百にやや欠けるほどで、戦力差は純粋に十四倍ほどだ。蔵人は肩から外套を外すと左手に持って、滅茶苦茶にぶん回しながら駆けた。足元は、極めて動きにくい湿原地帯である。

 黄金の狼たちが、簡易的に作った板切れを浮かべた小陣地を除けば、場所によっては深みに嵌って腰まで浸かるほどの水量である。

 目の前に、五人ほどの男たちが迫っている。が、気配や身動きから察するに、それほどの難敵ではないとわかった。まず、機先を制す。敵は多人数であることが強みであり、それが同時に弱さでもあった。多勢を頼みとして打ちかかる手合いは、なんとなく自分以外の誰かを頼ってしまう部分がある。つまりは、己のを身を傷つけてまで手柄を上げようとは思わないものだ。

 保身に走った男は弱い。蔵人は、ましらのように躍りかかると、真正面の男の顔面へと長剣の一撃を力いっぱい浴びせた。

 刃は男の顔の中央部を激しく切り裂き、凄まじい勢いで血潮を噴き上げさせた。同時に、手にした外套を振り回して、まわりの男たちの顔や身体に鋭く叩きつける。

 怯えが強く出た男たちは、自然、実害はないにしても距離をとった。蔵人は、狭い足場を有効に活用して左右に素早く動き、長剣を使った。

 喉首と肩を割られた男たちが悲鳴を上げながら、ドブンドブンと飛沫を上げて水中に没する。

「固まって円になれ! 一気に押し渡るぞ!」

 蔵人のかけ声に、仲間たちが密集陣形をとる。車輪のようになった蔵人たちは、黄金の狼の腸を抉るようにして、弧を描きながら徐々に前進を続けた。

 ポルディナは大薙刀を、シズカは曲刀を、アルテミシアは赤竜の鱗で打った紅千鳥という業物を、メリアンデールはショートソードを振るって、次々に屍の山を築いていった。

 ポルディナは、近寄る男たちをまるで雑草を刈るような易しさで大薙刀を振るって薙ぎ倒していった。血煙があちらこちらで上がり、湿原の水は流れ出た血でドス黒く染まってゆく。

 しかし、百人近い敵勢と戦うのは、さすがに辛かった。今や、回復したルッジも魔術を使って援護射撃を行っているが、ジリジリと押され気味になりつつあった。

 敵クランの質は落ちているとはいえ、バインリヒ卿を守っていた十数名はそれなりに腕の立つ者がそろっていたようで、なかなかに切り崩せなくなってゆく。小さな手傷を負って、全員の動きが鈍ってゆく。蔵人が、メリアンデールを押しまくっていた巨漢の戦士を頭から唐竹割りにしたとき、背後からどよめきが上がった。

「新手か!」 

 ポルディナがいっていた、背後に迫っていたほかの冒険者たちのことが頭に浮かんだ。もしや、バインリヒ卿が予備兵力を隠し持っていたとしたら、まず離れた位置で戦っていたルッジとレイシーが危ない。

「違う。あの旗印は、聖騎士連合だ――」

 敵の腕をすぱりと斬り落としながら、アルテミシアがいった。

 聖騎士連合といえば。俗に、ギルド内で五英傑と呼ばれる、“聖騎士”ブリジット・フォーチュンが率いている、最強クランのひとつである。

 遠景には、槍と天秤をかたどった旗印をはためかせながら、清らかな処女(おとめ)しか乗せないといわれている、一本角の聖獣ユニコーンに跨って、静々と隊を進める女の姿があった。

 女は、白銀の甲冑を纏ってロングソードを腰に佩びた、思わず息を呑むような美貌であった。

 粛々と歩を進める二十人ほどの隊員たちは、誰もが十五、六といった年若い少女たちである。

 誰もが一定水準以上の容姿を持っており、天使の軍団といわれてもおかしくないほど際立った美がそこにあった。

「貴公が、ジャック・バインリヒ男爵であるか。我が名は、聖騎士ブリジットが右腕にして、ナイトの称号を賜ったシャノン・チェンバーズ。貴公のクランである黄金の狼は、さしたる理由もなく罪もない冒険者を襲った罪で、すでにギルドより除名された。私は、クラン聖騎士連合を代表して、貴公以下を捕縛し、護送する任をギルドマスターより賜っている。潔く、剣を捨て降伏せよ!」

 よくとおる澄み切った声である。けれども、口先だけで降伏するほど分別のある人間はその場にいなかった。むしろ、無法者たちは、追っ手が残らず見目麗しい女であると見て取ると、蔵人たちをそっちのけで、聖騎士連合に向かって襲いかかった。

「なにをつべこべ抜かしやがる! テメーらこそ飛んで火にいる夏の虫よ!」

「ケッ。騎士ごっこが通用するほど、この闇の底は甘かねーぜ!」

「ギルドに除名されたんじゃしかたあるめーが、行きがけの駄賃だ!」

「悪く思うなよ、この世の名残に生娘をたっぷり楽しませてもらおうじゃねえか!」

「うおいっ! オメーらの相手は俺だっての!」

 蔵人が呼べど叫べど、男たちは無視する格好で、ワッと色めき立って聖騎士連合の乙女たちに向かって食らいついていった。

「愚かな――。風神暴虐(ラージトルネード)」

 シャノンは冷たい美貌を微動だにせず、迫り来る男たちに向かって風属性の中級魔術を解き放った。すらりと前方に突き出された右腕から、圧倒的な風の魔術が打ち出される。

 暴風はやがて竜巻のうずに変化すると、ただ勢いに任せて突っ込んできた二十人近い男たちを残らず飲み込んで、ズタズタに切り裂いて細切れの肉片にしてしまった。

「皆の者。一兵たりとて討ち漏らすでないぞ!」

 凛としたシャノンのかけ声に応えるかのように、ユニコーンがいなないた。それが突撃の合図。聖騎士連合の乙女たちは、勇ましく声を合わせると、残った黄金の狼たちへと斬り込んでいった。

 凄まじい突破力である。隊員のひとりひとりの剣の技量は、ほとんど達人の領域に達している、惚れ惚れとするものだった。

「すんげぇ。シズカがいっぱいいるみてーだ……」

 蔵人が剣を持ったままぼやっとしているうちに、聖騎士連合の乙女たちは、ほとんどの敵を平らげてしまった。

「アルテミシア、せめてっ。せめて一太刀なりともぉおっ!」

 幾度も沼沢の水に浸かったのか、今や尾羽打ち枯らして見る影もなくなったバインリヒ卿がサーベルを掲げながらよろばいて、歩み寄ってきた。その瞳、絶望の色が濃い。

 乱戦である。アルテミシアの姿は近くにない。蔵人はバインリヒ卿の一撃を正面から受けると腕を捻った。サーベルは澄んだ音を立てて回転すると、彼方に飛び去ってゆく。

 瞬間、バインリヒ卿が満足げに口角を釣り上げたのを目にした。

 せめてもの慈悲である。蔵人は全力を込めて長剣をバインリヒ卿の首に叩き込んだ。切っ先は、斜めに鋭く走ると、卿を絶命せしめた。

 蔵人が長剣を鞘に収めて顔を上げると、シャノンと名乗った女騎士が馬上から敵の手練の騎士クリューグの頭をちょうどかち割ったところであった。

 ――恐ろしい女だ。けど、スッゲー美人だな。

「うおっ。こっち来た……?」

「失礼。貴公はアルテミシアのメンバーだろうか」

「死ねっ!」

 完全に意識の外だった。残敵を掃討しきったと思い込んでいたシャノンの足元である沼地に潜っていた男が怒声を発しながら斬りかかったのだ。ユニコーンは鋭くいななくと棹立ちになり狼狽した。シャノンの落ち着き払った顔つきがにわかに崩れるのを見て、蔵人は反射的に両手を突き出して飛び込んでいた。男の腰のあたりへとタックルするのと、シャノンの剣が閃くのは同時だった。彼女は、不意を突かれながらも素早く対応して男の頭部を見事に斬り下げたのだ。

 が、バランスを崩して落下することは避けられなかった。

「うわっと!」

 けたたましい水音とともに飛沫が上がった。ポルディナや聖騎士連合の乙女たちが駆け寄ってくる。水の深さは、せいぜいくるぶしのあたりまでだろう。

「おー、いちち。なんとかなったか……?」

 蔵人が咳き込みながら手を伸ばすと、なにやらむにょむにょとしたものが手の先に触れた。

「なんだ、これ」

 ギュッと力を込めると、強い弾力とともに艶かしい声が落ちてきた。両目を見開くと、目の前にはシャノンが蔵人に対して覆いかぶさっていた。

 ――うん。一旦、落ち着こう。するってぇと、このむにょむにょしたものの正体とは。

 要するに、蔵人はシャノンを腹の上で抱える格好で、彼女の臀部を揉みしだいていたのだった。

 体位は騎乗位に近い。さすが、女騎士。男に跨るのもお得意なんだな、と蔵人がゲスな考えを思い浮かべるの間もなく、シャノンの顔色が信号機のように、赤くなったり青くなったりした。

 うん、マズイな。これは。

「あ、あ、あ……!」

 状況を察したのか。シズカたちや、聖騎士連合の乙女たちはそろって冷えた視線を蔵人にそそいでいる。これは不可抗力である。とはいえ、日頃の行状からいって誰も信じてくれそうにない。

 異様なほどの静寂が場に満ちた。

 蔵人、落ち着け、落ち着くんだ。とりあえず、なにかいわないといけない。状況を打破するために、蔵人の舌が華麗に踊りだした。

「ま、待て。これは、不運な事故だ。いや、俺にとってはむしろラッキーな事案ではあるのだが」

「に、妊娠しちゃう……! 殿方に触られた。大事なところを……! 赤ちゃんできちゃうっ」

 シャノンはそう叫ぶと、放心した顔つきでヨロヨロと立ち上がり、剣を掴むと水面をバチャバチャいわせながらその場を遠ざかっていった。

 聖騎士連合の乙女たちは親の敵を見るような目で蔵人を睨みつけると、「お姉さまっ」とか「お気を確かにっ」などと金切り声を上げ、駆けてゆく。

「とりあえずは勝ったな……!」

「さすがです、ご主人さま」

 追従するのはポルディナだけだった。蔵人が近寄ると、ポルディナを除いた全員がいっせいに距離を取る。なんとなくシラケた雰囲気が場に満ちた。

(遠い。みんなの距離が、ひたすら遠いよ……。え、なに? もしかして、また、俺がドサクサに紛れてなんかやったと思われてるの? ええ! 嘘でしょ?)

 事実はやっているのだが。蔵人の脳内はひたすら自分に都合よくできていた。

 勝利の余韻もクソもない。戦いには勝って危機を切り抜けたというのに。

 なぜ、なぜだろうか。未だかつてない危険がこの身に迫ろうとしている。

 蔵人がシズカに視線を合わせると、彼女は、はじめてあったときのような冷え冷えとした目で、こちらを凝然と見つめ返していたのだった。たぶん、この懐かしさはいらない種類だ。

 ――この溝は、アラバマのオペライカに掘られたものより、深く、悲しい。






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