Lv145「ラスボスはティータイムの後に」
魚人たちを切り伏せて、延々と続くかと思われた湖を渡りきった頃には、そろいもそろって皆が戦いの折に浴びたしぶきで、身体を冷やしていた。
蔵人の率いるメンバーはたいしたケガもせず切り抜けられたのだが、マルクの率いる共和国軍の分隊は副官のポリーナを含めて五人にまで減じていた。戦って死ぬのが兵士の役目とはいえ、半ばを超える同僚を失って男たちの顔色もさすがに冴えない。
「ま、生きるも死ぬも運命だ、と」
蔵人はチラリと悲しみの影をマルクたちに見たが、そこは素早く割り切った。冒険には危険がつきものだし、そんなことをクヨクヨ考えていたのでは、この世界で一歩も歩けないのだ。温度の高い源泉が流れ込む湖の水は生ぬるいくらいであったが、さすがにこれだけ盛大に濡れれば冷える。いまは、岸辺から離れた場所に焚き火を作って、それぞれが濡れた衣服や肌を思い思いに乾かしていた。
「ふう、びちょぬれなのだ」
リザがもこもこした上下を脱いで、いつもどおりの白ビキニ姿になると、分隊の男たちから歓声が上がった。スラリとした長い脚に、肉づきの良い胸が薄い布でわずかに隠されているだけなのだ。常に女日照りである兵士からすれば、若い女の肌など目にするだけで卒倒ものなのである。おまけにエトリアという国は年間を通じて気温が低く、海辺も波が荒いことから泳ぐという習慣がない。
つまりは、若い女の肌を見ることができるのは閨の中だけに限定されていた。さらに、この時代娼婦といえども、明るい光の下で裸身を晒すということはほとんどなく、安女郎ですら睦言には強い恥じらいがあった。ロムレスのダークエルフの中でも、かなり異質な習俗を持つリザの姿は奇異でもあり淫猥に映るのが当然であった。女兵士であるポリーナは呆然としたままその場に硬直しているし、仕事柄娼婦などに慣れているマルクですら目を丸くしていた。
蔵人たちは、リザがほぼ半裸で生活していることを知っていたので、今更、という部分があったが、やはり衣服をほとんど着けずに生活している部族というものは全国的に見て珍しいのだろう。ギラギラした熱っぽい男たちの視線に珍しく羞恥を覚えたリザは、モジモジしながら蔵人の背に隠れると頬を朱に染めた。
「なんだか、すごく恥ずかしいのだ」
「そんな格好をしてればそーゆー目で見られて当然だってわからなかったの? あんたって本当におバカね」
カレンが自分のまとっていた白い外套でリザの上半身を覆い隠す。蔵人は焚き火に手をかざしながら、ズルっと鼻をすすった。目の前ではポルディナがやかんを火にかけ、茶の用意をしている。向かい側で立ったまま剣の刃こぼれを点検していたドロテアの隣ではちゃっかりマルクが陣取っていた。ほとんど無視されているのだが、マルクはめげずにどうでもいい話を無理やり続けているのだ。
「童貞乙」
「んん? なんかいったか、クランド?」
「なんでもねーよ。けどな、ドロテア。さっきのことだが、マジでときと場合を考えろよ」
「なんの話じゃ?」
「ああっ、そうですよ。ドロテアさん、オレも見ていてヒヤヒヤしましたよ。最後に前の石舟に乗り移るときのことです! ちょっと、間違えれば、湖に落ちてましたよ! あ、もしかして、ドロテアさんは泳ぎとかすごく得意だったんですか? そうですよね?」
「いや、わらわはまったく泳げんよ」
「んなっ!?」
「ええっ! それじゃあ、なんであんな危険なマネをっ」
「そりゃあ、クランドがわらわのことを受け止めてくれると信じておったからじゃ」
「あのな、だとしても、失敗することだって考えられるだろ」
「でも、そのときは」
ドロテアは口元に手を当て、いたずら猫のように目を細めながら含み笑いをする。
「クランドが助けてくれるじゃろ」
「あ――」
マルクは惚けたように瞳をまん丸くすると、肩を落として焚き火からゆっくりと離れていった。
(なんか、憐れなやつう。後で飴ちゃんでもあげとくか)
「ご主人さま。お茶が入りました。冷めぬうちに、お飲みくださいませ」
「おう、わかったよん」
「ポルディナよ。わらわの分は砂糖をたっぷり入れての」
「自分でやってください」
突き放すように、しっぽが左右にふいっふいっ、と動く。
「ぬう。ケチじゃの」
ポルディナはついと横を向くと、知らぬ顔で蔵人の分だけを手早く用意する。蔵人は差し出されたティーカップを持つと熱い紅茶を一息にあおった。焼けるような茶が喉をすべりおちていく。意図的に砂糖が利かせてある。疲れを取るのに甘味は有効だ。どことなく、薬くさいような気もするが、飲み干すごとに身体があたたまってくる。日本ではあまり口にしたことがない独特の風味である。続けて渡された焼き菓子をかじっていると、背中にくっついていたリザがぽかっと幼児のように口を開き、アーモンドのような瞳をくりくりさせて催促している。小さめに割ってくれてやると、ピンクの舌を伸ばして、焼き菓子を絡め取り、激しく咀嚼し出す。
「おお、食ってる食ってる」
「まるで動物あつかいじゃな」
蔵人がリザで遊びながら時間を潰していると、カレンにつき添われながらルールーが焚き火の前に姿を見せた。魚人たちを振り切った後も、対岸に着くまで三時間近くかかったので完全に酔ってしまったらしい。
「もうしわけ、ございません」
「いいって。おい、ポルディナ。テントを張ってルールーを休ませてやれ。今日は、早いがここで店仕舞いにしようや」
蔵人はマルクを呼んで、ここに野営を張ることを提案した。ドクロ戦士、魚人オアンネスと立て続けに戦い、深手こそ負わずとも疲労度はかなり溜まっている。隊は、岸辺から離れた平坦な場所にテントを設営して早々に就寝した。
大空洞は、無限に思えるかのように続いており、自分たちがどこを進んでいるのか不安になってくるほどであった。体調の悪いルールー、魔術を使って消耗している、カレン、ドロテア、リザの四人を先に休ませて、蔵人はポルディナとふたりで不寝番についた。奇妙に発光する青苔は依然、周囲を覆っており、これなら遠くからモンスターが近づいてきてもわかりやすい。焚き火の前に、毛皮の敷物を広げてふたりで座ると、なんとなく甘ったるい雰囲気が醸し出されてくる。
「にしても、かなりあたたかいな。まるで、春みたいな陽気だ」
「はい、ご主人さま」
ポルディナはふたりきりになれたことがかなりうれしいのか、ふわふわのしっぽを左右にゆらゆら動かしながら、肩にもたれかかってくる。隣の兵士たちを見ると、苦虫を噛み潰したような顔で炎を睨んでいる。蔵人たちのバカップルぶりに心底我慢できない様子であった。
「ご主人さま……」
ポルディナは鼻をくふんくふん鳴らしながら、完全に甘ったれモードに入っていた。
栗色の髪を撫でさすりながら、そっと手を握った。周囲の非現実的な風景が、彼女の乙女心をくすぐったのか、人目がなければすぐにでも抱きついてきそうな雰囲気である。
(あっ、やべ。ちょっと、チンコが硬くなってきた。マジぃぞこれは。うーん。さすがに、見張りをほっぽり出してアオカンというわけにもいかねーだろうし)
蔵人は青い性の衝動に駆られながら気をそらそうと、視線を遠くに置いた。
「ん、なんだアレ?」
「どういたしました」
ふと、接岸した場所からかなり離れた部分に赤黒い筋のようなものがあるのに気づいた。
蔵人はポルディナの絡みついた指をほどくと、立ち上がり、赤い筋に向かってゆっくり歩いていく。慌ててポルディナもそれについてきた。
「なんだろ、コレ」
疑問符が、ぽぽぽぽん、と脳裏に浮かぶ。
それは、なにかを引きずった跡に思えた。地面に広がる青コケが、そこだけ幅四メートルほどの広さで焼け焦げて、地肌がくっきり見えていた。注視すると、引きずりの跡は、一本の線を構成していた。線は、岸辺から現れてしばらく進んだ後、三十メートルほどの地点で途切れていた。
「ナメクジの這ったあとみてーだ。かなり、はっきりしてる」
「焦げ臭いです。地面が爛れています」
しゃがみこんで地面を指先でこする。
最後に停止した部分で、熱量の主が長時間留まっていたのか、焦げ色が一際濃かった。
つまんだ青コケは完全に炭化しており、砂のようになっている。蔵人は眉をしかめて立ち上がると、靴のつま先で焦げ目のついた地面を蹴った。
「湖からなにかが上がってきて、再び元きた場所に戻っていった。そんな感じだな」
「はい」
ポルディナはいつものように澄ました顔でうなずくが、しっぽが左右にゆっくりと振られている。どうやら、彼女もかなり興味を持っている様子だった。
「いまさら、どんなモンスターが出てきても驚きはしねーが。気になるな。跡のデカさから考えてかなり大物だぞ。こんなもんに寝ているところを襲われたら恐怖だよな」
「ご心配なく。ご命じにくだされば、ポルめが幾晩でも見張っておりますゆえ」
ポルディナはそういって豊かな胸を突き出すと、瞳を真っ直ぐ見つめてくる。
「ばか、それじゃあ、おまえが眠いだろうが」
「眠気など、微塵もございません」
「まったく、おまえってやつは」
蔵人は両手でポルディナの頬を包み、上下にやさしくさすった。無駄な肉のない頬は、新雪のようになめらかな手触りだ。彼女の黒い瞳がくすぐったそうにゆるんだ。いつもは、作り物めいた美貌がこういうときだけ年相応の少女に戻る。蔵人はそっと桜のような淡い唇にキスをすると、自分のキザったらしい所作に羞恥を覚え、咳払いをした。チラリと片目を開ける。ポルディナの頬に朱がじんわりと浮かんでいた。
「んんん、もうちょっとその辺りをふたりで調べてみるか。ここなら、テントもよく見える。なにかあってもすぐに引き返せるしな」
「はい」
「ポルディナは俺のいうことをよく聞いてお利口さんだなぁ。おまえは、ずっとそのままでいてくれよ」
「お仰せのままに」
蔵人は謎の線をたどって湖の岸辺へと移動した。なだらかな傾斜の砂浜を降りて、おそろしく透明度の高い湖水の浅瀬に踏み入る。痕跡はすぐに見つかった。
「ご主人さま、これを」
ポルディナにいわれるまでもなく。赤黒いラインの跡が砂浜を横切って水の中に消えている。普通に考えて、なんらかの生物が湖から現れ、砂浜を踏破してしばらく進み、なにかを思い出したかのように、来た道へと引き返していると見るのが妥当だろう。蔵人はその場に腹這いになって、焦げ目のついた砂利を指先でつまみ、鼻先に近づけ匂いを嗅いだり、目を細めてひと粒ひと粒を丹念に調べた。高温で焼かれたのだろう。砂利の粒は、ちょっと力を入れただけでサラサラと崩れていくほど滅している。
「ご主人さま」
ポルディナがはらはらした様子で、こちらの様子を窺っている。どうやら、彼女は蔵人の衣服が汚れることが我慢できない様子だった。立ち上がって膝を数度はたくやいなや、寄ってきたポルディナが懸命に全身の泥や塵を親のかたきのような目で払いはじめる。
「うーん。妙な焦げ目か。焦げ目といったらやっぱチャーハンだよな」
どちらにしろ、これ以上、思考を助ける情報フラグメントの収集は不可能かもしれない。
改めて、ルッジの重要性に思いを馳せていると、ポルディナが座って編上げブーツを脱ぎだしているのが目に入った。
彼女もやはり、年頃なのだ。浅瀬で水の感触を味わいたいのだろう。
蔵人の脳裏に、美少女と水をかけ合いながら湖で戯れる光景が想起された。
あはは、つかまえてくださいませ、ご主人さま。
ようし、いったなこのメス犬奴隷め。お仕置きしてやるぞー。
あはは。
うふふ。
蔵人の脳内が、ピンクのお花畑で埋め尽くされた。
「これぞ、青春。よーし、ポル。待ってろよ。浜辺の追いかけっこをやろー。アレ?」
蔵人がかがんでブーツを脱ごうとすると、ポルディナはとっとと素足のまま浅瀬へ踏み込んでいた。長いスカートの裾が濡れないように、器用に縛っている。彼女は、すぐに足を止めて、湖面に浮かんでいたなにかを拾うと、すぐに戻ってきた。
「ご主人さま、これをご覧下さい」
「あら、これって。一番最初の岸で見た」
「死魚です。しかも、かなり多量に浮かんでいます。ほとんどは、遠くへ流されたみたいですが」
蔵人はポルディナが持ってきた魚を再び仔細に検分した。
「焼け焦げてる……。ありえないだろ」
「確かにこの湖はぬるいほどの水温です。カレンの言をそのまま取り入れて考え、どこか一定の地点で源泉が湧き出しており、その水流に魚が巻き込まれていたとしても、ここまでにはならないかと」
「これは、茹だるとかそういうレベルじゃないな。かなりの高熱で炙られてる。だってウロコがパリパリの焼き加減になってるしな。なんかやな予感がする。一旦戻ろう」
「はい」
蔵人たちは、テントのある野営地に戻ると、ある程度の時間警戒していたが、その後なにごともなく見張りの時間を終えた。やがて交代の時間が訪れる。入口から防水用に油紙が貼ってあるシートをまくって、寝ぼけ眼をこすりながら、カレンたちが姿を現した。続いて、充分に休んで血色の良くなったルールーが、異常に寝覚めの悪いドロテアを抱きかかえながら開口部から這い出てきた。
「先ほどはご迷惑をおかけしました。ここからの見張りは、私たちが務めますので、クランドさまはお休みになってください」
ルールーはさも申し訳なさそうに、上目遣いでいった。寝起きでわずかに寝癖のついた髪がどことなく崩れた色気を感じさせる。蔵人は、ルールーの目元を指先で撫でながら肩を抱いていった。
「おう。体調はどうだ。もし、まだ調子がよくないようだったら寝ててもいいぜ。代わりに俺が起きてるからよ」
「と、とんでもございません。ただでさえご迷惑をおかけした上に、さらに休むなど絶対にできかねますっ」
ルールーは目の前で両手を振ってしきりに恐縮した。
「無理せんでもええんやで」
「ねえねえ。なんでそんなにルールーにばっかやさしいの? あたしも、疲れてるんだけどなー」
「カレンは、だ、い、じょ、う、ぶ」
「はああっ? なによ、そのいいかたっ。ちょっとムカつくんですけどっ」
「うっせ、うっせ。な、ルールー。このわがままツインテに気ィ使ってるなら――」
「ご主人さま。無理に休養をしいるのも酷かと。ルールーの好きにさせるほうがよろしいのでは」
「むう。ホントに平気か?」
「クランド、その犬っころのいうとおり、ルールーは大丈夫だから。あたしもついてるし」
「だから心配なんだが。まあ、いいや。無理せず、適度にやってくれ。気分が悪くなったらすぐにテントで休むんだぞ。俺が添い寝してやっから」
蔵人がひひひ、といやらしい声を出す。ルールーは視線をそらしながら、恥じらいを見せた。カレンの口元がへの字に曲がる。
「ごちゃごちゃいってないで、とっとと寝るのじゃっ」
「んづっ!?」
「ご主人さまっ」
覚醒したドロテアが突如として背中を強く蹴ってきた。完全にノーマークだった。彼女の声には強い嫉妬が篭っていた。蔵人は転がるようにテントの中へ顔から突っ込むと、ひっくり返ってゆるく放屁した。
「ふああああっ、ほっ」
蔵人は甘い女の体臭が残った毛布から上半身を起こして伸びをすると、大口を上げて両手を天に突き上げた。生あくびを噛み殺して、しばしぼうっとする。テントの外から、きゃるきゃるした話し声が聞こえてくる。共に就寝したポルディナは先に起きたのか、隣にはもういなかった。
「あ、おはようなのだ。みんな、クランドが起きたよ」
リザがベーコンと卵焼きの乗った皿を手にしたまま、寝起きにはキツいハイテンションで話しかけてくる。ほかの女たちも、次々とあいさつの声をかけながら、調理作業に余念がない。テントシューズからブーツに履き替えようと入口でしゃがむと、ポルディナが素早く寄ってきて靴紐を結びはじめた。甲斐甲斐しいことこの上ない。
「変わったことはなかったか」
「別段、異常はございません。さ、おぐしを」
「んんっ。ふあーあ、ときた」
「ま、大きなおくち」
ポルディナからしてみれば、野卑な大あくびもワイルドに映るのか、口元に指を置いて清楚に笑っている。これぞ、あばたもえくぼ状態である。
蔵人が簡易的な床机に腰かけると、背後に回ったポルディナが乱れた髪をクシで梳きはじめる。蔵人は伸びきったもみあげをいじりながら、目蓋をこすった。
「にしても、結構伸びちゃったよなあ」
「ご主人さまの髪、黒くてたっぷりしておられますね」
「男が伸ばしても鬱陶しいだけだ。ま、寒いから、切んのは春になってからの方がいいか。ポルは、長いのと短いの、どっちが好みだ?」
「ご主人さまは、どのような髪型でもお似合いになられますよ」
「リザは短いほうが男らしくていいと思うのだ!」
「あたしは、いまのままでもいいと思うけど」
「ま、あんまりボサボサでもむさくるしいゆえ、時間のあるときに少しは手を入れたほうがいいのではないかえ」
「ふーん。ま、おまえらの意見はどうでもいっか」
「じゃあ、なんで聞いたのよ……アホなの?」
「俺は常に肯定を求めているのだよワトソンくん」
「誰なのじゃ、ワトソンとは」
「ふふん。あーなんか喉渇いたな。なにかくれや」
「はいはい」
寝起きである。人間は睡眠中に呼吸も含めて多量の水分を消費している。蔵人はカレンが差し出した椀の茶を一息にあおった。
お、ぬるくて飲みやすいな。
カレンは蔵人が椀の中身を干したのを見届けると、今度はそれよりもやや小さいカップに淹れた茶を渡してきた。先ほどのものより、ややあたたかい。香気を楽しみながら、すすり終えると、最後に片手の中に収まるほどの小さなぐい呑程度のカップの熱い茶を出してきた。蔵人は時間をかけてそれを飲み干すと、ニヤリと笑みを浮かべた。
「やるな、カレン」
「は? なにが?」
「三杯の茶を地でゆくとは……。褒めてつかわそう」
「だから、なんの話をしているのよ」
三杯の茶とは。
かつて戦国の時代、太閤秀吉に仕えた石田三成の若き日の挿話である。
鷹狩りで喉の渇きを覚えた秀吉がとある寺院に寄り茶を所望した。その寺の小坊主であった三成は、秀吉の喉の渇き具合を見て、最初に量多くぬるめのものを、その次に、ややあたたかいものを、最後に少量の熱い茶を出して唸らせたといわれている。
「……とまあ、中々機転の利くやつだなと、再認識したわけだ」
「いや。それ違う」
「へ?」
「最初のはリザが量が多すぎて飽きた飲み残し。二杯目はあたしのを分けてあげて、最後に出したのは、ちょうどいまお湯が湧いたから淹れてあげただけだけど」
「あ、そ、そうなの」
蔵人は赤面して顔を両手で覆う。さすがにこれは気まずいことのこの上ない。
恥じ入るクランドさまかわいいです、とルールーが目元をゆるませている隣で、ポルディナはカレンの長耳をぎゅーっとおもいきり左右に引っ張っている。苛烈な仕置であった。
「主に飲み残しを献じるとは。なにを考えている、この長耳は……!」
「みみーっ!? みみ、いたいっ!」
「ああ、姫さまっ」
「お主ら、じゃれあっているのもどうやらそこまでじゃぞ。見よ、向こうでなにかあったようじゃ」
ドロテアの指し示す方角で歓声が上がった。蔵人は杯を投げ捨てると、外套を肩にかけ、岸辺に向かって走り出す。素早くポルディナたちが続いた。
「あそこだ。見ろ」
マルクはすでに砂浜の中央に陣取って、湖水の中央を顎でしゃくった。淡いアクアブルーを割って、細かな気泡が絶え間なく浮かんでいる。浅瀬に入っていた兵士たちが腰の剣を抜くのが、反射した刃の白い光でわかった。気泡は徐々に白い蒸気へと変化して、辺りが真っ白な霧で覆い尽くされていく。イヤな気配が周囲を濃密に埋め尽くしていく。沈黙に耐え切れなくなったリザが舌を出して低く呻いた。
「おい、おまえたち。気をつけろ、なにか出てくるぞ!」
マルクが叫ぶのと、気泡を生み出していた主が姿を現すのは同時だった。
赤いサンショウウオ、というのがもっともわかりやすい表現だろう。
遠目でわかるほどそれは巨大であった。その生物は腹這いのまま浜に上がった状態でも、ちょっとした四トン車を二台並べたくらいの大きさはあった。
おびただしい蒸気の海を泳ぐようにして浜に到達する。砂が焼け焦げる臭気が鼻先を突いた。存在、質量、共に強烈で激しく視界に訴えかけてくる。ちょっと見では、己の遠近感が狂ったかと思われるほどであった。
「あれは、サラマンダーだ。昔、ギルドの報告書で読んだことがある」
元冒険者であったマルクが生唾を呑み込みながらいった。
全身はツルリとした粘膜で覆われ、丸い頭部には眼球らしきものも存在しない。鋭い牙も爪も見当たらない怪物は全身から凄まじい熱気を放出しながら、マグマのような赤色で明滅していた。サラマンダーが移動するたびに赤い肌から白い煙が立ち昇った。
「焼け焦げの正体はこいつだったのか」
蔵人がつぶやくと、背後に控えているポルディナの黒い瞳が強い輝きを帯びた。戦狼族の原始的な闘争本能が刺激されたのか、ふさふさのしっぽがたちまち逆だって天を突いた。
入口のモニュメントや湖に浮かんでいた死魚は、目の前の怪物にうっかり触れたせいでこんがり焼かれたと思えば合点がいく。さらにつけ加えるならば、こちらを認めたサラマンダーは鈍重な動きで、のそりのそりと間合いをゆっくり詰めてきた。
「お友達になりたいって感じじゃねえな」
「サラマンダーは、大型の動物を好んで捕食する。あの大きさなら、一度の食事でここにいる全員くらいペロリとたいらげてしまうだろうな」
「兵隊さん、ボク怖いんですけど」
「クランド。悪いが、今回だけは手伝ってもらう必要性がある。冬眠前のサラマンダーは見つけた獲物は残らず喰らわなければ気がすまない大食漢だ……!」
突出していた兵士が果敢にも剣を構えて突っ込んでいく。
「待てっ。不用意に近づくんじゃない!」
マルクの制止の声も虚しく、兵士はのろのろとした動きのサラマンダーにいともたやすく刃を突き立てるのに成功した。
「へっ。なんだ、こいつ見かけ倒しだぜ!」
兵士の剣はサラマンダーの頭部へと深々と突き刺さり半ばまで埋まった。濃い緑色の液体がドロっと流れ出していく。遠目にも兵士の身体から緊張感が抜けるのがわかった。与しやすいと見て取ったのか、もうひとりが砂を蹴立てて走り寄っていく。不意に、赤い影が動いた。
「ぎっ!」
サラマンダーの口が突如として開くと、真っ黒な舌がシュルシュルと音を立てて伸び、兵士の身体をたちまちに絡め取った。
カメレオンが餌を取るような、なめらなかな動きである。舌は素早く兵士の胴へと幾重にも巻きつくと、その身体を宙へふわりと浮き上がらせた。
「があっ、あががっ!」
巻きついた舌は熱線コイルのように途方もない温度で兵士の身体をたちまち焼き尽くした。肋骨が折れ、臓腑が潰れる濁った音を洩らしながら、兵士の胴体は紙を丸めるようにひしゃげていく。羽虫を捕らえる容易さで命を刈りとられた兵士は、そのまま舌ごとサラマンダーに口中へと巻き取られ素早く嚥下された。ほとんど助ける暇もないくらいに鮮やかな手並みである。助けに入ろうとしたもうひとりの兵士がその場に凍りつく。
再びサラマンダーがぽっかり口を開いたかと思うと、途端に真っ赤な業火を吐き出し兵士をすっぽり覆い尽くした。耳を覆わんばかりの絶叫が流れた。
「水だ! 水の中に飛び込め!」
マルクの悲痛な叫びが飛んだ。兵士は狂ったように砂浜へ転がると浅瀬に向かって駆けていく。サラマンダーの巨体がよじれたかと思うと、太く長い尾が燃え盛る兵士の身体をかすめたかに見えた。鋭いインパクトで、兵士の身体は軽々と宙に舞った。蔵人たちの頭を飛び越えて高々と飛翔する。
「マジかよ!」
首だけで振り返ると、紙くずのようにクシャクシャになった兵士の身体が地面に転がっているのが見えた。
ポリーナが駆け寄って、ひう、と悲鳴を上げた。
確かめるまでもなく、絶命しているのがわかった。
止める間もなく、激昂したマルクが長剣を引き抜いて飛びかかっていく。
蔵人はマルクの後を追って走り出した。ウォーハンマーを抱えたポルディナとアスカロンを抜いたドロテアがそれに続く。
マルクの後ろ足が蹴り上げた白い砂。虚空に舞ってサラサラと崩れ、流れた。
蔵人が顔を振って口中に入った砂を吐き出す。不意に襟首が掴まれ、後ろに引かれる。袖口からポルディナのものと見て取れた。驚く暇もなく、目前の怪物がポッカリと口を大開にする。飛び上がったマルクの身体が、紅蓮の炎に包まれるのと同時だった。




