Lv108「絶地を越えろ」
ステップエルフの兵士は上官に命じられて、ひとりの間諜を始末するところだった。
間諜はまだ若い女エルフである。捕まった際、激しい拷問を受けたのか、両腕の爪はすべて剥がされ、苦痛に激しくあえいでいた。
陣屋の裏の林に連れて行き、内密に処理せよとの命である。腰縄を引いて歩かせる。兵士は女の身体を朽ちた葉の上に押し倒すと、匂い立つ肢体に目を細めた。
「それにしても」
二十を過ぎたばかりであろうか、整った目鼻立ちは憂いを帯び、ふるいつきたくなるような凄絶な色気を漂わせていた。
動きやすさを最優先にしたのか、身体にぴったりとした胸当てとミニを着込んでいる。
身体つきはスラリとしてスレンダーであるが、尻肉は意外にもっちりとしており、長く伸びた白い脚は男の獣欲をそそった。
「もったいねえ、本当にもったいねえが、オイラたちはおめぇを殺さにゃなんねえ。悪く思うなよ。な、相棒」
「あ、ああ。にしても、こんな美人、本当に殺さなきゃなんねえんか、よお」
「あなたたち、私を助けてくれないかしら、ねえ」
女エルフはねっとりとした視線をふたりの兵士に送った。女日照りの戦場である。男たちの男根は、なまめかしい声を聞いただけで反射的に硬直した。
けれども、上官の命にそむけば、即座に死が待ち受けている。男たちは舌なめずりをしながら、お預けを食らった犬のように充血した視線を女の下肢に留め、湧き上がる生唾を無理やり飲み干した。
「なんねえ、なんねえ! そうしてぇのは、山々だがよう!! バレたら殺される、上官に殺されるべ!! なぁ、相棒」
女エルフは長いまつ毛を伏せると、悲しそうに薄い唇をわななかせた。
「そう、実に残念ね。もし、逃がしてくれるのなら、私、あなたたちのどちらかの奴隷になってもいいのに」
「ど、奴隷!?」
「そうよ。ふふ、見てごらんなさい」
女エルフはうつ伏せに転がると、長い指を伸ばして自分の尻肉を持ち上げ、男たちの前に突き出して見せた。
「そうよ、奴隷よ。あなたの奴隷として、一生仕えるわ。もちろん、奴隷ですから普通の女房のようにあなたのやることに口出しなどしないわ。ほら。私のここ、好きなときに、好きなだけ使えるのよ? ねえ、想像してご覧なさいよ。私は、これでも村では結構器量よしで通ってたの。その辺りの、性交奴隷には負けないほど主人へと従順に仕えるわ。ねえ。これ、欲しいと思わないの? ほらぁ」
女エルフは尻肉を持ったまま、誘うように左右に振り出した。男のひとりは、まるで理性を失ったかのように、槍を持ったまま瞳を虚ろにしていく。
「でも、私はひとりだから、ご主人さまも、どちらかひとりだけなのよね。交互に仕えるのもいいけど、男なら、コレを独り占めにしたくないの?」
突き出した丸い尻が風に吹かれて震えている。
男の目は、その柔肉に憑かれたように動きを完全に止めていた。
女の肉には、奇妙な魔力が宿っている。
男として生まれたからには抗えない哀しい性質であった。
「おい、おまえ妙な気を起こすんじゃねえぞ。これは、この女の罠だ」
「で、でも。おいら、一生兵隊やったって、こんなすげえ美人の奴隷はおろか、並の嫁さんももらえねえよ。でも、もし、いま、こいつを助けてやれば。こ、この桃のような尻が、お、オイラのもんに……!!」
「やめっ、やめろえっ!?」
男は血走った瞳で素早く槍の穂先を繰り出した。
まさか、同僚に殺されると思わず、無防備なまま棒立ちになっていた男は自分の脇腹に喰いこんだ槍を見ながら血反吐を吐いて絶命した。
「やった、やっちまった。で、でもこれで、おまえはオイラのモン! オイラのモンだあっ!!」
「あんっ」
男はもはや獣欲を隠そうとせず、女エルフの尻肉に飢えたケダモノのさながら飛びつき顔を埋めた。
ほぼ、同時に鈍い音がガッと鳴った。
背後に忍び寄っていた若い女が、赤ン坊の頭くらいの石ころを叩きつけたのだった。
男は後頭部をパックリと割られ、脳漿を撒き散らして、ズルズルと前のめりに突っ伏していく。女エルフは、危機を脱した安堵ではじめて顔を上げ、救い主を見やった。
「姫さま!!」
「さっさと、逃げてルールー!! 逃げて、父上の密書をお城に届けるのよ!!」
そこには、血まみれになった石を持ち、荒く息を吐くカレンの姿があった。
敵陣に乗り込み偽報を流して営塁を混乱させ時間を稼ぐ。
城を脱出し、虜となった王の元に参じたルールーは即座に仕事へと取りかかった。
ルールーの最初に与えられた使命はあくまで敵の軍を捏造した情報によって内部から混乱させるのが主眼であった。
が、ひとりの味方の死によって与えられた役割は変動した。彼女は、クライアッド・カンに託された勅書を、王弟エルブレド・ロコロコと城方の総司令であるヴィクトリア・ド・バルテルミーに届けなければならなくなった。首尾よくエルブレドに勅書を渡せた時点で、運が尽きていたのかもしれない。ルールーは、バトルシークの百人隊長タイタロスに捕縛され、勅書を奪われた挙句、激しい拷問に晒されることとなった。
(そして、いまはどうだ。姫を助けるどころか、逆に助けられている有様だ……)
カレンの命はバトルシークによって握られているも同然だった。
傷つき剣も握れぬいまの自分では、彼女を連れ出すどころか、ひとりで包囲網を切り抜けられるかどうか怪しかった。
世界は深い闇に包まれている。
深更なのがさいわいしたか、森の中では少しは時間が稼げそうだった。
カレンの言葉によれば、バトルシークの本陣は叛意を顕にしたエルブレドを討つために前進を開始したらしい。
「それにしても、あの豚。やってくれたな」
ルールーは、拷問によって両指の生爪を剥がされ、指先を動かすのさえ難渋するほど苦しんでいた。百人隊長タイタロスはサドそのものであり、ルールーから情報を引き出すよりも、むしろ苦しめることに力点を置いて行為に従事していた。
引き剥がされた、爪の部分には激痛を伴う香辛料をすり込まれ、のたうつ全身へと鞭打たれ、ルールーは気力体力共に限界へと達していた。
かろうじて痛みによって睡魔を遠ざけているが、身体中の骨はバラバラになったように、歩くたびに軋む。怒りよりも先の見えない心細さで、魂が折れそうだった。周囲を照らすたいまつの炎が、輪を狭めているのを感じた。森を抜け、開けた沼地に到達した時点で、己が逃げ場のない絶地に追いこまれたことにようやく気づいた。
「ほほほ、ようやく追い込みましたよ、子猫ちゃん」
百人隊長タイタロスは、肥満した身体を揺らしながらゆっくりと近づいてくる。
ルールーは舌打ちすると、髪に隠した細い針を抜き取って、迫り来る男を睨んだ。
「うーん。いいですねぇ、その目。もう少し時間があれば、あなたにこの世の苦痛をたっぷりプレゼントできたのですが、わたしもそろそろ王の後を追わねばならないのです。せめて、この手でくびり殺して差し上げますよ」
タイタロスは長耳を小刻みに動かすと、脂肪で押し潰れている瞳を澱んだ光で輝かせた。
「……豚が」
「ふうん、その豚にあなたはこれから思うさまのしかかられ、蹂躙されつつ死にゆくのですよぉ。さ、おまえたち、あの女を押さえつけて、剥きなさい。この、ノコギリで、まずは全身を隙間なく傷つけてあげましょう」
タイタロスはギザギザの歯を持つ凶悪なノコギリを取り出すと、うっとりとした目で凹凸を愛でた。ルールーの瞳に絶望の色が濃くにじんだ。救いを求めるように、視線が泳ぐ。
そして、ありえないことだが、視界の端で、闇が蠢いた気がした。
夜気を裂いて、後方の沼から水音が湧いた。
タイタロスの表情。
そのとてつもない、なにかに怯えを見せた。
闇が揺れる。ゆれた先で、黒く禍々しい鳳が巨大な翼を広げた。
「と、いうわけで、ヒーローは遅れて登場する」
蔵人は沼から不死鳥のように這い上がると、濡れそぼった黒外套を翻し、再び地上に降り立った。バトルシークの疾風のような斬撃は確かに、深く身体を傷つけていた。
けれども、奇妙なことに身体がそれを覚えていたのか、ギリギリの部分でわずかに動くことにより回避行動を行っていたのだった。
最初に受けたときよりも、傷の治りははるかに早かった。つまりは蔵人の肉体が、バトルシークの攻撃の強度をすでに覚えていた、ということになる。
肉体が反攻に転じたことにより、修復作業は倍加している。肉体の疲労度はすでに体力の喫水線を割り切っているはずだが、まだその下には、底が隠されていた。
「おやおや、またもや奇妙なお客人が現れましたねェ」
タイタロスが揶揄するように言葉を吐く。
「クランド、おまえ……!!」
ルールーは背後から歩み寄って抱きつくと、胸に鼻先をうずめてむせび泣いた。
「ルールー、ここは任せておまえは行けよ。それと、ちょっと道草は食っちまったが、約束は必ず果たして見せる」
「バカだ、おまえは本当にバカだ。こんなっ、こんな身体になるまで、たったひとりで」
「なに、心配すんな。同情するくらいなら、ここから逃げ出すことを算段しろい」
「……でも、でもそれじゃあおまえがっ!?」
「だから、俺は死なねえよ。まったく、女ってのは男よりもずっと現実的な生き物じゃなかったのかね」
ルールーの瞳には蔵人に対する、激しい思慕の念が篭っていた。
エルフ族は、人間族にくらべてはるかに好悪の情が激しい。
そして、その炎は一旦火が付けば、燃え尽きるまで消えたりはしないのだ。
「おまえは、そこまでする義理はなかったのに。途中で、逃げることだってできたはずだ。なのに、なのにっ。おまえは、なんという貴い男だ……」
「キスの分くらいは役に立つぜ」
ルールーは感極まって、蔵人にむしゃぶりつくと、唇に吸いついた。
頭に両腕を回して、ぎゅうぎゅう締めつけてくる。
そっと、肩を叩くと、湯上りのようにポッとした頬の女が夢見るようなとろんとした瞳で真っ直ぐ見つめていた。
「マウストゥマウスじゃ、利息がずいぶんと付きそうだな。さ、これを持っていけ」
蔵人は聖剣“黒獅子”を引き抜くと、漆黒に輝く黒鉄造りの鞘を手渡した。
「これは……」
「絶対に生きて城にたどり着き、俺の家族に渡してくれ」
「ふうううん。それで、最後のおしゃべりは終わりましたかねぇ」
タイタロスは濁った声を出すと胸の脂肪を軽く揺すった。
「ああ。終わるまで待ってくれるなんて、あんた意外にやさしいんだな。ついでに、俺たちを黙って見過ごしてくれれば、もっと好きになれそうなんだが」
「それは、できない相談ですね。はは、そしてなぜおしゃべりを遮らなかったといえば、あなたたち恋人同士の別れを、これから行う見せつけ寝取りファックのアクセントとして使えると思ったからですよお。ふひひ、その女、ルールーを捕らえて、行きがけの駄賃に、あなたの目の前で、陵辱して差し上げます。ふふ、後ろから、無理やりにィ、穴という穴を無軌道に貪り尽くしてあげますよおおお!!」
「まあ、そのプレイは自分でやるには楽しそうだが人さまにやられるとなると、はいそうですかといえないな」
「……正気ですか。こちらには、百人の兵がいるのです。逃げきれるとでも」
「逃げやしねえ。ちゃんと相手してやるって。ひとり残らずよ」
「ほほう、その女を差し出すことに同意しますか。せめてもの情け、あなたはわたしの奴隷として生かしておいてあげてもいいですよ」
「ルールーはさ」
「あん?」
「豚に股開くほど、男にゃ不自由してないってよ!!」
蔵人は怪鳥のように激しく跳躍すると、黒獅子を一閃させた。
横薙ぎに払われた剣は、タイタロスの前にいたふたりの男の首を掻き斬った。
血飛沫が、真っ赤な躑躅のごとく、闇夜に咲いた。
同時に、ルールーが左手の斜面へと真っ直ぐ駆け出していく。
追撃しようとする兵士の前に蔵人が立ちはだかった。途方もない殺気を感じ取り、辺りが静まり返る。ルールーが茂みを掻き分け、藪の奥へ向かう音だけが大きく響く。
タイタロスは頬についた血糊をぬぐうと、にっこりと笑みを浮かべた。
「殺しなさい。殺せえええッ!!」
百人隊長の絶叫を皮切りに、穂先を揃えた兵士たちが黒い波濤のように蔵人へと襲いかかった。
蔵人は反転すると背を向けて沼地に飛び込んだ。
追いかけてきた兵士が次々に襲いかかってくる。
蔵人は泥水をたっぷり吸わせた外套を振り回し、男たちに叩きつけた。
バランスを崩して三人が崩れ落ちる。長剣を振るうと、素早く男たちの喉を刈った。
赤黒い血が、パッとたいまつの光に照らされながら辺りに舞った。
膝丈程度の深さである。沼地を蹴って走った。
「第一小隊、第二小隊、第三小隊は目の前の男を。第四、第五、第六、第七は女エルフをすぐに追いかけなさい」
敵の数は百である。蔵人がいままでに相手をした中でもっとも多かった。素早いルールーといえど、多数の敵影に追われればいつ捕まってもおかしくない。目の前の敵をできるだけ。しかも短時間で減らす必要性があった。
正面から四人の男が剣を振りかざして襲い来る。
蔵人の長剣が鋭く舞った。ひと振りでふたりの男を弾き飛ばすと、素早く突きを繰り出した。刃は流星のように走ると、男の胸板を深々と刺し貫いた。
素早く剣を抜き取ると、ぶつかるようにして敵の胸元へ飛び込んだ。このように密着すれば、敵は上手く刃を使えなくなる。男の胸ぐらをつかんで引き倒しながら、刃を走らせる。男の喉元は綺麗に切断されると、どっと血潮をあふれさせた。
取り落とした刃を拾って盲滅法に投げつける。
なにせ、目の前はすべて敵兵である。
狙う必要もなく、剣は誰かに当たり、殺傷した。
蔵人は怒号を上げながら、剣を全力で垂直に振り下ろす。
真正面にいた男の顔面は両断され、後方に倒れかかった。
身を翻して沼地の奥へと駆けた。絶叫と怒号がないまぜになって闇を轟き渡った。男たちは手にした槍を狙いもつけずに投げつけてくる。一本が肩を割り、もう一本が太ももの上を滑って傷つけた。痛みをこらえたまま、泥土にしゃがみ込む。顔の半分を泥に浸からせながら待った。
敵兵に、蔵人の姿が急に掻き消えたように映ったのであろう。逃げられたと錯覚したのか、男たちの追い足が早まった。
投げつけられた槍を抱えこみ獲物が押し寄せるのを待った。粘った泥を攪拌させながら敵影が接近する。
蔵人は狙いを定めて泥を押し上げて槍の穂先を持ち上げた。無防備な腹を晒す格好になっていた男が冷たい刃に貫かれ絶叫した。男の手にあるたいまつがこぼれ落ち、音を立てて泥の海に沈んだ。
蔵人は吠え立てながら、槍を両手に持って目の前の闇を突きまくった。
どれほど、突きを繰り返したのだろうか、敵の波濤のような突撃が気持ち和らいだ。
闇に慣れた目を凝らす。黒い海の中には、十人を超える男たちが蠢いていた。
心を落ち着けてたいまつを数えると、残りは八つに減じていた。
蔵人は泥土を弾くようにして駆けると、長剣を水平に動かしながら男たちの間を走った。
駆け抜けた後、脇腹を割られた三人の男が、糸の切れた繰り人形のようにその場へ、クタクタと崩れ落ちた。
怯え切った男がたたらを踏んで尻もちを突いた。
蔵人は駆け寄って男の胸板に足をかけ、蹴倒すと長剣を叩き込んだ。男の喉から、蛙をひき潰したような、ゲッという声がもれた。
左右から、刃風を感じ身をかがめる。素早く右に一撃。刃は、男の腹を食い破ると半ばまで後方に突き出ていた。刹那の間、拾った剣を逆手に持ち、左上方に繰り出した。剣は男の喉をえぐると半円を描いた。
唸り声を上げて巨漢がフレイルを振り下ろしてくる。
半身を開いてかわす。
続けざまに、男の右太ももを突き刺した。
動脈を切り裂いたのか、多量な血潮が噴き出した。
男はバランスを失って左に傾ぐ。
蔵人は男の背に回って喉元に刃を当てるとぐいと引いた。
足元の泥土の海が振り落ちる血の雨で細かくなった。
背を向けて逃げ出す男の背中目がけて跳躍する。
背骨を断ち切る確かな手応えと共に、男の影が泥の飛沫を上げて闇に消えた。
蔵人が瞬く間に、みっつの小隊を壊滅させたことを知ると、悠然と床几に腰かけていたタイタロスが青白い顔で立ち上がった。守るようにして、兵士たちがバラバラと壁を作る。
泥の飛沫を跳ね飛ばして、飛び上がった。
蔵人の顔は返り血を浴びて凄絶だった。
辺りを照らすかがり火を蹴倒し、颶風のように荒れ狂った。
全身には数十箇所の手傷を負っていた。
胸元の紋章は青白く輝き続けている。
振り回す腕にはもはや感覚はなかった。
鬼神も避ける蔵人の剣技は極まっていた。紙人形のように倒れていく仲間を見て、後方に備えていた残りの男たちは怯えを見せて潰走をはじめた。
十五人ほど斬り伏せた時点で、タイタロスがルールーに向かわせた第四、第五、第六、第七の四小隊、計四十人を呼び返した。
蔵人は、適度に暴れ尽くすと、駆け下りてくる兵士たちを迎え撃った。
斜面を一気に駆けあがり黒獅子を力の限り振り回した。
雑木林に切り裂かれた男たちの肉塊が千切れ飛び、樹木を朱に染めた。斜面をよじ登り、七人ほど斬り伏せると、杉の巨木に背を預けて息を整えた。
蔵人の全身は水を浴びたようにぐっしょりと濡れそぼっている。視界は真っ赤に染まり、心臓が壊れそうなほど激しく跳ねていた。
荒々しく息を吐き出すと、落ちていた槍を掴み、下方から攻め寄せてくる敵影に向かっていく。
穂先を繰り出して、喉を、胸を、腹を、腰を、激しく突いた。
絶叫が闇の中を駆け巡り、怒号が山を木霊した。
八人ほど斃したところで、背中を激しく斬りつけられた。
蔵人は歯を剥き出しにして男に掴みかかると、拾った石で男の顔面を滅茶苦茶に殴りつけた。元の目鼻が分からくなるまで振り落とす。男が四肢を痙攣させて凍りつくと、死体を担いで斜面へと投げ入れた。
向かってくるみっつのたいまつがゆれる。蔵人は、獣のように身を低くすると転がりながら、剣を使った。脛へ向かって刃を走らせる。骨を断ち割る音が鈍く響いた。恐怖に怯えて腰の引けた男の下腹部目がけて垂直に刃を突き出した。男は発狂した猿を思わせる絶命の声を上げると滑落して暗渠の中へと消えた。
頭上から振るわれた刃を防ぎ、斜めに剣を振るった。
男の顔面は、まともに刃を受けて崩れた柘榴のような断面を露わにした。
残ったひとりへ死に物狂いで抱きついた。
斜面を転がって、身体のあちこちを打ちながら、最後に馬乗りになって、刃を振るった。
男は白目を剥いて、舌をくちびるから覗かせた。毒々しい赤だった。剣の刃についた血脂を懐紙でふき取ると、再び走り出した。
斜面を登りきって稜線に出ると、二十ほどの炎が見えた。
細い尾根道に密集した状態だ。
蔵人は外套を跳ね上げて、鋭く疾駆した。
刃が唸りを上げ、続けざま四人を斬り伏せた。
身体をぶつけながら、八人ほど斜面から叩き落とした。
繰り出される槍が胸に腹に肩に埋まる。
螻蛄首を叩き落とし、掴んだ槍を奪ってひたすら突いた。
さらに、五人ほど突き落としたところで、藪を漕いで尾根道を外れた。
心臓は口から飛び出そうなほど疲労している。
休息を身体が欲していた。
世界が徐々に白んで、視界がゆっくり水色に染まってくる。
身を起こして、山の端から見える朝焼けを眺めた。
日本でもここでも、朝日の昇る直前は神々しいまでに世界を祝福しているように思えた。
生きている。
いま、自分は生きていると、強く感じていた。
素直に、生きたいと、願えた。
そのためには、迫り来る敵を討ち滅ぼさなければならい。この世に生まれてきたからには、誰よりも、一日でも長く、生き続けなければならない。
それが、生物としての宿命だし、それがもっとも正しいことであり、世界の本質であろう。チャチな正義や信念を通り越して、生きているということはそれだけで尊いのだ。
蔵人は朝焼けに包まれて山を降りた。ルールーはすでに遠くまで逃げ延びただろう。どれだけの命を手にかけたかわからない。獣道を選って麓にたどり着くと、陣営の後を横目で睨んで歩き続けた。
敵は昨日の比ではない。蔵人が狙うのは、バトルシークの首だけなのだ。
なだらかな丘の向こう側に、うなだれて進む騎兵の一団を見た。
タイタロスである。
いまや、しおれた花のような百人隊長は蔵人を見るや怯えて馬から転げ落ちた。
周囲にいた兵の半ばは逃げ出し、残った五人だけが蒼白な表情で一気に剣を振りかざし、蔵人を押し包んだ。
最後の激闘がはじまった。
白みはじめた空の雲間から、輝く陽光が散らばる丘の上に絶叫が激しく流れた。乾いた土煙や砂塵が雪のように辺りに舞い落ちる。もうもうと白煙が立ち昇った。理性をかなぐり捨て、最後に残った本能だけが蔵人を突き動かした。血肉は刃の前で無残にも切り裂かれ、銀線はとどまることなく、目に映じるもの、動くものを破壊し続けた。
蔵人の黒外套はズタズタに引き裂かれて、血まみれだった。
顔には乾いた黒い血がこびりつき、幽鬼を思わせた。
死闘の後に立っていたのは蔵人ひとりだった。
男たちは呻き声ひとつ上げずに、静かな街道筋に横たわっている。
強い風が横殴りに吹きつけ、外套をあおった。
タイタロスは腰の美々しい剣を引き抜くと、勇敢にも突きかかってきた。
蔵人が足払いをかけて転ばせると、タイタロスは顔から地面に突っ込み悲鳴を上げた。
鼻血を滴らせながらタイタロスが顔を上げる。
蔵人は剣を両手に持つと、高々と頭上に振り上げた。
タイタロスは怯えた幼児のように顔を両手で隠すと、泣き叫んだ。
白光が、黒獅子の刃に乱反射し、輝きが鋭さを増した。
両手を蹴って顔を白刃の元に晒させる。
男の顔、白く絶望に染まった。
蔵人は眼を怒らせて長剣を真っ向から振り落とした。銀線は、垂直に流れると深々とタイタロスの顔面を両断してドッと真っ赤な血潮を噴き上がらせた。
タイタロスは両腕を天に突き上げて激しく痙攣すると、前のめりに倒れた。
蔵人は血だまりの横に倒れると仰向けになり、しばらく空を無言でジッと見つめていた。
風はそよとも吹かない。指先をそろそろと伸ばして、黒獅子を再び握った。
剣を納める鞘はもうない。膝に手を突いて無理やり立ち上がると、身体を引きずって歩いた。ゆく手に広がる戦車のわだちを眺めながら、一歩一歩足を引きずって進んだ。
輝かしい陽光を浴びた道筋はきらめているように見えた。
空には、白い雲がみっつよっつ浮かんでいる。
ひたすら歩を進めて東進した。ある程度歩いた後で、道をそれて小高い山に向かって進路を取った。這うようにして高度を稼ぐ。山の頂きに立って眼下に視線を向ける。
ステップエルフの後陣をめぐって、緑の旗と白の旗が激しく揉み合っていた。
緑がバトルシークで、白はおそらく彼に従わない分派だろう。
白の旗を助けるように、少数の軍団が蠢いているのが見えた。
紅地に金燕の旗印は城で見慣れたアンドリュー伯のものである。
敵の敵は味方、という言葉通り、賢いヴィクトリアがクライアッド・カンと手を結んだのだろう。
蔵人が苦笑を漏らすと同時に、眼下の平地に緑の旗が突如として沸き立った。
気づけば、周囲は完全に敵兵で取り囲まれていた。
逃げ散った、百人隊の残党が援兵を呼んだのは明白だった。
「千か、二千か。たったひとりにご大層なこった」
蔵人は長剣を肩に担ぐと、勢いよく斜面を駆け下りていく。
狙いすましたかのように、矢の雨が絶え間なく降りそそぐ。
濃い緑の木々の中、蔵人のシルエットは呑みこまれるようにして消えていった。
戦鼓と兵を進退させる銅鑼の音が間断なく地平を覆っている。
大地を絶え間なく濡らしていく。
殺戮の宴はついに佳境を迎えたのだった。




