Lv109「ダンジョンハーレムガールズ」
主権を回復したヴィクトリアは翌朝、大王クライアッド・カンの信書を携えて城にやってきたルールーを迎えて軍議を開いた。
――これで勝てる。
当初は、密偵としてルールーを捕らえたが、彼女の手にしていた黒鉄造りの鞘から、彼女が蔵人に命を救われたことを知り、ヴィクトリアは、ひとり、心の中で悲しんだ。伝説の勇者は城ひとつ捨てても惜しくない人材であったが、ついには、戦場の塵へと潰えたのである。
ああ、これでまた王女派の力が減じてしまう。
それでも、割り切る割り切ると心の中で呟いても、結局のところ、領地の人民を捨てきれない自分の甘さが嫌いだった。第一に保全しなければならないものは、連綿と続いた家名であるはずだが、彼女の魂は燃え盛る闘気の塊となっていくさを欲していた。
敵であったクライアッド・カンが盟を乞う、ということは、それだけ王位を簒奪したバトルシークに追い詰められているせいであった。
使者であるルールーというエルフは異様なまでに協力的で、ステップエルフの内情をことごとく教えてくれた。
もとを正せば、このいくさのはじまりも、王の姫であるテアをバトルシークが卑劣な手を使って襲わせたことが発覚し、クライアッド・カンの怒りは頂点に達していたのだった。
城兵五万とクライアッド・カンの十五万で、合わせて二十万。
一方、バトルシークの総兵は三十万に膨れ上がっているが、王が堡塁を堅持していれば、この差は容易に覆すことができると踏んだのだ。
もはや、総軍を託すのは当代きっての名将であるバスチアン以外になかった。
「この老骨、全身全霊をかけて敵軍を討ち滅ぼしましょう」
「私も出ます」
ヴィクトリアの言にバスチアンは、一瞬、瞳に難色を示したが、姫の決意が堅いとわかると、鍛え抜かれた衛士を守りにつかせた。出撃は急がなくてはならない。カンの弟エルブレド・ロコロコの率いる軍は、昨夜より休まずに激戦を行っている。
戦場は、目と鼻の先、指呼の間だ。堡塁を移動している関係で、友軍の守りは当初より薄くなっている。速やかに軍旅を催す前に、ひとつ気の重い仕事が残っていた。
すなわち、蔵人が残した女たちに、おそらく間違いはなかろう、彼の死を告げることであった。
が、ヴィクトリアが思っていたほど、彼女たちはひとりとして、それを信ずることはなかった。それどころか、彼女たちは、ヴィクトリアが前線へ出ると知るやいなや、残らず従軍を申し出たのであった。
「私は回復魔術に長けているんです。絶対お役に立ちますよ」
「クランドが戦場で苦しんでいるならば、我が槍をエルフどもに是非とも馳走してやらねばなるまい」
「まったく。クランドってやつは、どこまでもボクに面倒をかける男だ。けどね、そんなバカだからいいのさ。ボクは頭でっかちは好きじゃない。男はバカの方が、かわいいだろ?」
「彼には生きて帰ってもらわないと、私の受付時の暇つぶしができなくなるじゃありませんか」
「あの阿呆は。こういうときは、一番に私を呼ぶべきなのだろうが、まったく。ついに、この私の剣の冴えを天下に轟かせるときがっ。あ、あの、姉さま? 私だけ、無視しないでくださいい」
「ハナは、もう一度、もう一度会って、勇者さまに謝りたいですっ。だって、ホントはホントは大好きなんだからっ」
「せっかく想いが通じ合えたのですから。今度は、今度は、もう道を違えたりしません」
「あたし、たぶん、みんなと違ってなんにもできないかもだけど。それでも、クランドのそばに行きたいよ!!」
「私は、ご主人さまに最初からすべてを捧げておりますから」
女とは基本的に愚かな生き物である。
けれども、それは男だとて変わりはないと思うのだ。ヴィクトリアは足手まといになるとわかっていて、彼女たちを己の陣へと従軍させた。
バスチアンは威風堂々と軍を出発させると、西門から南下して大きくクライアッド・カンの篭る営塁を迂回した。
ヴィクトリアの本営は、多数の衛士を引き連れ、そのはるか後方をつきしたがっていた。彼女は、あくまでお飾りであるが、前線の野陣に総大将が出馬するとしないとでは、将兵の士気の奮い方は、まるで違った。ましては、ヴィクトリアは女の身でありながら、若く、見るものからすれば儚げな存在だった。
「ロムレスの将兵たちよ。ここに至って、ついに最後の決戦のときを迎えました。敵は、慈愛あふれる草原の王クライアッド・カンを惑わし、必要無きいくさを興させた、諸悪の根源、賊将バトルシーク。本来、我らは共存の道を選び取っていたはずです。それを、あの男が、根底から打ち崩したのです。怒りを弓矢にこめて、槍を構えなさい。我が軍の旗のもとに正義が燦然と輝いている限り、アンドリューの地に敗北はない。勝利を我が手に、金色の燕が羽ばたくのです!! ロムレスに栄光あれ!!」
「ロムレスに栄光あれ!!」
将兵は高らかに声を上げると、一個の塊となって、バトルシークの本軍に突撃を開始した。これにより、クライアッド・カンの営塁を攻めていたバトルシークの軍は、尻を強烈に噛み立てられた格好となった。
ここにきて、全軍が三十万を超えているという事実が足枷になった。
常ならず、全体の動きは緩慢なものとなり、指揮はにぶいものとなった。
降兵のほとんどは、寄せ集めであり、戦意は乏しかった。
その上、バスチアンは軍勢をぶつける前に、多数の間者を敵影に忍びこませ、いくさの発端となった、王姫テア殺害のカラクリの大本をバトルシークだとバラしたのであった。テア姫の信奉者は、バトルシークが想像していたよりもはるかに多く、それらの兵たちの動きはあきらかに鈍重の色を見せた。
これを見過ごす、バスチアンではなかった。彼は、機敏に全体を眺め、適宜、伝令を飛ばして、攻撃の矛先を巧みに切り替えた。
バスチアンの老練な指揮はいまや完熟しきっており、バトルシークに仕える蒼の四将の動きが稚拙に見えるほどであった。
「押されている……!!」
バトルシークも即座に理解すると応変の才を見せた。四将の指揮を、ほかの将校に任せると、彼らに向かってバスチアンの指揮官を徹底的に狙い撃ちする作戦に切り替えたのであった。この時代は騎士道がもっとも華やかであり、一騎打ちを申しこまれて逃げればそれだけで、士気はガタ落ちした。逃げても下がり、負けても下がる。バスチアンが歯噛みしたまま、懊悩している同時刻、ヴィクトリアは全体が見渡せる小高い丘に、陣を移した。
最初に変わった動きを見せたのは、ポルディナだった。
彼女は、鍛冶屋に特注で打たせた、重さ九十斤を超える大薙刀を携えながら、いつものメイド服で陣屋の中をウロウロしだした。
「なんですか、飢えた熊のようにウロウロと。落ち着きなさい」
ヴィクトリアが片目をつむってたしなめる。が、常ならず、彼女は犬耳を頭上でピコピコさせたかと思うと、途端に走り出した。
「あーどこに行くんですかー、ポルディナさん?」
傷ついた兵たちに回復魔術をかけていたヒルダが、血相を変えて飛び出す彼女の後を追った。続いて、固まっていたレイシーたちが団子になって追っかける。激しい熱気が横溢し槍の穂先が触れ合う陣営の中、兵士たちが歓呼の声をひとりの男に送っていた。
身にまとった黒い外套はあちこちがササラのようにズタズタに切り刻まれ、全身は黒く乾いた泥と血にまみれていた。衛士に守られて現れたヴィクトリアは、白昼に鳳凰が飛びかう奇跡を目の当たりにしたかのように、凍りついた。
目の前にいる男こそ、確定したはずの死の淵から、再度姿を現した、伝説の勇者そのものだった。
「ご主人さまッ!!」
「うおっとっ」
蔵人は飛びついてきたポルディナごと背後に倒れ込むと、顔をしかめた。なにしろ、駆け下りた先の敵兵との死闘は壮絶を極めていた。
「ご主人さまッ!! ご主人さまッ!! ご主人さまぁああっ!!」
「悪い、心配かけたな」
蔵人は、胸元に鼻をこすりつけ、キュンキュンと甘え声を出すポルディナの頭を撫でながら、声をかけた。
「クランド!!」
「あ、クランドさんっ!!」
「おまえというやつはっ!!」
「ちょっ、なんでっ、おまえらっ、全員ッ!? うえぐっ!!」
蔵人とポルディナの上に残ったレイシー、ヒルダ、アルテミシア、ネリー、メリアンデールの順でのしかかってくる。
「ふむ。では、ボクもこういうお約束に参加するとしよう。えい」
「ぐえええっ」
ダメ押しとばかりに、ルッジが飛び乗る。蔵人は圧死寸前に追い詰められた。
「おまえら、とりあえずどけ……」
「やだー! というか、これはさすがの私も諸刃の刃にッ。た、助けて、クランドさんん」
「おまえら、とりあえずヒルダが死にそうだぁ」
蔵人は、草地に腰を下ろすと、離れた場所で、そっと佇立するふたりのメイドの姿を見た。もちろん、ヴィクトワールとハナの二人組である。
「ほら、謝るのだろう」
ヴィクトワールがぽんと肩を押すと、おずおずとハナが怯えたウサギのような瞳で近寄ってきた。
「あ、あの、勇者さま、ハナは、ハナは……!」
蔵人が無言で手を伸ばすと殴られるとでも思ったのか、身体を縮こませた。
彼女の中には、勢い余って暴力を振るったというぬぐい難い深い悔恨があった。
が、予想に反し、蔵人はそのまま少女の身体を抱き寄せると、やさしげに頭を撫でた。
「ごめんなさい、だな。お互いに」
「え――?」
「悪い、おまえが年の割にあまりにしっかりすぎてんで、甘えちまった。一言、あるべきだったよな、家族なら」
「あ、あ――!!」
ハナはポロポロと大粒の涙をこぼすと、ぎゅうとしがみついてくる。それは、父母からはぐれた幼児を思わせる切ない力のこめ方だった。
「ハナ、ハナが悪かったのにぃいっ。ごめ、ごめんなさいいいっ!! どうしても、勇者さまにぃいいっ。怖いところおっ、行って欲しくなかったのおおッ!!」
「あー悪い悪い。だから、仲直りだ、な」
蔵人がそっとハナを離すと、彼女は名残惜しげに潤んだ瞳でジッと見つめてくる。
ふと、視線を動かすと周囲を囲むように、全員が辺りを取り巻いていた。メリアンデールは、うれしそうに、ちょいと裾をつかんでいるし、ポルディナはこれは自分のだ、というように背中にしがみついて離れようとしない。
レイシーもヒルダもネリーも、ぐぐっと顔を近づけて真っ直ぐ瞳を逃さないとばかりに見ている。アルテミシアは右手を取ると、自分の両手を重ねて、タレ目がちな眼をしばたかせていた。
ルッジは苦笑しながらも、安堵した表情で眼鏡の弦を持ち上げていた。
唯一、ヴィクトワールだけは、腕を組んでそっぽを向いていたが、チラチラとしきりに、こちらの様子を窺っていた。
帰ってきた、と思う。
だが、まだこの場にいないやつを救わなければならない。
蔵人は、むせ返る女の匂いの中で、軽く咳払いをするといった。
「頼むみんな。俺に力を貸してくれ」
蔵人の願い。一同は、もはや互いのあらゆる感情を越えて、大きくうなずいていた。
蒼の四将。いわずと知れた、バトルシークが頼みとする、股肱の臣である。
彼ら、四人はそれぞれ得意の武器を自由自在に操ると、戦場を駆け回っていた。
四人に与えられた使命は、バスチアンの率いるめぼしい将校を片っ端から平らげる、という豪傑にとってはたやすいものであった。
アンテロは巨大な戦斧、
イグナーツは槍、
ツチラトは弓、
カシュパルは剣を巧みに操って戦場を疾駆していた。
「ニンゲンの軍には我らと戦える者などおらんようだなあっ!!」
「ひゃおう!! もっと、もっと俺たちを楽しませてくれよう!! ひゃは!!」
双剣のカシュパルが、逃げ惑う兵隊に一擊を浴びせたところで、アンドリュー伯の“紅地に金燕”の旗がサッと割れて、三騎の影が前に進み出た。カシュパルは、その影にジッと目を凝らし――そして、さもおかしそうに馬上で笑い転げた。
「こ、こりゃおかしいや! いくら、ニンゲン族がひ弱だといえど、戦場に女を連れ出すなんてよおおっ!!」
三騎に乗った人物、そして馬を引くひとつの影は、全員が女であった。
ヴィクトワール、
ポルディナ、
アルテミシア、
そして主の馬を引くハナ。
総勢四人の淑女は静々としとやかさすら感じさせる様子で、戦場に踏み出したのだった。
「ご主人さまの命により、あなたたちの命をいただきます」
「女と思って侮るのはそちらの勝手。しかし、首が地に落ちてから文句をいうのは筋違いと思いなさい」
「なんで、なんで、私だけこの服なんだ。せめて、バカ。クランドのバカ……」
「あはー、いいじゃないですか。お嬢さま、もう立派なメイド騎士でございますよー」
ヴィクトワールはバルテルミー家に代々伝わる伝説の大名物“十王剣”。
ポルディナは、名工ノワール・スミスが打ち直した、重さ九十斤を超える大薙刀。
アルテミシアは幾多の戦いで危地を切り抜けた愛槍、ホーリーランス。
ハナは、世界最強の格闘技と謳われた、八極拳、を魔改造した異世界版。
「しかも、そのうちのほとんどは騎士でもない、下女? アンテロォ、俺ら舐められちゃってるう? もしかしてェ?」
隻竜王の異名を取るアンテロの瞳が暗く憎悪で塗りつぶされていく。彼にとって戦場は、己を鍛える場所であると共に、聖地であった。人間の兵がなにを考えて、女を戦場に放り出したかはわからない。ただひとつ、この聖域を汚すことは許されない事実であった。
「女ども、冗談でした、ではすまさぬぞ。我らは、手加減はせぬ。塵も残らぬと思えよ」
「えー、そういう固いこというなよなー。ホラ、あの獣人の娘、モロ俺好みなんだよねぇ。手足だけ切り落として、性欲処理に使っていいだろう?」
「ダメだ、残らず殺す!!」
「ちぇー、ケチィ」
アンテロは瞳を激しく怒らせながら、馬を駆って突出した。
その前方を、大薙刀を構えたポルディナがゆっくりと進み出た。
「女ああッ!! 我の前に戯れとはいえ、進み出たことをあの世で後悔しろおおっ!!」
ポルディナは静かに馬腹を蹴って前方に駆け出した。
栗色の髪が、さぁと風にゆれ両手で差し上げた大薙刀の刃が陽光を弾いて鈍く輝きだした。
意識はしていなかった。
ポルディナは、カシュパルと目が合うと、自然に微笑んでいた。黒々とした瞳は深い色をたたえている。わななくようにして、カシュパルが叫んだ。
「アンテロぉおおッ! 避けろおおっ!!」
同時に、ふたつの騎影が重なりを帯びた。
ポルディナは、小枝を払うように九十斤を超える得物を無造作に振り下ろした。
轟、と風が真っ二つに切り裂かれ、大薙刀は異様なうなり声を上げて斜めに走った。
アンテロは目を見開くと、心臓を鷲づかみにされたように一瞬とまどい、極大の戦斧を防御に回した。
きぃんと、思いのほか、涼しげな衝突音が開け切った野天の隅々にまで響き渡った。
雷光もかくや、と思わせる輝きが走った。
ポルディナの一撃はアンテロの脳天から馬までをまとめて両断すると、滝のような血潮を嵐のように周囲へと舞い散らせた。
ふたつの騎影はやがてひとつだけになり、駆け抜けたポルディナは馬首を巧みにひるがえすと、なにごともなかったかのように、仲間の待つ陣営へ戻っていった。
「たった、一撃だと……!?」
カシュパルの隣に佇んでいたイグナーツが槍を構えたまま、端正な顔をゆがませてかすれた声を出した。
蒼の四将で最強を誇る男が、メイド風情の一撃で、見るも無残なまでにものいわぬ屍となり、地に伏している。
「あああああっ!!」
「ま、待て!! ツチラトッ、早まるんじゃないッ!!」
恐怖に駆られた死神の二つ名を持つツチラトが、怯えを押し殺すようにして怒号を上げて馬を駆けさせた。
馬蹄は地響きを立てて、いまや悪夢としか思えない女たちに迫っていく。
はるか遠くの針の穴を通すといわれた弓の腕は、いまや見る影もなく、滅多矢鱈に乱射を行うに過ぎなくなっていた。
しかしながら、息を呑むほどの早業である。
ツチラトは腰の矢袋からまとめて四本の矢を取り出すと、続けざまに発射した。
飛びかう鏃は風に乗って疾風のように走った。
だが、うなりを生じて飛来する矢の影を、輝く流星の動きで捉える光芒があった。
「遅いです」
ハナはお仕着せのスカートを大きく広げながら、馬上で佇む騎士たちをいとも簡単に矢から守ったのだった。
人知を超えた動きを見せた彼女は、迫り来る騎馬をものともせず、泰然とその場でひとつの構えを形作った。
ツチラトはもはや怯えをまるで隠そうとせず、得意の弓を放り捨て、馬で彼女を蹴り殺そうと悲壮に顔を歪めた。
「其れ悪手なり」
ハナは瞳から完全に人間らしい色を打ち消すと、左右の腕を動かした。
はじめに、牽制の突き。
巨大な馬体が大きな拳で殴られたように、べこりと凹んだ。
続けざま、追撃の肘が素早く馬体の凹みに突き刺さった。
衝撃の余波で騎乗していたツチラトの胴体が震えた瞬間、死神の落ち窪んだ眼球はピンポン玉のように弾け飛ぶと、下腹部から胸元がまるで押し握られた紙くずのようにクシャクシャに潰れたのだった。
かつて八極拳のにおける伝説の達人、李書文が得意とした絶招。
猛虎硬爬山。
ツチラトは馬もろとも、身体中の骨という骨を内勁の凄まじいパワーに破壊され、結果として絶命した。
「なるほど、貴殿たちはかなりの達人とお見受けした。我が名は、草原の戦士イグナーツ。いざ、尋常に勝負せよ!!」
神の腕と謳われた達人に、もはや侮りの色はなかった。
彼は、いままでにない厳しい表情で馬を乗り出すと高らかに名乗りを上げた。
「ならば、名乗りに答えて進ぜよう。我こそは、白十字騎士団の騎士にして誓いを神に捧げし下僕なり。我が誇りは、この槍と剣と馬を持って地上に示されん。我が名は、アルテミシア・デュ・ベルクール!! 貴殿を地下に葬り去る者なり!!」
「よき敵なり。さあ、槍を合わせようぞ!!」
「望むところだ!!」
アルテミシアは兜の目庇を下ろすと、聖槍を右腕に抱え込んで上体を傾けた。
騎士の突撃は、穂先の触れ合う一瞬で決まる。
馬腹を蹴って弾丸のように飛び出すと、世界は瞬く間に圧縮され、無音と化した。
指の爪一本にまで神経を集中させ、己を一箇の槍と化す。
恐ろしい速度で移動しているにも関わらず、まるで空気の流れを感じない。
狭まった世界を切り裂くように咆哮を上げた。
互いに凍りつくような殺気をぶつけ合う。
――そして、世界は再び音を立てて、裂け目を生じ、目の前に再構築された。
極まった潮合の中、無心に槍を繰り出した。
呆気にとられたような、無防備な男の瞳が、刹那の瞬間すれ違った。
アルテミシアは確かに肉を喰い破った感触と共に、槍を素早く引き抜いた。
駆け抜けたその先。振り返れば、主を失った馬だけが、勢いを失わず後方へ走り去っていく姿が見えた。
「敵将イグナートはアルテミシア・デュ・ベルクールが討ち取ったり!!」
あまりにも華麗な勝利に敵味方を問わず歓呼の声が湧き上がった。戦場は異常な興奮に包まれ、戦鼓が高らかに打ち鳴らされる。
「う、ううっ……」
「どうしたのですか、お嬢さま?」
勝利に歓喜している味方をよそに、馬上のヴィクトワールが鼻をすすり上げている。
その表情は暗い。
「ううっ。あの位置、私の場所なんだぞっ、本来……。それを、なんで、なんで私は……。しかも、これメイド服だし。本当に、私、バカみたいだ……!!」
「あ、あちゃー。でもでも、格好なんて関係ありませんよ。ここで、お嬢さまが、ばばーん、と素敵に無敵に敵将を討ち取っちゃえば! みんなも、お嬢さまが騎士の中の騎士だと認めざるを得ませんっ。さあ、得意の剣技で、アルテミシアさまを喰っちゃいましょう!!」
「本当に、本当にそう思うのか、ハナ」
「ほんとーの、本当ですよ!」
「本当に?」
「しつけーな」
あまりのうざさにボソッと本音が漏れた。
「え!?」
「あ、いやいやいや! ほらっ、みんなが待ってますよ!! 大トリはエースって決まってますし!!」
「……そうか、そうだな! よしっ、いざ参らんっ!!」
ヴィクトワールがアルテミシアの脇を駆け抜け突出すると、人々のざわめきがピタリと止まる。
あまりにも場違いなほど、美しいメイドであった。
背筋をピンと伸ばし、くちびるも艶やかな美女が可憐にも長剣を携えて胸を張って瞳を輝かせているのだ。
一幅の名画を仰ぐような心持ちで、男たちはうっとりと見目麗しいメイドに視線を集中させる。
これに怒りを露わにしたのは双剣の異名で知られるカシュパルだった。彼は、同僚の四将すべてを打ち取られ、すでに普段の陽気さは微塵もなかった。
「ふざけるなッ。ふざけるなようっ!! ニンゲンんんんっ――!!」
カシュパルは馬にひと鞭くれると、猛然と駆けはじめた。
対するヴィクトワールは左手で顔にかかる黄金色の髪を払うと、家伝の大業物“十王剣”を頭上に振り上げた。
カシュパルの双剣が意志を持った蛇のように、自在に動く。
その早さ、巧みな動きはとても常人に捉えられるものではない。
が、ロムレス王国一の使い手と知られるヴィクトワールからすれば、その剣筋は稚拙の一語に尽きた。
ふたつの騎馬がすれ違う瞬間、十王剣が磨かれた鏡のような刃を白く輝かせ、電光のように刹那の速さできらめいた。
カシュパルの差し上げた双剣は振るうと同時に、刃の半ばから折損し、虚空を舞いながら天に跳ね飛んだ。
人々が馬上に目を転じると、カシュパルの美々しい鎧の胸元へと十字の裂け目が生じていた。革鎧とはいえ、十二分になめしたその強度は並の鎧にも劣らない。
けれども、ヴィクトワールの振るった剣閃の前には、紙細工となんら変わらなかった。
十字の傷跡は、徐々に裂け目を肥大させた。
カシュパルは喉から血反吐をほとばしらせると同時に、胸元の傷口から間欠泉のような血潮と臓物を噴出させ、馬体から崩れ落ちた。
飛び散った血潮は辺りの草むらを真っ赤に彩り、羽を休めていた虫けらたちはいっせいに飛び立った。
「我が剣に、敗北はない!!」
高々と勝鬨を上げる。
冷たい秋風に蜂蜜色の髪を流しながら、美貌のメイド騎士は歓呼の声に包まれ、勝利の感慨に恍惚となった。
同時刻、蔵人率いる別働隊の三百はバトルシークのいる本陣に向かって突き進んでいた。
「偽造魔術。火炎巨大壁!!」
ルッジの魔道書から撃ち出された炎の壁が、立ちふさがる敵兵の群れを焼き尽くし、その隙を狙って兵士たちが穂先を揃えていっせいに突撃を敢行する。
ヴィクトリアが衛士から選び抜いた兵は、一騎当千であり、したたかに戦った。傷ついた兵士たちをヒルダの回復魔術で治療し、メリアンデールが錬金で造った薬品でサポートした。特筆すべきはレイシーであった。
「あたしは、みんなと違って、なにもできないけど、せめて歌で励ますくらいは」
水精霊のハーフであるレイシーの歌声は、静かな音程で兵士たちの耳に染みとおった。奇妙な音律であるが、心のこもった美しい歌声は、耳にするだけで戦士たちの傷口を癒し、戦う活力を取り戻した。
“いやしのうた”。
水の精の化身である母が、レイシーに伝えた口伝の技法はここに至って、軍全体の気力を取り戻したのだった。力を取り戻した兵士たちは一体となって、敵軍の中央へと錐のように揉みこまれ、一筋の穴を開けた。バトルシークの軍は、いまや王弟エルブレドとバスチアンの軍に挟撃される格好となり、厚みは薄皮を剥がすようにして、徐々に削ぎ落とされていった。
「先に行ってください、クランド!!」
自分の身くらいは守れると豪語していたネリーは細身のレイピアを振るって群がる敵兵と刃を合わせていた。彼女の細腕は得物を取っても、歴戦の兵士と互角に切り結べるはずもない。実力以上の力を発揮し、せめて蔵人の言に応えようと必死なのだった。
「すまねぇ!! 俺ァこのままゆく。だから、もう少し気張ってくれ!!」
蔵人は、決死隊の指揮をヴィクトリアの執事であるレオパルドに委譲すると、長剣を担いで、ひとり進撃した。陣屋を突っ切り、群がる兵士を蹴散らし、堡塁を守る守兵をなで斬りにし、柵を蹴倒して広々とした平地に躍り出た。
「ここは……」
陣屋と陣屋の間に、奇妙な空間が開けていた。蔵人は、咄嗟に己が誘いこまれたことに気づくと、地面に身体を投げ出していた。幔幕が左右に分かれて無数の射手が矢をいっせいに放った。耳元にうなりを上げて、矢が飛来する。外套を振り回して、幾つかを叩き落すが、二本が肩をかすめ、激痛に顔をしかめた。
(ああ、なんでこんなときに、ゴロンゾのことを思い出すんだ)
仲間を逃がすために、勇敢に無数の矢に立ちふさがった侠気の盗賊が脳裏に浮かんだ。
古傷のある頬が奇妙に歪む最後の一瞬まで、先ほどのことのように思い出される。
引きしぼられた弓に捕捉され、奇妙なことに強烈な反抗心が湧き上がった。
「おもしれえ、やれるもんならやってみろ!! 俺はそんなもんじゃ死なねえぜ!!」
死が目前に迫っている。敢えて仁王立ちになった。
飛来する鏃の先端まで見えそうな刹那。
流星のように天から飛来する物体が瞳の中に飛び込んできた。
この状況で蔵人に死がおとずれれば、ロムレスの歴史は大きく変わっていただろう。
バトルシークの存在はそれほどまでに、巨大なものであった。
蔵人は飛来する大きな動物の背から伸びた腕に引き上げられると、瞬間的に、地上を離れて、天に舞い上がった。
「――まったく。おまえは、私が目を離すとすぐに死にそうになる」
鷲の頭と翼、獅子の下肢を持つ幻獣を乗りこなす美麗の騎士は、大きな黒々とした瞳をうるませながら、泣きそうにかすれた声でいった。
「シズカ!!」
艶やかな黒髪が動いたかと思うと、女の身体が飛び込んできた。
「あ、あぶなっ!?」
「クランドッ!! クランドッ!!」
シズカは感情を爆発させると、幼児のように声を上げて泣き出した。
胸を打つ、悲哀と喜びに満ちた声は、蔵人の胸を強く打った。彼女は、しがみついたまま鼻を鳴らして、首筋の匂いをふんふん嗅ぎだした。やわらかな双丘がぎゅっと押し付けられる。彼女の乳房は固く尖り、全身は炎が燃えたぎるように熱かった。
ふたりは顔を合わせると、どちらともいえずに唇を合わせた。
どれくらい、そうしていたのだろうか、互いにそっと身体を離した。
「シズカ、本当に助かった」
「まったく、久しぶりだというのに。おまえの命は私のものだといっただろう」
蔵人は感極まって、再びシズカを胸に強く抱き寄せると、眼下の戦場に視線を落とした。
ここまでは、どうあがいても矢は届かない。翼をはためかす、奇妙な手触りを持つ獣の首筋をそっと撫でる。グリフォンは心よさげに、クゥと甘えた声をもらすと、首を傾けた。
「おまえに頼みが――」
シズカは悪戯そうに切れ長の目を和らげると、人差し指を口へ押しつけてきた。
「頼むだなんていうな。夫婦の間で、それは他人行儀というものだろ?」
蔵人は苦笑しながら右手を上げて外套を跳ね上げると手に持った長剣で、ゴマ粒のようになった一点を示した。
「狙うはただひとつ、敵の大将バトルシークの首」
鋭い咆哮と共に、ふたりと一匹は流星のように真っ逆さまに天界の階を駆け下りた。




