第7話 鬼小町の愛は重い
軍鶏鍋事件以来、俺の「英雄ランク」は無駄に上がっていたが、それと比例して別のパラメータも上昇していた。
千葉道場の娘、佐那からの「好感度」である。
いや、好感度というより「執着度」と言ったほうが正しい。
「坂本様。今朝、捨てておられた紙屑……私の名前が練習してありましたわね(※ただの書き損じ)」
「坂本様。昨夜は三回、寝返りを打たれましたね。枕が合わないのでしょうか(※なぜ知っている)」
「坂本様。髪の毛が落ちていました。もらっておきます(※怖い)」
怖い。
距離が近い。
そして目が笑っていない。
(クロフネ、助けてくれ。佐那殿の視線が、物理的な重さを持って俺に突き刺さっちょる!)
『分析結果。彼女の行動は「求愛」のカテゴリに属します。史実データとも合致します』
(史実!?)
『はい。史実において、千葉佐那はあなたに一生想いを寄せ続け、生涯独身を通すことになります』
(ええっ!? 一生!? 重すぎんか!?)
俺は震え上がった。
「鬼小町」の異名を持つ彼女の一途さは、もはや呪いの域に達している。
なんとかして穏便に距離を置かないと、俺の精神が持たない。
「坂本様」
ある日の稽古上がり。
佐那が音もなく背後に立っていた。
手には風呂敷包みを持っている。
「明日、お暇でしょうか? 少し、遠出をいたしませんか」
(これは……デート!?)
俺の色ボケセンサーが反応した。
佐那は美人だ。黙っていれば江戸一番の美少女だ。
そんな子とデート。男として断る理由はない。
(行こう! 行きます! 甘味処でも行って、イチャイチャして、重い話を誤魔化すぜよ!)
『警告。リスクを考慮してください。彼女の戦闘力はあなたを上回っています』
(ええい、黙れ! わしの青春じゃ!)
***
翌日。
俺たちがやってきたのは、品川の海岸だった。
甘味処ではない。
潮風が吹き荒れ、砂埃が舞う、幕府の最重要軍事施設――お台場である。
「……佐那殿? ここは?」
「第三台場ですわ」
佐那はうっとりとした目で、海に浮かぶ人工島を指差した。
そこには、巨大な大砲が黒々とした口を開けて並んでいる。
ドォォォン!
試射の轟音が響き、硝煙の匂いが鼻をつく。
「素敵……」
(素敵!? 大砲が!?)
「ご覧ください、坂本様。あの八〇ポンド砲の仰角。あれでは黒船の甲板を狙うには浅すぎますわ。私なら、あと二度は上げます」
(……この子、何言うてんの?)
佐那は軍事オタクだった。
いや、千葉道場の娘として、国防への意識が高すぎるのだ。
デートの場所が「大砲の前」という時点で、俺の甘い期待は粉砕された。
「坂本様なら、どう攻めますか? あそこの死角から小舟で接近し、火薬庫を爆破しますか?」
佐那がキラキラした目で問いかけてくる。
俺は爆破なんてしたくない。
団子を食って、手を繋ぎたいだけだ。
(クロフネ! なんとかしろ! 会話が噛み合わん!)
『会話補助モード起動。適当な軍事用語を並べて相槌を打ちます』
「……うむ。左翼の防備が薄いな。俺ならあそこを突く」
俺の口が勝手に動く。
「!!」
「やはり……! 坂本様もそう思われますか!」
佐那がガシッと俺の腕に抱きついた。
柔らかい感触。
だが、その腕力は万力のように強い。骨が軋む音がする。
「嬉しい……。普通の殿方は、私の話を『物騒だ』『女だてらに』と嫌がるのです。でも、坂本様だけは、私と同じ景色を見てくださるのですね」
(いや、見てない。わしが見てるのは、早く帰りたいという願望だけじゃ)
「坂本様……」
佐那が潤んだ瞳で見つめてくる。
夕日が、彼女の横顔を赤く染めていた。
背景が大砲でなければ、最高のロマンスだっただろう。
「私、決めました」
佐那が懐から、何かを取り出した。
ギラリと光るもの。
短刀だ。
なんでデートに短刀を持ってくるんだ。
「私の小袖の片袖です。……受け取ってください」
彼女はためらいなく、自分の美しい振袖の片方を切り落とし、俺に差し出した。
これは、武家の娘にとっての「婚約」の証。
断れば、家名の恥。
(ひいぃッ! 重い! 物理的にも精神的にも重い!)
『緊急シミュレーション実行』
『選択肢A:拒否する → 生存確率5%(その短刀があなたの腹に刺さります)』
『選択肢B:受け取る → 生存確率90%(ただし将来的な修羅場リスクあり)』
(選択肢がない! Bじゃ! Bしかない!)
俺は震える手で、切り取られた片袖を受け取った。
「……大事にするぜよ」
「はい……! お待ちしております。あなたが日本を洗濯し、戻って来られる日を!」
佐那は満面の笑みを浮かべた。
その背後で、ドォォォン! と大砲が空気を引き裂いた。
俺の江戸の恋は、火薬の匂いと殺気まみれで、逃げ場のない「契約」として成立してしまった。
お読みいただきありがとうございます。
坂本龍馬、今回も無事に英雄扱いされてしまいました。
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