第34話 寺田屋事変勃発! 強制オートエイムで地獄のガンマン
慶応二年、正月。
伏見・寺田屋の二階、梅の間。
障子がけたたましい音を立てて砕け散り、木枠の破片が宙を舞った。
「御用だ!! 坂本龍馬、神妙に縄に就け!!」
踏み込んできたのは、黒装束に身を包んだ伏見奉行所の捕吏たちだ。
狭い部屋の中に、殺気を孕んだ槍の穂先と、ギラギラと光る十手が乱舞する。
その数、目視できるだけでも十人。背後の階段にはさらに数十人が控えているはずだ。
対する俺、坂本龍馬は、恐怖で完全に腰が抜けかけていた。
だが、脳内のAI「クロフネ」がそれを許さない。背骨に走る高圧電流が、俺の身体を強制的に仁王立ちさせ、右手に握った米国製の最新式拳銃「スミス&ウェッソン」を真っ直ぐに構えさせた。
『戦闘・照準補正モード、起動。室内における複数ターゲットの制圧ルートを計算。……最適化完了』
カチリ。
俺の親指が、人間の反射速度を超えたスピードで撃鉄を起こす。
(待てクロフネ! 撃つな! 人殺しになったら、わしは一生お尋ね者じゃ!)
『警告。現在、あなたの生存確率を最大化する手段は、発砲以外に存在しません』
ダァァンッ!!
凄まじい爆発音が、狭い部屋の空気を震わせた。
オレンジ色の閃光が走り、鼓膜が破れんばかりの轟音が響く。
「ぎゃあっ!?」
先頭で槍を突き出そうとしていた捕吏が、右肩を撃ち抜かれて吹っ飛んだ。
一切の迷いがない、完璧な射撃。
俺は心の中で「ひいいぃぃ! 撃っちゃった! 痛そう! ごめんなさい!」と土下座して泣き叫んでいた。
だが、俺の顔の筋肉はAIによって完全にロックされており、外から見れば「微動だにせず敵を撃ち抜く、氷のように冷酷なガンマン」の表情に固定されていた。
「ひ、ひるむな! 異国の短筒だ! 弾は六発しかねえ! 一気に押し込め!」
指揮官らしき男が怒鳴り、三人の役人が同時に斬りかかってくる。
「大将! 危ねぇ!」
背後で陸奥宗光が刀を抜き、応戦しようと前に出る。
だが、俺(AI)の動きは、陸奥の援護すら必要としなかった。
『ターゲット、三人。弾薬節約のため、非致死領域への精密射撃を実行します』
俺の右手が、残像を残すほどの滑らかさで動き、連続して火を吹いた。
ダァン! ダァン!
「ぐあっ!」
「うおっ!?」
二人の役人の太ももと、刀を握る手首を正確に撃ち抜く。
殺しはしない。だが、確実に戦闘能力だけを奪い取る、悪魔的な精密射撃だ。
そして三人目。
至近距離まで迫った役人が、裂帛の気合いとともに刀を脳天へ振り下ろしてきた。
『左腕、防御態勢へ移行』
俺の左手が、傍らにあった愛刀「吉行」を、鞘に入った状態のまま下からかち上げた。
ガキンッ!!
吉行の硬い木鞘が、振り下ろされた白刃を完璧な角度で受け止める。
そして、鍔迫り合いになったまま、俺の右手の銃口が、役人の鼻先にピタリと突きつけられた。
銃口からは、まだチリチリと硝煙が立ち上っている。
「……動くな。次は眉間じゃ」
俺の口から、地獄の底から響くような重低音の脅迫が漏れた。
「ひっ……!」
鼻先に銃口を突きつけられた役人は、あまりの恐怖に白目を剥き、カチャリと刀を落として腰から崩れ落ちた。
静寂。
火薬の強烈な匂いと白い煙が漂う部屋の中で、伏見奉行所の役人たちが完全に凍りついていた。
無理もない。
瞬き一つせず、感情の読めない冷たい目で、全く無駄のない動きで次々と仲間を無力化していく男。
それが、天下を裏で操る大悪党「坂本龍馬」の真の姿なのだと、彼らは戦慄していた。
(こ、怖いよぉぉぉ! 手が震えるぅぅ! 火薬の匂いでむせそう!)
俺の魂は、恐怖と混乱で泣き叫んでいた。
銃を撃つ反動で手首がジンジンと痛いし、煙で目がショボショボする。
だが、AIは俺の涙腺さえもコントロールし、一滴の涙も流させない。
(ひええ、床が血だらけじゃ! ヌルヌルして滑りそう! 陸奥くん、転ばんように気をつけてね!)
俺が心の中で必死に注意喚起をした瞬間、AIの翻訳機能が作動した。
「……陸奥」
俺(AI)が、短く声をかける。
「へ、へい!」
陸奥もまた、俺の人間離れした動きに圧倒され、少し顔を引きつらせていた。
「血で畳が滑る。足元に気をつけろ。……ここから一気に突破するぜよ」
渋すぎる。
ただのビビリの注意喚起が、百戦錬磨の老練な戦士のセリフに変換されてしまった。
「大将……! あんたって人は、こんな修羅場でも底なしに冷静だ!」
陸奥が感動で打ち震えている。違う、俺はただ転ぶのが怖いだけだ。
『弾薬残量、二発。これより一階への突破フェーズへ移行します。衝撃に備えてください』
(衝撃!? ちょっと待て!)
俺の身体が、弾かれたように部屋を飛び出した。
廊下から階段にかけては、まだ十人以上の役人がひしめいている。
俺(AI)は、躊躇なくそのど真ん中へ飛び込んだ。
ダァン!!
威嚇の一発を天井に向けて放ち、怯んだ隙を突いて、左手の吉行(鞘付き)で役人の鳩尾を強打する。
ボキッ、という嫌な音がして、役人が階段を転げ落ちていく。
「どけェェェ!!」
陸奥も背後から刀を振り回し、血路を開いていく。
いける。このまま一階へ下りて、裏口から外へ逃げられる!
そう思った瞬間だった。
『警告。右後方、死角からの攻撃を検知』
階段の踊り場。提灯の光が届かない真っ暗な物陰から、一人の役人が無音で槍を突き出してきた。
AIの反応は完璧だった。俺の身体は即座に捻られ、心臓を貫くはずだった致命傷を避ける。
しかし、狭い階段での無理な回避は、ほんのわずかな「誤差」を生んだ。
ザシュッ!!
「――あぎゃあああああっ!?」
凄まじい激痛が、俺の右手を走った。
槍の刃が、俺の右手の親指の付け根から手首にかけてを深く切り裂いたのだ。
ドクン、と熱い血が噴き出す。
拳銃が、カラン、と虚しい音を立てて階段を転がり落ちていった。
『ダメージ検知。右手筋繊維および血管の深刻な損傷。戦闘能力が85%低下しました』
(痛い痛い痛い痛いィィィ!! 手がぁぁぁ! 斬られたぁぁぁ!)
あまりの痛みに、俺の目からついにボロボロと本物の涙が溢れ出した。
AIの感情抑制すら追いつかない、生物としての純粋な痛覚の悲鳴。
「大将! 手が!」
陸奥が悲痛な声を上げる。
「短筒を落としたぞ! 奴は手負いだ! 殺せェ!」
役人たちが、息を吹き返したように群がってくる。
俺は血まみれの右手を押さえながら、階段の隅にうずくまった。無敵のガンマンから一転、ただの痛がりの小市民に戻ってしまった俺。
(もうダメじゃ! 痛い! 死ぬ! 死にたくないィィ!)
迫り来る無数の白刃。
絶体絶命のその時、俺の脳内でAIが、今までで一番冷酷なアラートを鳴らした。
『生存ルート再計算。痛覚を強制遮断します。……これより、強行離脱を実行します』
ブツン、と。
俺の右手の痛みが、嘘のように消え去った。
いや、治ったわけではない。脳に伝わる痛みの信号だけを、AIが無理やり切断したのだ。
「あ、あれ……?」
俺の身体が、俺の意思を完全に無視して、血まみれのままバネのように跳ね起きた。
そして、眼の前に迫っていた役人の顔面を、怪我をした右手の拳で全力で殴り飛ばす。
バキィッ! という音がして、傷口からさらに血が噴き出すが、痛みは全くない。
『目標:寺田屋外部。全力で疾走します』
俺の足は、悲鳴を上げる筋肉を無視して、残りの階段を一気に跳び下りた。
地獄の逃走劇が、幕を開けようとしていた。




