第30話 奇跡の密輸艦隊と、京都への片道切符
慶応元年、冬の初め。
玄界灘の冷たい潮風が、蒸気船の煙突から吐き出される煤の匂いと混ざり合う。
波を切り裂いて進むのは、英国商人グラバーから買い付けた黒塗りの蒸気船「ユニオン号」だった。
船倉には、薩摩名義で買った最新式のミニエー銃が数千丁、ぎっしりと積まれている。向かう先は、幕府の監視の目をかいくぐった長州藩の隠し港だ。
(……本当に、やり遂げてしもうた)
甲板に立つ俺、坂本龍馬は、凍える手に息を吹きかけながら、暗い海を見つめていた。
薩摩の西郷吉之助から引き出した七万両。長州の桂小五郎との密約。
AIに操られて吐いたハッタリが、奇跡的な偶然と誤解を生み、決して交わるはずのなかった二つの大藩を裏で繋いでしまったのだ。
◇
数日後。長崎・亀山社中の屋敷。
ジャラッ、ドササッ!
畳の上に、眩いばかりの黄金の山が築かれていく。
「大将! やりましたぜ! 長州からの代金、確かに受け取りました!」
陸奥宗光が、興奮で声を裏返しながら小判の束を積み上げていく。
その額、実に数万両。武器の仲介手数料と運搬の駄賃を合わせれば、亀山社中には一生遊んで暮らせるほどの莫大な利益が転がり込んでいた。
「……夢じゃなかろうか」
俺は、震える手で小判を一枚持ち上げた。
冷たくて、ずっしりと重い。本物の金だ。
「社長! あんたって人は本物の天才だ! 薩摩と長州を裏で繋いで、幕府の目を盗んで大金を手にするなんて!」
「一生ついていきます! 大将!」
社員の浪人たちが、涙を流して俺を拝んでいる。
俺も泣いていた。恐怖からではない。ついに手に入れた「圧倒的な安全と富」に対する、歓喜の涙だった。
「……おまんら、よう頑張ったのう」
俺は小判の山を胸に抱きしめ、頬ずりをした。
硬い金属の感触が、たまらなく愛おしい。
「これで、わしらの危険な戦いは終わりじゃ。この金でカステラ工場を建てよう。毎日甘いもんを食って、昼寝して、平和に暮らすんじゃ……!」
俺のニート生活の夢が、ついに叶った瞬間だった。
だが。
『ミッション・クリア。武器調達による「薩長」間の物理的接点の構築が完了しました』
脳内で、忌まわしいAI「クロフネ」のアラートが鳴り響いた。
(なんじゃクロフネ! 今日くらい静かにしちょれ! わしは今からカステラのカタログを見るんじゃ!)
『否定。現在の状況は、単なる「兵器の横流し」に過ぎません。幕府を倒し、新しい国家体制を構築するには、両藩の正式な軍事同盟が必要です』
(知るか! 同盟なんかおまんらで勝手に結べ!)
『対象地点:京都。これより「薩長同盟締結」フェーズへ強制移行します』
バチリ。
「あぐっ!?」
背骨に強烈な電流が走り、俺の身体がバネ仕掛けのように跳ね起きた。
抱きしめていた小判が、チャリンと音を立てて畳にこぼれ落ちる。
「大将? どうしました?」
陸奥が不思議そうに見上げる中、俺の足が勝手に動き、部屋の隅に置いてあった道中合羽を乱暴に掴み取った。
「……カステラなんかで、満足できるか」
俺の口から、吐き捨てるような低い声が出た。
(満足できる! 大満足じゃ! 座らせろ!)
「大将……?」
「金は手に入った。次は『国』を手に入れるぜよ」
AIが俺の右手を操り、北の空――京都の方角をビシッと指差した。
「わしは京へ上る。薩摩と長州の首根っこを掴んで、一つに結びつけてやるきに」
静寂。
そして、陸奥たち社員が、弾かれたように立ち上がった。
「……くぅぅっ! 痺れる! あんたって人は、どこまで強欲なんだ!」
「ただの金儲けじゃ終わらねぇ! 国を盗むまで止まらねぇってことですね!」
「行ってらっしゃいませ、社長! 長崎は俺たちが守ります!」
違う! 俺はお前らと一緒にここでカステラを焼きたいんだ!
俺の心の絶叫は、狂喜乱舞する浪人たちの万歳三唱にかき消された。
俺の足は、無慈悲なAIの制御によって、出口へと向かってスタスタと歩き出している。
『ナビゲーション開始。目的地:京都、伏見。宿泊予約データベース照合……定宿「寺田屋」に設定しました』
寺田屋。
その名前を聞いた瞬間、俺の背筋に嫌な悪寒が走った。
確かそこは、薩摩藩の過激派が殺し合いをした、いわくつきの血生臭い宿じゃなかったか。なぜそんな物騒な場所に泊まるのか。
長崎の青い空が、急に薄暗く見えた。
安全圏から一転、俺は再び、血と陰謀が渦巻く日本の中心地へと強制連行されていく。懐に莫大な金を持ち、幕府から命を狙われる「死の商人」という、最悪の肩書きを背負わされて。
俺の平穏な日々は、またしても幻と消えたのだった。




