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強制英雄伝 坂本龍馬 史実通りに動かないと電流が流れるので、ビビリの俺が泣く泣く維新の英雄を演じるハメになったぜよ  作者: 守川 聡史


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25/42

第25話 はじめての起業と、地獄の密貿易

 慶応元年、夏。

 長崎の亀山には、ねっとりとした海風が吹き込んでいた。


 じりじりと照りつける太陽。遠くで鳴り響く蝉の声。

 そして、鼻腔をくすぐる、甘く焦げた砂糖の匂い。

 亀山地区の高台にある古びた屋敷の縁側で、俺、坂本龍馬は、焼き立てのカステラを頬張っていた。


「……美味い。甘いもんは、本当に心を平和にするのう」


 俺は熱い茶をすすり、ふう、と息を吐いた。

 勝海舟先生が江戸へ去り、神戸海軍操練所が閉鎖されてから数ヶ月。

 行き場を失った浪人たちを押し付けられた俺は、逃げるようにこの長崎へと流れ着いた。幕府の目も届きにくい、異国情緒あふれる港町だ。

 そこで俺たちは、日本初の株式会社「亀山社中」を立ち上げた。

 社員は、神戸からついてきた数十名の荒くれ浪人たちである。


 パチ、パチパチ。

 屋敷の奥から、不器用な算盤そろばんの音が聞こえてくる。

 覗き込むと、かつては「人斬り」と恐れられたような強面こわもての男たちが、額に青筋を立てながら帳簿と睨み合っていた。


「おい、ここの計算が合わねぇぞ! カステラの材料費と、売上が逆転してやがる!」

「知るか! 俺は刀の振り方は知ってても、そろばんの弾き方なんか習ってねぇんだよ!」


 怒号が飛び交うが、刀は抜かれない。平和な証拠だ。

 商売は上手くいっていないようだが、それでも命の危険はない。幕府の役人に追われることも、暗殺の恐怖に怯えることもない。

 俺の望んでいた「働かない(働いても死なない)生活」が、ついに手に入ったのだ。


「……社長。報告がありますぜ」


 背後から、低い声がした。

 陸奥宗光だ。彼は分厚い帳簿を小脇に抱え、呆れたような顔で俺を見下ろしていた。


「ご苦労じゃった、陸奥くん。で、今月の儲けはどうじゃ? カステラと、伊万里焼の転売の調子は」

「最悪です。全員の飯代と、この屋敷の家賃を引いたら、利益は完全にゼロ。いや、むしろ赤字です」


 陸奥が帳簿を畳に放り投げた。バサッ、と重い音がする。


「無理もねぇでしょう。顔に刀傷のある男が『いらっしゃいませ』なんて凄んだところで、カステラなんか売れるわけがない。町娘が悲鳴を上げて逃げていきますよ。このままじゃ、来月には全員で首を吊ることになりますぜ」


 陸奥は深刻な顔をしている。

 だが、俺は焦っていなかった。手元のカステラの欠片を口に放り込み、のんびりと答える。


「ええんじゃ。商売いうもんは、最初は赤字が当たり前ぜよ。細く長く、命を大事に生きるのがわしらの社訓じゃき。売れ残ったカステラは、わしらが食えば腹も膨れるろう」

「あんたって人は……どこまでおめでたいんだか」


 陸奥が深いため息をついた。

 そう、おめでたくて結構。英雄だの、日本の夜明けだの、そんな疲れることはもう御免だ。俺はここで、甘い菓子をかじりながら余生を過ごす。

 俺が再び茶呑み茶碗に手を伸ばした、その時だった。


『警告。現在の収益モデルによる組織維持確率は、2%未満です』


 脳内で、AI「クロフネ」の無機質な声が響いた。


(うるさい! わしはカステラ屋の社長として生きていくんじゃ! 命の危険がないのが一番じゃろうが!)

『却下。当システムは、あなたを「維新の英雄」とするための最適ルートを再計算しました。菓子販売による歴史的影響度はゼロです。これより、新規事業へ参入します』

(新規事業? なんじゃそら。カステラの新しい味か?)


 次の瞬間。


 バチリ。


「あぐっ!?」


 背骨の芯に、焼けた鉄串を突き刺されたような激痛が走った。

 俺の身体はビクンと跳ね上がり、茶碗を取り落とす。ガシャン、と陶器が割れる音が響いた。


「社長? どうしました?」

 陸奥が怪訝けげんな顔をした。


 俺の足が、俺の意思を完全に無視して動き出す。

 ズン、ズンと、畳を踏み鳴らしながら部屋の奥へ。壁に貼られた、巨大な日本地図の前でピタリと止まった。

 そして、俺の右手がスッと上がり、地図上のある一点を力強く指差す。


「……カステラは、もうええ」


 俺の喉から、腹の底を這うような重低音のオクターブが出た。AIによる強制発声だ。

 帳簿と格闘していた浪人たちが、一斉に顔を上げる。


「ちまちました小銭稼ぎは終わりじゃ。わしらはこれから、一番儲かるもんを売るぜよ」

「一番儲かるもの? 何ですか、そりゃ」


 陸奥がいぶかしげに尋ねる。

 俺の指先が示している場所。そこは、幕府から「朝敵」として討伐の対象となっている危険地帯。

 長州藩だった。


『プレゼンテーション・モード起動。取扱商品を提示します。目標:薩長同盟への布石』

(やめろ! 言うな! それ以上言うたら、わしらは死刑じゃ!)


 俺の魂の叫びは、冷酷なAIのプログラムによって遮断された。

 俺の口が、はっきりと、恐るべき言葉を紡ぎ出す。


「――銃じゃ。異国から最新式のミニエー銃と蒸気船を仕入れ、長州に流す」


 静寂。

 屋敷の空気が、完全に凍りついた。

 外で鳴いていた蝉の声すら、ピタリと止んだように感じられた。

 密貿易。しかも相手は、幕府の最大の敵である長州藩。

 もしそれが露見すれば、社長である俺はもちろん、ここにいる社員全員が間違いなく斬首、あるいははりつけの刑だ。


「な、何を言ってるんですか大将……! それは完全に、幕府への反逆だ……!」

 あの陸奥でさえ、顔面を蒼白にして震えている。無理もない。ただの浪人が手を出していい領域を完全に超えている。


(そうじゃ陸奥! 止めてくれ! 社長は今、機械に操られて狂っとるんじゃ!)

 俺は眼球だけを動かし、必死にSOSのサインを送った。


 しかし、AIは俺の顔の筋肉を操作し、口角をニヤリと吊り上げた。

 恐怖を押し殺した「不敵な笑み」が完成する。

 そして、ダメ押しの一言を放った。


「反逆? 違うのう。……これは、新しい国を創るための『投資』ぜよ」


 シーン。

 重苦しい沈黙が、三秒続いた。

 やがて。


「……クハッ、ハハハハハ!!」


 陸奥が、腹を抱えて笑い出した。その目は、恐怖を通り越し、狂気と歓喜に満ちている。


「カステラ屋の次は、死の商人ってわけですか! 幕府の目を盗んで、朝敵に武器を流す……最高だ! あんたって人は、どこまで底知れねぇんだ!」

「一生ついていきます、社長!!」

「長州に恩を売って、この腐った幕府をぶっ壊してやりましょうぜ!!」


 社員たちが、怒号のような歓声を上げた。

 違う。違うんだ。

 俺はただ、カステラを売って、平和に長生きしたかっただけなんだ。


『事業計画、社員の同意を獲得。これより「武器調達および長州との接触」フェーズへ移行します』

(勝手にフェーズを進めるなァァァ!! わしは死にたくないんじゃああ!!)


 長崎の夏の空に、俺の心の絶叫が虚しく響き渡る。

 安全圏だと思っていた株式会社は、立ち上げてわずか数ヶ月で、日本一危険なテロ支援組織へと変貌してしまった。

 俺は震える手で、地図上の「長州」の文字をなぞらされたまま、己の不運を呪うしかなかった。


 そして数日後。

 長崎には珍しい、冷たい雨が降る夜のこと。

 亀山社中の薄暗い玄関に、最初の「ヤバい客」が姿を現すことになる。

 笠を深く被り、鋭い殺気を纏ったその男は、長州の狂犬と恐れられる男――桂小五郎、その人であった。



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