第24話 さらば師匠、そして無職(ニート)へ
元治元年、秋。
神戸海軍操練所には、寒々しい風が吹き抜けていた。
ドカッ、バキッ。
乾いた音が響く。夢の跡だ。
俺たちが血と汗と、AIによる強制労働で作り上げた校舎が、幕府の役人たちによって解体されていく。
「……終わったな」
俺、坂本龍馬は、浜辺の松に寄りかかり、その光景を眺めていた。
隣には、師匠である勝海舟先生が立っている。
「すまねぇ、坂本。俺の力が足りなかった」
勝先生の声は、いつになく沈んでいた。
無理もない。幕府海軍を強くし、日本を守るという彼の悲願は、危険思想の温床(おもに俺のせい)と見なされ、完全に潰されたのだ。
「先生……」
俺は眉を寄せ、悲痛な表情を作った。
だが、俺の心臓は、悲しみとは別のリズムで高鳴っていた。
(……きた。ついにきた!)
(学校閉鎖! 部活停止! そして先生は江戸へ転勤!)
つまり、俺は自由だ。
毎朝四時の起床ラッパもない。マスト登りの訓練もない。幕府への言い訳に胃を痛めることもない。
明日からは、昼まで寝て、腹が減ったら団子を食い、夜は酒を飲んで寝る。
完璧な「無職ライフ」が待っている。
俺がニヤけそうになる口元を必死に引き締めていると、勝先生がズイと顔を近づけてきた。
「坂本。俺は江戸へ戻り、謹慎処分を受けるだろう」
「はっ。ご無事で」
「だが、ここにいる連中は連れて行けねぇ」
勝先生の視線の先には、行き場を失った塾生たちがいた。
陸奥宗光をはじめ、脱藩して国に帰れない者、あぶれ者、喧嘩自慢。
彼らは解体作業を見つめながら、殺気立った目で拳を握りしめている。
「あいつらを野に放てば、幕府を恨んで暴れ回るだろう。テロリストの集団になっちまう」
「……でしょうなぁ(他人事)」
「だから、頼んだぞ」
ん?
勝先生が、俺の肩をガシッと掴んだ。
万力のような力だった。
「俺の代わりに、あいつらの手綱を握れ。お前ならできる。あいつらは、俺よりもお前に懐いているからな」
俺は戦慄した。
懐いているのではない。俺がAIの力でボコボコにして、恐怖で支配しただけだ。
俺は即座に首を横に振ろうとした。
無理です。勘弁してください。俺は明日からコタツの守り神になる予定なんです。
「先生、私ごときには荷が重――」
『契約承認。業務引継ぎプロセスを開始します』
俺の意思とは裏腹に、口が勝手に動いた。
「――御意。先生の蒔いた種は、私が花を咲かせましょう」
勝先生が、目を見開いた。
そして、ニカっと快活に笑った。
「そう言うと思ったぜ! やっぱお前は大した男だ。幕府も藩も超えて、日本を洗濯するのはお前かもしれねぇな」
違う。俺が洗濯したいのは、自分の褌だけだ。
「じゃあな、坂本! 死ぬなよ!」
勝先生は豪快に手を振り、江戸行きの船に乗り込んでいった。
俺は直立不動のまま(AIに固定され)、その船が見えなくなるまで見送らされた。
◇
船が水平線の彼方に消えた瞬間。
AIのロックが外れた。
俺はその場に、ガクリと膝をついた。
「……終わった」
俺の口から、魂が抜けるような溜息が漏れた。
絶望だ。
なんで俺が、あんな猛獣どもの飼育係をやらなきゃいけんのだ。金もない、家もない、あるのは「元・反社」みたいな経歴の部下だけ。
俺が砂浜に手をついてうなだれていると、背後でジャリ、ジャリ、と足音がした。
一人ではない。十人、二十人……いや、五十人近い。
「……塾頭」
陸奥宗光の声だ。
俺は恐る恐る振り返った。
そこには、地獄の軍団が立っていた。
解体作業を放り出し、刀を佩き、荷物を背負った男たち。
その目は一様に、異様な熱を帯びて俺を見下ろしている。
「おい、見ろよ……」
「塾頭が、泣いてるぞ」
泣いてない。絶望で涙目になっているだけだ。
だが、陸奥は感極まったように頷いた。
「師匠との別れを惜しみ、それでも残された俺たちのために涙を呑んで立ち上がる……。なんて男だ」
「一生ついていきます! 大将!」
「俺たちに命令を! 次はどこを襲撃しますか!」
襲撃しない!
俺はよろよろと立ち上がり、彼らに向かって手を振った。
「解散じゃ。みんな、達者で暮らせよ。わしは実家に帰って寝る」
そう言い捨てて、歩き出そうとした。
だが、誰も動かない。
むしろ、ジリジリと距離を詰めてくる。
「大将。ご冗談を」
陸奥が、スッと前に出て俺の進路を塞いだ。その目は笑っていなかった。
「俺たちは脱藩者だ。国には帰れねぇ。幕府にも睨まれてる。……今さら『解散』なんて言われても、野垂れ死ぬか、盗賊になるしかねぇんですよ」
「そ、それは困るのう」
「だから、あんたが食わせるんだ」
理不尽!
完全なる脅迫だ。
俺が「知らん!」と叫んで逃げようとした、その時。
『状況分析完了。警告、この集団の放置は極めて危険です』
AIが冷静に割り込んできた。
『彼らは高度な軍事訓練を受けており、かつ飢えています。制御を失えば、西日本一帯の治安が悪化。あなたの生存率も著しく低下します』
(じゃあどうしろって言うんじゃ! 金なんかないぞ!)
『提案。彼らを「資産」として運用する、新規ビジネスモデルを構築します』
ビジネス?
AIが、俺の脳内に一枚の図面を投影した。
『あなたの身分は現在「無職」。彼らも「無職」。失うものはありません』
『よって、彼らを社員とする「営利組織」を立ち上げます。目的は貿易、物資輸送、そして軍事力の提供』
(……は?)
AIが俺の身体を反転させ、浪人たちに向き直らせた。
そして、俺の右手を高々と掲げさせた。
「……おまんら。死ぬ気で働く気はあるか」
俺の口から、低い、響く声が出る。
「幕府も藩も関係ない。わしらは海の上で生きる。日本初の『商社』をやるぜよ」
商社。
聞き慣れない言葉に、浪人たちが顔を見合わせた。
AIが畳み掛ける。
「刀を捨てろとは言わん。だが、これからは刀ではなく、算盤と蒸気船で戦う時代じゃ。……わしと一緒に、世界を相手に喧嘩を売ってみんか?」
一瞬の静寂。
そして――。
「……面白れぇ」
陸奥が、口の端を吊り上げた。
「侍が商売だと? 常識外れもいいとこだ。だが、あんたらしい」
「やりましょう大将! 海賊みてぇで最高だ!」
「ついて行きます! 地獄の果てまで!」
ドッ、と歓声が上がった。
男たちの目が、希望と野心に燃え上がる。
その中心で、俺だけが冷や汗を流していた。
こうして、俺の「ニート計画」は、わずか数分で藻屑と消えた。
行き先は長崎、亀山。
結成されるのは、日本初の株式会社「亀山社中」。
その実態は、AIに管理された、365日24時間労働のブラック企業である。
(……帰りてぇ。マジで帰りてぇ)
俺の心の叫びは、熱狂的な「社歌」にかき消され、誰にも届かなかった。
AIは既に、次なるミッション――薩摩と長州を結びつける『薩長同盟』という、特大の爆弾プロジェクトをロードし始めていた。




