第22話 地獄の操練所と、AI鬼教官
神戸海軍操練所。
そこは、日本の未来を切り開くための学び舎である――はずだった。
「……動物園か、ここは」
俺、坂本龍馬は、建設中の宿舎の柱に隠れて呟いた。
目の前には、全国から集まった「海の男」志望者たちがたむろしている。
だが、その実態は酷いものだった。
「あぁん? 薩摩の芋侍が、デカい顔してんじゃねぇぞ!」
「なんじゃとコラ! 長州の腰抜けが!」
喧嘩、博打、昼寝。
脱藩浪人、あぶれ者、喧嘩自慢。
共通しているのは「全員、目が血走っている」ことと、「全員、刀を持っている」ことだ。
学級崩壊どころではない。ここは治安の崩壊したスラム街だ。
「……帰ろう。わしには無理じゃ。こんな猛獣どもをまとめるなんて、死んでも嫌じゃ」
俺がそっと後ずさりし、荷物をまとめようとした時だった。
『警告。組織の崩壊係数が閾値を超えました』
脳内で、AI「クロフネ」が冷たく告げた。
「知るか! 勝先生がなんとかするろう!」
『勝海舟は現在、江戸での政治工作で不在です。現場責任者はあなたです、塾頭』
「誰が塾頭じゃ! 勝手に役職をつけるな!」
その時、一人の若者が俺の前に立ちはだかった。
目つきが鋭く、剃刀のような危うさを纏った男だ。陸奥陽之助。後の陸奥宗光である。
「……あんたが坂本さんか」
陸奥は、俺を値踏みするように上から下まで眺めた。
「勝先生の右腕だと聞いていたが、なんだ、ただの昼行灯じゃないか。こんな締まりのない顔をした男に、俺たちが従えるわけがない」
周囲の浪人たちがドッと笑った。
「そうだそうだ! 実力を見せろ!」
「俺と勝負しろ!」
殺気が膨れ上がる。
俺は「ひっ」と悲鳴を上げそうになった。
ごめんなさい。従わなくていいです。むしろ俺がパシリになります。
そう言って土下座しようとした、その瞬間。
『リーダーシップ・モジュール起動。モード:鬼軍曹』
バチリ。
「あぐっ!?」
背筋に電流が走り、俺の姿勢が強制的に矯正された。
猫背が伸び、胸が張られ、顎がふてぶてしく上がる。
「……おい」
俺の口から、地獄の底から響くような低い声が出た。
浪人たちの笑い声がピタリと止む。
「誰が、喋っていいと言った?」
AIが俺の眼球を制御し、陸奥を睨みつけた。
ただの睨みではない。瞬きを完全に禁止し、瞳孔をカッと開いた、人間離れした凝視(ガン見)だ。
(やめろクロフネ! 目が乾く! 陸奥くんが引いてるじゃないか!)
『威圧効果を確認。このまま精神的優位を確立します』
陸奥がたじろいだ。
「な、なんだその目は……」
「貴様らの仕事はなんだ。喧嘩か? 無駄口か?」
俺の身体が、勝手に陸奥へ歩み寄る。
陸奥が反射的に刀の柄に手をかけた。
「寄るな! 斬るぞ!」
斬られる! 逃げろ俺!
だが、AIは止まらない。
陸奥が刀を抜きかけた、その刹那。
『戦闘予測:右袈裟斬り。回避行動、開始』
俺の身体が、紙一重でスッと左に動いた。
陸奥の刀が空を切る。
俺(AI)は、そのまま流れるような動作で陸奥の懐に入り込み――。
バチンッ!!
強烈な平手打ちが、陸奥の頬に炸裂した。
「ぐはっ!?」
「遅い」
俺は冷酷に言い放った。
陸奥が地面に転がる。
静寂。
あの「剃刀」陸奥が一撃でのされたことに、全員が凍りついた。
(わあぁぁぁ! 叩いた! 叩いちゃった! あとで絶対恨まれる!)
『追撃します。恐怖を骨髄に刻みなさい』
(もう許してやってぇぇ!)
AIは俺の首をゆっくりと巡らせ、周囲の浪人たちを見渡した。
獲物を探す捕食者の目だ。
「……次はどいつじゃ。遊びたい奴から前に出ろ。全員、海の藻屑にしてやる」
シーン。
誰も動かない。
先ほどまでの殺気は消え失せ、代わりに濃厚な「恐怖」が場を支配していた。
一人の浪人が、震える声で言った。
「……す、すまねぇ。俺たちが悪かった」
「塾頭……いや、親分! 一生ついていきます!」
は?
陸奥も、腫れ上がった頬を押さえながら立ち上がり、悔しげに、しかし熱っぽい目で見つめてきた。
「……この俺が、反応すらできなかった。坂本龍馬、底が知れない男だ」
違う。反応できなかったのは俺も同じだ。
『組織統率、完了。業務に戻ります』
AIが満足げにログを吐き、身体の自由を返してきた。
俺はその場にへたり込みたい衝動を必死にこらえた。今ここで膝をついたら、こいつらはまた襲ってくるかもしれない。
「……分かったら、さっさと作業に戻れ」
俺は精一杯の虚勢を張り、背中を向けて歩き出した。
背後から「へいッ!」「直ちに!」という野太い返事が一斉に響く。
こうして、俺は神戸海軍操練所の「鬼塾頭」として君臨することになってしまった。
逃げ場のない宿舎。
24時間監視してくるAI。
そして、俺を神か悪魔かのように崇拝する危険な部下たち。
「……お母上。わし、もう高知に帰れんかもしれん」
神戸の空は青いのに、俺の心は土砂降りだった。
塾頭として君臨した龍馬だったが、平穏は訪れない。
幕府の役人たちが、操練所の「不穏な動き」を嗅ぎつけてやってくる。
AIの翻訳機能が、釈明をすべて「脅迫」に変えてしまう悲劇。
お読みいただきありがとうございます。
坂本龍馬、今回も無事に英雄扱いされてしまいました。
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