第20話 天下のちゃんぽん、土下座の味
勝海舟の弟子になって三日後。
江戸の空は、鉛を流したように重く垂れ込めていた。
「……なぁ、クロフネ。本当にやるんか? これ」
越前福井藩の中屋敷前。
俺、坂本龍馬は、門の柱の影に隠れてガタガタと震えていた。
北風が着物の隙間から入り込み、脇腹を冷やす。だが、それ以上に懐に入っている「勝海舟からの手紙」が冷たい。
『再確認。ミッションは「資金調達」です』
脳内で、AI「クロフネ」が平然と答える。
「資金調達いうても、額がおかしいろう! 五千両やぞ! 今の銭で何億になる思うとるが!」
『計算不能。現在の貨幣価値との換算レートは変動しますが、軍艦を一隻購入するには必要最低限の額です』
「だーかーら! その金を、ついこないだ『土下座して紹介状もらった相手』に『やっぱ金もくれ』って言いに行くんか!? 乞食でももうちょっと慎みがあるぞ!」
俺は必死に抗議した。
松平春嶽公は、幕府の政事総裁職を務める大物だ。前回は「勝海舟に会いたい」という一心(とAIの強制土下座)で許されたが、今回はさすがに手討ちにされる。
斬られる。絶対に斬られる。
「帰ろう。今日は日柄が悪い。わしの占いがそう言うちょる」
俺が踵を返し、一歩踏み出した瞬間だった。
バチリ。
「あぐっ!?」
首筋に熱い痛みが走る。
『逃走行動を検知。電圧レベル1で警告します』
「おまん、レベル1でも十分痛いんじゃけど!?」
『レベル2は「失禁」を伴う痛みですが、試しますか?』
「……行きます。行けばええんやろ!」
俺は涙目で、立派な欅作りの門を叩いた。
門番が怪訝な顔で出てくる。俺は精一杯の愛想笑いを浮かべた。
「あ、あの、勝先生の使いで……」
『補正実行。声色が弱すぎます』
AIが俺の喉の筋肉を収縮させた。
「――天下の急務にて、参った!!」
腹の底から響くような大音声が、勝手に飛び出した。
門番が「ひっ」と縮み上がる。
俺も自分の声に驚いて、あとずさりしそうになった。
(やめろ! いきなり喧嘩腰でどうする!)
『ハロー効果を狙いました。第一印象が重要です』
結果として、俺はそのまま奥の「謁見の間」へと通されることになった。
逃げ道は、もう完全に塞がれてしまった。
◇
謁見の間は、針が落ちても聞こえそうなほどの静寂に包まれていた。
上座に座る松平春嶽公は、先日会った時よりもさらに不機嫌そうに見えた。手には読みかけの書物を持ち、それをパタンと閉じてこちらを睨む。
「……坂本、と言ったか」
低い声だ。地を這うような威圧感がある。
左右に控える側近たちの視線も痛い。「また来たのか、この浪人は」という侮蔑と警戒が入り混じっている。
「先日、勝への紹介状を書いてやったばかりだぞ。礼に来たわけではあるまい。その顔……何かを企んでおるな?」
図星だ。
俺は冷や汗で背中がびっしょりと濡れた。
正直に言おう。「金がなくて困ってます」と。そうすれば、五千両は無理でも、小銭くらいは恵んでくれるかもしれない。
「は、はい……実は、その、勝先生のところで……」
『翻訳機能:有効。プレゼンテーション・モードへ移行』
俺の意思とは裏腹に、背筋がピンと伸びた。
視線が春嶽公の目を真っ直ぐに捉える。怖い。逸らしたい。でも眼球が動かない。
「――先生と、鍋を囲んでおりました」
「鍋?」
春嶽公が眉をひそめる。
AIが俺の右手を優雅に動かし、空中に大きな円を描いた。
「ええ。ですが、具材が足りんのです」
「何を訳の分からんことを……」
「天下という具材が」
側近たちがざわついた。
俺の口は、止まるどころか加速していく。
「幕府だ、藩だと、小さな囲いの中で争っている場合ではありません。これからは『ちゃんぽん』の時代ぜよ」
「ちゃんぽん?」
「長崎の料理です。野菜も肉も魚も、ごった煮にして麺と食う。薩摩も長州も、幕府も越前も関係ない。全員が具材となって、一つの器に入る。それが海軍……いや、日本という新しい料理ぜよ」
春嶽公の目が、わずかに開かれた。
興味を持った。AIの分析通りだ。この人は「新しい概念」に弱い。
「……面白い。国を料理に見立てたか」
「はい。(お腹空いたなあ)」
『思考ノイズをカット。続行します』
俺の本音は無視され、AIが勝負に出る。
「ですが、春嶽公。どんなに美味い料理も、鍋がなければ作れません。薪がなければ煮えません」
「ふむ。でお前は、その鍋を持っているのか?」
春嶽公が身を乗り出す。
ここだ。ここで「持ってます」とハッタリをかますのが英雄だ。
だが、俺の小心者の心臓が悲鳴を上げた。
(持ってない! 俺にあるのは借金と、破れた袴だけじゃ!)
俺はブンブンと首を振ろうとした。
しかし、首は微動だにしない。代わりに、俺の両手が春嶽公に向かって差し出された。
まるで、全てを包み込むようなポーズで。
「鍋は勝先生が用意します。薪は――あなたがくべるのです」
「わしが?」
「金です。五千両」
言った。
数字まで明確に言っちゃった。
シン、と部屋の空気が凍りついた。
次の瞬間、側近の一人が立ち上がり、刀に手をかけた。
「無礼者ぉぉぉッ!! 殿に向かって金を無心するとは! しかも五千両だと!? 狂ったか貴様!」
(ひいいいい! ごめんなさい! 狂ってるのは俺の脳みその機械なんです!)
殺気が肌を刺す。俺は反射的に平伏しようとした。
だが、身体が動かない。AIが姿勢制御をロックしているのだ。
俺は直立不動のまま、斬りかかってくる側近を見据えていた(ように見えた)。
『心拍数、危険域。鎮静剤を分泌します』
(薬漬けはやめろぉ!)
「待て」
春嶽公の声が響いた。
側近が動きを止める。
春嶽公は、不敵な笑みを浮かべて俺を見ていた。
「……狂人の戯言かと思ったが、目が据わっておる。刃を向けられても眉一つ動かさぬか」
動かせないだけです。瞬きすら禁止されてドライアイで目が痛いです。
「五千両か。安くはない。だが、その『ちゃんぽん』とやらができれば、異国の黒船も飲み込めるか?」
AIが、俺の口の端をニヤリと吊り上げた。
「消化不良も起こさず、美味く平らげてみせましょう」
春嶽公はしばらく俺をじっと見つめ――やがて、パチンと扇子を閉じた。
その音が、決定の合図だった。
「よかろう。勝に伝えろ。その鍋、焦がすでないぞ、と」
◇
屋敷からの帰り道。
俺は、泥棒のような足取りで歩いていた。
懐には、五千両の手形。
紙切れ一枚だ。だが、その重さは異常だった。
すれ違う町人が、全員スリに見える。
風に揺れる柳が、刺客の影に見える。
「……なあ、クロフネ。これ、落としたらどうなる?」
『損害賠償請求が発生します』
「誰に!?」
『あなたに。労働による返済には、現在の年収ベースで約800年かかります』
「死ぬわ! 8回死んでも足りんわ!」
俺は着物の襟をかき合わせ、小走りに路地裏を抜けようとした。
早く勝先生の元へ届けなければ。
だが、足が急に重くなる。
『警告。英雄的な歩行速度ではありません』
「はあ!? 今そんなこと言うてる場合か!」
『不審な挙動は、かえって注目を集めます。堂々と、中央を歩きなさい』
AIが俺の歩幅を強制的に広げた。
大股で、のっしのっしと、大通りを歩く。
心臓は早鐘を打っているのに、見た目は「天下を憂う志士」の闊歩だ。
通りがかりの子供が、俺を見て指差した。
「あ、お侍さん、かっこいい」
(かっこよくない! おじちゃんは今、チビりそうなんじゃ!)
俺は引きつった笑顔のまま、手形を握りしめて歩き続けた。
金は手に入った。だが、これで終わりではない。
勝海舟は、この金を使って「海軍操練所」を作るという。場所は神戸。
俺と、俺の頭の中の相棒は、次なる目的地へと向かう。
そこには、AIの計算すら狂わせる「予測不能な出会い」が待ち受けていることを、俺はまだ知らなかった。
お読みいただきありがとうございます。
坂本龍馬、今回も無事に英雄扱いされてしまいました。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




