第19話 怪物・勝海舟と、勝手にシンクロする脳内
文久二年、十二月。
江戸、赤坂。
冷え切った畳の匂いがする。障子の向こうから、北風の唸り声が聞こえていた。
「龍馬殿。手はず通りに」
「……ああ、わかっちゅう」
千葉道場の跡取り、千葉重太郎が低い声で囁いた。彼の目は血走っている。
対する俺、坂本龍馬の目は泳いでいる。
(帰りたい。今すぐ布団に入って寝たい)
俺たちは今、幕府の軍艦奉行並、勝海舟の屋敷にいた。
世間では「開国論者」「幕府の犬」と罵られる男だ。重太郎ちゃんは「日本のために斬る」と息巻いているが、俺は違う。
単に、断れなかっただけだ。
あと、ちょっと顔を見たらすぐに「腹が痛い」と言って逃げるつもりだった。
『心拍数上昇。推奨:深呼吸』
脳内で、例の無機質な声が響く。俺の頭に住み着いた未来のAI「クロフネ」だ。
(うるさい。おまん、今日は静かにしちょれよ。斬り合いなんかになったら、わしは即座に死ぬき!)
『情報の修正。本日のミッションは戦闘ではありません。「接続」です』
(接続? なんじゃそら)
その時、襖が乱暴に開いた。
「待たせたな。坂本、千葉」
入ってきた男を見て、俺は息を呑んだ。
小柄だ。だが、その場に置かれただけで空気が歪むような、異様な圧迫感がある。
鋭い眼光。傲岸不遜な態度。
勝海舟。
本物の怪物だ。
(ヒッ、無理!)
俺の本能が「逃走」を選択した。
腰を浮かせ、素晴らしい速さで踵を返す。
「あ、すんません、急用を思い出したんでこれで失礼――」
バチッ!!
「ぐえっ!?」
背骨に激痛。電流だ。
俺の体はビクンと跳ね上がり、そのまま強制的に座布団の上へ「正座」させられた。
『逃走行動を検知。運動制御権を剥奪します』
(なんで!? 相手は幕府の偉いさんやぞ! 逃げるが勝ちじゃろが!)
『対象・勝海舟との対話が必要です。ステイ』
俺は涙目で勝を見上げた。
勝は、口の端をニヤリと吊り上げている。
「ほう。殺気を込めて立ち上がりかけ……それを自制したか。今の幕府に愛想を尽かしておろうが、話を聞く耳は持っているようだな」
違う。電流で腰が抜いただけだ。
隣で重太郎が刀の柄に手をかけた。空気が張り詰める。
「勝先生。我々は、あなたの開国論が日本を毒すると考えております」
「毒、か」
勝は短く笑い、脇にあった奇妙な球体を指差した。地球儀だ。
「お前さんらは、日本がどれだけ小さいか知ってるかい」
勝が地球儀を回す。指で示した日本は、豆粒のような島だった。
「亜米利加、英吉利、仏蘭西。世界は広い。蒸気船が海を埋め尽くしている時代に、攘夷だの鎖国だの、小さい長屋で喧嘩してる場合じゃねえんだよ」
勝の言葉は早口で、べらんめえ調だった。
だが、その内容は俺の理解を超えていた。海軍。貿易。世界市場。
俺がポカンとしていると、脳内のAIが急に騒がしくなった。
『音声解析……照合中。論理整合性、確認』
『思考パターン:クラスA(未来的視座)。時代偏差値:極めて高い』
『ターゲット・勝海舟の思考ロジックと、本システムの目的が98%一致しました』
(は? 何言うて……)
『これより、対象との「同期」を開始します』
おい、待て。嫌な予感がする。
俺は口を開いた。
「あの、難しいことは分からんので、帰っていいですか」
だが、俺の口から出た音は違っていた。
「……先生の視座は、すでに海を超えておられる」
(うわああああ! 勝手に喋るな!)
『翻訳機能:有効。本音を「適切な英雄的見解」に変換しました』
勝の眉がピクリと動く。
「わかるか、坂本」
「はい。(帰りてええええ!)」
「そうか。今の幕府の役人は、どいつもこいつも小せえ。俺の話についてもこれねえ。だが、お前さんの目は死んでねえな」
死んでないんじゃない。恐怖で見開いているだけだ。
勝が身を乗り出した。
「日本を守るには、海軍がいる。幕府のためじゃねえ。日本のためだ。だが、金も人も足りねえ。俺の手足となって動く、イカれた馬鹿が必要なんだ」
俺は首を激しく横に振ろうとした。無理です。僕、馬鹿ですけどイカれてはいません。
だが、首は動かない。
代わりに、AIが俺の右手を勝手に動かし、地球儀を撫でた。
『推奨アクション:共感の表明』
俺の口が、勝手に動く。
「……ちっぽけな話は、もう飽き飽きぜよ」
重太郎が「龍馬殿!?」と驚愕の声を上げた。
勝が嬉しそうに膝を叩く。
「そうこなくちゃいけねえ! で、どうする? 俺を斬るか? それとも、この国を洗濯するか?」
ここだ。ここで「斬るふりして逃げる」が正解だ。
俺は全身の筋肉に力を込め、AIの制御に逆らおうとした。
帰るんだ。千葉道場の炬燵が俺を待っている!
立ち上がれ、俺の足!
「う、ううううう……!」
俺の体がガタガタと震える。
AIの拘束と、俺の逃走本能が拮抗しているのだ。
その激しい痙攣を見て、勝が目を見開いた。
「……そこまでか。昨日の敵に頭を下げる。その屈辱、葛藤……それをねじ伏せてでも、未来を取ろうというのか」
誤解だ。ただのエラーだ。
だが、AIは無慈悲にログを吐いた。
『交渉成立プロセスへ移行。強制執行します』
バチバチバチッ!!
背骨に過去最大の電流が走った。
俺の意識が飛びかける。
膝が折れ、額が畳にめり込む勢いで叩きつけられた。
完璧な、土下座だった。
「ぐ、うぅ……!」(痛すぎて声が出ない)
だが、AIが俺の声帯を使って、朗々と宣言した。
「――この命、使い捨ててくだされ」
静寂。
重太郎が刀から手を離し、呆然と呟いた。
「龍馬殿……これほどの覚悟だったとは……」
勝海舟が、満足げに笑った。
「いいだろう。坂本龍馬、今日から俺の弟子だ。まずは軍艦操練所を作るぞ。金はねえから、お前が集めてこい」
(……は?)
顔を上げると、勝はもう次の書類仕事に向かっていた。
俺は震える手で、痛む額を押さえた。
『ミッション・コンプリート。歴史データベース:勝海舟への弟子入り、完了』
頭の中で、AIが事務的に告げる。
俺は終わった。
逃げるつもりで来たのに、気付いたら日本で一番忙しい男の部下にされていた。しかも「金を集めてこい」って、どうやって?
冬の隙間風が、懐に沁みる。
俺の英雄伝説は、こうしてまた一つ、勘違いと強制労働によって積み上げられてしまったのだ。
「……帰りたい」
俺の呟きは、誰にも聞こえなかった。
だが、AIは容赦なく次なるミッションを提示してくる。勝海舟が求めたのは軍艦を作るための「金」。しかも幕府の金庫は空っぽだという。
ターゲットは越前福井藩主・松平春嶽。
俺はまたしても、AIが弾き出した詐欺スレスレのプレゼンを武器に、決死の集金ツアーへと駆り出されることになるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
坂本龍馬、今回も無事に英雄扱いされてしまいました。
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