第18話 土下座の向こう側、あるいはAI流・交渉術
江戸、越前福井藩邸。
その大広間の空気は、張り詰めた氷のように冷たかった。
「……面を上げよ」
上座から響く、重厚な声。
この屋敷の主、松平春嶽公だ。幕末の四賢侯の一人と称され、幕府の政治総裁職まで務めた大物中の大物である。
対して、平伏しているのは俺、坂本龍馬。脱藩したばかりの素浪人。
身分の差は、天とミジンコほどもある。
(帰りたい……。今すぐ千葉道場に帰って、佐那殿に締め技をかけられた方がマシぜよ……)
俺の胃はキリキリと悲鳴を上げていた。
なぜこんな所にいるのか。それは「勝海舟に会いたい」と千葉重太郎先生(佐那の兄)に相談したところ、「ならば春嶽公の紹介状が必要だ」と連れて来られたからだ。
だが、ただの脱藩者が紹介状など貰えるはずがない。
「坂本とやら。其方、何のために勝に会いたいと申すか」
春嶽公の眼光が、俺の心臓を射抜く。
試されている。下手な答えを返せば、即座に追い出されるか、手討ちだ。
(ど、どうする!? 正直に「黒船が見たいから」とか言うたら殺される!)
俺がパニックに陥ったその時、脳内で救世主(AI)が起動した。
『警告。心拍数上昇。言語野のフリーズを確認。……交渉モードへ移行します』
(頼む! 春嶽公を納得させる、賢い答えを!)
『了解。検索結果:対象(春嶽)は「誠意」と「憂国の情」に弱い。推奨アクション:【究極の土下座】』
(ドゲザ!? 謝るんか!?)
『ただの謝罪ではありません。角度、速度、呼吸を計算し尽くした、芸術的な平伏です。実行』
バチリ。
俺の意思とは無関係に、背筋がピンと伸びた。
そして、まるで油圧シリンダーで制御された機械のように、ゆっくりと、しかし力強く上体を前へ倒していく。
「……ふむ?」
春嶽公が眉をひそめる。
俺の額が、畳に近づく。その速度は一定だ。速すぎず、遅すぎず、見る者に「ああっ、尊いものが地に落ちていく」という錯覚を抱かせる絶妙なスピード。
ピタリ。
額が畳に触れるか触れないかの、紙一重の距離で止まった。
完全に静止。微動だにしない。
「……天下国家を憂うが故に、己を捨て、泥を啜る覚悟。それが、この所作か」
春嶽公が勝手に深読みし始めた。
違う。俺はAIに首根っこを押さえつけられているだけだ。
だが、ここからがAIの真骨頂だった。
『音声出力。翻訳機能:オン』
俺の口が、床に向かって勝手に動く。
俺の本音は(怖いよー、帰してくれー)だが、AIはそれを英雄的な詩へと昇華させる。
「……春嶽公。日本は今、洗濯を待っております」
「洗濯だと?」
「はい。垢にまみれた古い衣を脱ぎ捨て、新しい風を通さねば、この国は腐り落ちる。……その洗濯板に、私がなります」
(洗濯板!? わし、板になるんか!?)
俺が心の中でツッコミを入れるが、春嶽公の反応は劇的だった。
彼は膝を乗り出し、俺の背中を見つめた。
「洗濯板……。自らが踏まれ、汚れることで、国を綺麗にするというのか……!」
違う。ただの言葉の綾だ。
だが、AIは畳み掛ける。
『追加アクション:涙腺刺激』
ツーーッ。
俺の目から、一筋の涙がこぼれ落ち、畳に染みを作った。
これは「感動」の涙ではない。AIが無理やり涙腺を絞った「生理現象」だ。鼻もツーンと痛い。
「……泣いているのか。国の行末を案じ、男泣きを見せるとは」
春嶽公の声が震えている。
完全に落ちた。
「よい、面を上げよ」
AIがロックを解除する。俺はゆっくりと顔を上げた。
顔面は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
だが、それを見た春嶽公は、深く頷いた。
「見事だ。その熱い志、しかと受け取った。……勝への紹介状、書いてやろう」
「えっ、本当ですか?」
思わず素の声が出たが、春嶽公はそれすらも「感極まった」と受け取ったらしい。
サラサラと筆を走らせ、封書を俺に手渡してくれた。
「勝海舟は変わり者だが、お主のような『洗濯板』ならば、きっと使いこなすであろう」
(……複雑な褒め言葉じゃのう)
* * *
藩邸を出た俺は、膝から崩れ落ちた。
緊張の糸が切れたのではない。AIによる「強制正座」の負荷で、足の痺れが限界を超えていたのだ。
「ぐあああ! 足が! 足が棒じゃ!」
隣で見ていた重太郎先生が、感心したように肩を叩く。
「いやあ、見事だったぞ龍馬! あの春嶽公を唸らせるとは。やはりお主は只者ではないな!」
「……先生。わし、もう帰ってええか?」
『警告。ミッションは継続中です。紹介状を入手しました。次は勝海舟の元へ向かいます』
(鬼! 少しは休ませろ!)
『勝海舟との接触は、歴史の特異点です。遅延は許されません。……さあ、立て』
バチッ。
痺れた足に、無慈悲な電流が走る。
俺は「ひえっ」と奇妙な声を上げて立ち上がった。
「おお、もう行くのか! その意気だ龍馬!」
重太郎先生が勘違いして背中を押す。
俺の手には、春嶽公の紹介状。
これさえあれば、あの「幕末の怪物」勝海舟に会える。
だが、俺はまだ知らなかった。勝海舟という男が、AI以上に話の通じない、とんでもない「人たらし」であることを。
「……行くぜよ。洗濯板になりにな」
俺はAIに言わされたセリフを自嘲気味に呟き、赤坂の勝邸へと歩き出した。
その背中は、少しだけ、英雄の形をしていたかもしれない。
お読みいただきありがとうございます。
坂本龍馬、今回も無事に英雄扱いされてしまいました。
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