第17話 江戸の恋風、あるいは生物兵器「サナ」
江戸、お玉ヶ池。
北辰一刀流・千葉道場の門前に立った瞬間、俺、坂本龍馬は深い安堵の息を吐いた。
「……着いた。やっと、心の休まる場所に着いたぜよ」
大坂での「天狗騒動」から逃げるように東海道を下り、江戸へたどり着いた。
ここには、かつて剣術修行でお世話になった師匠・千葉定吉先生と、その娘・佐那殿がいる。
特に佐那殿は、俺のことを慕ってくれている(らしい)。
故郷を追われ、AIにこき使われた俺にとって、彼女の笑顔こそが唯一の癒やしかもしれない。
「沢村。ここが千葉道場じゃ。まずは挨拶をして――」
俺が門を叩こうとした、その時だ。
『警告。高エネルギー体の接近を感知。――六時の方向、距離五十メートル。急速接近中』
(あ?)
脳内で、歴史補正AI「クロフネ」がけたたましいアラートを鳴らした。
背後から、地響きのような音が聞こえる。
ド、ド、ド、ド、ド……!
振り返ると、土煙を上げて爆走してくる「何か」が見えた。
着物姿の女性だ。だが、その速度は人間のそれではない。
「りょ〜〜〜〜ま〜〜〜〜さ〜〜〜〜ん!!!」
その声を聞いた瞬間、俺の背筋が凍りついた。
佐那殿だ。
美しい顔が、歓喜で歪んでいる。両手を広げ、まるで闘牛のように突っ込んでくる。
(げえっ! 佐那殿!? ちょ、待っ、速すぎ――)
『脅威判定:黒。対象の運動エネルギー、軽自動車並みと推定。衝突すれば肋骨が破砕します』
(えっ?)
『防衛行動を開始します。――【CQC(近接格闘)モード:オン】』
バチリ。
俺の意識が切り替わる間もなかった。
佐那殿が「愛のタックル」をお見舞いしようと飛び込んできた瞬間、俺の身体は勝手に反応した。
スッ。
俺は半歩左へスライドし、彼女の突進を紙一重でかわす。
それだけではない。AIは冷徹にも、通り過ぎざまに彼女の襟を掴み、その勢いを利用して――投げた。
「ぬんっ!」
綺麗すぎる一本背負いだ。
佐那殿の身体が宙を舞う。
「ああっ!? りょ、龍馬さん!?」
ドッターン!!
道場の前の砂利道に、美しい花が豪快に散った。
(ぎゃあああ! 何しゆうが!! 佐那殿を投げ飛ばしてしもうた!!)
俺は心の中で絶叫した。
恩師の娘に、しかも俺を好いてくれている乙女に、再会一発目で背負い投げ。終わった。切腹ものだ。
だが、AIは冷静だ。
『脅威排除完了。……対象、沈黙せず。起き上がります』
砂煙の中から、佐那殿がむくりと起き上がった。
怒られる。いや、斬られる。
俺が土下座の準備をした瞬間、彼女は頬を朱に染め、目をキラキラと輝かせていた。
「……素敵」
「は?」
「以前より腕を上げられましたね、龍馬さん! 私の『愛の抱擁』を、あのような鮮やかな返し技で受け止めるなんて……! これぞ、魂の会話!」
ポジティブすぎる。
彼女は砂を払うのも忘れ、再び構えを取った。今度は剣術の構えだ(武器は持っていないが、手刀が鋭い)。
「わかりました。言葉はいらないのですね。身体で語り合いましょう、ということですね!」
(違う! 語りたくない! 普通に「お久しぶり」って言いたいだけじゃ!)
『警告。対象から更なる闘争本能を検知。第二波、来ます』
佐那殿が再び突っ込んでくる。今度はタックルではない。鋭い手刀の連打だ。
速い。北辰一刀流免許皆伝の腕前は伊達じゃない。
「龍馬さぁぁぁん! 私の愛を受けてぇぇぇ!!」
『迎撃します。パリング、回避、カウンター』
俺の手が勝手に動き、彼女の攻撃を全て弾き返す。
パパン! シュッ! バシッ!
道場の前で繰り広げられる、達人同士の超高速の攻防。
隣で見ていた沢村が、ポカンと口を開けている。
「す、凄い……。これが『愛の語らい』……? まるで猛獣のじゃれ合いだ」
違う。これは一方的なAIによる防衛戦争だ。
俺は泣きそうだった。
佐那殿の手刀が速すぎて見えない。それをAIがミリ単位で避けるたびに、彼女のテンションが上がっていく。
「はあっ! そこっ! ……ああ、また避けられた! 焦らさないで! 私を捕まえて!」
『対象のスタミナ、無尽蔵。……厄介です。関節技で拘束します』
(やめろ! 乙女の関節を極めるな!)
AIは俺の抗議を無視し、佐那殿の腕を絡め取ると、背後に回り込んでガッチリとホールドした。
いわゆる「バックハグ」の形だが、実際は警察が犯人を取り押さえる時の「確保」だ。
「きゃっ! ……後ろから……!?」
佐那殿の動きが止まった。
彼女は顔を真っ赤にし、俺の胸(というか拘束している腕)に身を委ねる。
「……負けました。龍馬さんの『愛』、強すぎます……。もう、逃げられませんね」
『脅威レベル低下。拘束を維持しつつ、心拍数をモニタリング』
(AIよ、空気読め。これは「愛」じゃなくて「逮捕」じゃ)
ようやく静寂が訪れた。
俺は、佐那殿を(物理的に)抱きしめたまま、引きつった笑顔で沢村を見た。
沢村は、感動のあまりハンカチで目頭を押さえている。
「美しい……。再会した瞬間に、これほど激しく求め合うとは。やはり龍馬さんは、色恋の道でも達人だ」
違う。
俺はただ、AIに身体を操られ、恩人の娘とストリートファイトをしただけだ。
「……龍馬さん。このまま、道場へ入りましょう? 父上にも、私たちの『仲』を見せつけなくては」
佐那殿が、うっとりとした声で囁く。
その腕力は、拘束されているはずなのに、逆に俺の腕をギリギリと締め付け始めていた。
『警告。拘束側の腕に逆負荷。骨折のリスクあり。――この女性、物理的に強いです』
(知っとるわ! 「千葉の鬼小町」じゃぞ!)
江戸に着いて数分。
俺は早くも悟った。ここにも安息の地はない。
大坂のテロリストよりも、目の前の「重すぎる愛」の方が、よほど命にかかわるかもしれない、と。




