第16話 勘違いテロリストと、強制パルクール
大坂の空は、どんよりと曇っていた。
下関から船に揺られること数日。俺たちは淀川を上り、天下の台所・大坂の八軒家に上陸した。
だが、そこには「食い倒れ」の陽気な空気など微塵もない。
「……坂本さん。なんだか、街の空気がピリついていませんか?」
隣を歩く沢村惣之丞が、声を潜めて言った。
無理もない。通りを行き交う人々は皆、足早で俯いている。そして、その間を我が物顔で闊歩するのは、抜き身のような殺気を放つ浪人集団だ。
『現在地情報の更新。文久二年の大坂・京都エリアにおける治安レベルは【E(極悪)】です』
脳内で、歴史補正AI「クロフネ」が平然と告げる。
『流行語は「天誅」。路上での斬り合い、暗殺の発生率は、現代のヨハネスブルグ市街地に匹敵します』
(ヨハネス……どこか知らんが、とにかくヤバいんじゃな!?)
俺、坂本龍馬の背筋に冷たいものが走った。
脱藩者である俺たちは、ただでさえお尋ね者だ。役人に見つかれば終わり、過激な志士に見つかれば「貴様、どこの藩の回し者だ」と斬りかかられる。
まさに四面楚歌。
「沢村。目立たんように、路地裏を抜けて宿へ行くぜよ」
「はい。……ああっ!?」
沢村が小さく悲鳴を上げた。
運が悪かった。路地の角から、いかにも血の気の多そうな五、六人の浪人集団が現れたのだ。羽織には「尊王」の文字。目つきが完全に人殺しのそれだ。
「おい。そこの二人」
先頭の男が、俺たちを指差した。
「その訛り……土佐モンだな? 土佐勤王党の同志か、それとも“俗論派”の犬か。名を名乗れ」
詰んだ。
名乗れば脱藩がバレる。黙っていれば怪しまれて斬られる。
俺の心臓が早鐘を打つ。足が震えて、声が出ない。
逃げたい。今すぐこの場から消え去りたい。
『脅威判定:赤色。敵対的勢力による包囲を確認』
(ひいい! 助けてくれクロフネ! 逃げるぞ、全力で逃げるぞ!)
『了解。撤退行動を最優先。――ルート検索完了』
よし、逃走だ。回れ右してダッシュだ。
俺がそう思った瞬間、クロフネが無慈悲なアナウンスを響かせた。
『地上の逃走ルートは封鎖されています。よって、三次元機動への移行を推奨』
(パル……なんじゃそら!?)
『実行します。――【強制パルクールモード:オン】』
バチリ。
首筋に電流が走った瞬間、俺の視界が変わった。
路地の壁、屋根の庇、積まれた荷車。それら全てに、緑色の「足場マーク」が投影されたのだ。
「き、貴様ら! 答えんか! 斬るぞ!」
浪人たちが刀に手をかけ、一斉に踏み込んできた。
沢村が「ひっ!」と縮こまる。
その瞬間、俺の身体が弾けた。
「ぬんっ!」
俺は浪人たちに向かって走ったのではない。
真横の「壁」に向かって走ったのだ。
「は?」
浪人たちが呆気にとられる前で、俺はタタタッ! と重力を無視して壁を三歩駆け上がり、そのまま頭上の軒先を両手で掴んだ。
懸垂の要領で身体を一気に引き上げる。
「なっ……!?」
「飛んだ!?」
俺の身体は、一瞬にして地上三メートルの屋根の上にいた。
だが、AIは止まらない。
『次。前方十二メートル、対岸の屋根へ跳躍』
(無理じゃ! 人間は鳥やない!)
『筋力リミッター解除。跳べ』
俺の足が瓦を蹴砕いた。
身体が宙に浮く。眼下では、浪人たちと沢村が口をあんぐりと開けて俺を見上げている。スローモーションのように流れる景色の中で、俺は必死に「高い! 怖い!」と顔を引きつらせていたが、AI制御下の俺は、涼しい顔で「月歩」を決めていた。
スタッ。
音もなく、向かいの商家の屋根に着地する。
さらに回転して衝撃を殺し、次の壁へと走り出す。
「お、おい見ろ! あいつ、屋根の上を走ってるぞ!」
「なんだあの動きは! 忍びか!? いや、天狗か!?」
大坂の目抜き通り。屋根の上を疾走する俺の姿に、通行人たちが騒然となる。
俺は止まりたい。瓦が滑る。落ちたら死ぬ。
だが、AIは「最適ルート」をなぞることしか考えていない。
『障害物検知。洗濯物の竹竿。……スライディングで回避』
ズザザッ!
瓦の上でスライディングし、干してあったふんどしの下を潜り抜ける。
『段差、二メートル。……前方宙返りで着地』
クルクルッ!
もはや自分が何をしているのか分からない。視界が回転し、気づけば別の路地に立っていた。
『脅威対象からの離脱に成功。モード終了』
プシュウゥ……。
脳内で蒸気が抜けるような音がして、俺の膝から力が抜けた。
その場にへたり込む。心臓が破裂しそうだ。
「……死ぬ……。斬られるより先に、心臓マヒで死ぬ……」
俺がぜえぜえと息をしていると、背後の路地から、さっきの浪人たちが息を切らして追いついてきた。
(げえっ! 見つかった!)
俺は反射的に刀の柄に手をかけた。もう逃げ場はない。戦うしかないのか。
だが、浪人たちの様子がおかしい。
彼らは刀を抜きもせず、俺を見るなり、その場に平伏したのだ。
「「「おみそれいたしましたァーーッ!!」」」
(……はい?)
先頭の男が、地面に額をこすりつけながら叫んだ。
「その神業のような身のこなし! 壁を走り、空を飛び、ふんどしを潜るあの機動力! 貴方様こそ、噂の『鞍馬天狗』……いや、我々が探し求めていた指導者に違いありません!」
「へ?」
「我々は尊王の志あれど、率いるべき将がいなかったのです。どうか! どうか我らを弟子にしてください! その『空飛ぶ剣法』をご教授願いたい!」
周りの通行人までが「ありゃあすげえ」「天狗様じゃ」と手を合わせ始めている。
違う。これは剣法じゃない。ただの暴走だ。
そこへ、遅れて沢村が追いついてきた。
「さ、坂本さん! 無事ですか! ……って、なんで彼らが土下座を?」
「……知らん。なんか、わしが天狗になったらしい」
俺は引きつった笑みを浮かべた。
ここで「違う」と言えば、また斬り合いになるかもしれない。
AIクロフネが、脳内でピロンと音を立てた。
『推奨アクション:曖昧な頷き。彼らを利用すれば、宿までの護衛コストがゼロになります』
(……悪魔かおまん)
俺はコクリと頷き、できるだけ威厳のある声(AI補正付き)で言った。
「……よかろう。だが、わしは忙しい。ついてくるなら勝手にせよ」
「「「ははーーっ!! 一生ついていきます、先生!!」」」
大坂の路地裏に、野太い歓声が響く。
こうして俺は、大坂に着いた初日に、身に覚えのない「過激派集団のカリスマ」として祭り上げられてしまった。
宿へ向かう道中、俺の周りを強面の男たちがガッチリとガードしている。
頼もしい。頼もしいが、これでは逆に目立って仕方がない。
『作戦成功。安全性、確保されました』
(確保されすぎじゃ! これじゃトイレも行けんぜよ!)
勘違いの連鎖は止まらない。
この噂は、やがて京都の寺田屋にいる「もっとヤバい人たち」の耳にも届くことになるのだが、それはまた別の話だ。




