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強制英雄伝 坂本龍馬 史実通りに動かないと電流が流れるので、ビビリの俺が泣く泣く維新の英雄を演じるハメになったぜよ  作者: 守川 聡史


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第12話 脱藩前夜、最後の晩餐

 文久二年(一八六二年)三月二十三日。

 運命の前夜。


 坂本家の食卓には、重苦しい空気が漂っていた……わけではない。

 むしろ、いつも通りの賑やかな夕餉ゆうげだった。


「兄上! その皿のかつお、わしのじゃ!」

「うるさいわ龍馬! 早い者勝ちじゃ!」


 兄の権平ごんぺいと、皿に残った最後の刺身を取り合う。

 姪の春猪はるいが呆れた顔で見ている。

 そして、上座には、仁王のように座る乙女姉さんがいる。


 これが、俺の家族だ。

 そして、これが俺にとっての「最後の晩餐」になる。


(……美味いのう)


 俺は鰹のタタキを噛み締めた。

 明日には、もうこの味は食えない。

 この家族と笑い合うこともできない。


『警告。咀嚼そしゃく回数が多すぎます。感傷に浸る時間は無駄です』


(うるさい。味わわせてくれ。これが今生の別れになるかもしれんのじゃ)


『非合理的です。脱藩後も生存確率は十分にあります。また食べられます』


 AIはわかっていない。

 脱藩とは、戸籍を捨てることだ。

 たとえ生きていても、もう「坂本龍馬」としてこの家の敷居を跨ぐことは許されないのだ。


「……どうした龍馬。箸が止まっておるぞ」


 乙女姉さんが鋭い視線を向けてきた。

 ドキリとする。

 姉さんの勘は、野生動物並みに鋭い。


「い、いや。今日の鰹は格別に美味いと思うて」


「ほうか。なら、もっと食え」


 姉さんは自分の皿の切り身を、ドンと俺の茶碗に乗せた。


「精をつけておけ。……これからは、体力勝負になるからのう」


 その言葉に、俺は息を呑んだ。

 まさか、気づいているのか?

 俺が明日、この家を捨てることを。


(……いや、まさかな)


 俺は平静を装い、飯をかき込んだ。

 塩味が少し強かったのは、気のせいではないだろう。


 ***


 深夜。

 家族が寝静まったあと、俺は自室で荷造りを始めた。


 着替えは最小限。

 金は、堤防工事で稼いだ小判。

 そして、書き置きの手紙。


(クロフネ。本当にやるんか? 今ならまだ引き返せるぞ)


『却下。計画実行率は九九%まで到達しています。引き返すという選択肢は、さっきの鰹と一緒に消化されました』


(……鬼じゃ、おまん)


 俺はため息をつき、愛用の枕を撫でた。

 明日からは、石が枕だ。

 布団もない。屋根もない。

 あるのは、幕府という巨大な敵と、果てしない逃亡生活だけだ。


(怖い……。行きたくない。ここで一生、昼寝して暮らしたい)


 本音が漏れる。

 足が震える。

 その時、ふすまがスッと開いた。


「!!」


 俺は飛び上がりそうになった。

 そこに立っていたのは、兄の権平でも、姪の春猪でもない。

 やはり、この人だった。


「……姉やん」


 乙女姉さんは、寝間着姿のまま、手ぶらで立っていた。

 いや、手には何か長い包みを持っている。


「夜逃げの準備か、龍馬」


「……散歩じゃ」


「大荷物で散歩に行くバカがどこにおる」


 姉さんは部屋に入り、ドカッとあぐらをかいた。

 怒られる。

 殴られる。

 俺は身構えた。


「龍馬よ。おまんが何をしようとしゆうか、わしにはわからん。脱藩か、それともただの家出か」


「……」


「じゃが、その目は、ただの散歩に行く目じゃない。……『何か』を成し遂げに行く目じゃ」


(違う。ただビビり散らかして泳いでる目じゃ)


 俺は心の中で否定したが、姉さんはニヤリと笑った。


「止めはせん。坂本の家がどうなろうと、おまんはおまんの道を行け」


「姉やん……」


「その代わり、これを持っていけ」


 姉さんは持っていた包みを解いた。

 現れたのは、一振りの刀だった。

 朱色のさや。美しい反り。

 坂本家の家宝として、床の間に飾られていたはずの名刀だ。


陸奥守吉行むつのかみよしゆき。……兄上の目を盗んで持ち出した」


「えっ!? これ、国宝級じゃぞ!? 兄上にバレたら殺されるぞ!」


「バレたらわしが半殺しにされるだけじゃ。おまんは気にするな」


 姉さんは豪快に笑った。

 だが、その目は笑っていなかった。

 潤んでいた。


「龍馬。この刀は、おまんの魂じゃ。辛い時、寂しい時、この刀を見て思い出せ。……土佐には、おまんの帰りを待っちょる家族がおることを」


 俺は震える手で、吉行を受け取った。

 ずしり、と重い。

 それは鋼の重さであり、姉さんの、家族の想いの重さだった。


『アイテム獲得:名刀・陸奥守吉行。攻撃力+50。精神安定効果メンタルケア+100』


(……数値にするな。台無しじゃ)


 俺はAIを叱りつけ、深く頭を下げた。


「……行ってきます」


「おう。行ってこい。日本を洗濯して、真っ白にして帰ってこい」


 姉さんは背中を向けた。

 これ以上顔を見せれば、泣いて止めてしまいそうだからだろう。


 ***


 庭に出ると、月が出ていた。

 俺は草鞋わらじの紐を締めた。


 ここを出れば、もう後戻りはできない。

 上士に頭を下げる必要もないが、家族に守ってもらうこともできない。

 ここからは、俺と、クロフネと、この吉行だけで生きていくのだ。


(行くか……)


『準備完了。ルート設定:梼原ゆすはら経由、伊予方面。同志・沢村惣之丞が待機地点で待っています』


 俺は屋敷の門をくぐった。

 振り返らなかった。

 振り返れば、足が止まる気がしたからだ。


 夜風が冷たい。

 でも、不思議と寒くはなかった。

 懐の刀が、じんわりと熱を帯びている気がした。


 文久二年三月二十四日。

 坂本龍馬、二十八歳。

 脱藩前夜。


 すべての「日常」が終わり、果てしない「非日常」が始まる。

 チュートリアルは、これで終了だ。


お読みいただきありがとうございます。


坂本龍馬、今回も無事に英雄扱いされてしまいました。


少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

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