第11話 土木工事と物理演算(テトリス)
泥の味がする。
口の中も、爪の間も、人生そのものも、全部泥まみれだ。
嘉永七年、冬。
俺、坂本龍馬は、高知の山奥でスコップを握っていた。
「……寒い。帰りたい。炬燵に入って蜜柑が食いたい」
目の前には、増水した川と、崩れかけた堤防。
そして、絶望した顔で座り込む農民たち。
俺に与えられた任務は、この地域の治水工事の「現場監督」だった。
聞こえはいいが、要は土砂降りの中、泥を運ぶだけの罰ゲームだ。
(なあクロフネ。これが何の役に立つんじゃ? 世界へ出るための資金稼ぎと言うたろうが)
『肯定します。この工事を成功させれば、藩から報奨金が出ます。それが脱藩のための初期投資となります』
(成功って……この川、毎年氾濫しゆう暴れ川じゃぞ。人力でどうにかなるか!)
俺は増水した濁流を睨んだ。
轟音を立てて流れる水は、人間の都合などお構いなしだ。
農民の爺さんが、泥だらけの手を合わせて俺に言った。
「若様……もう無理じゃ。諦めましょうや。この川には『龍』が棲んどる。人の手には負えん」
爺さんの目には涙が浮かんでいた。
毎年、苦労して作った田んぼを流され、家を壊され、それでもここに住むしかない人々の諦め。
(……可哀想じゃのう)
俺は少しだけ同情した。
だが、それ以上に「こんな終わらない工事、やってられるか!」という自分の怠惰が勝った。
(クロフネ! 計算しろ! 一番楽に、一番早く、この工事を終わらせる方法を!)
『オーダー受領。地形データおよび流体力学シミュレーションを開始』
ピピピピ……。
視界に青いグリッド線(格子)が走る。
濁流の動きが数値化され、赤い矢印となって表示される。
『解析完了。従来工法(ただ土を積むだけ)では崩壊確率九〇%。無駄です』
(じゃあどうすればええ!)
『最適解を提示します。「流速分散型ブロック工法」です』
(なんじゃそりゃ)
『川の流れを堰き止めるのではなく、あえて通すことで力を逃がす構造です。設計図をあなたの網膜に投影します』
バッ!
視界に、光り輝く完成予想図が浮かび上がった。
それは、既存の堤防とは全く違う、奇妙な形をしていた。
石を斜めに積み上げ、水流をあえて受け流すような、複雑な幾何学模様。
(……こんなん作れるか! 職人がおらんわ!)
『あなたが指示するのです。私の計算通りに石を置けば、物理法則が味方します』
AIは自信満々に言った。
俺は溜息をつき、泥だらけの着物の裾をまくり上げた。
やるしかない。
早く終わらせて、風呂に入るために。
「おい、みんな! 聞いてくれ!」
俺は農民たちに向かって叫んだ。
「今から、わしの言う通りに石を積んでくれ! 形が変でも気にするな! とにかく早く終わらせて、家に帰るぞ!」
「は、はあ……」
農民たちは半信半疑だったが、俺の気迫(早く帰りたいオーラ)に押されて動き出した。
「そこじゃ! その石は右に三寸(約九センチ)ずらせ!」
「爺さん、その岩は向きが逆じゃ! 尖った方を川上に向けて噛み合わせろ!」
俺の指示は細かかった。
AIが視界に表示する「ここに置け(Place Here)」というマーカーに従って、まるでパズルのように石を積ませていく。
『警告。三番目の石、重心がズレています。修正してください』
「あーもう! そこ! やり直しじゃ! ピタッとハマるまで叩け!」
俺は鬼のように叫び続けた。
サボりたいのではない。
AIの判定が厳しすぎて、妥協を許してくれないのだ。
1ミリでもズレると、視界に「ERROR」の文字が点滅して気が狂いそうになる。
「若様……こんな積み方、見たことねえぞ」
「隙間だらけじゃねえか。水が漏れるべ」
農民たちが不安そうに口にする。
確かに、見た目はスカスカだ。
だが、AIは「完璧」の表示を出している。
「うるさい! 信じろ! これが『物理』という神様の教えじゃ!」
俺はわけのわからない理屈で押し切った。
***
そして三日後。
試練の時が来た。
豪雨だ。
バケツをひっくり返したような雨が、完成したばかりの堤防を襲う。
「来るぞ! 水が来るぞぉぉ!」
見張り番が叫ぶ。
轟音と共に、茶色の濁流が押し寄せてきた。
普段なら、ここで堤防が決壊し、全てが泥に沈む。
(ひいぃッ! 怖い! 逃げよう!)
俺は高台へ全力疾走しようとしたが、AIが足をロックした。
『待機。データ収集の好機です。見届けなさい』
(死ぬ! 流されたら死ぬ!)
ドォォォォン!!
濁流が、俺たちの作った堤防に激突した。
水しぶきが上がる。
農民たちが悲鳴を上げ、目を覆う。
だが。
音はそこで止まった。
「……あれ?」
誰かが呟いた。
恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。
水が、割れている。
濁流は堤防に当たると、計算された石の隙間を通って勢いを弱め、左右へと綺麗に分散されていた。
堤防は微動だにしない。
まるで、水と握手をしているかのように、スムーズに流れを受け流している。
『衝撃分散率九八%。構造維持、問題なし』
AIが淡々と勝利宣言をした。
「……すげえ」
俺は思わず声を漏らした。
魔法ではない。
ただの石積みだ。だが、そこには確かな「知性」があった。
「と、止まった……!」
「水が、溢れてねえ!」
農民たちが歓声を上げた。
泥だらけの顔で、抱き合い、泣き崩れる。
「若様! ありがとうございます!」
「こんな魔法みたいな土手、初めて見た!」
「あんたは龍使いの神様じゃあ!」
爺さんが俺の足元にひれ伏し、拝み始めた。
やめてくれ。
俺はただ、AIのパズルゲームに付き合わされただけだ。
それに、こんなところで神様になったら、脱藩しにくくなるじゃないか。
(クロフネ……これも計算か?)
『副次的効果です。ですが、これであなたの名声は「領民を救った英雄」として記録されました』
AIの声はどこか誇らしげだった。
『そして、藩からの報奨金も確定です。金一〇〇両。脱藩資金としては十分です』
(……金か。まあ、それは嬉しいが)
俺は、泣いて喜ぶ農民たちを見た。
彼らの笑顔を見ていると、泥だらけの着物も、筋肉痛の体も、少しだけ悪くないと思えた。
「……ま、結果オーライぜよ」
俺は鼻をこすり、照れ隠しに空を見上げた。
雨は止んでいた。
雲の切れ間から、太陽の光が差し込んでくる。
これで準備は整った。
金はある。体力もついた。
そして何より、この「狭い世界」でも、知恵と工夫(とAI)があれば、流れを変えられることを知った。
(帰ろう。風呂に入って、泥を落として……そして、出るんじゃ)
俺は決意を固めた。
次に向かうのは、この山の向こう。
まだ見ぬ広い世界だ。
さらば、土佐。
さらば、俺の泥臭い青春。
いよいよ、脱藩の刻が迫っていた。
お読みいただきありがとうございます。
坂本龍馬、今回も無事に英雄扱いされてしまいました。
少しでも楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。




