第六章【五】
颯爽と現れた二葉さんがマイクを手に挨拶する。
「この度、響商事の顧問弁護士に選出されたF&K弁護士事務所の藤田二葉と申します。本日、この場にお集まり頂きましたのは買収工作についての説明を行うためです。その点をご留意の上でご質問を頂ければ幸いです」
その言葉には指定した質問以外は受け付けないぞと言外に告げている強さがあり、ポカンとしていた記者の手が一旦下がった後、今度はおずおずと手を上げる記者が散見された。二葉さんはそれを見てどうぞと一人指名する。
「海外の大手企業からの買収工作だと専らの噂ですが、どのように回避されるおつもりですか?」
「私は就任したばかりで具体的な内容は知らされておりません。今後はこちらにいる鷺ノ杜雅弁護士とF&K弁護士事務所の共同経営者である甲斐との三人で協議する所存です」
凄いな二葉さん。何も知らないことをこんなに堂々と言い切るなんて。でもそれが寧ろ好印象になっているから驚きだ。壇上では立ち上がった雅さんと二葉さんが力強い握手を交わしている。
そんな二人の姿を収めようとシャッターを切る音がバシャバシャ響きフラッシュの光の眩しさで目が痛いくらいだけど、なんだかその場はそれで収まってしまい記者達がそれ以上食い下がることはなかった。なんなんだ、この茶番は。俺はその光景を見て脱力した。
後から聞いた話しだけど、響商事の顧問弁護士として二葉さんを推したのは雅さんらしい。でもって二葉さんのあの登場も二人で考えた結果だったと聞かされて益々啞然としてしまう。
記者が二人を撮影するだけで満足したのは、颯爽とした二葉さんと巻髪が美しい雅さんのツーショットの方が話題性があるからだと言うから言葉もない。そりゃ確かに二人ともタイプは違うものの美人で華やかで紙面のトップに据えたら売上げ倍増間違いなしって感じだけど、マスコミがそんなヘタレで良いのかと疑問さえ湧く。
ともあれ会見が荒れる事なく終わり俺は安堵の溜息を吐いた。今後は二葉さんと共同で響商事へのM&Aに集中することになる。一連の騒動は終わったけどまだまだ忙しくなりそうだ。俺は買収に関して何ら知識はないから調査員として役に立てるか分からないけど、それでも何か手伝えたら良いなと思った。
会見後、二葉さんは残ってM&Aについて詳しい内容を聞いていくことになり、俺と雅さんは会社が手配したハイヤーに乗るべく正面玄関に向かう。何人かが見送りに出て来てくれたが、俺も含めた全員が一難去って気持ちが少し緩んでいたのだと思う。
だから、そのとき響き渡った音に誰もがすぐには反応できなかった。それが何の音だったか分からなかったこともある。日本ではテレビや映画でしか耳にしない音で、本物の音なんて誰も知らなかったから仕方ないと言えば仕方ない。
気が付くと俺の目の前で雅さんが左胸から血を流して倒れていた。一体何が起きたのかすぐには理解できなかったけど、周囲で撃たれたぞとか救急車を早くとか、そんな怒号の中でようやく何が起きたのか悟る。
「雅さん?」
俺は雅にさんの身体に取り縋った。たちまち俺の服が真っ赤に染まる。塗料とは違い、粘つくそれを血液だと判断するのにそう時間は掛からなかった。
「雅さん、しっかりして!!」
俺は雅さんの身体を揺するが、反応はなく閉じられた目は開かない。睫毛が凄く長いななんて思ったのは、俺が少し現実逃避をしていたからだろう。
「雅さん、嫌だ!! 目を開けて」
左胸からの出血が夥しい。俺は無意識にその傷を手で押さえた。だが、指の合間から血が溢れ出す。左胸を撃たれたよう見えたけど、実際には銃創は鎖骨下にあった。俺の拙い知識でも鎖骨下には動脈が走っていることは分かる。
「雅さん、起きて下さいよ」
俺は雅さんの名を呼びながら過呼吸を起こしかけたが、そのとき頬に衝撃が走る。張り倒されたんだと気が付いたのは、ゆるゆると上げた視線の先に鬼の形相をした二葉さんを認めた時だった。
「揺らしては駄目。出血が酷くなるわ」
「でも……」
二葉さんの落ち着いた声を聞いて俺も少しだけ正気が戻ったようだ。そして漸く二葉さんが社内で集めたであろうタオルの山を持っていることに気が付いた。
「救急車が到着するまで止血して」
俺は無我夢中でタオルで銃創の出血箇所を強く押さえたけどタオルはすぐに鮮血に染まってしまい、血でグッショリと濡れる度にタオルを取り替えた。救急車が来るまでの時間が果てしなく遅く感じる。その間に血で染まったタオルが俺の傍らに山積みになっていく光景に絶望的な気持ちになり喪失感で身体中が冷たくなっていく。
「しっかりしなさい、雅ちゃんはこんな卑劣な行為に屈するような子じゃないわ」
俺の手を握り励ましてくれる二葉さんも心なしか震えている。そうしてやっと待ちかねたサイレン音が聞こえてきた。
雅さんは高度救命救急センターの手術室に運ばれ緊急のオペが始まった。付き添ったのは俺と二葉さんだけど、俺はオペ室の前で蒼白になって立ち竦むしかなかったし二葉さんも沈黙したまま動かない。
その時、バタバタと誰かが走る靴音が耳に入った。力なく気配を感じた方を見ると、土谷刑事が慌てて駆け込んでくるのが見える。その途端、俺は猛烈な怒りに襲われた。
「歩夢くん、鷺ノ杜先生の容態は?」
「何だよ、今更どの面下げてここに来たんだよ!!」
一言声を出すと、その後は止め処なく土谷刑事を罵倒する言葉が溢れ出た。
「どうして最初に襲撃された時にしっかりと調べてくれなかったんだよ」
「それは」
「痕跡が見付からないとか言い訳ばかりで、怠慢すぎるだろ」
土谷刑事は答えないで黙したままだ。その態度が余計に癪に障って、俺は更に彼を罵った。
「もしかしたら、俺が遭遇した襲撃が最初の襲撃じゃなかったかもしれないじゃないか」
そりゃあ、雅さんの性格やドイツ云々の背景を考えると襲撃されても通報しなかった可能性が高い。
「俺が助けた時に雅さんの周辺をもっと徹底的に調べてくれれば、狙撃は防げたんじゃないのか!?」
あれ以前に、誰が襲撃されたか分からなくとも似たような状況があったと名古屋市内、いや愛知県内で通報はなかったのか。
「そういうことをキチンと調べなかったのかよ」
言いながら俺は泣いていた。土谷刑事に当たり散らしても解決しないことは分かっている。分かっているけど、心が受け付けてくれないのだ。
「日本国内で銃撃なんて尋常じゃないだろ。なのに真剣に調べないなんて平和ぼけしてんのかよ」
そうして放置した結果が今日の狙撃だ。
「俺、証言したよな。黒づくめの奴は只者じゃないって。空手有段者の俺の攻撃を全て回避したって言ったよな」
あの時、俺が土谷刑事相手に空手で攻撃を仕掛ければ、或いは黒づくめが只者ではないと分かってもらえたのだろうか。土谷刑事は低い声で済まないを繰り返すだけだ。
「本当に済まないと思っているのかよ。狙撃の通報後、すぐに検問を敷いたのかよ」
相手は拳銃ではなくライフルを所持している。分解して鞄にしまえばそれとは分からなくなるだろうが、それでも拳銃を懐にしまうよりは分解する方が遙かに時間がかかる筈だ。
「狙撃地点には行ったのかよ。何も残っていなかったなんて言わせない」
土谷刑事は重い口を開いた。
「狙撃地点は割り出したが、薬莢などの痕跡は残っていなかった」
その言葉に俺の頭は怒りと絶望で真っ白になる。
「またかよ、また痕跡が見つからなかったって言って逃げるのかよ」
真剣に捜査する気があるのかよ。これは殺人未遂なんだぞ。最悪、未遂が殺人に変わるかもしれないんだぞ。
土谷刑事は現場に残されているであろう雅さんの血液を吸ったタオルを見たのだろうか。あれを見たら、普通は犯人確保のためにあらゆる手段を用いるのではないのか? あれを見ても尚、言い訳ばかりを並べ立てているのだろうか。
「あんたら警察は偽善者だ。捜査する気がないなら最初からそう言えよ」
そう言いながら俺は土谷刑事に殴りかかっていた。だがその手は、土谷刑事にヒットする前に止められる。白くて華奢な手。はっとして手の主を見やると四音が必死に俺の手にしがみついていた。
「やっくん、落ち着いて。土谷刑事を殴ったって雅さんは喜ばないし犯人も見付からないよ」
そんなことは分かっている。でも俺のこの気持ちを誰にぶつけろと言うのだろうか。
「やっくん、雅さんは大丈夫だよ」
きっと二葉さんが四音に連絡してくれたんだろうなと頭の隅で思ったけど、俺は木偶の坊のように立ち尽くしたまま動けずにいた。そんな俺を四音が優しく抱き締めてくれる。俺の着衣は雅さんの血で染まっていて、それが四音の着衣にも移ってしまったけど彼女は構わず俺を抱き締め続けてくれた。
「どうしよう。雅さんにもしものことがあったら、どうしよう」
「大丈夫、彼女は大人しく殺されるような女じゃない」
二葉さんが確信しているような強い声で言ってくれたけど、俺の不安は払拭されない。
オペ室の中は覗い知れないが、バタバタと人が行き交うような光景が見え隠れしている。あの人達は何故あんなに慌てているのだろうか。もしや雅さんの命が危ういのだろうか。そんな考えを否定しても悪い考えが頭から離れない。
雅さんの出血は止まったのだろうか。手術はどんな風に進められているのか。俺よりも雅さんの方がずっと痛くて苦しいよな。
「頑張ってくれ、雅さん」
ただ無事を祈ることしかできないなんて、俺はなんて無力な男なんだろう。
その時、オペ室の扉が開いて看護師が出て来た。容体を聞く前に看護師は雅さんの体内から取り出した弾を差し出し、土谷刑事は一礼するとそれをハンカチで包んで一目散に立ち去る。その姿を見送りながら俺は震える声で聞いた。
「雅さんの容態は?」
「まだ何とも言えません」
端的に言うと看護師は踵を返す。
オペが終わったことを示す赤いランプが消えたのは夜が明ける頃だった。




