第六章【三】
渉外弁護士のことは寝耳に水だったから俺はビックリしたけど、伊坂弁護士のヘッポコぶりが結果的に雅さんを引き当てるっていう皮肉な展開に爆笑した俺は土谷刑事にTPOを考えろと怒られた。でも俺には見えたんだよな。そんな土谷刑事の口元だって笑いを必死に堪えるために震えていたことを。
結果的にまるで推理小説のラストシーンのように謎解きが終わり警察の大会議室に集まった面々は解放された。無論、死体遺棄は立派な犯罪だから警察も看過できないけど、雅さんが逃亡する危険はない旨をさっさと検察に申し立てて手続きをした上で、智也の遺体遺棄に手を貸した人間は帰宅を許された。会議室に集った時間を取調の拘束時間としたのである。
「さすが、仕事が早いや」
「誰に言ってるのよ、私は鷺ノ杜雅よ」
細くしなやかな指で髪をすっと振り払う姿を見て、俺は初めて会った時を思い出した。あの時はプライドが高いだけのいけ好かない女だと思ったけど、今はたまらなく頼もしくそして眩しいと思える。
人は見た目で大半が決まると言う人がいて、その言葉はやや否定的な意味に取られるけど、雅さんに関しては真逆だ。確かに最初は良く思えなかったけど、俺の中では今やの印象が一八〇度変わっているから人間って分からないものだし、俺自身も自分の現金さを嗤うしかない。
でもこれは俺だけでなく土谷刑事を始めとした県警本部の刑事達もそんな風に受け取っているように感じられたから、刑事の目さえ眩ませる雅さんって一体何者なんだろうって疑問も浮かんだ。益々、雅さんを襲撃した犯人の痕跡すら見付かっていないことや、誰が何の目的で彼女を狙うのか、そして捜査はどこまで進んでいるのかが気になる。
聞きたくて仕方ないけど、さすがにここで土谷刑事にそれを問うことはできなかった。それこそTPOと身を弁えろとお叱りを受けそうだったから。
それから二日後、漸く智也の遺体が千秋の元に戻り、身内だけで葬儀を執り行う知らせがもたらされた。俺と雅さんは最初は辞退しようとしたけど千秋のたっての願いで喪服に身を包んで参列することになり、葬儀の行われる寺へと赴いた。小さな寺の境内の青紅葉が雨に煙って美しく、そして物悲しい。
一昨日まで毅然としていた千秋の憔悴は凄まじく、そして夫の遺体に取り縋って泣く姿に思わず涙を誘われる。智也の両親と兄弟も神奈川から駆け付けていたが、懸案していたような義家族による嫁への罵倒はなく、それどころか千秋を実の娘のごとく抱き締めて慰める智也の両親の姿に俺の心は救われた。
だが静寂はそこで終わった。身内だけでと謳った葬儀に多くの人が参列してきたからだ。その主な面子は響商事の上層部や智也と千秋の同僚、そしてタクトフル電子の上層部と智也の所属していた経理部員達だ。
寺の住職に請われて俺と堂城絵里が簡易的に作られた受付に立つ役を仰せつかったが、俺はその時にモヤモヤしていたことを絵里に問うてみた。
「なぜ遺体遺棄の場所を桜山にしたんですか?」
顧問弁護士の伊坂の提案なのかなと俺は推察していたが、絵里は全く違う答えを口にした。
「私の祖父母の家があの辺りで地の利があったんです」
どうやら祖父母は既に他界していて家を売ったようだ。察するにその祖父母の家が取り壊され更地になり、あのマンション建築地の中に組み込まれたのかもしれないし、そういう土地の住所だったからこそ存在しない番地だったことにも得心がいく。
「遺体を遺棄したのは弁護士と秘書室長ですか?」
「いえ、私と千秋さんでやりました」
顧問弁護士の伊坂は一応弁護士だけあって犯罪に手を染めたくないと電話での対応にしか応じなかったと聞いて呆れたし、世間知らずの甘っちょろい坊屋そのものだと思った。ちなみに本田室長は上層部への連絡と対応に追われていたらしい。
「産業医は? 千秋さんからの連絡で別府家に赴いたんでしょう?」
「神保先生には遺体遺棄は死者への冒涜だと反対されて」
つまり男手の協力は得られなくて千秋は絵里を頼ったのだろう。その結果、住所の提供だけでなく遺体の遺棄まで手伝うことにまで及んだのか。
一連の流れを聞いた俺の中にふと興味が涌いた。
「もしかして千秋さんて完璧主義なんですか?」
「完璧主義じゃなくて完璧なんです」
そう言う絵里は少し上気して頬がほんのりの薄紅色に染まっている。まるで恋する少女のようだ。
「千秋さんに頼ってもらえて、不謹慎だと分かっていても嬉しくて」
それが犯罪行為に加担する最大のエネルギーになったのかな。馬鹿なことをしたなって思うより哀れに思えた。千秋と絵里は智也がいなくても良い相棒になったと思うし、智也もM&Aを阻止できたら響商事に戻れただろうから、その後は三人で会社を盛り立てていけただろうに。
絵里の響商事への転属が取り消されていなければ、間違いなく今後は無敵の二人になりそうだ。そのためにも遺体遺棄の罪については雅さんに頑張ってもらわなければと俺は思った。
「そういえば千秋さんはご両親を早くに亡くしているんですね」
途切れることのない弔問客を見ながら俺が言うと、頭の良い絵里はすぐに雅さんと俺が別府夫妻の戸籍を調べたことを察したようだ。
「ええ、大学を卒業する頃に事故でご両親どちらも亡くなっていて。ご兄弟もいらっしゃらないし、親族とは縁を切っているそうです。縁を切った理由までは聞いていませんけど」
そこまで聞いて俺は千秋の行動の意味が分かった気がした。彼女には本当に夫しかいなかったのだ。そしてその夫と出会った場所がとても大切で、だから破綻している計画でも強引に推し進めるしかなかった。でもそんな彼女のいわば負のエネルギーが雅さんを本気にさせてしまったことは皮肉でしかない。
やがて僧侶の読経が始まり俺と絵里も葬儀会場に入った。中は人いきれがするほどで雨の湿気もあいまって熱気が凄い。生前の智也の人徳なのか、一連の騒動で千秋のみに負担を強いた輩のせめてもの償いの気持ちからなのかは分からないけど、現金なもんだと俺は少々白けた気分で葬儀を見守った。本当に智也の死を悼んでいるのは果たしてこの中の何人だったのやら。
葬儀が終わると雅さんは響商事の会長、社長、そして専務といった会社上層部との話し合いの場を設けた。下手に喫茶店に移動しては人目に付くので、葬儀を執り行った寺の本堂を暫く借りてだ。俺は帰るべく準備をしていたけど調査員として同席しろと言われ、更に葬儀への参列と会合に同席する分の時給も出すと言われれば逆らう理由はない。
その席には事件に大なり小なり関わった堂城絵里、本田秘書室長、伊坂弁護士、神保医師も同席したが、その場でまず会長が顧問の伊坂弁護士を解任する旨を宣言した。実際には解任を予告しただけで決定するには取締役会にはからなければならないが、まあこの件に関しては異論を唱える者はいないだろうと思えて俺は心の中で嗤った。雅さんを甘くみるからだ、ざまあみろ。
その上で、会長は雅さんと俺に迷惑をかけたことを真摯に謝ってくれた。
「弊社の社員がご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした」
としながらも、響商事の置かれた立場を説明するのも忘れはしない。良くも悪くも狡猾な人間だと思ったけど、これくらい狡猾でタフでなきゃ巨大コングロマリットの会長なんて勤まらないんだろうな。
「買収を阻止するために響商事の醜聞を流そうと考え、秘書室長の本田に策はないかと相談していました」
「でも響商事本体の醜聞を流すのには躊躇されたのでは?」
雅さんの言葉を会長はすんなり認めたが、警察に介入されるほどの事態に膨れあがってしまった今、抗う気はないようだ。
「仰る通りです」
「それでタクトフル電子を利用しようと?」
「いえ、その時点では傘下の企業をと考えたもののタクトフルとは決めていませんでした。どの企業にするのが一番傷が浅く済むのかが大切でしたから」
どちらにせよどこかは被害を被っていたわけだ。
「マスコミに面白おかしく騒ぎ立てられては計画が頓挫するかもしれない。かといって響商事本体に悪評が立つのは避けねばならない。難しい決断ではありますね」
雅さんは一応会長の弁明に同意を示したが、その後のキレっぷりは凄かった。
「そんな時に別府智也氏が亡くなり、貴方はこのチャンスを逃す手はないと思われたのでしょう?」
千秋は会長秘書だ。いや、現会長が社長時代から秘書として仕えている。そんな千秋の会社愛は会長の目にも明らかだったことだろう。
「タクトフル電子は精密機械の開発製造販売を主とする企業でCMも流していない。つまり知る人ぞ知る企業だったのです。無論、手にする技術力は高く世界にも通用する。だから傘下に収めようと思った。またタクトフル側も世界進出を狙っていたから、響によるタクトフルの買収に揉める要素はなくスムーズにことは運んだ」
そんなタクトフル電子に智也を出向させたのは智也の能力以外に千秋の夫だったからだという面もあった筈だ。だがその智也が自宅で病死してしまった。
「さぞ好機だと思われたことでしょうね」
「それは」
会長以下上層部はしどろもどろだ。
「無論、M&A自体は昨日今日の話しではなく、もっと前からでしょう。別府智也氏をタクトフル電子に出向させたのは買収を回避するための工作要員としてでしょうね。ああ、別にそれ自体は構いませんわ。会社を守るためには仕方ないですし、まだ可愛いくらいです。ついでに申し上げれば、タクトフル電子以外の傘下にも頼りがいのある社員を出向させているのでしょうし」
恐らく先に策として水面下で上申されてきたのは横領事件の方だろう。だが横領をでっち上げる前に智也が死んでしまった。
「鷺ノ杜先生には叶いませんな。それで今後我々はどうしたら良いとお考えですか」
会長の言葉に雅さんは不敵な笑みを浮かべながら宣った。
「では、まず記者会見の準備を」




