第六章【二】
俺はそれを言葉にはしなかったけど、でも何故だか千秋には伝わったようだ。
「そうね、どうしてこんな頑なになってしまったのかしらね。昔は同期会で朝まで飲み明かしたりカラオケや合コンに行ったりしして、仕事より遊び優先だったのに」
そう言って皮肉っぽく微笑む。
「きっと貴女は責任感がとても強いのね。同時に自分を過小評価していた」
「そうかもしれません。同期には優秀な人が多かったので自分が響商事に入社できたことが間違いだったとさえ思ったこともあります」
自信に満ちあふれている千秋からは想像できない言葉だった。
「秘書室に異動になってから変わったのでは?」
「ええ、異動の辞令をもらったとき、なぜ私がって思いました。周囲には秘書室に相応しい人材が沢山いましたし。実際、仲良くしていた同僚にも身の丈に合わない異動だってハッキリ言われもしましたから」
どんなに風通しの良い企業でも社員全員が善人ではないし、そこは企業だから誰もが出世をかけて切磋琢磨する場ではある。時には他人のを足を引っ張る輩さえ現れるだろうし、千秋は自分を過小評価するのと同時に同期からも下に見られていたのかもしれない。
「秘書室は女子社員にとっては憧れの場でした。でも、そんなに甘い部署じゃない。だから怖じ気付きました。でも本田室長に自信満々でない君だからこそ相応しいって勇気付けられて」
確かに千秋は機転が利く女性ではある。それが夫の死を利用しようと考える要因になってしまったのは残念極まりないが。
「貴女はとても責任感の強い女性で、だからこそ響商事のために力の限りを尽くそうと誓ったのね」
「はい、本田室長の判断で当時の社長、現在の会長秘書を任されて、だから自分なりに力の限り期待に応えお支えしようと思いました」
雅さんと千秋の言葉はなぜかその場にいた土谷警部を含めた刑事達にも感銘を与えたようだ。
「なるほど、責任感ですか。確かに我々も警察学校で何度も唱えましたね、服務の宣誓を。今も行き詰まったり何か間違えていないかと思う度に心の中で唱えますよ」
服務規程。藤田が冗談まじりに、でも父親への敬意を込めて時々唱和していたっけ。
「それって、私は、日本国憲法及び法律を忠実に擁護し、云々ってやつですよね」
俺が言うと、土谷刑事が残りの部分を唱和してくれた。
「命令を遵守し、警察職務に優先してその規律に従うべきことを要求する団体又は組織に加入せず、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、不偏不党且つ公平中正に警察職務の遂行に当ることを固く誓います」
人として、そして刑事として誠実でありたいと思う土谷刑事らしい言葉だと思った。その割には雅さん襲撃事件の方はさっぱりなのには疑問が湧くが、今はそのことは忘れよう。
「それにしても愛人の次は横領事件だなんて、不祥事に拘りすぎじゃない?」
「それは私の方から説明させて下さい」
言葉の主は堂城絵里だった。
「私が横領事件をでっちあげようと進言したんです」
自分は経理部だから、その工作ができる立場にあるからと。
「少額とはいえ不祥事よ。そこまでする必要があったの?」
雅さんは呆れ顔だ。
「響商事への外資からの買収工作に関しては国の知るところでもあり、当然何かしら手を打ってくれると思っていました。でも、今の政府は海外に媚びるばかりで。だから自分達の手で守るしかないと思ったんです」
なるほど、それで不祥事まみれにしようと考えたのか。確かに国内だろうが海外だろうが、不祥事だらけの企業に食指を伸ばしはしないだろう。下手をすれば共倒れになる。
それにしても、でっち上げとはいえ横領犯になることを承諾したことに驚きを禁じ得ない。もし雅さんが一連の事件に疑念を抱かず、早々に公判となって絵里が法廷に立つことになっていたら、それがでっち上げだと分かったとしても自らの経歴に傷を付けることになる。
もしマスコミがその裁判に気付けば、絵里がタクトフル電子の横領犯だと大々的に報じただろう。その後、真実が分かって絵里に無罪判決が下りたとしても、その時にはマスコミは別の事件を報じることに躍起になっていて絵里のことなんて忘れ去っている。残るのは堂城絵里という女が経理部員だった立場を利用して横領したという不名誉なレッテルだけだ。
「分からないわ、いくら買収させたくないとは言え罪を被るだなんて」
雅さんは優雅に髪を掻き上げながら溜息交じりに言う。
「私、別府部長には本当にお世話になって」
と絵里は言うけど、その後は千秋が引き取った。
「絵里さんは夫が見込んで響商事の秘書室への転属が決まっていました。それを絵里さんが恩義のように感じてしまって」
やはり智也は響商事から諜報も仰せつかっていたのだ。無論、悪い方の諜報ではなく、良い意味でだが。
「夫も絵里さんの経理での手腕を買っていて、うちにも何度か遊びに来てもらったことがあるんです」
夫が女性の部下を可愛がることに不安はなかったのかな? なんて考える俺は根性が悪いのかな。でも千秋はその疑問にも答えてくれた。
「勿論、最初は絵里さんを響商事へ転属させたいとか、タクトフルの経理でのことを自宅で話されることに良い気はしませんでした。でも夫はそんな私の不安を払拭しようと絵里さんを自宅に呼んだんです。そして実際に絵里さんにお会いして、私は夫と絵里さんの仲を疑ったことを恥じました」
響商事の秘書室へとの夫の見立ては間違いなく、絵里はとても機転のきく頭の良い女性だった。それだけに限らず、裏表のない爽やかな気性の絵里は千秋とすぐに打ち解け、そして二人は智也そっちのけで仲良くなった。
「夫が亡くなったこと、その死を利用して愛人騒動をでっち上げる際、絵里さんはその愛人の名を自分にしてくと言ってくれただけでなく、次の策として横領事件の計画を立案してくれました」
横領は絵里の方から言い出したことだったのか。それが胸の中にストンと落ちる。そうなんだよな、いくら千秋が優秀でも、そして顧問弁護士や秘書室長がバックに付いているとしても、経理に詳しいかどうかは疑問だったんだ。
横領をでっち上げるだけなら誰にでもできる。でも、法廷に持ち込むには証拠がいる。決算時の会計の誤差とか裏帳簿とかその類いのことだけど、本来はないはずの横領の証拠なんて自社の経理、あるいは経理システムに精通していなければでっち上げることなんて所詮無理なのだ。
「事と次第によっては貴女に一生消えない傷が付くのよ」
「響商事の顧問弁護士が、絵里さんの不利にならないよう動くことになっていました」
それに関しても千秋が答えたけど、雅さんは大分苛々しているようだった。気持ちは分かる。俺も同じだったから。
「全ては自分が計画したことです。絵里さんは好意で私の計画に協力してくれただけです」
そこでついに雅さんがキレた。つうか俺としてはキレるのが少し遅いと思ったくらいだ。きっと雅さんは弁護士として詳細を聞くために耐えていたんだろうな。
「ええ、そうね、全てはあなたの慢心が引き起こしたことよ」
入社時は自身を過小評価していた女がここまで大胆になったのは、愛する夫を目の前で亡くしたことも起因するのだろう。けれどその時点で救急車を呼ぶなりの行動に出ず、自社を守るために夫の死を利用しようと考えたところに千秋の慢心が感じられて仕方ないと雅にさんは宣った。
「貴女は自分の立てた計画がそもそも破綻していることを理解していなかった。貴女のしたことは何の罪もない夫を貶める行為だったのよ」
「夫は分かってくれた筈です」
「だからそれが慢心だって言ってるの!!」
買収のことは智也の生前から夫婦間でも話し合っていたんだろう。智也は冗談まじりに俺に何かあったらそれを利用してくれとでも言ったのかもしれない。
「もしそうだったのだとしてもそれを真に受けるなんてどうかしてるし、個人でどうこうできる問題ではないのに貴女の計画に乗ってコソコソ動き回る貴女の上司、えっと本田さんだったかしらね。と、私を洗い出した顧問弁護士。ああ、そういえば顧問のアンタからは名刺を頂いていないわね。舐め腐るのも大概にしてよね」
そんな雅さんの剣幕に押されて顧問弁護士がおずおずと名刺を差し出したけど、伊坂っていうその弁護士のその態度を見て俺は彼こそが全ての元凶なんじゃないのかと思った。
この破綻した計画を容認して検索システムでピックアップした女性弁護士の調査を依頼された時点で、この計画は無謀だしすぐに見破られるって進言しないなんて、どう考えたって弁護士として些末すぎる。
普通は止めるだろう。そして本来買収の阻止に翻弄するのは顧問弁護士の役目だ。雅さんもそう思ったのだろう。だから名刺を受けとった後の伊坂氏への半ば罵倒は誰もが黙認した。
「響の顧問弁護士はとても優秀だと業界では専ら有名だけど、惜しむらくは視野が圧倒的に狭いことかしらね。経験年数の浅い女なら自分達が操れる、或いは恫喝すればどうとにでもなると思った? 生憎だけど、アンタがしたことは全ての女性弁護士に対する侮辱であり冒涜よ」
「違います、伊坂先生は悪くありません。私が強引に計画を進めただけです。だから全ての罪は私にあります。私が償います」
千秋のその言葉に雅さんは大仰にため息を吐きながら、罪って何? と言った。
「事件すら起きてないのに罪って何? ああ、死体遺棄は罪ね。乗りかかった船だから私が弁護してあげる」
「貴女の経験年数では無理でしょう」
私の調べでは貴女は刑事事件に関わったことはないはず云々ほざく伊坂弁護士を見て、学生バイトの俺ですら呆れてしまった。雅さんのご高説が理解できなかったのか、或いは聞く価値なしと考えていたのだろう。ここに至ってもまだ雅さんを侮っている。
「お生憎様、私は民事も刑事もできるの。買収の件も渉外弁護士として最大限努力するわ」




