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調査員A  作者: 香紫日月
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第六章【一】

 着信は雅さんからだった。すぐに戻って来いと言われたけど、今回は一方的な命令ではなくその理由も教えられた。

『別府智也の死因が分かったわ。病死よ』

 俺はそれを聞いて喫茶店を飛び出したが、そこで思いもかけずに千秋と出くわした。顔色は真っ青だが、覚悟を決めたようなしっかりとした体で立っている。

「ご主人の死因が分かったそうです」

「ええ、今から警察に向かう所です」

 そう言うや否や、彼女の前に音もなく黒塗りの車が滑り込んできた。運転手はあのダークスーツの男だ。そうか、もう響商事との関係を隠す必要がなくなったんだな。つまりこの状況は千秋が響商事の社員であることを現しているのだ。

 事件の真相こそまだ明らかではないが、智也の死因が判明したことで事態は大きく動くに違いなく、漸く騒動の真相の近くまで辿り着いたことが感慨深く思える。

 事務所に戻ると雅さんが智也の死因について詳しく説明してくれた。

「死因は病死。大動脈解離の上、大動脈の破裂による心タンポナーゼ及び出血性ショック」

「背中の針痕は?」

「恐らく事切れるか否かの非常に微妙な時期に付いたもののようで、検死官にも見た目では判断できなかったけど、ほぼ事件性はないと判断したらしいわ。結果的にその見立ては正しくて、司法解剖ではなく行政解剖になった訳だけど」

 それが果たして良かったのか悪かったのか俺には分からない。でも千秋は智也の死を知っていた筈だ。いや、もしかすると目の前で息を引き取ったのかもしれない。それは愛人宅として偽りの住所を述べたことからも明白である。だけど、どうしてそんなことをしたのか。今となっては愛人の存在自体も疑わしい。

「時間稼ぎかしらね」

 雅さんが静かに言った。

「少しでも死因が特定されるのを引き延ばしたかった。何のためか分からないけど、偶発的に起きた夫の死を利用したとしか思えない。でも、彼女が冷酷は女だとはどうしても思えないのよね」

 雅さんの言葉には千秋を哀れむような響きが込められていた。うん、そうだよな。だからこの案件を引き受けたんだ。千秋から並々ならぬものを感じたから。そしてそれは千秋の覚悟だったのだろう。

 県警の土谷警部から呼び出されて俺と雅さんも本部に赴く事になり、智也の件の捜査がいつの間にか瑞穂警察署から県警に移っていたんだなってボンヤリと思った。それは遺体の発見者が俺であり、鷺ノ杜雅に関係してるからなのかな。何故、警察は雅さんに拘るのだろう。それなら彼女を殺そうとした黒づくめも早く逮捕すべきなのに。

 県警本部に到着すると、この件に関わった主な面子が揃っていた。無論、その中には千秋とダークス-ツの男もいる。男は雅さんと俺に名刺を差し出してきたが、本田というその男の肩書きは響商事の秘書室長であり、それは俺と雅さんが推理したように事件はタクトフル電子ではなく響商事が爆心地だったことが証明された瞬間でもあった。

 まず土谷警部から智也の死因説明がされた。それは雅さんから聞いた話しと寸分違わず、また聞いた話しに追加される事項もなく、そして最後に土谷刑事は俺に疑って済まなかったと頭を下げた。

 俺はその態度に驚いた。警察が頭を下げるなんて想像すらしなかったから。でも俺自身が自分はただの発見者で何もしていないって自信を持って言えるから腹は立たなかったし、謝られてもただ恐縮するだけだった。そして思った。多分、頭を下げたのは土谷刑事だからであり、彼が生真面目な性分だからなんだなと。

 千秋も愛人のことは嘘だったと認めた上で雅さんに頭を下げた。とは言え、こっちは俺のようにすんなりと許すわとはいかず、雅さんが愛人騒動から横領に関する一連の流れの説明を求めた結果、千秋はポツリポツリと事件の概要を話し始めた。

「夫が倒れた時、救急車を呼ぼうとしたんです。でも夫は藻掻き苦しみながらもそれを止めました」

 自分はスマホを持つ手を押さえる夫の手を振りほどけなかった。そしてそんな夫をただ見ていることしかできなかった。

「もう手遅れだとすぐに分かりました。同時に救急車を呼んでは駄目だとも思いました」

 でもこのままにはしておけない。だから、響商事の産業医に電話をした。産業医はすぐに駆け付けてくれたが、そこでなされたのは処置ではなく死亡確認だった。

「私は何も知らされていませんでしたが夫は最近、腰痛や胸痛を訴えていて産業医にも相談していたそうです」

 年に二度ある会社負担の人間ドッグでは動脈硬化も指摘されていて、そのことを産業医に伝えると画像検査をしないとハッキリしないが、状況的に心不全か大動脈解離だと言われて愕然とした。同時に夫の死の原因を知りたくなった。

「自宅で亡くなった場合、警察を呼ばなければならないってことは知っていました。でも今、うちの会社は大変な時で世間に騒ぎ立てられるのは困るなと思ったんです。大切な人が死んでしまったのに、私は頭の中で冷静にそんなことを考えていました」

 そこまで聞いた雅さんが静かに問うた。

「それで、逆にご主人の死を利用することにしたんですね?」

 千秋はハッとした目で雅さんを見たが、すぐに諦めたように頷いた。やっぱり俺が考えたように彼女は雅さんを経験年数の少ないお嬢様弁護士だと思っていたのだろう。雅さんを見た千秋の目が、どうしてそこまで分かったのかと明瞭に語っていたから。

「ええ、それで本田室長と相談して、とにかく遺体を自宅から運び出すことにしました。朝は人目に付くから夜に大きなスーツケースに入れて運び出そうって」

 遺体を遺棄し、その遺体が発見されれば当然警察に通報される。そうすれば、身元はすぐに分かる上に警察から連絡が来て少々やかましくはなるが、不審死体として解剖され死因がハッキリすると思ったのだ。

「でも、遺体を動かした時に床に画鋲が落ちていることに気付いて、慌てて夫の背中を確認したんです。そしたら針痕が付いてしまっていて」

 でも、だからといって計画は変えられない。ここで通報すれば、逆に何故異変が起きた時にすぐに救急車を呼ばなかったのかを疑われる。

「だから、私は夫の死を利用しようとしたんです」

 千秋はしっかりと顔を上げ、朗々とした声でそう言い切った。怖いくらいに冷静で自信に満ちあふれた姿を見て、俺も雅さんも警察も思わず息を吞んだほどだ。

「皆さんも、もう御存知でしょう?」

「M&Aのことかしら?」

 この場にいる全員を代表して雅さんが答え、千秋が頷いた。

「なんとか買収を回避しなくてはと買収対策メンバーが選出され、私も及ばずながらそのメンバーに選ばれました」

 ここで千秋は自分が響商事の会長秘書であることを明かした。つまりあのダークス—ツの本田は千秋の直属の上司に当たるってことだ。

「私は、彼の死を利用すれば買収を阻止できるのではと考えました」

「それは響商事を買収しても不利益を被るだけだと相手側に思わせ手を引かせる作戦?」

 雅さんの問いに千秋はそこまで分かってしまったのかと驚いた顔をしたが、素直に肯定した。

「でもただ不審死体として発見されただけでは弱い。だから、愛人騒動をでっちあげたんです」

 既にタクトフル電子は響商事の傘下だ。だから響商事に絡められると思ったのと、真逆に響商事内で不祥事をでっちあげることは避けたかったと吐露した。

「深夜に遺体を桜山に運び、翌日に鷺ノ杜先生の所に夫が浮気しているから訴訟に持ち込みたいと訴え出ました」

 弁護士選びは弁護士会のホームページから何人かの女性弁護士をピックアップし、その人物を響商事の顧問弁護士が調べる手法だった。検索も『あ』の一文字でかけたらしい。早く遺体の発見をしてもらわなくてはならないので、弁護士情報を調べる期間が一日しかなかったこと以外は俺の推理通りだったけど、面白いように当たっていくそれを聞く度に俺の心は鉛を飲み込んだように重くなっていった。

 そんな安易な方法で弁護士を選んだことにもだけど、弁護士をくだらない隠蔽工作に利用したことが許せなかった。それなら顧問弁護士が全て引き受ければ良かったのに、敢えて関係ない雅さんを選ぶところが賤民意識の表れだし、自分の経歴に傷を付けたくないっていうプライドしか感じられないから尚更腹立たしい。

 たまたま今回は雅さんだったけど、もしかしたら五郎の姉さんが被害に遭っていた可能性だって捨て切れないのだ。

「鷺ノ杜先生には本当に申し訳ないと思っています」

 千秋のその言葉から申し訳なさは微塵も感じられず、恐らく雅さんもそうだったのだろう。

「心のこもっていない謝罪なんて結構よ」

 と、ピシャリと撥ね退けた。そりゃそうだろう。顧問弁護士が調べたとは言え、いやだからこそ千秋も雅さんのことを見くびっていたのだし、何より彼女は響商事の社員であることに誇りをもっている。それ自体は別に責められることではないが、その態度からは自分はその辺のOLとは違うのよっていう差別意識しか感じられないから、その身勝手な考え方に俺は辟易した。

「で、愛人だけではこと足らずに、横領事件まででっち上げたのは何故?」

 千秋はもう隠し立てをする意味はないとばかりに素直に顛末を語った。

「夫の死が事件事故双方から捜査されると聞き、遺体の解剖も司法解剖でなく行政解剖に回されたことで長引くと分かったので、別の策を考えなくてはと思ったんです」

 全ては響商事を守るため。夫亡き後の千秋に残されたのは、家族でも姉弟でも友人でも同僚でもsなく響商事だけ。夫と出会った会社だけが彼女の唯一の居場所になってしまったことに俺は何とも言えない気持ちになった。

 企業戦士って言葉が浮かんだ。昭和の言葉で今やダジャレで聞くだけだけど、令和のこの時代にそんな人間がいることに少なからず驚いたし、彼女が入社した時期は世間からは会社に隷属させるカラーが消え失せ、ライトな感覚で社会人になる若者が増えていたのに。

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