第8話
目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
上下左右、どこを見ても果てしない白。
足元には影すら落ちていない。
エリシアは自分が椅子に座っていることに気づいた。
硬い木の感触。
背もたれの形。
(……神儀で座らされた、あの椅子と同じだ)
顔を上げて正面を確かめると、向こうにも同じ椅子があった。
そこに、誰かが座っている。
長い髪。
柔らかな輪郭。
どこか女神像の顔に似ている。
しかし像とは違い、生の熱を宿したまなざしがこちらを見据えていた。
「待っていたよ、エリシア・フォン・グランヴァルト。いや――星乃ゆいくん」
エリシアの息が止まった。
「……星乃、って……」
(そういえば、私は星乃ゆいだった。記憶が薄れていた。会社、残業、刺された痛み……すべてが遠い夢のようにぼやけている。でも確かに、そうだった)
「なぜその名前を……。って、あなたは……神様的な人ですよね? 人ってのも違うか。神様、なんですか?」
「僕はヴァレルトスア・ディス・ノクティス・エテルナ。この世界の神だ」
「……戦いの女神、なのですよね?」
「戦いの神? まあ、そう呼ばれることもあるが……私は創造神、戦いの神、豊穣の神、死の神、愛の神、酒の神、旅の神、知識の神、鍛冶の神、詩の神、夢の神、時の神……この世界に存在する神は、私だ」
「……普通に神で、いいですか?」
「いいよ。普通の神で」
「それで、私はなぜここへ?」
「君は元の世界で、本来死ぬ予定ではなかったんだ」
エリシアの眉がわずかに動いた。
「あの女のことですか?」
神は右手を振る。
空間に淡い光が渦を巻き、一冊の重厚な本が現れた。
表紙は深紅で、金の文字が刻まれている。
「生命の死は、ここに描かれている」
神は本を開き、ページをめくった。
無数の文字と線が走り、複雑な図形が浮かび上がる。
しかしエリシアには、それが「運命の設計図」であることが直感でわかった。
「これは君の命の導きだ」
神はもう一度手を振った。
今度は違う色の本――青みがかった銀色の表紙の本が現れた。
明らかに前の本より分厚く、ページ数も多い。
神は二冊の本を並べて見せた。
「君の命の輪が、君の元の世界からはみ出した。そして修復が効かないからと、器用な僕に巡ってきたというわけだ」
エリシアは胸の奥で空気の流れが止まったように固まった。
「私は……救っていただいたのですね」
神は首を横に振った。
「違うね。君の命を管理することになったのは、混ざってからだ。勝手に世界を跨いできたんだ。僕も驚いたね。それで気が付いたら、こうなっていた」
神は大きい方の本――融合された運命の本をエリシアに差し出した。
表紙には、赤と銀の光が絡み合うように輝いている。
「元のエリシア・フォン・グランヴァルトと、星乃ゆいの融合された命。珍しいから、観測しておこうと思ってね」
エリシアは本を見つめた。
「それでも……ありがとうございます。きっと今は、昔より楽しい人生を送れているので……」
「よい心がけだ。気に入った。では、君に神託を下そう。そうだな……この世界を、君の力で変革させるがいい。なぁに、二つ混ざった分、力は十二分に増しているだろう? それにここの知識レベルは、君と比べるとずいぶん低いはずだ。ちょっと前まで猿だったからね。では、楽しみにしているよ。また逢おう」
神はエリシアに右手を翳した。
白い光が爆発的に広がる。
エリシアの視界が溶けていく。
最後に聞こえたのは、神の楽しげな笑い声だけだった。
――そして存在の灯が静かに途切れた。




