第47話
教会の扉が開かれ、荘厳な空気が一気に押し寄せた。
王都中央大聖堂――女神ヴァレルトスアの総本山。
自領の教会とは比べ物にならない。
天井は遥か高く、七色のステンドグラスから差し込む光が大理石の床に虹を描き、壁面には古の戦女神の壁画が無数に描かれている。
祭壇の奥には巨大な女神像が立っていた。
香木の甘い香りが漂い、無数のろうそくの炎が揺れる。
女王ヴァレリアが先頭に立ち、通路を進む。
その後ろを、セレスティア王女が優雅に。
そして――エリシアは、ユーリアン王子に手を引かれていた。
その後ろを、ルイスとヴィクトルが並んでいた。
さらにその後ろ、両親――アリシエッタとアルフォンスが見守っていた。
荘厳な空白の中、足音だけが響く。
しかしエリシアが一歩、教会の敷居をまたいだ途端――世界が白く染まった。
視界が歪み、体が浮く感覚。
足元が消えた。
「――っ!」
ユーリアンの手が空を切る。
王子が、呆然と立ち尽くす。
「……えっ」
エリシアはまた、真っ白い部屋にいた。
テーブルの向こうに、椅子が一つ。
その椅子に、ヴァレルトスアが座っていた。
エリシアは一瞬、椅子に座るのをためらった。
足が竦むような、得体の知れない不安。
でも、少し考えて――椅子を引き、腰を下ろした。
ヴァレルトスアが口元を和ませた。
「おかえり、エリシア」
エリシアは相手へ真正面から向き合った。
「また、呼んだの?」
ヴァレルトスアは首を振る。
「いいや、君が来たんだ。教会はここと現実世界の楔だからね。ただ、ノックもせずに入れるのは君くらいだ」
エリシアは眉を上げた。
「お邪魔だったかしら?」
ヴァレルトスアは片手をひらりと揺らした。
「楽しんでいるかい?」
エリシアは少し目を伏せた。
「あまりうまくいっている気はしないけどね」
「自由に……できるだけの力はあると思うのだけれど」
「力だけがあっても……想いだけがあっても……上手くいかないことはあるわ」
「そんなことはないさ。君なら何でもできる。ただ選んでないだけだね」
エリシアは顔を上げ、拒絶を込めたまなざしを向けた。
「正論は時に人を殺すわよ」
「ははっ、喋れずとも動物は好き放題殺し合っているけどね」
「人は……神じゃないわ」
「それが分かっているなら十分……ではないね。まだ足りない」
「何かして欲しいことでもあるの?」
「いいや、僕からは特に。でも君は違うかもしれない」
「どういうこと?」
ヴァレルトスアは身を乗り出し、テーブルの上で手を組んだ。
「ずいぶん楽しませてもらっているからね。君の未来の願いを叶えてあげよう」
白い光が、広がり始めた。
エリシアの視界が溶け、存在の感覚が遠くへ引き離されていく。
白い光が引いた直後、エリシアの体は再び教会の祭壇前に立っていた。
足元の大理石が冷たく、ろうそくの炎が激しく揺れている。
――一瞬だったはずなのに。
周囲が、騒然としていた。
「いたぞーっ!!」
複数の足音が一斉に駆け寄ってくる。
神官たちが顔を真っ青にして、エリシアを取り囲むように跪いた。
「エリシア様! ご無事で……女神ヴァレルトスアに感謝を……!」
その背後では、王国騎士団の女性たちが、慌ただしく動き回っている。
警戒態勢――いや、捜索態勢だ。
エリシアは混乱のあまり思考が止まった。
(え……? どれくらい時間が経ってるの……?)
神の空間では、会話が終わった瞬間に戻された感覚だった。
なのに、ここでは明らかに「何か」が起きている。
騎士団長らしき女性が、息を切らして近づいてきた。
「エリシア・フォン・グランヴァルト様! すぐに王宮へご案内いたします! 陛下が……皆様がお待ちです!」
拒否する間もなく、エリシアは騎士たちに囲まれるようにして教会の外へと連れ出された。
馬車はすでに待機しており、扉が開かれると同時に押し込まれるように乗り込まされた。
馬車が走り出す。
窓の外を流れる王都の景色は、いつもと違っていた。
人々がざわめき、衛兵たちが増員され、遠くで警鐘のような音が鳴っている。
馬車は猛スピードで王宮へと突き進んだ。
王宮の一室――謁見の間とは別の、家族用の控え室。
扉が開いた途端、エリシアの体は強く胸に押し当てられた。
「お母様……?」
アリシエッタだった。
母の腕が、力を抑えきれずにいた。
「エリシア……! どこに行っていたの……!」
母の軍服の布地が、エリシアの顔に密着した。
次に、アルフォンスが重ねて体を寄せ合ってきた。
「心配したんだよ……本当に……」
父の声も、普段の優しさとは違う、掠れた響きだった。
少し離れたところで、ルイスとヴィクトルが立っていた。
ルイスは腕を組み、目元が赤い。
ヴィクトルは足元だけを見つめ続け、唇を噛んでいた。
二人はエリシアを見て、ほっとした。
「……よかった」
ルイスの声は小さかった。
すぐに、女王からの呼び出しが届いた。




