第3話
――どれくらい時間が経っただろうか。
控えめなノックとともに、扉が開いた。
入ってきたのは、中学生くらいの少年だった。
黒を基調とした執事服を着ており、手に盆を抱えている。
名前は――ライル。
この家の執事見習いだという記憶が、ぼんやりと浮かぶ。
少年はベッドの方へ顔を向け――そして、固まった。
エリシアが上半身を起こしてこちらを見ていることに気づいたとき、少年の目が大きく見開かれた。
「え……お、お嬢様……!?」
盆を置くのも忘れて、ライルは慌てて踵を返す。
「すぐ、すぐお呼びしてきます!」
ドタドタと足音を立てて部屋を飛び出していった。
エリシアは、開いたままの扉をぼんやりと見つめた。
「……あ、行っちゃった」
間もなくして、再び足音が近づいてきた。
今度は落ち着いた靴音だ。
扉が開き、女医が入ってきた。
その後ろにライルが、顔を真っ赤にして深々と頭を下げている。
「エリシアお嬢様、申し訳ありません。ご両親は領地の視察で不在でして……立ち会うことができず……」
ライルは何度も頭を下げ続けた。
エリシアは手を振った。
「大丈夫よ、ライル。気にしないで」
彼は驚いたように顔を上げ、エリシアを見つめた。
「では……失礼いたします!」
体を丁寧に折り曲げて部屋を出ていった。
女医はベッドの傍らに椅子を引き、エリシアの手を取った。
淡い緑色の光が彼女の手から流れ、エリシアの全身を這うように包み込む。
魔法のような診断術だ。
検査の合間に、ふと目が合ったので、エリシアは尋ねてみた。
「すみません、記憶が少し混濁しているようなのですが……ここはどこでしょうか?」
女医は少し驚いた顔をした。
「ここはグランヴァルト辺境伯領、領主邸の奥まった離宮です。あなたはグランヴァルト辺境伯家のご令嬢、エリシア様。私は長年あなたのお身体を診てきた主治医のマリアと申します。ご心配はいりませんよ」
辺境伯令嬢。
エリシアは内心でため息をついた。
(悪役令嬢パターンほどではないにせよ、辺境貴族の娘ってだけで面倒なことになりそうな予感しかしない)
マリア先生は検査を終え、エリシアの顔を覗き込むようにして顎に手を当てた。
「エリシアお嬢様……驚かないで聞いてくださいね」
「はい、先生」
「あなたの病気は、完全に回復しています。それどころか……」
「それどころか?」
マリア先生は一瞬言葉を濁し、首を振った。
「いえ……何でもありません。私の勘違いかもしれません。とにかく、長年悩まされてきた病が奇跡的に癒えたようです」
「そんなに簡単にわかるものなんですか?」
「ええ……そのはずです」
「分かりました。ありがとうございます、マリア先生」
「明日またお伺いします。この状態が続くようなら、経過観察に切り替えましょう」
「お願いします」
マリア先生が部屋を出ていくと、部屋に再び物音のない時間が訪れた。
エリシアはベッドに腰を起こし、開け放たれた窓の外を眺めた。
遠くに見えるのは、赤茶けた荒野と、霞む山脈の稜線。
エリシアは左手を窓の外に向けた。
「ファイヤ・ボール」
呼気に乗せて短く名を告げると、手のひらに熱が集まり、朱い魔力が渦を巻く。
ゴウッという低い音とともに、拳大の火球が勢いよく飛び出し、窓の外の空で弾けて消えた。
熱波が頬を撫でた。
「……ほんとに異世界なんだ」
エリシアは再びベッドに体を沈め、開け放たれた窓から差し込む淡い光にまぶしさを受け止めるように表情を和らげた。
病弱で死ぬはずだった体は、もう熱も痛みもなかった。
代わりに、満たすのは魔力の奔流。
この世界は、前世の知っていた世界とは全く違う。
ここでは、彼女は辺境伯家の令嬢。
病気が治ったことで、きっと色々期待されるのだろう。
エリシアは目を閉じた。
「頑張ってみようかな」




