第5話 灼熱のミスリルと、戦士の報酬
第5話 灼熱のミスリルと、戦士の報酬
朝日が昇る。
フォルトックの街を囲む巨大な石壁が、黄金色の光を受けて輝いていた。
岩の砦。
それが、この街の名前の由来だった。
街そのものが巨大な要塞のように造られており、外敵から人々を守るための高い城壁と分厚い門、そして至るところに設けられた監視塔が特徴だった。
けれど、朝のフォルトックには戦場のような緊張感はない。
むしろ――活気に満ちていた。
「焼きたてのパンだよ!」
「新鮮な野菜だ! 今日は安いぞ!」
「ポーションならうちで買っていけ!」
「昨日、東の草原でゴブリンジェネラルが出たらしいぞ!」
「本当かよ!?」
市場の通りを、商人や冒険者たちが行き交っている。
荷車を引く馬の蹄の音。
露店から聞こえる呼び込みの声。
鉄を打つ鍛冶屋の音。
朝食を作る店から漂ってくる香ばしい匂い。
すべてが混ざり合い、フォルトックという街そのものが生き物のように動いていた。
「……賑やかだな」
僕は歩きながら呟いた。
「朝は特にだな」
隣を歩くレンカが答える。
彼女は昨日と同じように、鉄の胸当てを身につけ、腰には愛用の鉄の剣を差していた。
赤みを帯びた髪が朝日に照らされている。
その横顔は、ゲームの中で見ていたレンカよりもずっと鮮やかだった。
ゲーム画面の中では、彼女は一枚の立ち絵と数種類の表情しか持っていなかった。
今は違う。
風が吹けば髪が揺れる。
嬉しければ笑う。
不満なら頬を膨らませる。
僕を見れば、時々恥ずかしそうに目を逸らす。
そして何より――
僕の隣を歩くことを、心から楽しんでいる。
「どうした?」
レンカが僕を見る。
「さっきから私の顔を見ているが」
「いや」
僕は慌てて前を向いた。
「なんでもない」
「ふふっ」
「何?」
「別に」
レンカが楽しそうに笑う。
昨日の戦い以来、彼女はどこか機嫌がいい。
いや。
昨日以前からそうだった気もする。
ただ、昨日の一件を境に、その距離感がさらに近くなった。
歩いているだけなのに、肩が触れる。
人混みを通れば、自然と僕の腕を掴む。
少しでも離れれば、すぐに隣へ戻ってくる。
「正春」
「ん?」
「今日は何をする?」
「まずは装備を見たい」
「装備?」
「ああ」
僕は自分の服を見る。
転生してから、まともな防具を一つも持っていない。
昨日までは木の剣。
その後、青銅の剣を手に入れた。
武器は何とかなった。
しかし、防具は――
「僕、鎧を持ってないんだよな」
「……そうだな」
レンカの視線が僕の身体を上から下まで移動する。
「改めて見ると、本当に何も着ていないな」
「何もって言い方はひどくない?」
「防具の話だ」
「分かってるよ」
僕は苦笑した。
「でも昨日みたいな相手と戦うなら、そろそろ防具が必要だと思う」
「私もそう思う」
レンカは頷いた。
「武器より先に防具を揃えるべきだ」
「やっぱり?」
「ああ」
彼女は真剣な顔をする。
「昨日、お前が攻撃を受けていたらと思うと……」
「大丈夫だったよ」
「結果的にはな」
レンカが僕の袖を掴む。
「でも、私は嫌だ」
「……レンカ?」
「お前が傷つくのは嫌だ」
その声は小さかった。
僕は一瞬、返事ができなかった。
「だから今日は、防具を探す」
「分かった」
そう答えた。
その時だった。
人混みの向こうに、一人の女性が見えた。
金色の髪。
白い法衣。
清らかな雰囲気。
胸元には聖印。
そして、杖を手にしている。
「……」
レンカの足が止まった。
その女性がこちらへ背を向けたまま歩いている。
後ろ姿だけでも分かった。
いや。
分かってしまった。
(……間違いない)
レンカの胸が大きく跳ねる。
(あの髪……あの歩き方……)
かつてのゲーム時代。
五人パーティの一人だった女僧侶。
回復魔法と支援魔法の使い手。
慈悲深く、誰よりも仲間を気遣っていた少女。
――モイラ。
(……モイラだわ)
レンカは息を呑んだ。
よりにもよって。
よりにもよって、こんなところで。
「正春」
「ん?」
「……」
正春がモイラの方向へ視線を向けようとする。
「おや、あそこにいるのは……」
「なんでもないぞ、正春!」
「え?」
レンカが突然、正春の腕を抱き込んだ。
「ちょ、レンカ?」
「それより!」
レンカは正春を自分のほうへ引き寄せる。
「装備の話だ!」
「装備?」
「そうだ!」
「急だな……」
「今のあんたは鎧も着ていないじゃないか!」
「確かにそうだけど」
「だから、今日は防具を探す!」
レンカは必死だった。
正春の視界を自分の身体で遮るようにしながら、彼を市場の反対方向へ誘導していく。
「でも、さっき何か――」
「気のせいだ!」
「そう?」
「そうだ!」
「……分かった」
正春が素直に頷く。
レンカはほっとした。
しかし。
彼女の心臓は、まだ激しく鳴っていた。
(危なかった……)
もし正春がモイラを見ていたら。
もし声を掛けていたら。
もし――
レンカはぎゅっと正春の腕を抱きしめる。
(……まだ駄目)
自分でも分かっている。
いつかは会う。
四人で再び集まる日が来る。
それが、本来のパーティだ。
でも。
今だけは。
もう少しだけ。
正春の隣を独り占めしたい。
(だって……)
レンカは正春の横顔を見る。
(私が最初に見つけたんだから)
市場の一角にある防具店。
店内には、様々な種類の鎧が並んでいた。
革鎧。
鉄鎧。
チェインメイル。
魔法防御を付与されたローブ。
冒険者向けの軽装。
重戦士向けの重装備。
「いらっしゃい」
店主らしき男性が声を掛けてくる。
「防具を探しているのか?」
「はい」
僕は店内を見回した。
「初心者向けのものを」
「なら、この辺だな」
店主が指差す。
革鎧。
値札を見る。
「八百エント……」
次。
鉄製の胸当て。
「千二百……」
さらに全身鎧。
「三千……」
「……」
僕は黙った。
レンカも黙った。
「どうした?」
店主が不思議そうにする。
「いや……」
僕は財布を確認する。
昨日の報酬を合わせても、手持ちは大した額ではない。
昨日までの生活費もある。
宿代も必要だ。
食費も必要。
武器の修理費も考えなければならない。
そんな状況で、防具に数千エントは出せない。
「……無理だな」
僕は小さく呟いた。
「そうだな」
レンカも肩を落とす。
彼女自身の装備も決して上等ではない。
鉄の胸当てと鉄の剣。
ゲーム時代なら序盤装備として普通だった。
でも、この世界では傷んだ装備を使い続ければ、命に関わる。
「もっと安いものは?」
レンカが尋ねる。
「中古ならある」
店主が奥から革鎧を持ってきた。
「三百五十エント」
「……」
「安いだろ?」
僕は革鎧を手に取った。
軽い。
悪くない。
しかし。
「これ、かなり傷んでません?」
「まあ中古だからな」
「……」
僕はレンカを見る。
レンカも僕を見る。
そして。
二人同時に首を横に振った。
「やめよう」
「やめよう」
店主が苦笑する。
「金がないなら仕方ないだろ」
「……そうなんですけど」
僕は肩を落とした。
その時。
「だったら、素材を持ってくればいい」
別の声がした。
店の奥。
鉄を叩く音が止まった。
そこに立っていたのは、腕の太い老人だった。
白い髭。
煤で汚れた顔。
分厚い革の手袋。
そして肩には鍛冶用のハンマー。
「鍛冶屋のガルドだ」
老人が名乗る。
「俺は金より素材を見る」
「素材?」
「そうだ」
ガルドは僕を見る。
「お前、昨日ゴブリンジェネラルを倒したって奴か?」
「……知ってるんですか?」
「街じゃ有名になってる」
ガルドが笑う。
「新米二人がゴブリンジェネラルを倒したってな」
「それは……」
僕は頭を掻いた。
「運が良かっただけです」
「謙遜するな」
ガルドが鼻で笑う。
「だが、運だけでジェネラルは倒せん」
その目が鋭くなる。
「お前、剣を使うんだな?」
「はい」
「なら、いいものを作ってやる」
「本当ですか?」
「ただし金がないなら条件がある」
ガルドは腕を組んだ。
「ミスリルを持ってこい」
「ミスリル……」
僕の頭の中に、その名前が浮かぶ。
ゲームでも非常に重要な素材だった。
軽い。
硬い。
魔力との相性が良い。
武器にも防具にも使える。
上級装備の素材として有名だ。
「どこで取れるんですか?」
「ヴォルカノ火山」
ガルドが答える。
「街から南へ進んだ先にある」
「火山……」
「そうだ」
老人の表情が険しくなる。
「普通の冒険者なら、簡単には行かんほうがいい」
「そんなに危険なんですか?」
「火の鳥、火蜥蜴、ゴブリンライダー。奥へ行けばオークの群れもいる」
「……」
「それでも行くなら、ミスリルを持ってこい」
ガルドは不敵に笑った。
「そうすりゃ、お前の防具を格安で打ってやる」
レンカが僕を見る。
「どうする?」
「……行こう」
僕は答えた。
「必要だから」
「そうだな」
レンカが笑う。
「なら、行こう」
フォルトック南門。
門を抜けた瞬間。
空気が変わった。
東の草原とは違う。
乾いた熱気が、遠くから押し寄せてくる。
「暑いな……」
「ヴォルカノ火山が近いからな」
レンカが額の汗を拭う。
遠くには巨大な山。
山頂から黒い煙が立ち上っている。
時折。
ゴゴゴゴ……。
地鳴りのような音が響く。
「……本当に火山なんだな」
「ゲームでは背景だったけどな」
「そうだな」
レンカが少しだけ意味深に笑った。
「今は違う」
「……うん」
二人は歩き続けた。
草原を抜ける。
徐々に木々が減っていく。
地面が黒くなる。
岩が増える。
そして――
空から影が落ちた。
「正春!」
レンカが叫ぶ。
僕が顔を上げる。
「火の鳥!」
赤い羽根。
炎を纏った翼。
巨大な爪。
火の鳥が急降下してくる。
「避けて!」
僕たちは左右へ飛んだ。
炎が地面を焼く。
「熱っ!」
僕は青銅の剣を構えた。
火の鳥が再び旋回する。
「飛んでいる相手は苦手だな……」
「なら、落とせ!」
「了解!」
僕は手を掲げる。
「ウィンド!」
風の刃が飛ぶ。
火の鳥が翼を切られ、バランスを崩した。
「今だ!」
レンカが跳ぶ。
鉄の剣が閃く。
「はあああっ!」
火の鳥の翼を斬り裂く。
地面へ落下。
僕が走る。
「ファイア!」
炎の魔法を叩き込む。
火の鳥の身体が炎に包まれた。
しかし。
同じ炎属性なのか、完全には効いていない。
「効きが悪い!」
「なら、物理だ!」
レンカが斬り込む。
何度も剣を振る。
最後の一撃が火の鳥の胸を貫いた。
魔物が消滅する。
「……倒した」
「やったな」
レンカが息を吐く。
「でも、魔法だけじゃ駄目か」
「敵によって使い分ければいい」
「そうだな」
僕は青銅の剣を見る。
昨日の煉獄斬り。
まだ、完全には理解できていない。
あれは偶然だったのか。
それとも――
「正春?」
「……何でもない」
僕は頭を振った。
「先へ行こう」
火山へ向かう途中。
今度は地面から叫び声が聞こえた。
「ギャギャッ!」
「……何だ?」
岩陰から、小型の魔物たちが飛び出してくる。
ゴブリン。
ただし、普通のゴブリンではない。
「ゴブリンライダー!」
小さな狼のような魔物に跨っている。
「速い!」
四匹が一斉に突っ込んでくる。
レンカが剣を構えた。
「正春、右!」
「分かった!」
僕は右へ回る。
ライダーが迫る。
青銅の剣を横薙ぎ。
狼の脚を斬る。
バランスを崩したゴブリンが落下。
そこへレンカが踏み込む。
「せいっ!」
一閃。
討伐。
「一匹!」
「二匹!」
僕たちは次々に敵を倒していく。
けれど。
その直後。
「まだいる!」
レンカが叫んだ。
岩陰からさらに十数体のゴブリンが現れた。
「多いな!」
「囲まれるぞ!」
僕は周囲を見る。
逃げ道がない。
なら――
「レンカ、僕が魔法で道を作る!」
「分かった!」
僕は両手を広げる。
「ファイア・ウォール!」
炎の壁が地面から立ち上がる。
ゴブリンたちが怯む。
「今!」
レンカが突っ込んだ。
炎の隙間から敵陣へ飛び込む。
剣が閃く。
僕も続く。
青銅の剣で一体。
蹴りで一体。
風魔法で一体。
炎で一体。
そしてレンカが最後の一体を斬り伏せる。
「……終わった」
「やったな」
僕は息を吐いた。
「やっぱり、剣と魔法を組み合わせると戦いやすい」
「それがお前の強みだ」
レンカが笑う。
「万能型ってのも、悪くないな」
「僕もそう思えてきた」
さらに進む。
すると今度は。
「ブヒィィィ!」
大地を揺らすような声。
「……オーク?」
岩陰から小さなオークたちが現れた。
一匹。
二匹。
三匹。
五匹。
「多いな……」
「しかも、こっちを囲んでる」
レンカが剣を握る。
「どうする?」
「正面突破」
「分かった!」
オークたちが突進する。
「グオオオ!」
棍棒が振り下ろされる。
僕は横へ避ける。
地面が砕ける。
「重い!」
僕は魔法を撃つ。
「サンダー!」
雷が落ちる。
一体が倒れる。
レンカが残りを引き受ける。
「はあああっ!」
剣がオークの腕を切り裂く。
「正春!」
「任せて!」
僕は青銅の剣を構える。
オークの懐へ入り込む。
一撃。
二撃。
三撃。
最後に炎を纏わせる。
「フレイムエッジ!」
炎の刃がオークを斬り裂いた。
消滅。
「……かなり戦えるようになってきたな」
レンカが笑う。
「昨日とは全然違う」
「昨日の戦いで少し思い出したから」
「何を?」
「……昔の感覚」
僕はそう答えた。
レンカは何も言わなかった。
ただ。
優しく笑った。
昼を過ぎた頃。
僕たちはついにヴォルカノ火山の麓へ到着した。
熱い。
とにかく熱い。
岩肌から熱気が吹き出している。
遠くでは溶岩が赤く光っている。
「これ、普通に危険な場所だよな」
「そうだな」
「本当にミスリルがあるのかな」
「ある」
レンカが答える。
「ゲームでは確か、この火山の鉱脈にあった」
「ゲームではな」
「……」
二人の間に少しだけ沈黙が流れる。
僕たちは同じことを知っている。
この世界はゲームと似ている。
でも。
ゲームそのものではない。
「行こう」
僕が言う。
「うん」
洞窟へ入る。
内部はさらに暑かった。
壁面には赤い鉱石。
地面には黒い岩。
ところどころに白銀色の鉱石が混じっている。
「……あれか?」
僕が指差す。
銀色に輝く鉱脈。
「ミスリルだ」
レンカが目を輝かせる。
「やったな!」
「うん!」
僕たちは鉱石を掘り始めた。
ガルドに渡すには十分な量。
そう思った時。
――地面が揺れた。
「……?」
ゴゴゴゴゴゴ……。
「正春」
「分かってる」
二人で振り返る。
洞窟の奥。
巨大な影が動いた。
「グオオオオオオ!」
現れたのは。
通常のオークより遥かに大きな個体だった。
巨大な棍棒。
分厚い筋肉。
身体には赤黒い傷跡。
「オーク……キング?」
「いや」
レンカが剣を構える。
「もっと大きい」
巨大オークが棍棒を振り上げる。
「逃げろ!」
振り下ろされた。
――ドゴォォォン!
衝撃波が洞窟内を駆け抜ける。
「ぐっ!」
僕の身体が吹き飛ぶ。
「正春!」
背中を岩壁へ叩きつけられる。
「がはっ!」
息ができない。
視界が揺れる。
巨大オークが僕へ向かってくる。
「……くそ」
青銅の剣を握る。
立ち上がれない。
身体が動かない。
その瞬間。
「正春に――」
レンカの声が響いた。
「触れるなああああああっ!」
レンカが走る。
彼女の目が赤く燃えている。
「レンカ!」
鉄の剣を両手で握る。
その瞬間。
剣が光った。
「……え?」
白い光。
ゲーム時代に何度も見た。
クリティカル発生時のエフェクト。
しかし。
現実では、そんな光は存在しないはずだった。
「……会心の一撃」
レンカが呟く。
次の瞬間。
身体が一気に加速した。
「はああああああっ!」
巨大オークが棍棒を振り下ろす。
レンカは紙一重で避けた。
地面へ着地。
一歩。
二歩。
三歩。
そして。
巨大オークの懐へ潜り込む。
「そこだあああっ!」
剣が閃いた。
――ズドンッ!
鉄の剣が、巨大オークの急所を正確に貫く。
「グ……オ……」
巨大な身体が止まった。
そして。
ゆっくりと倒れる。
――ドォォン。
洞窟全体が震えた。
「……」
レンカは剣を握ったまま立っていた。
肩で息をしている。
僕は壁に手をつきながら立ち上がった。
「レンカ……」
「正春!」
彼女が駆け寄ってくる。
「大丈夫か?」
「ああ」
「本当に?」
「うん」
レンカが僕の身体を確認する。
「血は?」
「出てない」
「痛いところは?」
「背中が少し」
「……」
レンカが僕を抱きしめた。
「よかった……」
「レンカ?」
「本当に……よかった……」
声が震えている。
僕は彼女の背中へ手を回した。
「ありがとう」
「……」
「助けてくれて」
「当然だ」
レンカは顔を上げた。
「私は……お前の仲間だからな」
「うん」
「だから、絶対に守る」
その言葉は。
まるで誓いのようだった。
僕たちは洞窟内のミスリルを採取した。
予定以上の量が取れた。
これならガルドも喜ぶだろう。
「これで防具が作れるな」
「正春の防具だ」
「レンカの分も作ってもらおう」
「え?」
「レンカだって装備を新しくした方がいい」
「私はいい」
「なんで?」
「お前のほうが大事だから」
「でも――」
「いいんだ」
レンカは笑った。
「私は今の装備で戦える」
「……分かった」
僕は頷いた。
けれど。
いつかレンカにも新しい装備を贈りたい。
そう思った。
◆
フォルトックへ戻った頃には、空が夕焼けに染まっていた。
市場も朝とは違う顔を見せている。
昼の喧騒が少し落ち着き、酒場には仕事を終えた冒険者たちが集まり始めている。
「ガルドさんのところへ行こう」
「うん」
鍛冶屋へ向かう。
扉を開ける。
「おう!」
ガルドが顔を上げた。
「帰ってきたか!」
「はい」
僕は袋を差し出した。
「ミスリルです」
「……!」
ガルドの目が輝く。
「こりゃ上質だな!」
「防具、作れますか?」
「もちろんだ!」
ガルドはミスリルを手に取り、光へかざした。
「約束通り、格安で作ってやる」
「ありがとうございます」
「それにしても……」
ガルドがレンカを見る。
「こっちの嬢ちゃんも随分と頑張ったらしいな」
「まあな」
レンカが胸を張る。
「オークの強敵も倒した」
「そうか」
ガルドは笑う。
「なら、二人分作ってやる」
「え?」
僕とレンカが同時に声を上げる。
「ミスリルは十分ある。余った分で嬢ちゃんの剣も強化してやる」
「……!」
レンカの目が輝いた。
「本当か?」
「ああ」
「ありがとう!」
レンカが嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て。
僕も自然と笑った。
鍛冶屋を出る。
空はすっかり夕暮れだった。
街灯に火が灯り始めている。
僕たちは並んで歩く。
「……今日は疲れたな」
「そうだな」
「でも、楽しかった」
「私もだ」
レンカが少し黙る。
「なあ、正春」
「ん?」
「今日の働きに免じて」
「?」
「私に……ご褒美をくれ」
レンカの頬が赤くなる。
「ご褒美?」
「ああ」
「何がいい?」
僕は何気なく尋ねた。
その瞬間。
レンカの顔がさらに赤くなった。
(……どうしよう)
レンカの心臓が跳ねる。
(ほっぺに……)
今日の戦い。
正春を守った。
そして。
正春も自分を信じてくれた。
なら。
少しくらい。
(ほっぺにキスとか……)
そこまで考えたところで。
「……」
恥ずかしくなった。
無理だ。
そんなこと言えるわけがない。
「レンカ?」
「……」
「どうした?」
「なんでもない」
レンカは視線を逸らす。
「別のご褒美にする」
「別の?」
「ああ」
レンカは拳を握る。
そして。
意を決した。
「今夜は――」
僕を見る。
「酒場で朝まで私に付き合ってくれ!」
「朝まで?」
「そうだ!」
「二人で?」
「二人で!」
レンカは勢いよく答えた。
「祝杯を挙げるんだ!」
僕は笑った。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって何だ!」
「ごめんごめん」
僕は頷いた。
「喜んで」
「……!」
レンカの顔がぱっと明るくなる。
「本当か?」
「うん」
「絶対だぞ?」
「絶対」
「途中で寝るなよ?」
「努力する」
「努力じゃ駄目だ!」
「じゃあ、頑張る」
「それならよし!」
レンカが僕の腕へ抱きつく。
ぎゅっと。
強く。
「今日は朝まで付き合ってもらうからな」
「分かった」
「逃げるなよ?」
「逃げないって」
「……約束だぞ」
「約束」
レンカは満足そうに笑った。
けれど。
その心の奥には、別の願いがあった。
(……本当は)
レンカは正春を見る。
(もっと近くにいたい)
でも。
今はこれでいい。
腕を組んで歩く。
一緒に酒を飲む。
一緒に笑う。
そんな時間を積み重ねていけば。
いつか。
正春が自分だけを見るようになる。
そう信じていた。
その頃。
冒険者ギルド。
昼間の市場で正春とすれ違った金髪の女性――モイラは、ギルドの隅にある小さな机に座っていた。
目の前には一枚の紙。
そこに描かれているのは――
一人の青年。
「……」
モイラはその似顔絵を見つめていた。
「違う……」
何枚目か分からない。
街へ来てから何人もの冒険者を見た。
けれど。
誰も違った。
探しているのは。
一人だけ。
「正春様……」
モイラは小さく呟く。
かつて。
五人で冒険した。
笑った。
戦った。
何度も危険な場所へ挑んだ。
そして。
いつも中心にいたのは彼だった。
プレイヤー。
自分たちを導いてくれた存在。
彼がログインすると。
世界が動き出した。
彼がログアウトすると。
世界から彼の気配が消えた。
けれど。
ある日。
突然。
彼は消えた。
二度と戻ってこなかった。
それから。
世界は変わった。
ゲームだった世界が。
現実になった。
NPCだった自分たちにも。
感情が生まれた。
時間が流れた。
そして。
ただ一つ残った記憶。
――正春という名前。
「必ず……」
モイラは似顔絵を胸元へ抱いた。
「必ず、見つけます」
その目には。
強い決意が宿っていた。
「今度こそ……私が、正春様を守ります」
一方。
酒場では。
「乾杯!」
「乾杯!」
グラスがぶつかる。
カンッ、と軽快な音が響いた。
「今日は最高だな!」
レンカが笑う。
「ミスリルも手に入ったし」
「防具も作ってもらえる」
「それに……」
レンカが僕を見る。
「今日も二人でいられる」
「そうだな」
僕は笑った。
その答えだけで。
レンカは満足そうに目を細めた。
「なあ、正春」
「ん?」
「これからも……」
レンカは少しだけ迷う。
「ずっと、一緒に冒険しような」
「もちろん」
「絶対だぞ?」
「約束する」
「……うん」
レンカは嬉しそうに笑った。
けれど。
その時。
ギルドの片隅で。
一枚の似顔絵が。
風に揺れた。
そこには。
正春によく似た青年の姿。
そして。
その下には。
一つの名前。
――正春。
運命は。
少しずつ動き始めていた。
五人の仲間。
かつてゲームの中で結ばれていた絆。
それが今。
現実の世界で再び結ばれようとしている。
ただし。
ゲームとは違う。
そこには。
NPCとしてではなく。
一人の人間として生きる彼女たちの感情がある。
友情。
信頼。
そして――
恋心。
誰よりも早く正春と再会したレンカは。
すでに、その感情を隠しきれなくなり始めていた。
「正春」
「ん?」
「明日も一緒に行こうな」
「もちろん」
「……ふふ」
レンカは嬉しそうに笑った。
そして。
誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「……私が、ずっと隣にいるから」
その瞳には。
夕焼けよりも熱い光が宿っていた。
灼熱のミスリル。
炎に包まれた火山。
死闘の中で目覚めた戦士の力。
そして。
少女の胸に芽生えた、強い想い。
この日。
正春は新たな力を手に入れた。
そしてレンカは――
自分の中にある想いを。
もう、誤魔化せなくなっていた。




