第3話 二人の初陣、そして独占の芽
第3話 二人の初陣、そして独占の芽
フォルトック東門を抜けた瞬間。
正春は、ふと足を止めた。
「……」
目の前には、広大な草原が広がっている。
朝露に濡れた草が風に揺れ、遠くには深い森が見える。
そのさらに向こうには、山々。
青い空には白い雲が浮かび、鳥の群れがゆっくりと飛んでいた。
ゲームの画面で何度も見た風景。
何度も歩いた場所。
何度も戦った場所。
なのに。
実際に立ってみると、まるで別物だった。
風が頬を撫でる。
草の匂いがする。
土の感触が靴底から伝わってくる。
遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。
そして。
隣には――。
「どうした?」
レンカがいる。
赤茶色の髪を風になびかせながら、正春を見ている。
「いや」
正春は小さく笑った。
「ちょっと感動してた」
「何に?」
「この景色」
「……景色?」
「ああ」
正春は草原を見渡す。
「昔、何度も見たんだ」
「昔?」
「あ……」
しまった。
また余計なことを言った。
レンカが首を傾げる。
「昔って?」
「夢で」
「夢?」
「そう。夢の中で」
レンカはしばらく正春を見る。
やがて。
「変な奴だな」
そう言って笑った。
だが。
レンカの胸の奥では。
(……やっぱり)
小さな確信が生まれていた。
彼は覚えている。
完全ではない。
おそらく。
ゲームだった頃のことを。
自分たちのことを。
けれど。
まだ思い出してはいない。
(なら……)
レンカは正春の横顔を見る。
(私が思い出させてあげる)
それが。
いつになるかは分からない。
でも。
焦る必要はない。
今。
彼は自分の隣にいる。
それだけで十分だった。
……少なくとも。
今のところは。
「正春」
「ん?」
「行くぞ」
「ああ」
二人は再び歩き出した。
目的地は。
草原の向こうにある古い遺跡。
――最初のダンジョン。
ゲームでは。
物語の序盤に必ず訪れる場所だった。
街から一時間ほど歩いた頃。
景色が変わり始めた。
草原が途切れ。
木々が増える。
やがて。
森へ入った。
「ここからは気をつけろ」
レンカが言った。
「魔物が出る」
「ああ」
正春は剣を握る。
昨日買った鉄の剣。
まだ身体には馴染んでいない。
ゲームなら。
装備変更を選択すれば一瞬だった。
だが。
現実では。
剣の重さがある。
柄の感触がある。
刃の冷たさがある。
「……重いな」
「慣れれば軽く感じる」
レンカは歩きながら言う。
「剣は身体の一部だと思え」
「身体の一部?」
「ああ」
レンカは自分の剣を抜いた。
陽光を受けて刃が輝く。
「剣を振るんじゃない」
彼女は軽く構える。
「身体ごと動かす」
そして。
近くの木へ一閃。
――ザンッ!
太い枝が綺麗に切り落とされた。
「……すご」
正春は思わず呟いた。
「これくらい普通だ」
「いや、普通じゃないだろ」
「お前もできる」
「本当に?」
「才能はある」
レンカは笑った。
「ただし」
「ただし?」
「私よりは遅い」
「……」
「悔しいか?」
「ちょっと」
「なら頑張れ」
レンカは楽しそうだった。
正春も笑う。
「分かった」
その光景は。
まるで。
昔の二人のようだった。
レンカはそのことを知っている。
正春は知らない。
この違いだけが。
二人の間にある大きな秘密だった。
森を抜ける。
その先に。
巨大な石造りの建物が見えた。
崩れた塔。
苔むした壁。
地面から突き出した石柱。
入口には。
巨大な門がある。
「……着いたな」
正春が言った。
「ああ」
レンカも頷く。
旧・地下遺跡。
かつて。
この地域を守るために建造された砦の地下施設。
現在は魔物の巣窟となっている。
正春は記憶を辿る。
ゲームでは。
最初に攻略するダンジョン。
出現する魔物は。
スライム。
ゴブリン。
スケルトン。
そして。
最奥には――。
「キメラ」
正春が呟いた。
「……知ってるのか?」
レンカが尋ねる。
「ああ」
「なんで?」
「……勘」
「便利な勘だな」
レンカは笑った。
だが。
正春の顔は真剣だった。
ゲームでは知っている。
しかし。
現実になった今。
どこまで同じか分からない。
「行こう」
正春が言う。
「ああ」
二人は。
暗い入口へ踏み込んだ。
中は。
ひんやりしていた。
外の暖かな空気とは違う。
湿気を含んだ冷気が肌を撫でる。
壁には苔が生えている。
床には水が溜まっていた。
――ぽた。
――ぽた。
天井から水滴が落ちる。
「……静かだな」
正春が呟く。
「だからこそ気をつけろ」
レンカが前を向く。
「静かな場所ほど危険だ」
「了解」
二人は慎重に進む。
しばらくして。
物陰が動いた。
「来るぞ」
レンカが構える。
――ぴょん。
青い塊が跳ねた。
「スライム!」
正春は剣を構える。
ゲームでは弱い敵。
最序盤の雑魚。
だが。
現実のスライムは。
想像以上に不気味だった。
半透明の身体。
内部には黒い核。
ぬるぬると動く。
「気持ち悪いな」
「見た目で判断するな」
レンカが踏み込む。
「核を狙え!」
「分かった!」
レンカの剣が閃く。
――ズバッ!
スライムが二つに裂けた。
しかし。
すぐに一つへ戻ろうとする。
「正春!」
「任せろ!」
正春は手を掲げた。
「火よ――」
小さな炎が生まれる。
「――燃えろ!」
火球がスライムへ飛ぶ。
――ボッ!
炎に包まれ。
スライムの身体が縮んでいく。
やがて。
黒い核が砕けた。
魔物が消える。
「……倒した」
正春は自分の手を見る。
魔法。
本当に使えた。
「今の魔法……」
レンカが見る。
「どうした?」
「いや」
レンカは微笑んだ。
「やっぱり、お前だなって思っただけ」
「?」
「なんでもない」
レンカは先へ進んだ。
◇
その後も。
二人は何度も魔物と戦った。
スケルトン。
ゴブリン。
小型のウルフ。
ゲームでは。
数字としてしか見ていなかった敵。
しかし。
現実では。
どれも命を奪いに来る。
「――っ!」
ゴブリンが飛びかかる。
正春が剣を横に振る。
――ガキン!
盾代わりの木の板に刃が当たった。
「くっ!」
力負けする。
ゴブリンが押し込んでくる。
その瞬間。
レンカが横から飛び込んだ。
「どけ!」
――ズバッ!
ゴブリンの腕が飛ぶ。
続けて。
首を斬る。
魔物が崩れ落ちる。
「大丈夫か?」
「ああ」
正春は息を整える。
「助かった」
「礼はいらない」
「でも」
「仲間だろ?」
「……」
正春は笑った。
「そうだな」
レンカの胸が熱くなる。
仲間。
その言葉だけで。
何年でも待てる気がした。
いや。
待つ必要はない。
今。
ここにいる。
だから。
もう二度と。
離れない。
◇
しばらく進むと。
広い空間へ出た。
そこには。
大きな石碑があった。
正春は立ち止まる。
「ここ……」
知っている。
ゲームでは。
この石碑を調べることで。
最初の回復ポイントが解放される。
正春が手を伸ばす。
――ゴゴゴゴ……。
石碑が光った。
「……!」
レンカが驚く。
「何をした?」
「触っただけ」
「それだけ?」
「ああ」
石碑の文字が浮かび上がる。
――旅人よ。
――ここより先。
死を覚悟せよ。
正春は眉をひそめた。
ゲームには。
こんな文章はなかった。
「……違う」
「何が?」
「ゲームと違う」
レンカは正春を見る。
「ゲーム?」
「あ」
また口を滑らせた。
「……昔見た遺跡と違うんだ」
「ふーん」
レンカはそれ以上聞かなかった。
ただ。
心の中で。
(やっぱり……)
確信を深める。
正春は。
間違いなく。
あの人だ。
◇
そして。
最奥。
二人は巨大な扉の前に立った。
扉には。
獅子の紋章。
山羊の角。
蛇の尾。
キメラを象徴する彫刻が刻まれている。
「ここだ」
正春が言った。
「ボスか?」
「ああ」
「分かるのか?」
「……なんとなく」
「便利な勘だな」
レンカは笑う。
「でも」
彼女は剣を抜いた。
「面白そうだ」
正春も剣を握る。
巨大な扉へ手をかける。
「行くぞ」
「おう」
――ギィィィ……。
扉が開いた。
その瞬間。
「――グオオオオオオオオッ!」
咆哮が響いた。
空気が震える。
壁から埃が落ちる。
正春は息を呑んだ。
「……デカい」
部屋の中央。
巨大な魔獣が立っていた。
獅子の頭。
山羊の胴体。
蛇の尾。
キメラ。
ゲームでは。
画面上に表示される大きな敵キャラクターだった。
今は。
違う。
目の前にいる。
巨大だ。
恐ろしい。
獣臭がする。
牙がある。
爪がある。
そして。
こちらを殺そうとしている。
「正春」
レンカが低い声で言う。
「ああ」
「怖いか?」
「……少し」
「なら」
レンカは笑った。
「私の後ろにいろ」
「いや」
正春は首を振る。
「一緒に戦う」
「……」
「俺たち、パーティだろ?」
レンカは。
しばらく黙っていた。
そして。
「……ああ」
嬉しそうに笑った。
「そうだったな」
キメラが吠える。
そして。
突進してきた。
「来るぞ!」
レンカが前へ出る。
――ドォン!
巨大な爪が振り下ろされる。
レンカは横へ飛ぶ。
床が砕ける。
「今だ!」
正春が走る。
魔法を放つ。
「火炎弾!」
炎がキメラの顔に直撃する。
――ゴオオッ!
「グルァッ!」
キメラが怯む。
「効いた!」
正春が叫ぶ。
「足だ!」
レンカが叫ぶ。
「分かった!」
正春は走った。
キメラの側面へ回り込む。
剣を振る。
――ガキン!
硬い。
「くっ……!」
刃が弾かれる。
「正春!」
「まだ!」
正春は身体を低くする。
キメラの蛇の尾が横薙ぎに飛んでくる。
「危ない!」
レンカが正春を突き飛ばした。
――ブンッ!
尾が二人の頭上を通過する。
「レンカ!」
「大丈夫!」
レンカは立ち上がる。
「足を狙う!」
彼女が突っ込む。
大剣が振り下ろされる。
――ズバッ!
キメラの足に傷が入った。
「今だ!」
正春も踏み込む。
「――炎よ!」
剣に炎を纏わせる。
「はあああああっ!」
振り下ろす。
――ドォン!
炎が爆発した。
キメラが吠える。
身体が傾く。
「倒れる!」
レンカが叫ぶ。
正春は走る。
キメラの懐へ。
胸元。
巨大な心臓。
そこが。
ゲームでの弱点だった。
「ここだ!」
正春は剣を突き出した。
――ズブッ!
刃が肉へ食い込む。
だが。
「――っ!」
止まった。
深く入らない。
正春の腕が震える。
キメラが暴れる。
「正春!」
「くそっ……!」
木の剣なら。
絶対に折れていた。
いや。
鉄の剣でも。
このままでは耐えられない。
「正春!」
レンカが走る。
「離れろ!」
「でも!」
「いいから!」
レンカが大剣を構える。
「私がやる!」
――一閃。
大剣がキメラの首へ叩き込まれる。
――ズガァン!
巨体が揺れる。
正春の剣がさらに奥へ入る。
「今だ!」
レンカが叫ぶ。
「うおおおおおっ!」
正春は全力で押し込んだ。
――ドクン。
何かが砕ける感触。
キメラの瞳から光が消えた。
巨体が。
ゆっくりと倒れる。
――ズゥゥゥン……。
静寂。
正春は荒い息を吐いた。
「……倒した?」
レンカも肩で息をしている。
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
二人は顔を見合わせた。
そして。
「……やったな」
「……ああ!」
二人は笑った。
それは。
正春にとって。
この世界で初めて勝ち取った勝利だった。
◇
キメラの身体が光になる。
そして。
その場に。
一つの宝箱が現れた。
「宝箱……」
正春は近づく。
ゲームと同じ。
正春が蓋を開ける。
中には。
一振りの剣があった。
鈍い青銅色。
しかし。
確かな力を感じる。
「……青銅の剣」
正春は呟く。
ゲームでは。
最初のボスを倒した報酬。
初期装備から一段階上の武器。
だが。
現実で見ると。
ただの武器ではない。
自分たちが命懸けで手に入れた。
最初の戦利品。
「いい獲物じゃないか」
レンカが言う。
「これは正春が持て」
「え?」
レンカは剣を手に取り。
正春へ差し出した。
「俺が?」
「ああ」
「レンカが使ったほうがいいだろ」
「私は鉄の剣がある」
「でも」
「いいから」
レンカは笑った。
「これは、お前のものだ」
正春は剣を受け取った。
少し重い。
けれど。
確かな存在感がある。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
レンカは笑った。
その笑顔を見ながら。
正春は思う。
この剣。
絶対に大切にしよう。
それと同時に。
この世界で。
初めて。
自分自身の力で何かを手に入れた。
そんな実感が湧いてきた。
◇
ダンジョンを出る頃には。
空が夕焼けに染まっていた。
「疲れた……」
正春は歩きながら呟く。
「当然だ」
レンカが笑う。
「初めての冒険だったんだからな」
「レンカは平気そうだな」
「私は慣れてる」
「すごいな」
「そうでもない」
「いや、すごい」
正春は青銅の剣を見る。
「これもありがとう」
「何度も言うな」
「でも」
「なら」
レンカが笑う。
「今度、私に何か返せ」
「分かった」
「楽しみにしてる」
夕日を浴びながら。
二人はフォルトックへ戻った。
◇
冒険者ギルド。
二人が魔物の素材を持ち込むと。
受付嬢が驚いた。
「もうキメラを?」
「まあな」
レンカが答える。
「二人で?」
「ああ」
受付嬢は正春を見る。
「新人とは思えませんね」
「レンカが強かったから」
「正春もなかなかでしたよ」
「そう?」
「はい」
素材が次々と換金される。
そして。
「合計300エントになります」
「300……」
正春は目を輝かせた。
「本当に?」
「はい」
受付嬢から硬貨を受け取る。
300エント。
正春が。
この世界で。
自分の力で稼いだ初めての金だった。
「……」
しばらく。
正春は硬貨を見つめていた。
レンカが笑う。
「嬉しいか?」
「ああ」
「なら良かったな」
「うん」
正春は笑う。
「今夜は俺がおごる」
「……!」
レンカの目が輝いた。
「本当か?」
「ああ」
「何でもいいのか?」
「まあ、300エントしかないけど」
「十分だ」
レンカは満面の笑みを浮かべた。
「行こう!」
「そんなに嬉しいのか?」
「嬉しいに決まってるだろ!」
レンカは正春の腕を掴んだ。
「さあ、食べるぞ!」
「お、おい!」
二人は酒場へ向かった。
酒場。
テーブルいっぱいに料理が並ぶ。
「……頼みすぎじゃない?」
正春が言う。
「気のせいだ」
「いや、絶対多い」
「冒険したんだぞ?」
「まあ……」
「なら食え」
「はい」
二人は食事を始める。
肉。
パン。
スープ。
魚。
果物。
そして。
レンカは酒を注文した。
「乾杯」
「乾杯」
グラスを合わせる。
――カンッ。
小さな音。
正春は酒を一口飲む。
「……苦い」
「まだ子供だな」
「レンカは?」
「美味い」
レンカは楽しそうに笑う。
「それより」
「ん?」
「今日は楽しかったな」
「ああ」
「初めて一緒に戦った」
「そうだな」
「また行こうな」
「もちろん」
「明日も?」
「え?」
「明日もダンジョン」
「……休もうよ」
「嫌だ」
「即答か」
レンカは笑う。
「私はもっとお前と冒険したい」
「……」
正春は照れくさそうに笑った。
「じゃあ、また明日」
「ああ」
レンカの胸が高鳴る。
(ずっと一緒)
それだけで。
幸せだった。
◇
食事を終えた二人は。
宿へ向かった。
正春は財布を確認する。
「……」
残金。
ほとんどない。
「どうした?」
「いや」
正春は苦笑した。
「やっぱり二部屋は厳しいかな」
受付で宿代を聞く。
予想より高い。
正春は困った顔をした。
すると。
「……正春」
「ん?」
レンカが頬を赤くする。
「部屋」
「うん?」
「一つでも……いいんだぞ?」
「……」
「その……」
レンカは視線を逸らす。
「わざわざ二部屋取る必要もないだろ?」
声が少し小さい。
正春は。
真面目に考えた。
「でも」
「……」
「レンカにはゆっくり休んでほしいから」
「え?」
「今日かなり戦っただろ?」
「……」
「だから」
正春は受付へ向き直る。
「すみません」
「はい」
「二部屋お願いします」
「……」
レンカが固まった。
「……」
「レンカ?」
「……なんでもない」
「?」
「二部屋でいい」
「そう?」
「ああ」
レンカは笑った。
ただし。
その笑顔は。
少しだけ引きつっていた。
(――鈍い)
心の中で叫ぶ。
(本当に鈍い!)
今日。
何度も距離を縮めようとした。
何度も。
何度も。
けれど。
正春は。
全部。
普通の仲間として受け取っている。
(……でも)
レンカは自分を落ち着かせる。
(今はいい)
同じ宿にいる。
同じ街にいる。
明日も一緒に冒険する。
そして。
何より。
他の女たちは。
まだ来ていない。
(今は……私だけ)
それでいい。
◇
夜。
正春は部屋のベッドに横になっていた。
「……今日は色々あったな」
目を閉じる。
スライム。
ゴブリン。
スケルトン。
キメラ。
そして。
レンカ。
「……」
正春は笑った。
まさか。
本当にレンカと一緒に冒険する日が来るとは。
ゲームの中では。
彼女はただの仲間だった。
でも。
今は。
自分と一緒に笑い。
一緒に戦い。
一緒に飯を食べた。
「……不思議だ」
眠気が襲ってくる。
正春は目を閉じた。
◇
その頃。
隣の部屋。
レンカは。
ベッドの上で枕を抱えていた。
「……」
眠れない。
今日のことを思い出している。
正春と戦った。
正春と食事をした。
正春と話した。
正春に名前を呼ばれた。
「……」
頬が熱くなる。
嬉しい。
本当に嬉しい。
ゲームの頃とは違う。
自分の意思で。
彼と一緒にいられる。
でも。
同時に。
胸の奥に。
黒い感情が芽を出していた。
(……他のみんなは)
女僧侶。
女魔法使い。
女シーフ。
かつての仲間たち。
彼女たちも。
いつか正春を探す。
きっと。
正春に会えば。
同じように喜ぶ。
そして。
正春の隣に立とうとする。
(……嫌)
レンカは枕を強く抱きしめる。
(正春には……私がいればいい)
その思いは。
まだ小さな芽だった。
けれど。
確かに。
彼女の心の中に根を張り始めていた。
◇
翌朝。
正春が宿を出る。
そこには。
すでにレンカがいた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
「今日はどこへ行く?」
正春は地図を広げる。
「次は……」
指を滑らせる。
フォルトックの北。
そこには。
ゲームでは中盤以降に訪れる街がある。
しかし。
今はまだ早い。
「まずはレベルを上げよう」
「そうだな」
レンカが頷く。
そして。
二人は歩き出した。
誰もいない道を。
二人で。
正春は知らない。
自分たちの旅が。
すでにゲームのシナリオから大きく外れ始めていることを。
そして。
レンカもまた。
まだ知らない。
自分の独占欲が。
やがて。
他の仲間たちとの関係を大きく揺さぶることを。
その日の夕方。
フォルトックから遠く離れた場所。
一人の少女が。
古い街道を歩いていた。
白いローブ。
胸元には神殿の紋章。
少女は。
何かを探すように空を見上げる。
「……まだ」
呟く。
「まだ、見つからない」
別の場所。
魔法学院。
一人の少女が。
大量の本を抱えて歩いている。
長い杖を持ち。
眼鏡の奥の瞳が鋭く光っている。
「……変ね」
彼女は呟いた。
「予定と違う」
さらに別の場所。
暗い路地裏。
一人の少女が。
壁にもたれて笑っていた。
黒い衣装。
短剣。
鋭い目。
「……へえ」
少女は。
手の中の古びた紙を見る。
「ようやく動いたんだ」
三人とも。
まだ。
正春のもとへは辿り着いていない。
しかし。
運命は。
少しずつ。
彼女たちを同じ場所へ導き始めていた。
◇
フォルトック。
その街の外。
正春とレンカは。
並んで歩いていた。
「なあ、正春」
「ん?」
「昨日の200エント」
「ああ」
「覚えてるか?」
「もちろん」
「ちゃんと返せよ?」
「分かってる」
「本当に?」
「ああ」
レンカは笑った。
「ならいい」
正春は青銅の剣を見る。
「……いつか絶対返す」
「うん」
レンカは静かに答えた。
「待ってる」
その言葉には。
200エント以上の意味が込められていた。
正春は。
まだ。
その意味を知らない。
レンカも。
それを言葉にはしない。
ただ。
彼の隣を歩く。
それだけで。
今は満足だった。
(……正春)
レンカは心の中で名前を呼ぶ。
(私が守る)
誰にも渡さない。
誰にも奪わせない。
たとえ。
この世界の運命が。
それを許さなかったとしても。
――二人の初陣は終わった。
けれど。
それは。
本当の冒険の始まりにすぎない。
正春の知らないところで。
三人の少女たちも。
少しずつ。
彼のいる場所へ近づいていた。
そして。
いつか。
五人が再び集まった時。
それぞれの記憶と。
それぞれの想いが。
交差する。
その時。
正春は初めて知ることになる。
この世界が。
ただのゲームではなかったことを。
そして。
レンカが。
自分との再会を。
どれほど長い間。
待ち続けていたのかを。
――200エント。
それは。
二人が交わした。
小さな借りだった。
しかし。
その借りはやがて。
二人の運命を結ぶ。
大きな契りへと。




