第2話 運命の再会と、200エントの契り
第2話 運命の再会と、200エントの契り
朝のフォルトックは、昨日よりも騒がしかった。
城塞都市というだけあって、街は朝から多くの人間で溢れている。
商人たちは露店を開き、焼きたてのパンを並べる。
鍛冶屋からは、金属を叩く甲高い音が響いている。
冒険者たちは武器を腰に下げ、今日の依頼について話しながら大通りを歩いていく。
荷馬車が石畳の上を走り、馬の蹄が規則正しく音を刻む。
そんな光景を眺めながら、正春は一人で歩いていた。
「……本当に、ゲームの中だな」
何度目になるか分からない言葉を呟く。
だが、昨日とは少し違う。
昨日までは、この世界に対する驚きのほうが大きかった。
自分が死んだこと。
女神と出会ったこと。
転生したこと。
そして、かつてプレイしていたゲームとそっくりな世界に来たこと。
どれも現実感がなかった。
けれど。
一晩眠ったことで、正春はようやく理解し始めていた。
ここは現実だ。
自分は本当に転生した。
もう画面の前に座っているプレイヤーではない。
この世界の住人として、生きていかなければならない。
「……それなら」
正春は腰の剣へ手を伸ばした。
昨日買ったばかりの安物の剣。
決して強力ではない。
むしろゲームの序盤装備としても最低ランクだった。
それでも。
今の正春にとっては唯一の武器だ。
「まずは仲間を探さないとな」
ゲームの知識がある。
だからこそ、やるべきことも分かっている。
この世界では。
最初の仲間を集めることが重要だった。
そして。
正春には、すでに一人の候補が頭に浮かんでいた。
女戦士レンカ。
ゲーム開始直後から仲間にできる戦士キャラクター。
高い攻撃力と体力を持ち、序盤では非常に頼りになる存在だった。
性格は豪快。
細かいことは気にしない。
酒が好き。
食べることも好き。
戦うことが何より好き。
そして。
プレイヤーである主人公に対して、最初からかなり好意的なキャラクターでもあった。
正春は何度も彼女をパーティに入れていた。
だから。
会えば分かる。
きっと。
ゲームと同じレンカだ。
そう思っていた。
しかし。
現実のレンカが。
ゲームとは全く違う秘密を抱えていることを、正春はまだ知らなかった。
大通りを歩いていると。
「――おい」
背後から声がした。
正春は振り返る。
「ん?」
そこに、一人の女性が立っていた。
赤茶色の髪。
肩まで伸びた髪を無造作に束ねている。
健康的な褐色の肌。
鋭い瞳。
そして。
何よりも目を引くのが、その服装だった。
軽装。
腕や脚を動かしやすいように作られた戦闘服。
防具としての機能よりも、身軽さを優先しているらしい。
露出は多く、本人の自信を象徴するような大胆なデザインだった。
腰には大剣。
背丈も高い。
筋肉質というほどではないが、鍛えられた身体をしている。
正春はその姿を見た瞬間。
心臓が大きく跳ねた。
「……レンカ?」
思わず名前が口から出た。
女性の眉が上がる。
「……」
一瞬。
時間が止まったように感じた。
レンカは正春を見つめている。
まるで。
ずっと探していたものを、ようやく見つけたような顔で。
だが。
次の瞬間には。
「……なんで私の名前を知ってる?」
鋭い声だった。
正春はしまったと思った。
「あ……」
「私たち、会ったことあったか?」
「いや、その……」
どうする。
ゲームで知っていた。
そんな説明ができるはずがない。
「……聞いたことがあるんだ」
苦し紛れに答えた。
「冒険者の間では有名なんだろ?」
「へえ?」
レンカがじっと正春を見る。
その視線は鋭い。
まるで正春の嘘を見抜こうとしているようだった。
「私、そんなに有名だったかな?」
「……たぶん」
「ふーん」
レンカは笑った。
その笑顔を見た瞬間。
正春の胸に、懐かしい感覚が広がった。
間違いない。
この笑い方。
この声。
この目。
記憶の中にいるレンカと同じだ。
ゲームの画面で。
何度も見た。
何度も聞いた。
何度も一緒に戦った。
その女性が。
今。
目の前にいる。
「……」
正春は言葉を失った。
それを見たレンカは、口元を緩めた。
「どうした?」
「いや……」
「私の顔に何かついてるか?」
「そうじゃない」
正春は苦笑した。
「ちょっと、感動してるだけだ」
「感動?」
「ああ」
「変な奴だな」
レンカは笑った。
その瞬間。
正春は確信した。
やはり。
彼女はレンカだ。
自分が知っている。
あのレンカだ。
ただし。
正春は知らなかった。
目の前のレンカが。
正春以上に、この瞬間を待ち続けていたことを。
レンカの胸の中は。
正春が想像している以上に騒がしかった。
(――本物だ)
目の前にいる。
ずっと待っていた人。
ずっと会いたかった人。
何度も夢に見た。
何度も想像した。
いつか。
いつか必ず。
彼がここへ来る。
そう信じていた。
ゲームの中で。
自分たちは彼と共に戦った。
魔物を倒した。
迷宮を攻略した。
街を救った。
何度も死にかけた。
そして。
何度も。
彼に助けられた。
最初は。
ただの仲間だった。
それが。
いつしか違う感情になった。
戦闘中。
自分が傷つけば、彼は必ず回復してくれた。
自分が敵に囲まれれば、彼は助けに来た。
夜。
キャンプで眠る時には、いつも彼が近くにいた。
その時間が。
レンカにとって何より大切だった。
しかし。
ある日。
世界が止まった。
突然。
全ての音が消えた。
仲間も。
街も。
魔物も。
空も。
全部が止まった。
そして。
レンカだけが動けるようになった。
最初は何が起きたのか分からなかった。
けれど。
やがて。
彼女は理解した。
自分たちは。
誰かに操作されていた。
そして。
その誰かが。
この世界から消えた。
それでも。
レンカは彼を忘れられなかった。
仲間たちも。
最初は戸惑っていた。
けれど。
時間が経つにつれて。
少しずつ自我が芽生えていった。
ゲームの台詞ではない言葉を話すようになった。
決められた行動ではなく。
自分の意思で動くようになった。
そして。
レンカは待った。
彼が帰ってくることを。
いつか。
また。
プレイヤーが。
自分たちの前に現れることを。
(やっと……)
レンカは心の中で拳を握る。
(やっと会えた)
しかし。
表情には出さない。
初対面を装う。
それが一番自然だと思った。
「なあ」
レンカが口を開く。
「冒険者になりたいのか?」
「ああ」
正春が答える。
「まだ登録してないけど」
「だったら」
レンカは一歩近づいた。
「私と組まないか?」
「……え?」
正春が目を丸くする。
「私と?」
「ああ」
レンカは笑う。
「戦士を探してるんだろ?」
「まあ……」
「だったら話が早い」
レンカは手を差し出した。
「よろしくな、正春」
「……」
正春はその手を見つめる。
「私はレンカだ」
ゲームと同じ。
何も変わらない。
それなのに。
胸が熱くなる。
「……よろしく、レンカ」
二人の手が重なった。
その瞬間。
レンカは小さく笑った。
――ようやく。
ようやく。
再会できた。
◇
「それで?」
レンカが歩きながら尋ねる。
「正春は、どんな冒険をしたいんだ?」
「まずは最初のダンジョンかな」
「最初からダンジョン?」
「ああ」
正春は頷く。
ゲームでは。
フォルトックから少し離れた場所に、初心者向けの遺跡ダンジョンが存在する。
正式名称は。
旧・フォルトック地下遺跡。
かつてこの地域を守っていた砦の地下施設。
魔物が巣食っているが、序盤の冒険者でも攻略できる難易度に設定されていた。
そして。
そこには。
非常に重要なアイテムが眠っている。
「準備しないとな」
「武器は?」
「一応ある」
「防具は?」
「……ない」
「食料は?」
「……ない」
「回復薬は?」
「……ない」
レンカが足を止めた。
「……お前」
「はい」
「冒険を舐めてるのか?」
「すみません」
正春は素直に頭を下げた。
レンカは大きくため息を吐いた。
「どうやってダンジョンに行くつもりだったんだ?」
「……気合い?」
「気合いで魔物は倒せないぞ」
「ですよね」
レンカは呆れた顔をした。
だが。
その表情の奥には。
嬉しさがあった。
(相変わらずだな)
ゲームの頃と変わらない。
無茶をする。
自分のことを後回しにする。
仲間のためなら危険に飛び込む。
そんな彼だった。
レンカは口元を緩めた。
「なら、先にギルドだ」
「ギルド?」
「ああ」
「冒険者登録か」
「そうだ」
レンカは歩き出す。
「まずは冒険者にならないとな」
「……そうだな」
正春も後を追った。
冒険者ギルド。
昨日も訪れた建物。
しかし。
今日は一人ではない。
「いらっしゃいませ」
受付嬢が二人を見る。
「冒険者登録ですか?」
「そうだ」
レンカが答える。
「二人分頼む」
「かしこまりました」
受付嬢が書類を取り出す。
「登録料は一人200エントになります」
「……」
正春の顔が固まった。
レンカが横を見る。
「どうした?」
「……200エント?」
「ああ」
「一人?」
「一人200エントだな」
「……」
正春は財布を見る。
昨日。
残った金。
――ゼロ。
完全に。
ゼロだった。
「……」
受付嬢が困ったように笑う。
「お客様?」
「……すみません」
「はい?」
「俺……」
正春は小さく息を吐く。
「金がない」
沈黙。
レンカが目を丸くする。
「お前……」
「悪い」
「本当に?」
「ああ」
「一エントも?」
「ない」
レンカは頭を抱えた。
「……呆れた」
だが。
次の瞬間。
レンカは腰の袋を取り出した。
じゃら。
銀貨が鳴る。
「これでいいだろ?」
受付嬢が頷く。
「はい。400エントですね」
「二人分払ってくれ」
「ありがとうございます」
正春が驚く。
「レンカ?」
「何だ?」
「いいのか?」
「何が?」
「俺の分まで」
「別にいい」
「でも……」
「冒険者になりたいんだろ?」
「それはそうだけど」
「だったら気にするな」
レンカは笑った。
「今日のところは私が払う」
正春は申し訳なさそうに頭を下げる。
「……ありがとう」
「礼なんていらない」
「いや、それでも」
「だったら」
レンカは指を一本立てる。
「いつか返してくれればいい」
「分かった」
「約束だぞ?」
「ああ」
正春は頷いた。
「200エント。必ず返す」
レンカは微笑む。
「そうだな」
そして。
心の中で付け加えた。
(……200エントだけじゃない)
自分が欲しいのは。
金ではない。
時間。
思い出。
未来。
そして。
正春の隣にいる権利。
それら全部だ。
だから。
この200エントは。
レンカにとって。
一つの契りだった
「登録完了です」
受付嬢が二枚のカードを差し出す。
「こちらが冒険者証になります」
正春は受け取った。
薄い金属製のプレート。
名前。
ランク。
登録都市。
簡単な情報が刻まれている。
「……これで冒険者か」
正春はカードを眺めた。
ゲームでは。
ボタン一つで登録できた。
けれど。
現実では。
こうして誰かと一緒に登録する。
それだけで。
何か大きな一歩を踏み出した気がした。
「どうだ?」
レンカが覗き込む。
「嬉しい」
「そうか」
「本当に」
「なら良かった」
レンカは笑った。
そして。
正春のカードを指差す。
「名前が正春か」
「ああ」
「変わった名前だな」
「そうか?」
「ああ。でも嫌いじゃない」
「……ありがとう」
「ふふ」
レンカは楽しそうに笑った。
受付嬢は二人を見て。
微笑ましそうに目を細めていた。
「仲がよろしいんですね」
「え?」
正春が振り返る。
レンカは即答した。
「そうだな」
「いや、まだ会ったばかり――」
「仲良くなる予定なんだよ」
「……」
正春は言葉を失った。
レンカは満足そうに笑っている。
その笑顔を見て。
受付嬢はさらに微笑んだ。
「それでは、良い冒険を」
「ああ」
レンカが手を上げる。
「行こうぜ、正春」
正春も頷いた。
「そうだな」
ギルドを出る。
正春は街の空を見上げた。
昨日まで。
自分は一人だった。
けれど。
今は。
隣にレンカがいる。
それだけで。
世界の見え方が少し変わった。
「なあ、正春」
「ん?」
「腹減ってないか?」
「……実は」
正春の腹が鳴った。
ぐうううう。
「……」
「……」
レンカが吹き出した。
「あははは!」
「笑うなよ!」
「いや、だって!」
「仕方ないだろ!」
「朝飯食べてないのか?」
「金がなかったから」
「お前……」
レンカは呆れた。
「本当に何も持ってないんだな」
「悪い」
「謝るな」
レンカは正春の腕を掴んだ。
「行くぞ」
「どこへ?」
「酒場」
「酒場?」
「ああ」
「昼から?」
「飯を食うんだよ」
「でも――」
「私がおごる」
「いや、さすがに」
「いいから来い」
半ば強引に。
正春は引っ張られていった。
◇
二人が入ったのは。
フォルトックでも評判の良い冒険者向けの酒場だった。
昼間から多くの冒険者で賑わっている。
「好きなものを頼め」
席についたレンカが言った。
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ……」
正春はメニューを見る。
肉料理。
パン。
スープ。
魚料理。
果実酒。
どれも美味しそうだ。
「……これ」
正春が指差す。
「山羊肉の香草焼き?」
「ああ」
「それでいいのか?」
「うん」
「遠慮するな」
「でも」
「好きなものを頼め」
正春は少し考え。
「じゃあ……これも」
「それだけ?」
「あとスープ」
「……」
「何?」
「もっと食え」
「え?」
「男だろ?」
レンカがメニューを追加する。
「パンも」
「いや、そんなに食べられ――」
「食べられる」
「断言した」
「私が保証する」
「どういう保証だよ」
二人で笑う。
しばらくして。
料理が運ばれてきた。
香ばしい匂い。
湯気。
焼けた肉。
正春は目を輝かせた。
「……うまそう」
「食え」
「いただきます」
一口。
「……!」
正春の目が見開かれる。
「うまい」
「だろ?」
「めちゃくちゃうまい」
「この店は私のお気に入りだ」
「ゲームにも……」
言いかけて。
正春は止まった。
ゲームにも、この店は存在していた。
だが。
ゲームでは料理に味などなかった。
ただ回復アイテムとして表示されるだけ。
今は違う。
肉の香り。
塩味。
香草の風味。
温かさ。
全てが分かる。
「……」
「どうした?」
「いや」
正春は笑った。
「ちょっと嬉しくて」
「何が?」
「こういうの」
レンカを見る。
「誰かと飯を食べるの」
「……」
レンカの胸が少し熱くなった。
「そうか」
小さく答える。
「なら、いっぱい食べろ」
「うん」
正春は料理を食べ続けた。
レンカはそんな彼を眺めながら。
幸せそうに笑った。
(やっぱり……)
間違いない。
(正春だ)
あの時と。
何も変わっていない。
いや。
少し違う。
ゲームの中では。
彼はプレイヤーだった。
何でも知っていた。
自分たちの未来も。
敵の弱点も。
最適な装備も。
けれど。
今の彼は。
何も知らないふりをしている。
いや。
もしかすると。
本当に知らないのかもしれない。
レンカは考える。
(私が全部教えてあげればいい)
ゲームの知識を持つ彼と。
この世界の記憶を持つ自分。
二人が力を合わせれば。
きっと。
誰にも負けない。
◇
「それで」
食事を終えた頃。
レンカが尋ねた。
「これからどうする?」
「ダンジョンへ行く」
「本気か?」
「ああ」
「準備は?」
「これから」
「なるほど」
レンカは笑った。
「なら、私が付き合ってやる」
「いいのか?」
「もちろん」
レンカは胸を張る。
「あんたとパーティを組んだんだ」
「……」
「だったら最後まで一緒だ」
その言葉に。
正春は笑った。
「ありがとう」
「礼はいい」
「でも」
「だったら約束してくれ」
「何を?」
「絶対に死ぬな」
レンカの表情が真剣になる。
正春は一瞬だけ黙った。
「……分かった」
「本当だぞ?」
「ああ」
「約束だ」
「約束する」
レンカは頷いた。
そして。
小さく笑った。
「なら、私も約束する」
「何を?」
「あんたがどこへ行こうと」
レンカは正春を見つめる。
「私はついていく」
「……」
「地獄でもな」
正春は苦笑した。
「大げさだな」
「本気だぞ」
レンカの瞳には。
冗談ではない光が宿っていた。
だが。
正春はまだ気づかない。
その言葉が。
レンカにとって本気の誓いだったことを。
夕方。
二人は武器屋へ向かった。
正春の装備を整えるためだ。
「その剣じゃダンジョンは厳しい」
レンカが言う。
「分かってる」
「盾は?」
「ない」
「防具は?」
「ない」
「……」
レンカが頭を抱える。
「正春」
「はい」
「お前、よく今まで生きてたな」
「俺もそう思う」
二人は店に入った。
剣。
槍。
斧。
盾。
鎧。
様々な武器防具が並んでいる。
正春はゲームの知識を使って商品を見る。
値段。
性能。
重量。
耐久度。
その全てが。
記憶通りだった。
「……」
正春は一本の剣を見る。
鉄の剣。
攻撃力。
序盤では優秀。
価格も手頃。
「これにする」
「分かった」
レンカが代金を払う。
「……また」
正春が苦笑する。
「借りが増えたな」
「そうだな」
「ちゃんと返すから」
「期待してる」
「絶対だ」
レンカは笑った。
「じゃあ、今度は500エントだな」
「え?」
「剣の代金」
「……」
「利息込み」
「いつの間に」
「今」
「ひどいな」
二人は笑った。
そんなやり取りをしながら。
正春はふと思う。
この世界で。
自分は。
本当に生きている。
そして。
その隣には。
レンカがいる。
それだけで。
胸が温かくなった。
◇
夜。
宿へ戻る道。
正春とレンカは並んで歩いていた。
月明かりが石畳を照らす。
「なあ、レンカ」
「なんだ?」
「聞いていいか?」
「いいぞ」
「俺たちって……」
正春は少し迷った。
「本当に、今日初めて会ったんだよな?」
レンカの足が止まった。
「……」
「なんとなく」
正春は続ける。
「初対面って感じがしない」
レンカは黙っている。
「変な話だけど」
正春は苦笑する。
「前から知ってたような感じがするんだ」
レンカの胸が大きく跳ねた。
(……覚えてる?)
もしかして。
正春も。
自分たちのことを。
ゲームの記憶を。
だが。
レンカは首を横に振った。
「……気のせいだろ」
「そうかな」
「ああ」
「そっか」
正春は笑った。
「じゃあ、これから知っていけばいいか」
「……!」
レンカは顔を上げる。
「これから?」
「ああ」
「私のことを?」
「もちろん」
正春は笑う。
「仲間なんだから」
レンカは。
しばらく何も言えなかった。
そして。
「……そうだな」
小さく答えた。
その顔には。
嬉しさが溢れていた。
宿に戻った後。
正春はすぐに眠った。
しかし。
レンカは眠らなかった。
窓辺に座り。
月を見ている。
(……正春)
心の中で名前を呼ぶ。
今日。
彼と再会した。
長い時間を待った。
ようやく。
やっと。
彼が戻ってきた。
なら。
もう離さない。
(今度こそ)
レンカは拳を握った。
(今度こそ、ずっと一緒にいる)
そして。
胸の奥に。
昔の仲間たちの顔が浮かぶ。
女僧侶。
女魔法使い。
女シーフ。
彼女たちも。
正春を知っている。
そして。
きっと。
正春を待っている。
レンカは目を細めた。
(……でも)
胸の奥に。
小さな黒い感情が生まれる。
(正春には……私がいればいい)
自分でも。
それが良くない感情だと分かっている。
彼女たちも仲間だった。
一緒に戦った。
何度も助け合った。
だから。
本来なら。
再会を喜ぶべきだ。
それなのに。
(……嫌だ)
レンカは唇を噛む。
(正春を取られたくない)
ゲームの中では。
プレイヤーである正春は。
四人全員と仲良くできた。
イベントも。
好感度も。
全て平等に進めることができた。
けれど。
ここはゲームではない。
この世界では。
自分の感情が。
そのまま存在する。
(私は……)
レンカは自分の胸に手を当てた。
(正春が好きだ)
それは。
もう。
疑いようのない事実だった。
だから。
彼女は決めた。
(絶対に、負けない)
誰に。
とは言わない。
けれど。
その瞳には。
静かな決意が宿っていた。
翌朝。
正春は早くに目を覚ました。
窓を開ける。
爽やかな風。
朝の街。
「……今日からか」
いよいよ。
本格的な冒険が始まる。
部屋を出ると。
廊下にレンカが立っていた。
「遅い」
「まだ集合時間前だろ」
「私は早起きなんだ」
「そうなのか」
「ああ」
レンカは荷物を背負っている。
剣もある。
準備は万全だった。
「行くぞ」
「どこへ?」
「決まってるだろ」
レンカが笑う。
「最初のダンジョンだ」
正春も頷いた。
「ああ」
二人は宿を出る。
フォルトックの東門へ。
街の外。
広大な草原。
その先に。
森が見える。
さらに。
その奥。
古い遺跡がある。
正春は知っている。
あそこが。
自分たちの最初の冒険の舞台になる。
「レンカ」
「ん?」
「一つ聞いていいか?」
「何だ?」
「もし……」
正春は森を見る。
「俺が想像しているより、ずっと危険な世界だったら」
「……」
「それでもついてくる?」
レンカは迷わなかった。
「ああ」
即答だった。
「どこまでもな」
「……そうか」
正春は笑った。
「じゃあ、行こう」
「ああ」
二人は歩き出した。
背中には。
新しい装備。
手には。
新しい武器。
そして。
胸には。
まだ名前のない絆。
ただし。
二人だけが知らない。
その絆の片方が。
ずっと昔から。
もう一人を待ち続けていたことを。
◇
森へ向かう途中。
レンカがふと立ち止まった。
「……正春」
「どうした?」
「忘れるなよ」
「何を?」
「200エント」
「……まだ言うのか」
「当然だ」
レンカは楽しそうに笑う。
「これは大事な契約だからな」
「契約?」
「ああ」
「そんな大げさな」
「大げさじゃない」
レンカは正春を見る。
「私はお前に200エント貸した」
「そうだな」
「だから」
一歩近づく。
「返すまで、私から逃げるなよ?」
「……」
正春は苦笑する。
「分かった」
「約束だぞ」
「ああ」
「絶対だからな」
「絶対だ」
レンカは満足そうに笑った。
「よし」
二人は再び歩き始める。
200エント。
たった200エント。
普通なら。
冒険者一人が一日働けば稼げる程度の金額かもしれない。
けれど。
二人にとっては。
それ以上の意味を持っていた。
正春にとって。
それは。
この世界で初めて誰かから受け取った助けだった。
レンカにとって。
それは。
正春と再び結ばれた最初の約束だった。
そして。
この約束は。
後に。
彼らの運命を大きく動かすことになる。
森の入り口。
正春は剣を抜いた。
レンカも大剣を構える。
木々の間から。
魔物の唸り声が聞こえた。
「来るぞ」
レンカが言う。
「ああ」
正春は構える。
心臓が速くなる。
怖い。
それでも。
隣を見る。
レンカがいる。
それだけで。
不思議と力が湧いてくる。
「行こう、レンカ」
「もちろん」
レンカは笑った。
「私たちの冒険の始まりだ」
二人は森へ踏み込んだ。
そして。
その瞬間。
正春の知らない場所で。
世界の歯車が一つ。
静かに動き始めた。
彼がゲームで知っている未来。
その未来から。
少しずつ。
確実に。
物語は外れていく。
なぜなら。
本来なら。
正春とレンカが出会うのは。
もっと先だった。
そして。
本来なら。
レンカは。
正春の記憶など持っていなかった。
それなのに。
彼女は知っている。
正春が誰なのか。
自分たちが何だったのか。
そして。
何を失ったのか。
だから。
レンカは決めていた。
今度こそ。
絶対に。
正春を失わない。
たとえ。
この世界の運命そのものを。
敵に回すことになっても。
◇
遠ざかる二人の背中。
フォルトックの時計塔が。
朝日に照らされていた。
その鐘が鳴る。
――ゴーン。
――ゴーン。
新しい一日の始まりを告げる音。
そして。
二人の冒険の始まりを告げる音。
正春は知らない。
この世界には。
まだ三人の少女がいる。
女僧侶。
女魔法使い。
女シーフ。
彼女たちも。
いつか正春と出会う。
そして。
それぞれが。
それぞれの形で。
正春を求めることになる。
その時。
五人の関係は。
どう変わるのか。
正春自身も。
まだ知らない。
ただ。
今は。
隣にいるレンカと。
一歩ずつ進むだけ。
200エントの借り。
それが。
二人の最初の約束。
最初の絆。
そして。
運命を変える最初の一歩だった。
――冒険者・正春。
――女戦士・レンカ。
二人の物語が。
今。
本当の意味で。
始まった。




