第六話
(ここに、魔女がいるのね……)
王都を出て三日。隣の領の小さな町にある占い屋。天幕に覆われた店を、アニエスは見上げていた。
「アニエス……」
シルヴァンが気を遣うように、アニエスの肩に手を置く。アニエスは自分の手を重ねて、薄く微笑んだ。
「大丈夫。きっと何か手がかりが手に入るわ」
意を決して、店の中に入る。店内は薄暗く、糸が編まれたお守りのようなものや、わずかな光を反射させる鉱物が置かれていた。
この店に入った瞬間、外の喧噪が聞こえなくなった。それになんだか、空気が少し重い気がする。
異空間にも思える店内にアニエスが息を呑んだとき、場違いなほど明るい声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ! 何かお探しものですか?」
歳は十五、六くらいだろうか。明るい桃色の髪を二つに結った少女が、店の奥からひょっこりと顔を出した。
「あの、店主はいらっしゃいますか?」
「はい、店主はアタシです!」
アニエスの問いに元気よく右手を挙げて、にっこりと微笑む少女。彼女はためらいなくアニエスに近づくと、ニィっと笑った。
「お姉さん、人探ししてるんだ? それともお困りごとの解消法をお望みかな?」
「な――っ」
心を見透かされているようで気味が悪い。アニエスは寒気を感じて、無意識に少女から一歩距離を取った。
そのとき、アニエスを勇気づけるようにシルヴァンが彼女の手を握る。それだけで、冷えていた心が温まり、強くなれる気がした。
「……私たちが何に困っているか分かるんですか?」
「分かるよ。お兄さんから、魔女のまじないの残り香がぷんぷんするもん」
「っ、このまじない、あなたに解けますか!?」
アニエスの必死の様子がおかしかったのか、少女がくすりと笑う。そして考えるように人差し指をあごに当てたあと、ぱぁっと笑顔を輝かせてアニエスを見た。
「お姉さんの髪、綺麗ね! 解けるかどうかの答えの対価は、その髪でいいわ!」
「は?」
少女の言葉に嫌悪感を示したのは、シルヴァンだった。
「この髪を渡せば、教えてくれるのね。安いものだわ」
「アニエス!?」
アニエスは少女が差し出したハサミを受け取る。そしてためらいなく、自ら髪を切り落とした。
「さあ、教えて。シルヴァンにかけられたまじないを、あなたは解けますか?」
まっすぐな目で髪を差し出すアニエスに、少女は嬉しそうに手を伸ばした。そして髪を受け取ると、それを愛でるように撫でた。
「この残り香は、孤独の魔女のまじないだね。――でも、残念。魔女のまじないは、かけた本人しか解けないんだ」
つまり、結局は孤独の魔女を探さなければならない。その答えに、アニエスはぎゅっと唇を噛みしめた。
「でもお姉さん、運がいいよ。アタシ、孤独の魔女の弟子なんだ」
「本当!? じゃあ、孤独の魔女がどこにいるか知ってるってこと!?」
「うーん、どうだろう。お師匠様って一人が好きだから、もう別の場所に行ってるかもね」
「それでも前にいた場所は分かるってことね? 教えてもらえないかしら?」
「じゃあ、対価はお姉さんの声ね!」
「え……?」
まるで可愛いものを見つけたかのように、にっこりと微笑む少女。その無邪気な要求に、アニエスは思わず言葉を失った。
「お師匠様の場所はお姉さんがすごく欲しいものだよね? なら、対価も髪だけじゃ足りないよ」
「アニエス! だめだ!」
アニエスの肩をぐっと引いて、シルヴァンが制止する。彼にしてはめずらしく表情が険しく、怒っているのが見てとれた。
「まじないを解ける魔女の目星がつくんだよ? 声くらい安いものだと思うけどな」
「だがそれも不確かな情報だ。そんな情報に対価は支払えない」
「アタシはそれでもいいんだよ? でもそうするとお姉さんたち、手がかりがなんにもなくなっちゃうんじゃないのかな?」
眉を吊り上げて少女を睨みつけるシルヴァンと、それを明るい表情で受け流す少女。アニエスは、自分がどうすべきかを考えた。
(声が出なくなったからと言って、死ぬわけじゃない……。意思疎通は文字でできる。困ることなんて何もないわ)
それよりもシルヴァンの寿命が尽きてしまう方が問題だ。アニエスはそっとシルヴァンの腕を引いた。
(シルヴァンの名前を呼べなくなるのは寂しい。それでも――)
「アニエス……?」
「あなたが持つ孤独の魔女の居場所は、いつの情報なんですか?」
「えーっと、ひと月くらい前だったかなあ。会いに行ったときは、まだそこにいたよ」
(ひと月……。それならまだ、同じ場所にいるかもしれない)
アニエスはシルヴァンを見上げる。その真っ直ぐな視線に、シルヴァンは戸惑ったように瞳を揺らした。
「シルヴァン。私はあなたを救いたい」
「だ、だめだ……! 君にそんなことをさせたら、私は絶対に後悔する……!」
「あなたの命がかかっているのよ。私の声くらい、安いものだわ」
「アニエス、頼む! 私は君を犠牲にしたいわけじゃないんだ!」
「ねえ、どうするの? お師匠様の場所を聞くの? 聞かないの?」
「聞きます」
「アニエス!」
アニエスを庇うように、シルヴァンが体を前に出す。少し乱暴な力強さに、アニエスはシルヴァンの後ろに回り込むしかなかった。
「私が対価を支払う」
「支払ってくれるなら、アタシはどっちでもいいよ。お兄さんならそうだな。命に関わることだから……寿命3ヶ月分ってところかな」
「――シルヴァン!! やめて!!」
シルヴァンがアニエスを見る。不自然に短くなった髪を見て、苦しそうに顔をしかめた。
「……やってくれ」
「シルヴァン!!」
シルヴァンの手が、逃がさないようにしっかりとアニエスの腕を掴む。なんとかその腕から逃れようとするも、アニエスはむなしく暴れることしかできなかった。
「はい、交渉成立!」
「ぐぅ……!」
少女が指先をシルヴァンの左胸に近づける。その瞬間、痣が燃えるように痛み、シルヴァンは苦痛に呻いた。
「………!!」
シルヴァンの痣の花弁が散っていったのが分かった。アニエスは愕然として、その場に座り込んでしまった。
「どうして……?」
「……ごめん、アニエス。でも私は、もう何一つ、君から失わせたくないんだ」
「これが夫婦愛ってやつ? でもアタシにはよく分からないな。勝手に対価を支払ってくれたんだから、喜べばいいのに」
「――黙って! はやく孤独の魔女の居場所を教えて!」
こんなのはただの八つ当たりだ。それでもアニエスには煮えたぎるような思いを昇華させる方法が思いつかない。
(シルヴァンの花弁が、私のせいで散っていってしまった……!)
ただ、自分が不甲斐なくて、情けなくて、許せなくて。滲む視界の中、爪が食い込むほど拳を握りしめた。
「対価は支払われたよ。だから教えるね。お師匠様の場所はね――」




