第5話 リューベール
ガレスの荷馬車が、きしきしと音を立てながら都市リューベールへと進んでいく。
俺とミリアは荷台の後ろに並んで座っていた。
ついさっきまで草原の真ん中で死にかけていたせいで、この世界のことが少しだけ怖くなった。それでも興味がなくなったわけじゃない。むしろ逆だ。
回復魔法ひとつで、ボロボロになったはずの体がこうして動く。
元いた世界では、骨折や打撲を一瞬で治すなんてできなかった。科学技術は発展していたけれど、それでも肉体の損傷は時間をかけて治すしかない。なのにこの世界では、魔法でそれができてしまうらしい。原理はわからないが、すごい技術だ。体のだるさこそ残っているが、巨大スライムに吹き飛ばされて全身打撲に複数箇所の骨折、さらには気絶までした俺がこうして荷台に当たり前のように座れている時点で、十分すぎるほど異常だ。
荷馬車が進むにつれて、リューベールの城壁はどんどん大きくなっていった。
遠くから見ていたときはただの灰色の壁にしか見えなかったのに、近づくと積まれた石のひとつひとつが見えてくる。正門の上には見張り台があり、門の両脇には槍を持った重装備の兵士が複数人立っていた。門の前には人や荷馬車が列を作っていて、それぞれ順番に中へ入っていく。
「……でか」
思わず声が漏れた。
「初めて見ると驚きますよね」
ミリアが俺の横顔に笑いかける。
「私も、子どもの頃は口を開けたまま見上げてました」
「いや、これは無理もないだろ」
人の何倍もある門。荷馬車より分厚く見える石壁。これを作るのにどれだけの人手と時間が必要だったのか、考えるだけで頭が痛くなる。
「この街は古くからモンスターを狩ることで発展してきました。今もその名残で、武器商人の方や冒険者の方がたくさん出入りしているんです」
ミリアが城壁を見上げながら言う。
「ガレスさんみたいな武器商人の方もそうですし、素材を売りに来る人も、買いに来る人もいます」
「俺たちが来たのもそれが目的だぜ」
前を歩いていたグラウスが、振り返って笑った。
「うちの魔法使いの装備を一新するために新しい素材が欲しくてな。ここで集めりゃ一通り揃うはずなんだが、これがまた一筋縄じゃいかねぇんだ」
素材を集めて、それで装備を作る。
その言葉ひとつ取っても、俺のいた世界とは何もかも違う。日本で暮らしていれば、装備なんて単語はゲームの中にしかなかった。
そんなことを考えているうちに、列がは少しずつ進み、ついに俺たちの番が来た。
「通行証か紹介状、もしくはその他の書類はあるか」
門番の一人が荷馬車の横までやってくる。
よく通る低い声だった。年は二十代後半くらいだろうか。鎧の上からでもわかるくらい体つきがしっかりしていて、片手には槍を握っている。仕事中だからか、表情はかなり硬い。
「よぉ、ヘイゼンじゃねぇか。久しぶりだな」
グラウスが軽く手を上げる。
だが、ヘイゼンと呼ばれた門番はうんざりしたように眉を寄せただけだった。
「仕事中だ」
「つれねぇなぁ」
そんなやり取りをしながらも、ヘイゼンはガレスが差し出した通行証を受け取り、中身を手早く確認していく。さすがに慣れているのか、視線の動きに無駄がない。
「武器商ガレス・ボルン。護衛はグラウスたち三名。目的は市内での売買と素材の仕入れ……そこまではいい」
書類をガレスへ返しながら、ヘイゼンの視線がこちらへ移る。
「そっちの二人はなんだ。記載がないが、同乗しているな」
その一言で、空気が少しだけ強張った。
「あ、あの、私は牧場ヴェルデンのミリアです」
ミリアが背筋を伸ばして答える。
「今日は町へ納品に来る途中で――」
「それは知っている」
ヘイゼンの言葉は鋭かった。
「なぜ商品を積んだ荷馬車がない。いつもはお前一人だろう」
ミリアの口元がわずかに固まる。
助けようとして、俺は思わず一歩前に出かけた。
「あの――」
そこまで言って、俺は口を閉じる。
この世界の事情を俺は何も知らない。門番が何を警戒し、どこまでを危険とみなすのかもわからない。ここで感情のまま口を挟んだところで、事態を悪くするだけかもしれない。
ヘイゼンはそんな俺を見て、すぐに視線を細めた。
「……見ない顔だな」
一歩、こちらへ近づいてくる。
「服装も妙だ。この辺でそんな格好の人間は見たことがない。俺は通行人の顔をよく覚えている方だ。お前のように目立つ人物、そう簡単に忘れることはないだろう」
槍を持つ手に力が入るのが見えた。
「事情を聞かせてもらおうか」
俺が答えに詰まったその時、グラウスが間に入った。
「待て待て。そう構えるな、ヘイゼン」
両腕を軽く広げて、俺と門番の間に立つ。
「こいつは怪しいっちゃ怪しいが、ミリアさんの命の恩人でもある」
「命の恩人だと?」
ヘイゼンの眉がぴくりと動いた。
「ああ。道中でスライムが出た。しかも異常種だ。でかい個体に加えて、小型も何匹かいたらしい。ミリアさんは荷馬車を失って、命まで取られかけた」
「……異常種?」
さっきまでの事務的な硬さとは別の緊張が、ヘイゼンの声に混じる。
グラウスは頷いた。
「サイズは推定百五十センチ以上。しかも魔力の反応もおかしいって、うちの魔法使いが言ってる」
その言葉を聞いて、ヘイゼンの視線が一度だけローブ姿の女へ向いた。向こうも残骸の検分を完全に終えたらしく、こちらへ軽く顎を引いてみせる。
「本当か」
「本当よ」
ローブの女――たぶんグラウスの言っていた魔法使いだろう――は短く答える。
「普通の街道スライムじゃないから放っておけば厄介なことになるわ」
ヘイゼンは小さく舌打ちして、それからミリアを見る。
「危ないところだったな」
「ええ……本当に」
ミリアは緊張した面持ちで頷いた。
「その時に助けてくださったのが、このコウイチ様です」
「そうか」
ヘイゼンは静かに言った。
それから、俺の方へ向き直る。
今度はさっきよりわずかに敵意が薄い。だが、完全に警戒が消えたわけではなかった。
「事情は分かった。異常種の報告を優先する必要があるのも理解した」
そこで一拍置く。
「だが、それとお前の身元は別問題だ。俺はこの仕事に誇りを持っている。身元の分からない人間を、そのまま街に通すわけにはいかない」
当たり前、か。助けたことと、信用されることは別だ。この武力が身近にあるこの世界では特にそうなのだろう。
「ひとまず、身分証を出せ」
来た。
俺は喉の奥がきゅっと詰まるのを感じた。
「それが……」
どう答える。異世界から来たなんて言ったところで、信じてもらえるはずがない。紛失したと言えば通るのかもわからない。そもそも、この世界の身分証がどういうものなのかすら俺は知らない。
一瞬、言葉が止まる。
そこで、ミリアが静かに口を開いた。
「コウイチ様は、私を助けるためにあのスライムと戦ってくださいました」
その声は、さっきよりもずっと落ち着いていた。
「荷物も持ち物も、その時に失ってしまったのだと思います。少なくとも、私にはこの方が嘘をついているようには見えません」
グラウスも続ける。
「俺が保証する、とまでは言わねぇが、街の中まで連れて行ってギルドへ出頭させることはできる。異常種の件も報告が必要だしな」
ガレスが腕を組んで低く唸った。
「俺も商売柄、門で揉めるのは好かん。必要ならこいつは俺の荷馬車に乗せたままギルドまで運ぶ」
ヘイゼンは少し考え込んだあと、息を吐いた。
「……分かった。条件付きで通す。グラウスとガレスさんに感謝するんだな、お前」
その言葉に、俺はわずかに肩の力を抜く。
「ただし、身体検査はさせてもらうぞ。危険物の所持がないか確認するのは必要だ。加えて、こいつは身元不明者として一時通行扱いだ。街に入ったらまずギルドへ行け。正式な身分登録か、最低でも仮証明を取るまで自由行動は認めん」
「妥当だな」
グラウスが言うと、ヘイゼンは一度だけ頷いた。
「それと、持ち物の中に問題があるものがあれば預かる」
「……わかった」
俺がそう答えると、ヘイゼンは槍を近くの壁に立てかけ、手早く身体検査を始めた。
肩、脇、腰、脚。慣れた手つきで順番に確認していく。一般的なボディチェックなんだろうが、こんなことをされるのは初めてで変に緊張する。
そして、門番の手が俺のズボンのポケットで止まった。
「……なんだ、これは」
取り出されたのは、電池の切れたスマホだった。
板状の黒い物体を、ヘイゼンは眉を寄せて見つめる。まるで正体不明の生き物でも掴んだみたいな顔だ。
「見たことがないな。魔工具の類か?」
「違う。少なくとも、今はただの板だ」
「今は、か」
警戒が一段深くなる。
やばい。そりゃそうだ。異世界の門番から見れば、見たこともない平たい黒い板なんて、危険物認定されても文句は言えない。
ヘイゼンはスマホを様々な角度から眺めた。
「押せそうな箇所があるな」
「触っても動かない。もう使えないんだ」
「魔工具の一種か?」
「そうともいうな」
使えない、というのも半分嘘で半分本当だ。電源さえあれば多少は使えたかもしれないが、この世界に来た時点でほぼ終わっている。
「得体が知れないことに変わりはない」
ヘイゼンはそう言ってスマホを自分の腰袋へしまった。
「これは街を出る時まで預かる」
「おいおい」
思わず声が出たが、ヘイゼンはまったく揺るがない。
「身元不明者の持ち物だ。街の中へそのまま持ち込ませるわけにはいかん。返却の記録はしっかりとするから安心しろ」
そして今度は、小さな板に紙を挟んだものを取り出して俺へ差し出した。
「名前と、預かり品を書け。字は書けるな」
困った。
この世界の文字は読めないし書けない。だが、ここで黙り込めばまた面倒になるのは目に見えていた。
「この国の言葉は、まだよくわからない。だが、自分の国の文字なら書ける」
ヘイゼンの目がわずかに細くなる。
「……そうか。ならそれでいい。同じ文字を出る時にも書いてもらう」
差し出された紙に目を落とす。書かれている文字はやはり全く読めない。英語の筆記体に少し似ているような気もするが、拾える単語はひとつもなかった。
俺はそこへ、日本語で自分のフルネームを書いた。
「これでいいか」
ヘイゼンはそれを見て、小さく息を漏らす。
「変わった文字だな。初めて見る」
「俺は遠い国の田舎出身だからな」
ヘイゼンは紙を受け取り、確認してから板に挟み直した。
「よし。記録はしっかりさせてもらった。街を出る時は、この預かりの件を申告しろよ」
そして俺へと視線を向ける。
「ギルドでの身分登録を忘れるな。次会ったときに身分がわからないようなら本当に捕まえるからな」
「ああ、わかった」
「俺は人の顔はよく覚えているんだ」
「それもわかった」
ヘイゼンは最後に俺たち全員を一瞥してから、後続の荷馬車の方へ向かっていった。
「ヘイゼン! しばらく街にいるから、あとで酒でも飲もうぜ!」
背中に向かってグラウスが声を飛ばす。
ヘイゼンは振り返らず、片手だけを軽く上げて見せた。
それだけで二人の会話には十分らしい。
荷馬車が再び動き出し、俺はリューベールに到着した。




