第4話 異世界転生
冷たいものが額に触れていた。
その感触を追いかけるように、沈んでいた意識がゆっくり浮かび上がってくる。喉の奥がひりつく。胸も少し重い。全身が泥みたいにだるくて、指先まで思うように動かない。
なんとか瞼を開けると、最初に見えたのは真っ青な空だった。雲がゆっくり流れている。風は心地よくて気持ち外のに、体がついてこない。
「あっ!」
視界の端に人影が差す。
オレンジ色の髪に、同じ色の瞳。さっき助けた女性だった。
彼女はほっとしたように息をつき、手に持っていた濡れた布で俺の額をそっと拭った。どうやら俺は地面に寝かされていて、彼女が介抱してくれていたらしい。
「よかった……目が覚めたんですね」
その声を聞いた瞬間、途切れていた記憶が一気につながる。
「っ、スライムは!?」
勢いよく上体を起こしかけて、目の前がぐらりと揺れた。
「あ、だめです! 急に動いたら……!」
彼女が慌てて俺の肩を支える。鈴の音みたいな綺麗な声なのに、その声音にはまだ怯えが残っていた。
「もういません。倒れたあとに、ちょうど通りかかった人たちがいて。今は安全ですから、落ち着いてください」
息を整えながら、彼女の肩越しに周囲を見る。
少し離れたところで、数人の男女が潰れた荷馬車のまわりに集まっていた。剣を帯びた大柄な男が辺りを警戒するように立ち、ローブを羽織った女がスライムの残骸に手をかざしている。淡い光が残骸の上に浮かび、それが魔法陣だと理解した瞬間、もう言い逃れはできないと思った。ここは日本じゃない。俺は本当に、異世界へ来てしまったんだ。
その少し奥では、白を基調にした服の小柄な女の子が薬箱のようなものを片付けている。さらにその横で、恰幅のいい中年男が壊れた荷を覗き込みながら、使えるものと駄目になったものを分けていた。
「そ、うなのか……」
自分でも誰に答えたのかわからない声が漏れる。
彼女はそんな俺を見て、少しだけ姿勢を正した。
「申し遅れました。私、ミリアと申します」
そう言って立ち上がり、スカートの端を軽くつまんで頭を下げる。まだ顔色は万全じゃないけれど、丁寧な礼だった。
「ミリア・ヴェルデンです。危ないところを助けてくださって、ありがとうございました」
「あ、ああ。俺はコウイチだ」
俺もなんとか立ち上がる。足元はふらついたが、ここで寝たまま挨拶するのもなんだか落ち着かなかった。
「よろしくな、ミリア」
「はい……!」
ミリアはぱっと表情を明るくしたあと、少しだけ目を伏せた。
「コウイチ様がいなければ、私はきっと助かりませんでした。本当に、ありがとうございました」
その言い方が妙に真っすぐで、俺のほうが返事に困る。
「いや、俺もかなり危なかったから……」
「全身打撲に複数個所の骨折。本当に危なかったんだぞお前。ま、起きたならひとまず安心だな」
低くてよく通る声がして、さっき剣を帯びていた男がこちらへ歩いてきた。日に焼けた顔に、人懐っこい笑みを浮かべている。近づいてきたことで分かったが、遠目で見るよりずっと体格がいい。
「グラウスだ。あっちの護衛をまとめてる」
そう言って親指で後ろを示す。
「残骸を見てるのがうちの魔法使いで、あっちで道具を片してるのがヒーラーだ。お前を診てくれてた」
白い服の小柄な女の子が、ちょうどこちらを見て小さく会釈した。
「コウイチ様は消耗がひどかったんです。傷はふさがってますけど、無理はしないでくださいね」
「ああ……ありがとう」
グラウスは俺の肩を軽く叩いて笑う。
「にしても、お前すごいな。見たところ装備も武器もなかっただろ」
「たまたまだよ。運がよかっただけだ」
「その運で人一人助けてるなら十分だな」
あっさりそう言われて、少しだけ照れくさくなる。
そこへ、恰幅のいい中年男が果物の入ったバスケットを抱えてこちらへ来た。
「おぉ、目覚めましたか」
「はい」
「ガレス・ボルンといいます。武器商人をやっていて、ドワーフの村で仕入れた品をリューベールまで運ぶ途中でしてね。グラウスには護衛を頼んでいたんです」
異世界らしい単語が次々出てくるたびに、妙な実感が積み重なっていく。
ガレスは俺の服装を上から下まで見て、ふっと片眉を上げた。
「変わった格好してますね。まあ今は置いておきましょう。立てるなら街まで一緒に来来てください。ここに長居はしたくないんですよねぇ」
そのとき、スライムの残骸を調べていたローブの女が、こちらを見ないまま口を開いた。
「グラウス。この個体、やっぱりおかしいわ」
淡々とした声だったが、その一言で場の空気が少し引き締まる。
「核の反応が妙に強い。普通の辺境スライムじゃないよ。あの大きさも、発生場所も、全部変」
グラウスが「やっぱりか」と短く返す。
それから俺のほうへ向き直った。
「さっそくで悪いんだが、街まで向かうぞ。ギルドに報告が必要だ。コウイチが倒したあのスライム、普通じゃありえない異常種らしい」
「異常種だって……?」
「放っといたらまずいってことですよ」
ガレスも真顔で頷く。
「しかも街道の近くだ。次に襲われるのが農家の荷馬車で済むとは限らん」
俺もようやく、自分が倒した相手の厄介さを実感する。ただの序盤モンスターじゃなかったということか。
「なるほど。早いところ対策を練ったほうがいいってわけか」
そう言うと、グラウスがにっと笑った。
「話が早くて助かる。行くぞ、コウイチ」




