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第48話

 リューベールの通りは、人で埋まっていた。


 道の両側に町の人たちが集まり、家の窓から身を乗り出している人までいる。普段の市場のざわめきとは違う。誰もが同じ方向を見ていて、その間を討伐隊が進んでいた。


 最初に聞こえていたのは、どよめきだった。


 歓声というより、息をのむ音がいくつも重なったものに近い。その視線の先には、荷台の広い馬車があった。


 レザルヴァンの全身が、その上に載せられていた。


 太い縄が何重にもかけられ、胴も前脚も荷台へ縛りつけられている。狼か山犬に近い形の頭は横を向き、泥と血で固まった毛は、乾きかけてごわついていた。巣の中から出てきた時に見た姿ではない。


レザルヴァンの大きさに街の人々は目を見開いているようだった。


 前脚の一本だけで人の胴ほどの太さがある。長い爪は荷台の端から少しはみ出し、通りの石に影を落としていた。町の人たちは、声を上げるより先に、その大きさを見て止まっている。


「——あれが……」


「——討伐されたのか?」


「——本当に倒したんだな」


 断片的な会話が聞こえる。


 それが少しずつ広がっていき、やがてギルドの職員が一言叫んだ。


「討伐成功だ!」


 その言葉で、空気が変わった。


 押さえられていた声が一気に膨らむ。拍手が起こり、通りの奥からも歓声が返ってきた。誰かが討伐隊の冒険者の名前を呼び、別の場所ではギルド職員へ向けて手を振っている。


 どうやらすごいことらしい。


 いや、すごいことなのは分かる。あれだけの魔物を倒しているのだから、町の人が沸くのは当然だ。


 それでも、俺はその熱の中にうまく入れないでいた。


 自分がどれほど大きなことに関わったのか、まだよく分かっていない。馬車の上のレザルヴァンを見ても、森の中で向かい合っていた時の圧力と、今こうして町の通りで見ているものが、うまくつながらなかった。


 それでも俺は町に戻ってきた。


 そのことだけが、少し遅れて理解できた。


「すげぇ騒ぎだな」


 隣でグラウスが言った。


 歩けてはいるが、動きはいつもより明らかに重い。背筋を伸ばしているのは意地だろう。顔色もまだ悪い。


「その顔で言うことか」


「顔で歩いてるわけじゃねぇんだけどなぁ……」


「足元もふらついててだいぶ怪しいぞ」


「人混みで転ぶほど落ちぶれてねぇよ」


 グラウスはそう言ったが、踏み出す一歩は重たそうだ。


 フィーアが横から目を細める。


「宿まで黙って歩いた方がいいわ。体力の無駄よ」


 フィーアは回復魔法を専門としているからか、俺達三人と比べたら元気そうに見えた。


 そして、エイルも隣で杖を抱えたまま歩いていた。今は目元が重そうだった。ローブの裾にはまだ泥が残っている。


 町の人たちは、そんな俺たちの細かい疲労までは見ていない。


 見えているのは、討伐隊と、馬車の上のレザルヴァンだ。


 歓声は、ギルド前の広場へ向かうにつれて大きくなっていった。


 ***


 ギルド前の広場は、通りよりさらに人が多かった。


 噴水の周りも、ギルドの扉の近くも、人で埋まっている。ギルド職員たちが声を張り、討伐隊の通る道を空けさせていた。レザルヴァンを載せた馬車が広場に入ると、人の波が大きく揺れる。


 その中に、姿があった。


 ミリアだ。


 両手を胸の前で重ね、広場の端の方に立っている。周りにいるレザルヴァンを眺める人たちとは違って誰かを探しているようだった。そして、俺たちに気がつくと、ぱっと顔を上げた。


「コウイチ様!」


 人の間を抜けて、ミリアがこちらへ駆け寄ってくる。


 その声を聞いた瞬間、少しだけ気が緩んだような気がした。


「ただいま」


 言ってから、少し照れくさくなる。


 出発の時には、行ってきます、と言った。だから、こう返すのが自然な気がしただけだけれども、ミリアは一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。


「おかえりなさいませ」


 その言葉で、また少し力が抜ける。


「討伐隊が帰ってきたと聞いて、待っていました。皆さん、ご無事で本当に……」


 ミリアはそこまで言って、グラウスを見た。


 泥の残った服、悪い顔色、重そうな足取り。無事、と言い切っていいのか迷ったのだろうか。


 グラウスは片手を軽く上げる。


「生きて帰ってきた。今日はそれで十分だろ」


「基準が低すぎるわ」


 フィーアが横から言う。


「十分だろ」


そのやり取りを見て、ミリアの表情が少しだけ和らいだ。


 ミリアの視線が、フィーアとエイルへ移る。


「フィーアちゃんも、エイルさんも……顔色が」


「眠いだけよ」


「私は少し……いえ、かなり眠いです」


 エイルは言い直してから、申し訳なさそうに笑った。


 俺も同じだった。


 広場には人がいて、ギルドの職員たちが動き回り、レザルヴァンの周囲には確認のための人だかりができ始めている。これだけ騒がしいのに、体の奥ではずっと眠気が重くなっていた。


 ミリアが俺の腕や服を見る。


「コウイチ様、その……」


「大きい怪我はないぞ。一応な」


「一応で済ませないでください」


「細かいのは、もう数えるのが面倒で」


「あとでちゃんと見てくださいね」


「寝る前に覚えてたら」


「覚えていてください」


 真面目に言われて、俺は頷くしかなかった。


 広場の奥で、ギルド職員の声が響いた。討伐隊の参加者へ向けて、あとで報告と確認をするようにと言っている。別の職員は、今夜の宴について話していた。


 その言葉を拾ったのか、ミリアが俺たちを見回した。


「そういえば、今夜はギルド主催で宴があるみたいです。討伐隊の皆さんをいたわるために、食事も用意されるとか……」


 そこまで言って、ミリアは俺たちの顔を順番に見た。


「……今、聞くことではなかったかもしれませんね」


「いや、飯は惜しい」


 グラウスが低く言った。


「惜しいが、椅子に座ったらそのまま寝る自信しかねぇな」


「酒樽より寝台ね」


 フィーアが言うと、グラウスは素直に頷いた。


 エイルだけは、少し残念そうに広場の方を見る。


「食事だけなら、少し……」


「お前、皿持ったまま寝るぞ」


「……否定できません」


 エイルは小さく肩を落とした。


 俺も参加する気力はなかった。


 腹が減っていないわけではない。森で動き回って、戦って、帰ってきたのだから、何か食べた方がいいのだろう。けれど、今は食事より疲労から来る睡魔に対処する必要がありそうだ。


「悪いけど、今日は宿に戻るよ」


 俺が言うと、ミリアはすぐに頷いた。


「はい。皆さん、本当にお疲れでしょうし」


「本当にそうだな」


 思わず返すと、ミリアが少し笑った。


 町の歓声より、力を失ったレザルヴァンより、知っている人の表情の方が、今の俺には分かりやすく討伐が終わったと告げているようだった。


「それで、ミリアはこれからどうするんだ?」


 グラウスが聞いた。


 ミリアは姿勢を少し正す。


「父たちと話して、明日には農場へ戻るつもりです。被害の確認もありますし、ずっと避難したままというわけにもいきませんから」


「明日か」


 グラウスは一度、広場の方へ目を向けた。


 レザルヴァンの馬車の周囲では、ギルド職員と冒険者が何かを確認している。町の人たちは距離を取りながらも、まだ興奮した様子でそれを見ていた。


「なら、俺たちも行く」


「え?」


 ミリアが目を丸くする。


「手がいるだろ。必要なら手助けできるしな」


「でも、皆さんは今日戻ったばかりで……」


「だから今日は寝る。明日動けたら行く。動けなきゃ、その時はその時だ」


「そこはちゃんと休めよ」


 俺が言うと、グラウスは肩をすくめた。


「お前もな」


「俺はもちろん手伝いに行くぞ?」


「ならいいじゃねぇか」


 フィーアも頷く。


「農場の水場や周辺の確認は、しておいた方がいいかもしれないわね。ギルドの調査は別に入るでしょうけど、私たちも現場を見ているし」


「はい。魔力の残り方も、見られるなら見た方がいいと思います。安全第一ですよ」


 エイルがそう言うと、ミリアは少しだけ迷うように視線を伏せた。


「……ありがとうございます。正直、心強いです」


「まあ、俺たちも世話になったしな。恩返しだと思って連れてってくれよ」


 グラウスが軽く言う。


 ミリアは何かを言いかけて、それから深く頭を下げた。


「よろしくお願いします」


「そんな大げさにするなって。今日はもう帰って寝ようぜ? 明日、動けるようになってからだ」


「はい」


 討伐は終わった。


 けれど、これで全部が終わったわけではない。農場へ戻って、ヴェルデン家に日常が戻ってきて、そこれでやっと安心ができる。


 俺に何ができるのか、正直よく分からない。でも、世話になったヴェルデン家のみんなが戻るなら、そこについていって手助けをするのは自然な気がした。


 広場の奥では、宴の準備の話が少しずつ進んでいるらしい。大きな鍋だとか、酒樽だとか、そんな言葉が聞こえる。


「じゃあ、また明日」


 俺が言うと、ミリアは頷いた。


「はい。明日、よろしくお願いします」


 ミリアは家族がいる避難先へ戻るらしい。俺たちは宿へ向かうことになった。


 人の多い広場で一度別れる。


 ミリアが人混みの向こうへ歩いていくのを見送ってから、俺たちはギルド前を離れた。


 ***


 宿へ戻る道でも、町は騒がしかった。


 通りの向こうから、討伐成功の話をしている声が聞こえる。誰かが走っていき、別の誰かに広場の方を指さしている。店の前では、夜の宴に出すのだろう食材や樽が運ばれていた。


 町全体が、これからもっと明るくなるような気配があった。


 俺はその中を、半分眠りながら歩いていた。


「コウイチ、危ねぇぞ?」


 グラウスに言われて、段差に足を引っかけかけていたことに気づく。


「悪い」


「今の段差に負けるなら、あなたも宴は無理ね」


「段差に負けるってなんだよ……」


「いいからしっかり前を見て歩きなさいよ」


 そんな会話をしているうちに、宿の前まで来た。


 扉を開けると、外の騒ぎが少しだけ遠くなる。宿の中はいつもより静かで、木の床を踏む音がやけにはっきり聞こえた。


「じゃ、明日な」


 それぞれの部屋の前で、グラウスが短く言った。


「おう」


「そのまま寝台で寝ちゃうのよ。明日は早いんだから」


 フィーアが釘を刺してくる。


 そして、エイルは小さく頭を下げた。


「おやすみなさい」


「おやすみ」


 それぞれの部屋へ分かれる。


 自分の部屋に入ると、空気が急に止まったように感じた。外ではまだ町が騒がしい。窓の向こうから、人の声と荷車の音が聞こえた。


 俺は荷物を下ろし、上着を半分脱いだところで面倒になって、そのまま寝台へ腰を下ろした。


 体が重い。


 横になると、天井の木目がぼんやり見えた。


 今日のことが、少しずつ戻ってくる。


 森の湿った空気。足元の泥。押し込められた生き物の塊。レザルヴァンの大きな体。グラウスが倒れたところ。町の通りで見た、縄で縛られたレザルヴァン。広場で待っていたミリアの顔。


 ひとつずつ思い出しているはずなのに、順番はもう曖昧だった。


 たぶん、俺はかなり大きなことに関わっていた。


 それがどれくらいなのかは、まだ分からない。


 分からないまま、まぶたが重くなる。


 外ではまだ、町の声が続いていた。


 それを聞きながら、俺は考えるのをやめた。


 次に何かを考える前に、意識が落ちた。


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