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第47話

 テントの中は、外より少し暗かった。


 入口の布が風で揺れるたびに、隙間から光と人の声が入ってくる。泥を踏む足音。荷物を運ぶ音。誰かが短く返事をする声。それらは決して戦っている音ではない。


 それなのに、近くで大きな声がすると、体が勝手に反応した。レザルヴァンが倒れてからしばらく経つのに、まだ戦闘の恐怖心からは逃れられていないようだった。


 ギルドが張った応急用のテントの中で、グラウスは上体だけを起こしていた。


 背中には丸めた毛布が入れられている。泥と血で汚れた服はそのままだが、胸や肩の大きな傷は塞がっていた。治っているようには見える。けれど、顔色は悪い。息を吸うたび、口元が少しだけ歪んでいた。


 フィーアは、その横に座っていた。さっきまであった回復魔法の光はもうない。両手を膝の上に置いたまま、しばらく何もしていない。


 治療を終えた、というより、いったん止めたのだと思う。


 俺はグラウスのそばに腰を下ろしていた。


「で」


 グラウスが口を開いた。声はかすれているのに、言い方だけはいつもと同じようだ。


「どうなったんだ?」


「倒した、と思う」


「思う?」


「いや、倒した。倒れて動かなくなったんだ。周りの小さいやつらも同時に止まった……というか、死んだ」


 細かく説明しようとすると、どこから話せばいいのか分からない。レザルヴァンが倒れたこと。黒い珠みたいな巣が崩れたこと。周りの魔物が動かなくなったこと。


 全部見たはずなのに、頭の中ではまだ順番がきちんと並ばないようなおかしな感覚がある。


「なら最初からそう言えよ」


「悪い。俺も途中からよく分かってないんだよ」


「なんだそれ」


 グラウスは呆れたように言って、少し笑おうとした。だが、すぐに胸のあたりを気にするように息を止める。


 笑うだけでも痛いらしい。


「無理すんなよ」


「してねぇよ」


「今の苦しそうな顔で言うのか」


「うるせぇな。寝起きみたいなもんだ。しばらくしたらよくなるってんだ」


「二度寝した方がいいんじゃないのか?」


 口に出してから、少しだけほっとした。


 いつものやり取りに近いものが返ってくる。それだけで、グラウスがちゃんと生きていると分かる。


 フィーアが横から小さく息を吐いた。


「起きたばかりで強がるからよ」


「強がってねぇよ」


「はいはい」


 フィーアの返事は軽かったが、声にいつもの張りはなかった。背中を支柱に預けたまま、目だけでグラウスを見ている。立ち上がる気配はない。


 グラウスもそれを分かっているのか、言い返しかけてやめた。


「で、俺はどうなったんだ?」


「倒れた」


「それは分かる」


「レザルヴァンを倒したあと、そのまま崩れた。フィーアが見てくれて、テントまで運ばれて、しばらく寝てた」


「どれくらいだ」


「そこまでは分からないな。それほど長くはないと思うが」


「まあ、そうだろうな」


 グラウスは俺の手元を見た。


「お前の剣は」


 その一言で、俺は空の剣帯を見る。


 剣はない。


「まだ、戻ってきてない」


「投げてたもんな、あれは見事だったぜ」


「たぶんな」


「たぶんじゃねぇだろ」


「走って、間に合わないって思って、それで投げただけだよ。そこから先は……運よく刺さったらしい」


「らしいって、右目に入ったんだぞ?」


「そう言われてもな。俺からすると、投げたらなんか当たった、くらいなんだよ」


 自分で言っていて情けないが、本当にそれ以上の実感がない。


 必死だった。グラウスがレザルヴァンに潰されると思った。だから必死に投げただけだ。


 それをグラウスは鼻で笑った。


「無茶苦茶やって、一番功績上げてんのに、その本人がなんも分かってねぇのか」


 グラウスは軽く肩を揺らした。今度は痛みを思い出したのか、すぐに動きを止める。


 フィーアがちらりと睨んだ。


「笑うなら、せめて痛がらないでよね。痩せ我慢って知ってる?カッコつかないわよ」


「無茶言うな」


「無茶した人が言う台詞じゃないわね」


「それを言われると何も言い返せねぇな……」


 グラウスは息を吐いて、少し間を置いた。


「まあ、なんだ」


 そこから急に言いづらそうな顔になる。


「お前が助けてくれなきゃ、俺は多分死んでたな」


 重いことを、わざと軽く投げるような言い方だった。


 俺は返事に詰まる。


 死んでいたという言葉は、あまりにも衝撃的な発言だった。


 グラウスが倒れていた光景が思い出される。フィーアが必死に回復魔法を流していたこと。レザルヴァンがそちらへ向きを変えたこと。


 思い出した瞬間、手のひらの奥が少し痛んだ。


「……そんな大げさな話なのか」


 俺がグラウスを見ると、グラウスは顔をそらした。


「まぁ、その何だ……。よくやったんじゃねぇの。ありがとうな」


 褒めているのだろうか。


 ただ、言い方が雑すぎて、受け取る側にも少し準備がいる。


「……それ、褒めてるのか」


「褒めてるだろ」


「分かりにくいんだよ」


「ちゃんと褒めたら気持ち悪いだろ、男同士で!」


「自分で言うな」


 横でフィーアが目を細めた。


「照れてるだけよ」


「おい」


「何よ。本当のことでしょ」


「疲れてるなら黙ってろ」


「疲れてても、それくらいは分かるわ」


 グラウスは今度こそ口を閉じた。


 フィーアはそれ以上続けなかった。少しだけ笑ったようにも見えたが、すぐにまぶたが重そうに落ちる。からかう声にも、いつもの余裕はあまりなかった。


「フィーアも、寝た方がいいんじゃないか」


「寝たら起きれなくなるから、もう少し頑張るわ」


「それ、大丈夫なのか?」


「もちろん大丈夫よ」


 フィーアは小さく鼻で笑った。


 テントの外で、誰かが大きく名前を呼んだ。


 俺の肩が少し跳ねる。今度はグラウスにも見えたらしい。彼は何も言わなかったが、視線だけが一瞬こちらに来た。


 戦いは終わった。


 そう聞いている。自分でも見た。


 それでも、布一枚の向こうに何かがいるような気がしてしまう。足音が近づけば身構えるし、金具が鳴れば警戒してしまう。


 剣帯に手を伸ばすが、剣はもうそこにない。


 入口の布が持ち上がってエイルが入ってきた。


「失礼します」


 片手に杖を持ち、もう片方の腕には布で包んだ細長いものを抱えている。テントの中へ入ったところで、エイルは一度足を止めた。息を整えてから、こちらへ近づいてくる。


 ローブの裾には泥がついていた。いつもなら気にしそうなのに、今は見る余裕もなさそうだった。


「グラウスさん、起きたんですね」


「おう。見ての通り、だいぶ元気だ」


「見た通りなら、元気ではないと思います」


「そんなに今の俺って元気そうじゃねぇのかよ……」


 エイルは困ったように笑った。


「えっと……。外の確認が一段落しました。レザルヴァンは完全に動きを止めています。周囲の魔物も、今のところ動きはありません」


「今のところ、か」


 グラウスが言うと、エイルは頷いた。


「はい。水場と巣の詳しい調査は、後日、別の調査隊を入れるそうです。今日は討伐成功の確認と、周辺の安全確認までです」


「妥当だな。今の面子で中を調べる余裕なんざねぇだろ。全員ヘトヘトだぜ、全く」


「私も、そう思います」


 エイルは短く答えた。


 詳しく調べれば、あの黒い珠が何だったのか、レザルヴァンに何が起きていたのか、分かるのかもしれない。


 でも、今それを知りたいとは思わなかった。


 少なくとも、今の俺が近づいて見たいものではない。あの隙間の奥の暗さや、生き物が外へ出ようとして動いていた塊を思い出すと、喉の奥が詰まる。


「それと、コウイチさん」


 エイルが布の包みを両手で持ち直した。


「これ、回収できましたよ」


 俺の前で、エイルが包みを開く。


 中にあったのは、俺の剣だった。


 いや、剣だったものだ。


 刃は途中で折れ、残った部分も大きく欠けている。柄の近くには細かいひびが入り、泥と黒ずんだ汚れが固まっていた。店で初めて抜いた時の、あの澄んだ音はもう想像できない。


 形は残っている。


 でも、もう武器として使えるものではなかった。


 俺はしばらく、それを見ていた。


「……これ、直るのか?」


「無理だろうな」


 答えたのはグラウスだった。


「直すくらいなら、買い直した方が安い。元が量産品だしな。まあ、初心者用としては十分働いたんじゃねぇか」


「これでも一応、初めて買った大切な武器なんだがな……」


「だから十分働いたって言ってんだろ」


 確かに、そうなのかもしれない。


 この剣を買った時、俺は何度も腰の柄を触っていた。これでようやく冒険者っぽくなった気がして、少し浮かれてもいた。


 その剣が、今は布の上でこうして折れている。


 惜しくないわけではない。金もかかっている。次の武器も買わないといけない。そういう現実的なことも頭をよぎる。


 けれど、それより先に、これがグラウスを助けたのだと思った。


 俺は布ごと剣を受け取った。折れて短くなっているのに、手に乗ると重い。金属の重さだけではない気がした。


「持って帰る」


「そりゃ持って帰れ。証拠にもなるしな」


「証拠?」


「お前が無茶した証拠だ」


「いらないだろ、そんな証拠」


「いるだろ。後世に伝えるべきだぜ」


「勘弁してくれ」


 グラウスは小さく笑った。


「それに剣としては上等な壊れ方だと思うぜ」


「そんなもんなのか?」


「あぁ、そんなもんだ」


「ちなみに、今のも褒めてるのよ」


 フィーアが横から言った。


 グラウスは露骨に嫌そうな顔をした。


「いちいち訳すなよ、やりにくいぜ全く」


「分かりにくいからよ」


「十分分かりやすいだろ」


「いいえ。グラウスさんはちょっと遠回しに言い過ぎなことがあります」


 エイルまで小さく首を振った。


 グラウスは口を閉じた。


 その様子を見て、ほんの少しだけ力が抜けた。


 笑えるほど軽症で済んだわけではない。外に出れば、まだ片づけも撤収も残っている。


 それでも、テントの中には、いつもの会話に近いものが戻ってきていた。


 外から車輪の音が聞こえた。


 木の車輪が泥を踏んで軋む音。馬の鼻息。誰かが手綱を引く声。少し遅れて、ギルド職員の大きな声がテントの外を通った。


「荷馬車が着いたぞ! 救護が必要な者から乗せろ! 動ける者は荷物をまとめろ!」


 グラウスが毛布から背中を離そうとする。


 動きは遅かった。起き上がっているだけならまだしも、立つとなると別らしい。腕に力を入れた瞬間、眉間にしわが寄る。


「一人で立つのは無理なんじゃないかしら?」


 フィーアが短く言った。


「そうだな」


 グラウスは珍しく言い返さなかった。


 俺は折れた剣を布で包み直し、左手に持った。右肩を空けて、グラウスの横へ回る。


「使えよ、グラウス」


「おう」


「素直だな」


「それくらい満身創痍なんだよ」


「それもそうか」


 俺が肩を出すと、グラウスの腕がゆっくり乗った。


 重い。


 けれど、支えられないほどではなかった。むしろ、肩に重さがかかった瞬間、少しだけ安心した。


 俺はグラウスの腕を肩に回し、ゆっくり立たせる。足元に敷かれた布が少しずれ、グラウスの靴についた泥が床に落ちた。


 一歩目で、グラウスの体が少し傾く。


 俺は右足を踏ん張り、グラウスの重さに合わせて歩く。


 入口の布の前で、エイルが先に回ってそれを持ち上げた。外の光が一気に入ってきて、目が少し細くなる。


 手には、折れた剣の重さがある。


 肩には、グラウスの重さがある。


 俺達は勝ったんだ。


 俺はグラウスを支えたまま、馬車の方へと歩いた。

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