表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
49/50

第49話

 ギルド前の広場は、昨日とは違う騒がしさだった。


 討伐隊が帰ってきた時ほど人で埋まってはいない。けれど、昨日の名残はまだある。ギルドの扉の近くでは職員たちが慌ただしく出入りしているし、通りを歩く人たちの話し声にも、レザルヴァン討伐という言葉が混じって聞こえた。


 俺は広場の端で、荷物を肩にかけ直した。


 しっかり眠ったはずなのに、体はまだ重い。腕や足の痛みも、寝て起きたら消えるようなものではなかったらしい。けれど、昨日みたいに歩きながら寝そうになるほどではない。


「おはようございます、コウイチ様」


 先に来ていたミリアが、こちらへ頭を下げた。


 そのそばには、ミリアの父親と母親、それからアレンもいる。父親は荷物のそばに立ち、母親は布包みを手に持っていた。


「おはよう。早いな」


「農場へ戻る日ですから」


 ミリアはそう言って、少しだけ笑った。


「お前ら、ちゃんと来てたか」


 ギルドの扉の方から、グラウスの声がした。


 振り向くと、グラウスが細長い布包みを片手に持って歩いてくる。昨日より顔色はよくなっていて、歩き方もかなり普通に戻っていた。


 ただ、完全に元通りではない。動きの一部が重い。


 その後ろでフィーアが目を細めていた。


「ちゃんと来てたか、じゃないわよ。あなたが一番遅いじゃない」


「用事があったんだよ」


 エイルも少し遅れてギルドから出てきた。杖を抱え、眠そうではあるが、昨日より足取りはしっかりしている。


「揃ったな。で、コウイチ」


 グラウスが俺を見た。


「はい?」


「受け取れ」


 そう言うなり、グラウスは持っていた布包みをこちらへ放った。


「うわっ」


 慌てて両手で受け止める。


 思ったより重かった。布越しでも、中身がただの棒ではないことはすぐに分かる。


「なんだ、これ」


「剣だよ。見りゃ分かるだろ」


「いや、それは分かるが」


 布を少し開く。


 中に入っていたのは、一本の剣だった。


 新品ではない。柄には使い込まれた跡があり、鞘にも細かな傷がある。けれど、俺が最初に買った初心者用の剣とは見た目からして違った。装飾はないが、手に持った時の重さがしっかりしている。


「さっき、ギルドの貸金庫から出してもらった。俺が昔使ってたやつだ。お前にやるよ」


 グラウスは横を向きながら言った。


「昔使ってたって……そんな大事そうなもの、もらっていいのか?」


「置いてただけだだしな」


「でも」


「お前の剣、折れただろ?」


 それを言われて、荷物の中に入れている折れた剣のことを思い出した。


 布に包んで、荷物の底に入れてある。持ってはいるが、今は出していない。出したところで、もう武器にはならない。


「丸腰でうろうろされても面倒だしな」


 俺が訝しんでグラウスを見つめていると、グラウスは少しだけ口を曲げた。


「……礼だよ」


「礼?」


「助けられた礼。いちいち言わせんな」


 声は小さかった。


 ぼそぼそと、面倒そうに言っただけだった。


 俺は布の中の剣を見る。急に、手の中にある剣の重さが変わった気がした。


「ありがとう」


「礼を言うのはこっちだろ」


「いや、これは普通にありがたい」


「なら受け取っとけ」


 グラウスはそれで話は終わりだというように、ミリアたちの方へ向き直った。


 フィーアが小さく笑っている。


「分かりにくいけど、ちゃんとお礼なのよ」


「言わなくていい」


「そういうところよ」


「伝わってるだろ」


 グラウスは面倒そうに頭をかいた。


 俺は剣をもう一度布で包み直し、荷物の横へ固定した。


「では、行きましょうか」


 ミリアが言った。


 声は落ち着いていた。けれど、その目はリューベールの門の方を向いている。


 俺たちは、ヴェルデン農場へ向かった。


 ***


 農場は、静かだった。


 前に来た時は、家畜小屋の鳴き声や、動物が動く音が混じっていた。昼に家の中へ呼ばれた時も、外には農場特有の気配があった。


 でも今は、それがない。


 土の匂いはする。乾いた風も吹いている。けれど、そこに生き物の声が混じらないだけで、同じ場所とは思えない。


 柵は何箇所も折れていた。


 地面に倒れた杭。外れた板。泥のついた縄。畑の畝は崩れ、まっすぐだったはずの線が、獣に踏まれたように歪んでいる。小屋の壁にも傷があり、納屋の脇には割れた木箱や板切れが散らばっていた。


 全壊ではない。でも、どこを見ても、何かしら壊れていた。


「これは……」


 言いかけて、続きが出なかった。


 たぶん、直せるのだと思う。けれど、簡単ではない。


 そんなことは、農場仕事に詳しくない俺でも分かった。


 ミリアは、まっすぐ家畜小屋の方へ歩いていった。


 半分ほど壊れた屋根が、斜めに落ちかけている。入口の扉は片方が外れ、もう片方も大きく歪んでいた。餌箱らしいものは割れて、床には乾いた泥と藁が混じっている。


 そして、ところどころに赤黒い跡が残っていた。


 それは小屋の中だけではない。


 家畜小屋の入口から外へ、土を引きずったような跡が続いている。何か重いものが、森の方へ運ばれたような線だった。途中で草が倒れ、土が掘れている。


 ミリアは、その跡の前で足を止めた。


 誰も、すぐには声をかけなかった。


 ミリアの母親が口元に手を当てる。父親は少し離れた場所で、壊れた小屋を見ていた。何か言いかけたように見えたが、言葉にはならなかった。


 ミリアはゆっくりと、小屋の入口へ近づいた。


 中を覗き込む。


 そこには、家畜はいなかった。


 鳴き声もない。


 藁の上に残っているのは、壊れた餌箱と、散らばった縄と、踏み荒らされた床だけだった。


 ミリアは黙っていた。


 背中だけでは表情は見えない。


 俺は何か言おうとして、やめた。


 言えることがなかった。家畜が大事だったことは分かる。襲撃の時に、ミリアが家畜小屋へ走ろうとしたことも覚えている。


 でも、今ここで俺が何か言ったところで、それはあまり意味を持たない言葉になる。


 エイルが少し離れた場所で杖を握ると杖の先に淡い光が灯る。エイルは農場の方をゆっくり見回し、それから小さく息を吐いた。


「……本当に、もう危険はないようですね」


 その一言にフィーアが頷く。


「なら、今やることは片づけね」


 そう言っても、誰もすぐには動かなかった。


 どこから手をつければいいのか分からない。壊れた柵も、小屋も、畑もある。散らばった板も、折れた杭も、泥で汚れた道具もある。


 俺が視線を動かしていると、グラウスが家畜小屋の横へ歩いていった。


「グラウス?」


 フィーアが声をかける。


 グラウスは返事をせず、倒れていた太い板に手をかけた。半分割れた壁板のようなものだ。片手では動かず、もう片方の手も使って引きずる。


「ちょっと」


「片づけねぇと何も始まらねぇだろ」


 グラウスは短く言った。


 板の下から、折れた木片と泥が見えた。グラウスはそれを足で避け、もう一度板を引く。昨日よりは動けているが、重いものを持った瞬間、少しだけ肩が沈んだ。


「あなたね、失った血が一晩で戻ると思ってるの?」


 フィーアが近づきながら言う。


「戻ってねぇから、ゆっくりやってんだよ」


「それを無理って言うの」


「板一枚だぞ」


「その板一枚ごときで倒れるほど弱ってるのよ、あなたは」


「倒れねぇって。大丈夫大丈夫」


「全然しんようならないわ!」


 フィーアは文句を言いながら、グラウスが動かした板の端を持った。



「手伝うのかよ」


「手伝わないとあなたむちゃするでしょ?」


 そのやり取りで、止まっていた空気が少しだけ動いた。


 ミリアはまだ家畜小屋の前にいた。


 けれど、グラウスとフィーアが板をどかす音を聞いて、ゆっくり振り返る。


 一拍、間があった。


 それから、ミリアは両手を握り直した。


「……まず、入口の周りを空けましょう」


 声は思っていたより明るかった。


 少し無理をしているのは分かる。けれど、ただ元気なふりをしている声とも違った。言葉を出す前に一度止まって、それでも前を向くことを選んだように聞こえた。


「小屋の中を見ないと、何が使えるかも分かりません。板は割れていないものを右へ、折れているものは左へ。柵に使えそうなものは残してください」


 ミリアはそこで、俺の方を見た。


「コウイチ様は、運べそうなものだけで大丈夫です。重いものは無理しないでください」


「分かった。運べそうなものだけ運ぶ」


「グラウスさんは、軽いものだけでお願いします」


「俺もみんなと同じ扱いでいいんだけどな……」


「そういうわけにはいかないわよ、バカ」


 フィーアが即答して、それにミリアが少しだけ笑った。


 作業が始まって、俺は壊れた柵の近くへ行き、使えそうな板を選ぶ。


 完全に割れているものは避け、片側だけ傷んでいるものを持ち上げた。乾いているように見えた板も、泥を吸っているのか重い。


「これ、使えるか?」


 ミリアの父親の方を見ると、彼は少し考えてから頷いた。


「短く切れば、柵の補強には使えるな」


「じゃあ、こっちに置きます」


 俺は言われた場所へ板を運んだ。


 足元には、踏み荒らされた土がある。畑の端には虫が這ったような細い跡が残り、ところどころ苗が倒れていた。畝の形も崩れている。


 板を運ぶだけでも、何度か足を取られた。


 農場仕事は、想像よりずっと地味で、ずっと疲れる。


 けれど、今は何をすればいいのかが分かりやすかった。


 板を拾い、使えるか見て、運び、積む。


 それだけでも、少しずつ片づいていく。


「コウイチ、そっちの板、釘が出てるわよ」


 フィーアの声が飛んだ。


「本当だ。危な」


「手を切ったら、今日は治すより先に怒るわよ。私だって昨日は回復魔法を散々使ったんだから」


「わ、わかった」


 俺が釘の出た板を慎重に持ち直すと、エイルが近くに来て、短くなった板を別の山へ分けていた。


「これは、薪にした方がいいか?」


「燃やせるなら、それも必要ですね」


 ミリアが答える。


 その声はまだ少し硬い。けれど、指示ははっきりしていた。


 ミリアの母親は、使える布や縄を分けている。父親は少し離れた場所から、どの板を残すかを指で示していた。


 グラウスは結局、軽いものだけでは済ませなかった。


 気づけば、少し重そうな木材を肩に担ごうとしている。


「グラウス」


 フィーアの声が低くなる。


「これくらい軽いぜ」


「その苦しそうな表情で言われても説得力ないわよ」


 グラウスは一瞬だけ黙った。


「……半分持ってくれ」


「最初からそういいなさいよね」


 そんなやり取りが続くうちに、家畜小屋の前は少しずつ広くなっていった。


 壊れたものは、まだ多い。


 でも、散らばっていた板が分けられ、折れた柵の周りに通れる場所ができ、入り口の前から大きな瓦礫が消えると、それだけで農場が少し息をしたように見えた。


 昼を過ぎても、作業は続いた。


 家畜小屋の中に残った藁を出し、使える道具を脇へ寄せる。折れた柵の杭を抜き、畑の端に集める。倒れた苗は、ミリアと母親が見て、残せるものと駄目なものに分けていた。


 俺は木材を何度も運んだ。


 肩が痛く、腕も重い。


 昨日の戦闘で疲れているのか、単に農場仕事がきついのか、もうよく分からなくなってきた。


 ***


「少し休憩にしましょう」


 ミリアの母親がそう言ったのは、日が少し傾き始めた頃だった。


 たぶん、三時くらいだと思う。


 正確な時間は分からない。けれど、朝から動き続けた体には、休憩という言葉がかなりありがたかった。


 俺は畑の端に腰を下ろした。


 土が服につくのも、もうあまり気にならない。手のひらには木材を持った跡が残っていて、指を開くと少し痛んだ。


 グラウスは少し離れた場所で、木箱に腰を下ろしている。


「座ったわね」


 フィーアが言った。


「座っただけだろ」


「そのまま少しは動かないで」


「お前は俺の母親か」


「聞かない人にはそれくらい言うの」


「母親でもそこまでうるさくねぇよ」


 グラウスは何か言おうとして、やめた。


 エイルが小さく笑っている。


 俺も少し笑った。


 畑の方へ目を向けると、ミリアが鍬を持っていた。


 休憩と言われたのに、まだ手を止めていない。


 崩れた畝の端に立ち、土を起こしている。力任せではなく、少しずつ、確かめるように鍬を入れていた。倒れた苗の横の土を起こし、固まった泥を崩し、また足元を見る。


 無理をしている部分は、たぶんある。


 家畜小屋の静けさも、森へ続く引きずられた跡も、消えたわけではない。壊れた柵も、小屋も、まだそこにある。


 それでも、ミリアは畑に鍬を入れていた。


 壊れた場所を見るだけではなく、直す方へ手を伸ばしている。


「コウイチ様、あとでそこの木材もお願いします」


 ミリアが振り返って言った。


 声は明るい。


 少しだけ、いつものミリアに戻っていた。


「休憩じゃなかったのか?」


「休憩です。でも、考えることはできます」


「休めてるか、それ」


 ミリアが少し笑った。


 俺は畑の端で、水を一口飲んだ。ぬるい水が喉を通る。顔を上げると、農場全体が見えた。


 壊れた場所は多い。直すところは、たぶん数えきれない。


 今日一日で終わるわけがないし、明日になればまた別の問題が出るのだろう。柵を直して、小屋を直して、畑を戻して、それから何をどうするのか、俺にはまだよく分からない。


 散らばっていた木材はまとめられている。家畜小屋の入口は少し開いた。畑には人が立っている。グラウスが文句を言い、フィーアがそれを叱り、エイルが道具を分け、ミリアの家族がそれぞれできることをしている。


 俺も、その中で木材を運んだ。


 ふと、最初にこの世界で目を覚ました時のことを思い出した。


 草原の中で何も分からずに立ち、遠くに見える壁を目指すしかなかった。金も使えず、スマホもほとんど役に立たないまま、とりあえず歩き出した。


 あの時は、この世界で何ができるのかなんて、何一つ分かっていなかった。


 リューベールに着いて、冒険者になって、グラウスたちと組んで、ミリアの農場に来た。怖い思いも、痛い目もあった。理不尽だと思ったことも一度や二度ではない。


 それでも今、俺は畑の端に座って、土で汚れた手を見ている。


 この手で魔物を倒せるとか、すごいことができるとか、そういう話ではない。


 壊れた板を運ぶくらいならできる。


 誰かが直そうとしている場所に、少し混ざるくらいならできる。


 ミリアが鍬を振り下ろすと、土が起きる。


 この世界で生きていくのは、たぶん、こういうことも含まれている。


 面倒で、疲れて、分からないことだらけで。


 それでも、手を動かせる場所がある。


 俺はもう一度、水袋を持ち直した。


 まだ全部を分かったわけじゃない。でも、なんとなく、この世界で俺は生きていけそうな気がした。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。


第49話で、『ただいまイセカイ生存中!!』は一巻分くらいの一区切りです。


最初は何も分からず草原に放り出されていたコウイチですが、冒険者になり、仲間と出会い、怖い目にも、痛い目にも遭いながら、なんとかここまで生き残りました。


私もコウイチと同じように、何も分からないまま「書きたい」という気持ちだけで小説を書き進めてきました。

まだまだ至らないところも多かったと思いますが、ここまで追いかけてくださった方には、本当に感謝しています。


この先を書くかどうかはまだ決めていませんが、コウイチたちの物語はここで一度区切りになります。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ