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第42話

 目を開けた時、部屋の中はまだ暗かった。


 寝坊はしていない。けれど、よく眠れた気もしなかった。


 窓の外からは、遠くで荷車の車輪が軋む音や、誰かが低く話す声が聞こえていた。まだ夜に近い時間なのに、町では人が働き始めているらしい。


 俺は寝台から起き上がり、昨夜まとめておいた荷物を肩に掛けた。


 保存食と水袋の重さが、肩にかかる。服の下で冒険者証が揺れた。


「起きてるか」


 扉がノックされ、グラウスの声がした。


「起きてる」


「なら出るぞ。下に集まれ」


「わかった」


 返事をして、剣を取る。


 柄に触れた瞬間、少しだけ手に力が入った。


 怖くないわけではない。


 でも、今さら怖いからやめるとも言えない。


 階段を下りると、宿の入口近くにグラウスたちがいた。


 グラウスはいつも通りに見える。剣を帯び、荷物を背負い、こちらを見て軽く顎を上げた。


 フィーアは肩から荷物を掛け、エイルは杖を両手で持っている。エイルの表情は少し硬いが、昨日の夜よりは落ち着いているように見えた。


「寝坊しなかったな」


 グラウスが言う。


「扉を叩きまくられる前に起きれたぞ」


「叩きまくる前提にするなよ……」


 そんなやり取りを見ていたフィーアが小さく息を吐いた。


「朝から口だけは動くのね」


「体はまだ微妙だけどな」


「なら、歩きながら起こしなさい。今日は討伐本番なのよ」


 フィーアはそう言って、宿の扉を開けた。


 外へ出ると、朝の空気が冷たくて心地よく頬を無でる。


 まだ日が出きっていない。通りには薄い青みが残っていて、家々の窓や店先の明かりがところどころに見える。


 店を開ける準備ではなく、荷物を運ぶ人がいる。門の方へ向かう兵士らしい人たちもいる。ギルド職員らしい服装の人が、紙束を抱えて小走りに通り過ぎていった。


 町の人々はずっと起きたまま、朝を迎えたように見えた。


 俺たちは東門の方へ向かった。


 昨日、ミリアと話した水路の近くを通る。暗い水面に朝の光が少しだけ入り、細く揺れていた。


 ——帰ってきてください。というミリアの声が、まだ耳に残っている。


 東門が近づくにつれて、人の数が増えていった。


 武器を持った冒険者。鎧を着た者。弓を背負った者。魔法使いらしい杖を持った者。荷物を積んだ小さな荷車もある。


 ただ、祭りや市のような賑わいではない。


 みんな声を落としていた。武器の金具が鳴る音や、荷物を下ろす音の方がよく聞こえる。


 門の内側には、ギルドの職員たちが立っていて、受付で見たことのある職員もいる。名前は分からないが、手元の板のようなものに何かを書き込みながら、冒険者たちへ順番に指示を出している。


 その少し離れた場所に、ミリアがいた。


 父親や母親、アレンの姿はない。


 ミリアは昨日と同じように両手を前で重ねていた。けれど、昨日よりは表情が明るくなっているようなきがした。ただ、今は少し緊張をしているようにも見える。


「コウイチ様」


 俺たちに気づくと、ミリアはこちらへ歩いてきた。


「おはよう」


「おはようございます」


「来てくれたんだな」


「はい。見送るって言いましたから」


 ミリアはそう言って、小さく笑った。無理に明るくしている感じではない。けれど、不安がないわけでもない。


 それはたぶん、俺の心情と同じだろう。


「家族のみんなは?」


 フィーアが聞いた。


「父と母は避難先にいます。アレンも一緒です。私は、このあと戻ります」


「そう」


 フィーアは短く頷いた。


 グラウスは周囲を見ながら言う。


「ミリア。農場のことは、今は深刻に考えすぎるなよ」


 ミリアは少しだけ目を丸くして、それから頷いた。


「はい」


 昨日の夜に話したことを、ここでもう一度言葉にする必要はなかった。だから俺は、短く息を吐いてからミリアに呟くように言った。


「行ってきます」


 言ってから、少し照れくさくなった。


 今まで、誰かにそう言って出かけたことがどれくらいあっただろうか。


 少なくとも、この世界に来てからは初めてかもしれない。


 ミリアは両手を胸の前で重ねたまま、まっすぐこちらを見た。


「行ってらっしゃいませ」


 その声は小さかっけれど聞き取れないほどの小声ではなかった。俺は頷いて、グラウスたちの方へ向き直る。


 門の前では、ギルド職員が声を張って参加者に語りかけていた。参加者は知り合い同士で固まっていたりすでに整列をしていたりする。


「参加者は班ごとに整列してください。指名パーティーは右側、一般参加者は受付順に確認します。斥候班、前衛班、後衛班、支援班で配置を分けます」


 なんとなく意味はわかるが、それが実際にどんなことをするのか、それはいまいち想像できない。ただ、この場がどんな雰囲気だけは分かった。


 これは、ただ大勢で山へ行くというだけではない。統率の取れた大人数が一つの目的を確実に仕留めるという覚悟がひしひしと伝わってくる。


 グラウスは職員のところへ行き、短く言葉を交わしたあと、職員が手元の板を確認し、俺たちの方を見る。


「グラウス様のパーティーは中列前方です。現地情報保持者として、先導班と連携してください。ただし、独断で突出しないようお願いします」


「あぁ、分かってる」


 グラウスが職員に答えてからこちらを見た。


「聞いたな」


「おう」


「俺よりも前に出るな。フィーアとエイルの邪魔もするな。分からないものを見つけても、まずは報告だ。触るな。近づくな。嗅ぐのも駄目だぞ?」


「そこまで信用ないか」


「ねぇよな」


「即答かよ」


 なんて会話をしながら、グラウスにからかわれているのだと気がついた。


 ひどい。


 でも、その行為を否定することはできなかった。


 農場での俺を考えれば、勝手に走り出さなかっただけで褒められるくらいかもしれない。


「分かったよ。まずは報告だな。そして触らないし近づかない。嗅ぎもしない」


「よし」


 グラウスは笑顔で頷くと、隊列の方へ歩き出した。


 俺は一度だけ振り返る。


 ミリアは門の内側に立っていた。


 俺たちだけではない。出発していく冒険者たちを、町の人たちが少し離れた場所から見ている。


 この中にはヴェルディン家と同じように自分の農場や田畑を襲われてリューベールへと逃げてきた人たちもいるかも知れない。


 その中で、ミリアはこちらに向かって小さく手を振っている。俺はそれに返すように軽く手を上げた。


「それでは出発します!」


 ギルドの職員の誰かが声を上げ、討伐隊がゆっくりと動き出した。


 ***


 大人数で歩くのは、思ったより落ち着かない。


 足音がいくつも重なり、鎧や武器の金具が鳴る。誰かの荷物が揺れ、後ろでは低い声で短い確認が交わされている。


 道は広いけれども、人が多いせいで好きな場所を好きなように歩けるわけではなかった。


 俺はグラウスの少し後ろを歩く。


 フィーアとエイルは俺の近くにいてフィーアは周囲を見ながら歩き、エイルは杖を持ったまま時々視線を左右へ動かしていた。


 前方には、いかにも慣れていそうな冒険者たちがいる。


 軽装の者が何人か、さらに先へ出ていた。斥候というやつだろう。姿が見えたり、木の陰に消えていったりしている。


 後方には荷物を持った人たちと、回復職らしい人たちがいた。


 全体がばらばらに見えて、実際にはそれぞれの場所が決まっているのだと把握する。


「それにしても、すごい人数だな」


 俺が小さく言うと、グラウスが前を向いたまま答えた。


「相手が分かってりゃ、適切な人数を適切に集めるんだろうけど今回は特殊だからな」


「分かってないから、こんなに大人数なのか」


「そうだぜ。強い相手なら、強いやつを当てりゃいい。数が多い相手なら、数を用意すりゃいい。だが、今回わかってるのは正体不明の異常生命体が膨大な数発生しているってことくらいだ。そうなると人数を揃えての戦いをするしかないんだろうな」


「……そういうものなのか」


 それを聞いて、前方の冒険者たちを見た。これだけの人数がいるんだからどこか安心だと思っていたけれど、それは違うのかもしれない。


 人数を増やさないといけないくらい、分からないことが多い。


 そう考えると、大人数であることが逆に怖くなってくる気もする。


 道の両側には、畑や草地が続いていた。


 リューベールから離れるほど、町の音は小さくなる。代わりに、風が草を揺らす音や、足元の土を踏む音が大きく感じられた。


「コウイチさん」


 隣でエイルが小さく声をかけてきた。俺は振り返りエイルの顔を見た。


「えっと、森に近づいたら、水場や湿った場所には気をつけてください」


「水場?」


「はい。前に見た異常と、今回の報告がつながるなら、水に魔力が残っている可能性があります。触っただけで危険、とは限りませんけど……不用意に近づかない方がいいと思います」


「分かった。触らない。近づかない。さっきグラウスが言ってたやつだな」


 俺がそう言うと、エイルは少しだけ困ったように笑った。


「はい。私も同じ意見です」


 分かってはいる。


 でも、見たものを確認したくなった時、自分の好奇心がきちんと抑制できるかはかは少し怪しい。でもこうして二度も刷り込まれたのだから流石に大丈夫だと思いたい。


 ***


 やがて、道の先に森が見えてきた。


 木々の奥は暗い。


 朝になっているはずなのに、木の下だけはまだ夜の名残残しているようだ。


 隊列の速度が少し落ちて、前方の斥候たちが先に森の際へ入り、すぐに戻ってきた。


 何かを報告しているが、俺には聞こえない。


 ただ、その報告を受けた屈強なギルド職員と冒険者たちの表情が、少しだけ引き締まったのはわかった。


「ここから森に入ります」


 ギルド職員の声が拡声されて聞こえてくる。拡声器のようなものは持っていないから魔法の一種だろうか。


「隊列を崩さないでください。周辺確認は斥候班と指定された者が行います。痕跡を発見した場合、近くの職員か班長へ報告してください」


 森に入ると、足元の土が、道の固いものから柔らかいものへ変わった。湿った落ち葉が靴の下で潰れる。空気が森の外と比べると少しだけ冷たくて不気味な雰囲気だった。。


 すぐに森の外の道は見えにくくなったが、木々の間から光は入っている。それでも、視界は急に狭くなっていて、遠くまで見えない。


「離れるなよ」


 グラウスが言った。


「分かってる」


 森の中を進んでいると、周囲の音が妙に少ないことに気づいた。


 鳥の声がないわけではない。虫の音も、風で葉がこすれる音もある。


 けれど、何かが足りない。うまく言えないけれど確実に異変が生じていると体感させられる。


「静かだな」


 俺が言うと、フィーアがこちらを見た。


「あらようやく気づいたのね?」


「なんとなくだけどな」


 少し進んだところで、前方の隊列が止まった。


 それだけで緊張感が助長された感じがして、背中に汗がにじんだ。


 何かが出たのかと思い、剣の柄に手をかける。いつでも抜き出せれるように準備だけは必要だろう。


 前方で、斥候の一人が膝をついて職員と数人の冒険者が近づき、何かを見ていた。


「——死骸だってよ。小型の獣の食われ方が妙に変わってるらしいんだ」


 誰かが低く言った。


 俺は前方を覗こうとして、足を出しかけた。


 その瞬間、グラウスの手が俺の肩を押さえた。


「見る必要はねぇよ」


「でも」


「必要なら向こうから言う。お前が近づいても情報は増えねぇ」


 確かにその通りだ。俺が見ても、「死んでいる」くらいしか分からない。


 分からないものに近づくこと自体が危ない。


「……悪い」


 前方では、死骸を確認していた冒険者が短く何かを言う。


 屈強なギルド職員が近づいてきて、エイルの前で止まった。


「わ私、ですか?」


「魔力の残りを見てほしい。君はこの件でかなりの残滓をみているはずだ」


「な、なるほど……わかりました」


 エイルは一度俺たちを見てから、杖を大事そうに抱えてからその獣の近くに駆け寄った。


 俺はその背中を見送る。


 エイルは死骸の近くで膝をつき、杖を軽く地面へ当てた。


 何かを唱えたのか、空気がわずかに揺れた気がしてそれからしばらくすると、エイルが顔を上げる。


「……同じですね」


 声は小さかったが、近くにいた者たちには聞こえた。


「農場の水場で感じたものと、かなり近いです。ただ、ここは水場ではないので、残り方は薄いものです」


 職員が手元の資料へ素早く書き込み、俺の隣ではグラウスが眉を寄せた。


「水から移った個体が、ここまで動いたってことだろうな」


「その可能性はあります」


 エイルは少し考えるように、死骸の周囲を見る。


「ただ、この個体そのものが強く汚染されていたというより、何かに触れたか、何かを食べた後にここで倒れたように感じます」


 農場で見た異常と、この森の中の死骸の情報が一つにつながって着実に真相に近づいているとわかってきた。


 そして隊列は再び動き出した。こんどは先程までの余裕はなく、皆周囲の警戒を怠ることはしていない。


 そこからは、何度も足が止まった。


 不自然に折れた枝や同じ方向へ続く大量の小さな足跡。湿りけのある土に残った、引きずったような跡。木の根元にこびりついた、泥のような血痕。


 俺には、それぞれの詳細な意味まではわからないけれど、はっきりとしているのは不穏な気配として着実に証拠が増えていっていることだった。


 進むほど、足跡や痕跡は増えていき一つの解が導き出される。


「森の奥へ向かっているな」


 前方の冒険者が言った。


「戻った跡がない」


「集まっている、ということですか」


 職員が確認する。


「そう見える。だが、群れの移動にしては散りすぎてる。統率されている感じじゃない」


 その言葉が、妙に引っかかった。農場を襲った群れも、そうだった。一斉に群れをなして襲って来たように見えた。なのに、それぞれの動きはばらばらだったのだ。


 家畜へ向かうもの。畑へ散るもの。人へ向かうもの。何かを探すように走るもの。


 作戦と言うには乱れすぎだ。


 ただの獣の群れと言うには、違和感がありすぎたのだ。


 更にしばらく進むと、小さな水場に出た。


 水場というより、雨水が溜まったくぼ地のような場所だ。


 周囲の土はぬかるみ、落ち葉が水に沈んでいる。表面は静かで、風が吹いても全く揺れない。


 前方の冒険者が手を上げ、隊列を止めた。


 エイルがまた呼ばれて、今度はフィーアもついて二人で行く。


 俺は少し離れた場所から見ていたが、くぼ地の水は見た目はただの濁った水だった。でも、周囲の冒険者たちは嫌そうに距離を取っている。その多くが魔法使い系の職種だと見てわかる。


 水の近くには、小さな足跡がいくつもあって、その足跡は水場へ向かっているものもあれば、そこから奥へ向かっているものもある。


 エイルが杖を水面の近くへかざし、そのまましばらく目を閉じる。


 俺には何も分からないけれど、エイルの表情が少しずつ強ばっていくのは分かった。


「濃いですね。この水は、かなり影響を受けていると思います」


「ちなみに飲んだらどうなるんだ?」


 グラウスが聞く。


「普通の動物なら、体がおかしくなると思います。魔物でも、弱い個体なら変質するかもしれません。どの程度かは、分かりませんが」


「そうか……」


 グラウスも眉間にシワを寄せながらそういった。


 敵がどこにいて、何をしていて、どれくらい危険なのか。どんな魔物なのか。全部は分からない。


 それでも、進まなければ、農場のような被害がより広範囲の場所で出るかもしれないということだろう。


 水の表面を見ていると、何かを確かめたくなる。それが何を確かめたいのかはわからないが、不思議とその水場に吸い寄せられて足が前へ出そうになる。


 水場の確認が終わると、職員が近くの木に剣で印をつけてから、地図へ何かを書き込み、前方の冒険者たちと短く話す。


「痕跡は東側へ続いています」


「水場の影響も、奥へ行くほど強くなる可能性があります」


「この先、湿地があります。以前の調査では接近を断念した場所です」


 その言葉で、周囲の空気が少し変わった。


 ギルドが調査して、それでも近づけなかった場所へ今から行く。


 少し汗をかいている。


 剣の柄に触れると、手のひらが湿っているのが分かった。


 怖い。


 たぶん、そういうことなのだろうと思う。


 隊列が再び動き出して森の更に奥へと入っていく。


 森は、さっきより暗くなったように感じたが実際には、木が濃くなったから太陽光が届かなくなっただけかもしれない。


 足元の土は柔らかく、ところどころに水がにじんでいる。靴が沈み、抜くたびに小さな音がした。


 誰かが低く合図を出すと前方の斥候がさらに慎重に進む。


 話し声はほとんど消えていた。

 

 前方で、斥候の一人が手を上げるのを合図に、隊列が止まる


 森の奥から、枝がいくつも折れるような音が聞こえた。


 グラウスの手が、剣の柄に触れる。


 フィーアが杖を持ち直し、エイルが息を止める気配がした。


 俺も、剣の柄を握り周囲を観察するが、まだ何も見えない。


 何かがいる。


 討伐隊全体が、それを同時に理解したことで、周囲の緊張が一気に鋭いものとなった。


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