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第40話


 俺たちは、受付の奥から続く廊下へ案内された。


 ギルドの奥に入るのは初めてだった。廊下の壁には武器を立てかけるための木枠があり、床は長い年月をかけて人が通ったことが伺える


 外の喧騒は扉を一枚挟むだけで少し遠くなったが、それでも低い声や足音は届いていた。


 突き当たりの扉を開けると、広い訓練場に出る。


 土の床。周囲を囲む低い柵。壁際には木剣や刃を潰した訓練用の剣が並んでいる。天井は高く、昼なのに薄暗い。あちこちに傷が残っていて、ここがただの空き部屋ではないことはすぐに分かった。


 ノルマン試験官は壁際から訓練用の剣を一本取り、軽く振った。


 細い腕なのに、剣を振るう動作はとても軽やかなものだった。


 俺の中のノルマン試験管の印象は「小柄な老人」「よぼよぼの老人」そんなものだった。でも剣を持ったこの瞬間、凛とした空気をまとって、その印象を払拭する。


「コウイチ様」


 セレナさんが訓練場の入口近くに立つ。


「試験はノルマン試験官が終了を告げます。倒せるのであれば倒してもいいですが、試験官を倒す必要はありません。逆に、倒そうと無理に動く必要もありません」


「わかった」


「現在の技量を見る試験です。特別気負うことなく普段通り通り戦ってみてください」


 俺は壁際に置かれていた訓練用の剣を取った。ここ数日で握っていた木剣より少し重い。刃は潰されていているている。


 グラウスたちは柵の外に立つ。


 フィーアは腕を組んで、どこか面白がるようにこちらを見ていた。エイルは杖を両手で持ち、少し緊張した顔をしている。ミリアは両手を胸の前で握ったまま、じっとこちらを見ていた。


「では、始めようかの」


 ノルマン試験官は、剣を下げたままそういった。


 俺は剣を構えるも、相手にはその気配すらない。


 だが次の瞬間、ノルマン試験官の姿が由来だと思うと、目の前にいた。


「っ!?」


 足音が無い。踏み込んだ瞬間も見えなかった。


 ただ、老人が目の前にあらわれて、ノルマンの剣が俺の肩口へ向かっていた。


 反射で剣を上げると金属同士がぶつかり、腕に重い衝撃が走った。


 グラウスの一撃ほどではないにしても、軽いわけでもない。細い腕から出たとは思えない重さが、剣越しに手首へじわりと負荷をかける。


 剣の角度を変え、衝撃を横へ逃がすと同時に足を半歩ずらすことでノルマン試験官の剣が流れた。


「ほぉ」


 小さな声がした。


 そこへ、すぐ二撃目が来る。


 下から。いや、横からか。


 迷った瞬間、剣が俺の腹の前を通った。


 当たってはいない。だが、服の上すれすれを確かに通過するのを風圧で感じた。


 俺は慌てて距離を取るとノルマン試験官は、追ってこない。剣をだらりと下げたまま、にこにここちらを見ていた。


「なるほどのう。七級の動きではないな」


「まだ、何もできてませんけど」


「何できずに転がる者の方が多いんじゃわい」


 そう言いながら、再び揺らいだ。攻撃が来るのだと理解していたからか、今度は視覚することができた。


 少なくとも、さっきよりは動きが読めている。


 右から来る剣を受け、流す。そしてすぐに正面に剣を構え直す。


 ノルマン試験官の剣は嫌なところを確実についてくる。俺が剣を構え直そうとするところ、次の足の設置面、動こうとした軌道。そういう場所へ、未来が見ているのかと思う精度で剣が先回りして置かれている印象だ。


 剣を受けたあと、俺は短く反撃をする。攻撃のためではない。相手から間を得るため剣先を前へと差し込んで、ノルマン試験官の動きをほんの少し止めることができた。


 いや、止まったように見えただけかもしれない。


 次の瞬間には、俺の剣は横から軽く払われていた。


 腕が大きく開いて胸元が無防備にさらけ出される。


 そこへノルマン試験官の剣先が入り、寸前で止まった。


 冷たい金属が、服の上に触れている。


「……っ」


 息ができない。


 老人は笑わず、ただこちらを見ている。さっきまでと同じ顔のはずなのに、目つきが異常に研ぎ澄まされている印象を受けた。


 細い体の奥に、何か黒いものがあるように見える。


 魔力の類ではない。


 たぶん、ただの俺の錯覚だ。


 それでも、目の前にいる老人の輪郭が、急にひどく大きく見えた。


「……続けるぞ」


 ノルマンは軽い口調でそう言うと、俺の胸元から剣先が離れる。


 俺は息を吸い、剣を握り直した。


 そこから、ノルマン試験官の動きの特徴が変わったように感じた。


 速さそのものが上がったわけではない。だが、こちらの苦しいところを更に突くように攻撃が繰り出されている。


 一撃を受け流し安心したところへ続けて二撃目。二撃目に備えたところへ足元。剣を戻そうとしたところへ、下がろうとした先へ、先に剣先が置かれている。その剣さばきは見事なもので、反応するのがやっとのものだった。


 俺は何度も体勢を崩しかけ、そのたびに転びきらないように体を動かした。


 真正面からまともに受けない。


 止まらない。


 受けたら、隙をみて短く返す。


 グラウスとの訓練が頭の中に残っている。


 霧の中で光の獣に押された時の感覚も、農場で小型の獣を叩いた時の手応えも、まだ体に残っていた。


 剣先が老人の袖の近くをかすめた。


「ほう」


 ノルマン試験官の口元が、ほんの少し上がった。


 次の瞬間、足元で土が小さく跳ねた。


「え」


 何かが来る。


 そう思った時には、左側から小さな光の塊が飛んできていた。


 魔術。


 俺は反射的にそちらへ剣を向けかけた。


 だが、正面にはノルマン試験官がいる。


(——全部に反応するな、か)


 霧の中でグラウスに言われたことが思い浮かぶ浮かぶ。


 俺は左の光を避けるだけにした。大きく払おうとはしない。肩を引いて、足をずらす。必要最小限の動きでそれをかわすと光の塊が服の袖をかすめて後ろへ抜けた。


 その瞬間、正面から剣が来る。


 反応が遅れた。


 受けるには角度が悪い。


 それでも剣を合わせて衝撃を腕に食らう。足元が滑り、体が横へと流れた。


 なんとか筋力を活用して耐え、剣を前へ短く出す。


 しかし、当たらない。


 ただ、ノルマン試験官が一歩だけ引いた。その一歩が、俺には信じられないくらい大きく感じた。


 息を吐く暇もなく、今度は右側に光が生まれた。


 一つではない。


 二つ。


(——いや、三つか)


 小さな光の塊が、俺の周囲にふわりと浮かぶ。


 それぞれが別の方向を向いていた。


 エイルの霧の中で見た光の獣とは違う。獣の形はしていなくて、ただの魔力の塊に見える。


 それなのに、感覚ではそれに触れてはいけない気がしていた。


(どこから来る? どれがどう動く?)


 考えた瞬間、正面の老人が動いた。


「——ッ!」


 剣。


 右の光。


 左の光。


 後ろにも気配。


 情報量が一気に増える。


 正面から来た剣を斜めに受け、左の光を視界の端で確認する。右の光は肩を引いて避ける。後ろの気配はあえて追わない。


 ノルマン試験官の剣が、俺の剣を押し込んでくる。


(——重い!)


 細い老人の剣ではない。


 腕がしびれて柄を握る力が失われそうだ。


 ここで踏ん張りすぎるとやられるばかりだ。


 瞬時に力での勝負をやめて、剣を受け流す。


 流した先に、光が来ている。


 しまった。


 そう思った時、体が勝手に動いた。


 剣を戻すのではなく、剣の腹で光を押しのける。強く叩くのではなくて進路をずらすイメージ。


 光の塊が弾け、頬に熱風が吹く。


 俺はそのまま、ノルマン試験官の正面から外れて距離を取る。


 追わない。勝とうとしない。とにかく、動ける場所を確保して戦う。これを徹底するんだ。


 じりっと足で土を踏み、呼吸を落ち着かせるように深く息を吸い込んで吐いた。


 それを見ていたノルマン試験官は、少し離れた場所でこちらを見ていた。


 笑っている。


 だが、最初の軽い笑みとは違った。


 楽しそうだった。


「もうよい! もうよい!」


 唐突だった。


 ノルマン試験官は剣を下ろして満足そうに笑っている。


「見えた。見えたぞぉ」


 俺はしばらく構えたままだった。


 終わった、のか。


 そう理解しているのに、体はすぐに納得していないようで戦闘状態の興奮した状態を続けている。


 周囲に浮かんでいた光の塊はふっと消え、ようやく緊張をほぐすことができた。


「本当に、終わりなのか?」


「終わりじゃ」


 ノルマン試験官は、さっきまでの軽い老人の顔に戻っていた。


「騙し討とかじゃないよな?」


「そんなことはせんわい。それにこれ以上やると、わしが楽しくなりすぎる」


 柵の向こうで、グラウスが肩を揺らして笑っている。フィーアは呆れたように息を吐いていた。エイルは目を丸くし、ミリアはまだ両手を握ったまま、こちらを見ている。


 ノルマン試験官は剣を壁際へ戻し、俺の前へ来た。したから覗き込まれている。


 さっきまであれだけ怖かったのに、剣を握っていなけれは普通の老人とまったくかわらない。


「さて、コウイチくん」


「はい」


「剣はダメダメじゃな! ワハハハ!」


 いきなりだった。


「粗い、遅い、攻め手も少ない。魔術への反応も、経験のある者と比べればまだまだじゃ。見えるものを順番に丁寧に処理しようとする癖もある。その戦い方だと長く戦えば判断も落ちるじゃろう」


 ノルマン試験官は、そこで少しだけ口元を緩めた。


「だが、悪くない」


 その言葉に、俺は驚く。


「お前さんの剣は、勝つための暴力的な剣というより、保守的で美しい剣じゃな。受けて、流すし、必要なだけ反撃をする。無理に戦いを速めるのは死に急ぎのやることじゃ。君の剣技は強い相手に勝てる動きではないがが、なかなか面白い」


 ノルマン試験官は、俺の手元を見る。


「体の動きに無理はある。けれど、考え方は悪くない。自分より強いものにぶつかった時、真正面から勝とうとしない。魔術が混ざっても、全部を同時に処理しようとして硬直するほどではない」


 俺は黙って聞いていた。


 ノルマン試験官の言葉は長い。だが、不思議と記憶に残る抑揚があった。


 さっきの試験で、自分が何をして、何ができて、何ができなかったのか。そこを一つずつ見抜かれているような、あるいみ不気味な感覚があった。自分でもわかっていないことを、この短い剣戟で見切られているような、そんな感覚だ。


「もちろん、鍛錬はいる」


 ノルマン試験官は続ける。


「剣を振る時間も足りじゃろう。魔術を相手にした経験も少ないのではないか? 戦い慣れた者なら感じれる気配を、お前さんはまだ理解できていないように感じる。今のまま楽にやっていけるとは思わん方がいいぞ」


「はい」


「ただし、その不足は実戦で磨かれる種類の不足じゃ。机に座って分かるものではない。危ない目に遭い、痛い目を見て、それでも次に立った時に少しずつ削り出されていくものじゃな」


 ノルマン試験官は、そこでセレナさんへ顔を向けた。


「四級じゃな」


 訓練場が、一瞬だけ静かになった。


 俺は、言葉の意味をすぐには飲み込めなかった。


「四級、ですか」


 たしか今回の緊急討伐依頼の参加条件を満たす階級の一つ上の階級だ。


 確認するように言うと、ノルマン試験官が頷いた。


「四級じゃ。胸を張ってよいぞ。わしは甘くは見積もらん」


 胸の奥が、少し熱くなった。嬉しい、だけではない。もちろん怖さもある。本当にその階級をもらっていいのかという戸惑いも、もちろんある。


 だが、それでも。討伐に一緒に着いていくことができる。


「ありがとうございます」


 俺が頭を下げると、ノルマン試験官はにこりと笑った。


「礼はいらん。次に会う時、もっと面白い剣士になっておれば、わしは満足じゃよ」


「……また試験を受けろってことですか」


「それでもよいし、普通に斬り合いに来てもよい。……そこの奴のように日に六回もくるんじゃないぞ?」


 ノルマンは首を触るグラウスを指さして睨みつける。何をしたんだ、グラウスは。


 グラウスが柵を越えてこちらへ来る。


「いきなり四級か。ま、そんなもんだろうな、っと」


「お前さんが毎日来ていた頃よりは物分かりがよいぞ」


「それは比べる対象が悪いだろ」


「悪かったのはお前さんのしつこさじゃ」


 妙に仲がいい。


 そのやり取りを見て、ようやく肩の力が少し抜けた。


 セレナさんが書類へ何かを書き込み、俺の冒険者証を手に取る。


「正式な更新処理を行ってきますので、少しお待ちください」


 そう言って、彼女は近くの職員へ冒険者証を渡した。


 俺はその背中を見送る。


 手のひらには、まだ剣の感触が残っていた。腕も重い。息もまだ整っていない。フィーアの回復魔法を受けていないから、打ち合いの疲れがそのまま体に残っている。


 しばらくして、職員が戻ってきた。そしてセレナさんが俺に金属板を差し出す。


「お待たせしました」


 受け取った冒険者証は、さっきまでと違っていて、中央に黄色い帯が入り、下の縁には三本の短い線が刻まれている。


 ミリアのものと同じ、四級の証。


 俺はその金属板を空に上げて見つめた。


 最初にもらった時は、冒険者になったという実感すら薄かった。文字も読めず、仕組みもよく分からず、ただ首から下げていただけだった。


 今はこいつの重要性を多少理解していた。


「これで、参加条件は満たしましましたね。おめでとうございます」


 セレナさんが言う。


「緊急討伐依頼への参加登録を行いますが、コウイチ様はグラウス様のパーティー同行者として登録でよろしいでしょうか?」


「お願いします」


 俺は冒険者証を握った。


 指先に金属の冷たさが伝わる。


 四級。


 その重さが、手の中にあった。


 グラウスが隣で腕を組む。


「これで、弱いからなんて言い訳はできなくなったな」


「もとよりそんな言い訳するつもりはない」


 フィーアがこちらへ近づいてくる。


「まあ、これで一応、形にはなったわね」


「一応か」


「当然でしょ。階級が上がったからって、急に強くなるわけじゃないんだから」


「分かってる」


 分かっているつもりだった。


 ノルマン試験官にあれだけ翻弄されて、実力を過信するほうがおかしい。


 エイルも近づいてきて、小さく頭を下げる。


「お、おめでとうございます、コウイチさん」


「ありがとう」


 ミリアは少し遅れて、こちらへ来た。


 視線は、俺の冒険者証に向いていた。


 黄色い帯と、三本の線。


 ミリアと同じもの。


「コウイチ様……おめでとうございます」


「ありがとう」


 ミリアは笑った。


 笑ったが、その手は自分の胸元に触れていた。たぶん、そこにはミリア自身の冒険者証がある。


 何か言いかけたように見えたけれど、ミリアはそれ以上何も言わなかった。


 俺は冒険者証を服の中へしまい、もう一度グラウスの方を見た。


「ありがとう、グラウス」


「ああ。いいってことだぜ」


 グラウスは短く答えた。


「ギルドからの集合は明日の朝だ。頑張ろうな」


 さっきまでは、ただ行きたいと勝手に言っているだけだった。


 でも今は違う。


 俺は行く。


 この試験によって、正式にそう決定することができたんだ。


 俺は服の上から冒険者証を握って、強く実感した。


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