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第37話

「……なにか、来るかも」


 小さな声だった。


「静かすぎない? 動物がいない気がする」


 その言葉で、俺も周囲を見た。


 たしかに静かだった。


 風で草木が揺れる音はするのにその他の音があまりにも静かすぎた。昼のここらはもっと鳥が鳴いていて、遠くに動物の気配があるはずなのに、それが妙に少ないように感じた。


 ここで過ごして数日の俺でもわかるのだから、アレンはより敏感にそれを感じ取っているのだろう。


 代わりに、家畜小屋の方から落ち着かない鳴き声が幾重にも聞こえてきた。


「外の様子を見るぞ」


 腰に剣を下げたグラウスが、家から出てきた。その声に俺たちは振り返る。


 グラウスは一緒に俺の剣も持ってきていたようで、それを受け取った。


 エイルをフィーアとミリアに任せ、俺とグラウスたちは男だけで畑の端へ向かった。


 そして、そこまで出た瞬間、俺は息を呑んだ。


 最初は、地面が黒く揺れているのかと思った。森と畑の境目あたりや柵の向こう側。そこにいたのは、数え切れないほどの小さな影だった。


 犬みたいな形の獣。泥をまとった塊みたいなもの。地面を這う大きな虫。どれも単体で不気味なのに、それが群れになって畑の畝を越え、柵の隙間をくぐり抜け、農場全体へ広がろうとしていた。


「な、なんだ、あれ……」


「来るぞ!」


 グラウスが叫ぶのと、最前列の獣が柵へぶつかるのはほぼ同時だった。


 木が軋む。


 次の瞬間、別の場所では泥みたいな塊が柵の下をぬるりと抜け、さらに別の場所では虫の群れが畑の上を這ってくる。


 一方向じゃない。


 正面だけ見ればいい戦いじゃなかった。


「父さん、母さんを家の中へ! アレン、逃げ道を考えとけ! ミリアは――」


 グラウスがそこまで言う前に、ミリアは家畜小屋の方へ走りかけていた。それをフィーアが捕まえている。


「家畜が!」


 グラウスの剣が横に薙がれ、飛び込んできた獣がまとめて吹き飛んだ。泥みたいなものもまとめて裂け、畑の土へ黒く散る。


「コウイチ、できるだけ戦うぞ」


「わかった!」


 俺も剣を構えた。


 小型の獣が低く走る。昨日までの訓練で対峙していた光の獣と違って、今度は本物だ。


 俺は訓練を思い出しながら踏み込んで振る。


 剣が頭に当たった。鈍い手応え。獣が地面を転がり、息が漏れる間もなく、次が来る。


 左から来る虫をほとんど反射だけで叩き落とす。すぐに右からは泥のようなものの塊が飛んでくる。意思をもって動いているように感じることから、こいつはただの泥の塊ではなく、スライムのような生物なのだろう。避けると、そいつは地面にべしゃりと潰れて、すぐに形を戻した。


「コウイチ動き続けろ! 止まったらすぐに飲み込まれるぞ!」


 グラウスの声が横から飛ぶ。


 正面の群れはグラウスが捌いている。だが、それで全部じゃない。畑の方からも、小屋の裏からも、納屋の脇からも、次々に入り込んでくる。


 それを見かねたのか、俺たちの後ろではエイルが杖を構えて魔力を込める気配を感じた。


 正面に細い光が走り、柵の手前にいた獣が何匹かまとめて弾けた。


 さらにもう一撃。今度は虫の群れが吹き飛んで群れの中に一筋の道ができる。それでもそれは一瞬のことですぐに群れによってなかったことにされる。


 だが、エイルはそこで大きく息を吸った。まだ顔色は悪い。さっきの気持ち悪さが完全に消えたわけではないのだろう。


 俺は目の前の獣を一匹叩き潰した。


 いける、と思った。


 小さい奴なら倒せる。昨日までの俺とは違う。ちゃんと戦えている。グラウスの横に立って、こぼれた奴を処理するくらいはできる。


 だが、次の瞬間、その考えはあっさり崩れた。


 グラウスが正面を斬り払った。その隙に、納屋の横から別の群れが抜ける。


 エイルがそちらへ魔法を飛ばす。今度は畑の奥からまた別の塊が出る。


 俺が一匹倒している間に、倍以上の群れが抜けていく。


 どれだけ前を削っても、横から入る。後ろから回る。地面を這う。柵を越える。


「っ……数が多すぎる!」


 グラウスが吐き捨てるように言った。


 そのまま剣を振り上げ、家の方へ抜けようとした獣をまとめて吹き飛ばす。


 だが、その直後にはもう別の場所で柵が壊されていた。


「アレン!」


 父親が叫ぶ。


 見ると、アレンの足元へ泥の塊が滑り込んでいた。そいつは人間へ食いつくというより、その先へ抜けようとしているみたいなおかしな動きをしていた。


 考えるより先に、体が動いた。


 横から踏み込み、剣を叩きつける。


 泥の塊が潰れるが、完全には消えない。べしゃりと広がって、まだ動こうとする。


 追って叩こうとして、俺は止まった。


 そいつの向こうにアレンがいる。大きく振れば巻き込む。


 なら、と剣の腹を横へ向けて押すと泥の塊が大きくズレた。


 その一瞬で、アレンが後ろへ跳ぶことで泥の塊はアレンから離すことができた。


「こっち!」


 アレンが叫んだ。


「裏の道はまだ無事だよ!」


 グラウスがそちらを見て、舌打ちした。


 正面の群れはまだ削れる。エイルの魔法も効いている。俺も動ける。


 でも、戦えない人たちを守れるかと言われたら違うだろう。


 家も、小屋も、畑も、家畜も、人も。全部を同時には守れない。


 グラウスが剣を振り抜き、ようやく決めたみたいに怒鳴る。


「逃げるぞ!」


「でも――」


 ミリアが声を上げる。


「大事なのは俺達の命だ! 正体不明の群れ相手に戦い続けても消耗するだけだ! 今ならまだ間に合う! 逃げれるところまで逃げるぞ!」


 その叫びに、誰も反論できなかった。


 父親がミリアの背を押す。母親は青ざめた顔で頷き、アレンが先頭に立つ。


 俺とグラウスが後ろに回るってエイルは息を荒げながらも、道へ入り込もうとする群れだけを選んで魔法で撃った。フィーアは最後尾から外れすぎた者がいないかを見ながら、必要なところにだけ防御魔法を瞬間的に展開していた。


 畑の間を走るとき、後ろで家畜の鳴き声が重なった。


 前で母親がつまずき、父親が支える。そこへ小型の獣が横から飛び込んできたのをみて、俺は剣を振る。首元に当たり、獣が転がった。この数日で成長したことに驚く暇もなくさらにもう一匹を倒す。


 止まると終わるなんてのは、ここにいるみんなが共通して理解していることで、振り返ってみればそこには禍々しいオーラを纏った群れが迫ってきている。


 全員で必死に走り、必死に攻防を行って、ようやく街道が見えた時、少しだけ気持ちに余裕ができたように感じる。


 それでも俺たちはリューベールへ向かって走った。どこまで逃げても追ってくるために、リューベールまで行けば結界の中に入れるとのフィーアの提案だった。


 後ろから追ってくる気配はあったが、群れ全体が人間だけを狙っているわけではないらしい。農場に残った食料や家畜の方へ散っているのか、俺達がリューベールに着く頃には全力で走る必要もなくなっていた。


 門が見えたところで守衛がこちらへ気づき、声を上げる。状況を説明する間も惜しくて、グラウスが先に大声で異常群だと告げた。


 門の内側へ入った時、ようやく足が止まり、肺が焼けるみたいに熱いことに気がつく。膝に手をつき肩で息をしていた。


 背後で重い音が響いて、振り返ったことでそれが門が閉じられる音だとわかる。


 剣を握っていた手は震えていて、力を抜こうとしても指がうまく開かなかった。


「異常群だと? どこの方角だ!」


 守衛の声が飛ぶ。


「東の農場だ。森際から無数に現れた。数はわからん。小型の獣、泥を被ったような魔物、虫型も混じってた」


 グラウスが息を荒げながら答える。


 その言葉を聞いた守衛の顔色が変わった。


「鐘を鳴らせ! 東門は閉鎖! ギルドにも報告をしろ!」


 慌ただしく人が動き出し、一瞬にしてリューベールは戦闘モードになった雰囲気があった。


 その中で、ミリアだけが門の方を見ていた。


「……家畜が」


「東門、完全封鎖! 中に入った者はギルドの前の広場に行ってくれ!」


 ミリアの声は、守衛の怒号にかき消された。


 周囲の皆が慌てて移動を始める中、ミリアだけは、閉じた門の向こうを見続けていた。

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