第30話
馬車を降りると、農場の風が頬を撫でる。
ギルドの食堂にいた時より、頭は少しだけすっきりしている。道中、グラウスが馬車を手配してくれたおかげでここに来るまでで眠ることができたからだろう。
目の前には、ヴェルデン農場の広い敷地が広がっている。
リューベールにある訓練場よりずっと広くて、時間を気にする必要もないため、訓練に集中できるのではないか、とミリアから提案を受けて、グラウスと俺が承諾した。そしてこうして再びヴェルデン農場に戻ってきたのだ。
ここで、俺は剣術を教わることになった。
「なんだか体も軽くなった気がするな」
馬車を降りて、軽く伸びをする。
全身を覆っていた重さが、少し薄くなっている。昨日から今朝まであれだけ動いたのに、さっきまでより体が動かしやすい。
「私が道中ずっと回復魔法をかけていたからよ。感謝してほしいわね、本当に」
馬車から降りてきたフィーアが、俺の横に並んだ。
下から睨み上げてくる。
道中、体がほんのり温かくて、妙に夢心地だった。あれは眠りかけていたわけではなく、フィーアの回復魔法だったらしい。
「ずっとかけてたのか?」
「ええ。ずっとよ。全身疲労を少し楽にするくらいなら、私の仕事のうちね。でも、寝不足までは治せないわ。今夜はちゃんと寝なさい」
「そんなことまでできるのか」
素直に感心する。
魔法は、やっぱりよく分からない。
ただ、便利というだけではなくて、俺の知らない理屈で体に触れてくるものなのだと改めて思った。
その時、玄関からミリアの母親が出てきた。
「あらあら! 戻ってきたのね! 馬車が来たから何事かと思ったわ!」
御者に支払いをしていたグラウスが、それに気づいて振り返る。
「すみません。戻ってきてしまいました。また少しの間、世話になります」
グラウスが頭を下げるので、俺も倣って頭を下げた。近くにいたエイルとフィーアも同じように頭を下げる。
「それと、空き地があれば少し使わせてもらえませんか?」
「空き地? いいけれど、何に使うの?」
「訓練ですよ。こいつの」
グラウスが親指で俺を指した。
ミリアの母親の視線がこちらに向いたので、反射的に頭を下げる。
「まぁまぁ。そういうことならもちろんよ! こーんな田舎にあるものなんて、空き地くらいよ! 存分に使ってちょうだい!」
ワハハ、と豪快に笑われる。
その声を聞いていると、少しだけ肩の力が抜けた。
「よし、許可ももらったし、さっそく始めるか」
グラウスが振り返った。
腰に手を当てて、もう完全にやる気になっている。
「僕が案内するよ」
横でアレンがグラウスを見上げて言った。
「お、助かるぜ。頼んだぞ。アレン」
グラウスの後ろから、いつの間にかヴェルディン家に入っていたフィーアが家の方から戻って来た。胸には数冊の本を抱えている。
「私は見てるだけだからね」
「分かってるって」
グラウスは軽く返す。
俺たちは、アレンの案内で空き地へ向かった。
***
空き地は、農場の裏手にあった。
畑や家畜小屋からは少し離れていて、地面は踏み固められている。草はまばらで、足を取られるほどではない。
街道の音も、ここまでは届かない。
剣を振るには、十分すぎる場所だった。
グラウスは荷物から二本の木剣を取り出した。そのうちの一本を俺に渡してくる。
素直に受け取ると思ったより重かった。
手の中で木剣が沈んで、落としかける。
「おいおい。しっかり握ってろよ。その剣をこれから振り回すんだ。真剣だと思って扱え」
「お、おう……」
俺は柄を握り直した。
自分の剣と同じように構えてみる。
でも、どう考えてもこっちの木剣の方が重い。刃がない分だけ気楽かと思ったが、そういうものでもなかった。
「やることは単純だ」
グラウスが木剣を肩に当てる。
「コウイチ。お前は俺の攻撃を防ぐだけでいい。攻撃をしようとするな」
「……それだけか?」
「ああ。それだけだ。でも、それだけが意外と難しいんだぜ?」
グラウスは笑った。
「初心者のうちは、攻撃なんて考えなくていい。守って、守って、逃げまくる。まずはそれだけで充分だ。まあ、それだけだと守りだけになるから、反撃は訓練の後半で教えてやる」
「なるほど。分からんが、分かった」
「なんだよそれ」
グラウスが苦笑する。
俺は木剣を正面に構えた。
重い。
構えているだけで、腕に余計な力が入る。
「まあ、いい。始めるぞ」
そう言った直後、グラウスが動いた。
速い。
そう思った時には、もう目の前にいた。
木剣が上から落ちてくる。
防がないと。
反射的に剣を持ち上げた。
「遅いな」
グラウスの木剣は、俺の剣ではなく前腕を打った。
骨まで響くような衝撃が走る。
「っ!」
指から力が抜けて木剣が地面に落ちる。
俺は腕を抱えたまま、その場にうずくまった。
痛い。
間に合わなかった。
「痛ぇだろ」
グラウスの声が上から降ってくる。
「その痛みを忘れるんじゃねぇぞ。今のが、間に合わなかったってことだ。これから俺は何度もお前を打つ。嫌だったら、言われたことを覚えて実践しろ」
顔だけを上げる。
グラウスは笑っていた。
ただ、からかっている顔ではなかった。
俺を試すように見ている。そんな顔だった。
「くっそぉ……分かったよ」
俺は立ち上がって、落とした木剣を拾う。
打たれた前腕は、まだ感覚がぼんやりしていた。それでも正面に剣を構える。
「おぉ。やるな」
グラウスが少しだけ目を細めた。
「おい、フィーア」
「……あー、はいはい」
フィーアが面倒くさそうに返事をする。
次の瞬間、打たれた前腕に淡い光が浮かんだ。
その部分だけ、じんわりと温かくなる。
不思議な感覚だった。
奥に残っていた痛みが、ゆっくり引いていく。
光が消える頃には、痛みはほとんどなくなっていた。
けれど、打たれた感覚だけは残っていて不気味な感触だった。
木剣を握り直すと、さっき打たれた腕が自然にこわばる。
「よし。じゃあ、今の悪かったところを説明するぞ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。今のはなんだ?」
「何って、回復魔法よ。いちいち疑問を持ってたら訓練にならないわよ?」
「いや、でも痛みが完全に……」
「だから、回復魔法の……って、面倒ね。いいからあなたは訓練に集中しなさい。付き合ってあげてるこっちの身にもなってちょうだい」
フィーアは腕を組んで、不機嫌そうに言う。
「ま、フィーアの回復魔法はちょっと特別なんだよ。魔力が多いから、いろいろ重ねてかけられるんだとさ。俺はよく分かんねぇけど」
グラウスが俺に近づいてくる。
思わず身構えた。
またあの攻撃が飛んでくるのかと思うと、体が勝手に反応した。
「落ち着け。今はなにもしねぇよ」
グラウスが木剣の先で、俺の腕を軽く示した。
「さっきの反応は悪くなかった。ただ、受けようとした時点で遅い。お前の力じゃ、俺の剣は止められねぇ」
「じゃあ、受けるなってことか?」
「ああ。無理に剣で全部を防ごうとするな。実戦にルールはない。体力はできるだけ残すのが鉄則だ」
それを聞いて俺は少し考える。グラウスもそれを待っているようだったので、このまま自分なりの答えを探してみた。
「……なら、今の正解は右にそれる、とかになるのか?」
「お、勘がいいな。ほぼ正解だ」
グラウスは木剣を肩に乗せた。
「筋力がある奴なら受けてもいい。でも、お前はまだ無理だ。受けても力で押し切られる。相手との力量を見て、その時の最善を瞬間的に出せるようになるのが理想だな」
「……瞬間的に」
言葉で聞くと簡単そうだったけれど、さっきの速さを思い出せば、それは全然簡単な話ではない。
考えてから動いたら遅い。
体が先に動かないと間に合わない。
グラウスは再び俺から距離を取って木剣を構える。
俺も同じように構えた。
さっき打たれた腕に、また少し力が入る。
「いくぞ」
グラウスが動いた。てその剣先を注視する。今度は右上から来る。
さっきと同じ軌道に近いなら、受けるんじゃなくて避ける。
俺は左に飛び退いた。今度は間に合う。
そう思った瞬間、グラウスの木剣が途中で軌道を変えて、横に薙ぐように俺を追ってくる。
「っ!」
反射的に、上から叩き落とそうと木剣を振った。
けれど、そこに木剣はなかった。
グラウスが引いたのだと気づいた時には、俺の木剣は地面を叩いていた。
体勢が崩れる。
次の瞬間、グラウスの剣先が腹に入った。
「ぐっ……!」
息が詰まる。
吐きそうなのに、空気が入ってこない。
膝が折れて、俺は地面にうずくまった。
苦しい。
腕を打たれた時とは違って腹の奥を押さえつけられているようだ。息が、浅くなる。
「苦しいか?」
グラウスの声がする。
「この訓練を何度も続けるんだ。やめるなら今のうちだぞ?」
声は出なかったが俺は首を振った。
それでも、地面に手をついて立ち上がる。
木剣を拾い直し、ゆっくりとだが正面に構えた。これが俺の意思で、それはグラウスも理解してくれたようだった。
「いい根性してるぜ。こっちもやりがいがあるってもんだな!」
またフィーアの回復魔法が飛んでくる。腹の奥に残っていた痛みが、ゆっくり溶けて消えていく。
けれど、グラウスの木剣を見ると、体がこわばって恐怖を感じていることを切実に訴えていた。食らった攻撃の記憶までは消えないようだ。
「今のは、避けたところまでは良かった」
グラウスが言う。
「でも、そこで終わりだと思っただろ」
「……あぁ」
「相手が一回振ったら終わり、なんてことはない。避けられたら次を出す。防がれたら崩す。実戦なら当たり前だ。相手の嫌がることをする。それを前提に置いて戦うんだな」
俺は息を整えながら、グラウスを見る。
さっきの一撃で分かった。
避けるだけでも、受けるだけでも足りない。
相手が次に何をしてくるかまで想像しないといけない。
でも、考えてから動いていたら遅い。
「よし」
グラウスが木剣を構え直した。
「もう一回いくぞ、コウイチ」
俺も木剣を握り直す。
木剣は思いし、腕や腹の恐怖も拭いきれていない。
それでも、俺は目の前の攻撃から意識をそらすわけにはいかなかった。
「来い」
そう言うと、グラウスが少しだけ笑った。




