第26話
応接室を出たあと、俺たちはそのままギルドを出た。
外の空気は、部屋の中より少し冷たくて、陽が落ちてきた事を感じる。
グラウスは何も言わず、ギルド前の噴水まで歩いていくと、その縁にどかっと腰を下ろした。俺たちも自然とその周りに集まる。
噴水の水音だけが、やけにはっきり聞こえた。
「……グラウスさん」
最初に口を開いたのは、ミリアだった。
「私も、行きます」
その言葉に、グラウスが顔を上げる。
ミリアはまっすぐグラウスを見ていた。
「農場も関係してるんです。ギルドが人手を必要としているのなら、私も――」
「駄目だ」
短い声だった。
ミリアの言葉が止まる。
「でも」
「駄目だ。今回のは調査じゃねぇ。討伐だ。しかもギルドが直接、特定のパーティーに声をかけて集めてる。どれくらい危ないか、お前にも分かるだろ」
「私だって、戦えないわけじゃありません」
「分かってる」
グラウスはすぐに否定しなかった。
「お前が剣を振れるのも知ってる。昨日、俺たちの前に立ったのも見た。でもな、剣を振れることと、討伐で生き残れることは別だ」
ミリアは唇を結んだ。
「今回は、逃げる前提で動ける森歩きじゃねぇ。ギルドが人を集めて山に入る。そういう難易度の高い依頼だ」
「でも、私の農場が……」
「だからこそだ」
グラウスの声が少し低くなる。
「お前がいなくなったら、農場はどうなる。親父さんと母さんとアレンを置いて、お前が無茶していい話じゃねぇだろ」
ミリアの拳が、膝の上でぎゅっと握られた。
悔しいんだと思う。
自分の農場のことなのに、行くなと言われている。しかも、言っていることは間違っていない。
グラウスも、自分の口調が少し強くなったのに気づいたのか、一度息を吸って、それから吐いた。
「気持ちは分かる。ミリアも被害を受けた側だ。黙って待ってろって言われて、納得できるわけねぇのも分かってる」
そこで一度、言葉を切る。
「でも、今回の討伐依頼はやめておけ。危険すぎる」
ミリアは目を閉じた。
顔を少しだけ背けて、自分を落ち着かせるように息を吐く。
「……分かりました」
小さな声だった。
それを聞いた瞬間、胸のあたりが少し重くなった。
ミリアは悔しいはずだ。
自分の農場のことなのに、自分は行けない。
俺はそれを横で見ているだけだった。
「グラウス」
気がつくと、口が動いていた。
「俺は行くぞ」
全員の視線がこちらへ向いた。
グラウスも、ゆっくり俺を見る。
「何でだ。今の話を聞いてただろ。駄目に決まってる」
「俺たちはパーティーだろ」
「臨時の、だ」
「臨時だとしても、俺たちはパーティーだ。解散するなんて言われた覚えはねぇ」
「コウイチ」
グラウスの声が低くなる。
「駄目だ」
「俺は見ておきたいんだ」
言ってから、自分でも言葉が足りないと思った。
「討伐隊がどういうものなのか。グラウスたちがどう戦うのか。俺がこれから目指す場所が、どれくらい遠いのか。ちゃんと見ておきたい」
グラウスの表情が少し変わった。
ほんの一瞬だった。
「見たい、か」
その声は、さっきまでより冷たかった。
「お前、それ本気で言ってんのか」
「本気だ」
「なら、なおさら駄目だ」
グラウスは立ち上がると、俺の前まで来た。
そして、俺の両肩に手を置く。
逃げられないくらい強い力だった。
「お前は初心者だ」
その言葉で体に力が入った。
そんなことは分かっている。
冒険者登録をしたばかりで、剣を持ってまだ数日しか経っていない。ジャイアントラビット相手にもまともに戦えなかった。異常種に吹っ飛ばされて、回復魔法がなければ今ここに立っていなかったかもしれない。
初心者なんてのは分かっている。
分かっているのに、人に言われると、胸の奥が熱くなる。
「見たいとか、一緒に戦いたいとか」
グラウスの手に、少し力が入った。
「そういう言葉で来る場所じゃねぇんだよ」
「……っ」
「俺は、そうやって憧れる奴を何人も見てきた」
グラウスは一瞬だけ、俺ではないどこかを見た。
「自分だけは大丈夫だって顔して、戻ってこなかった奴を何人もな」
噴水の水音が、少し遠く聞こえた。
「お前が敵に狙われれば、俺は助けに行くだろう。お前が動けなくなれば、フィーアは回復を使うだろう、エイルは一瞬攻撃に躊躇が生まれるだろう」
グラウスの目は逸れなかった。
「その一瞬で、誰かが死ぬかもしれねぇんだぞ」
言い返したかった。
でも、言葉が出てこない。
グラウスの言っていることが、全部間違っているならよかった。
そうしたら、もっと楽に怒れた。
でも、正しい。
俺が転べば、誰かの気を引くことになる。
俺が動けなくなれば、誰かが手を止める。
そのせいで、誰かが死ぬかもしれない。
分かる。
分かるから、何も言えなかった。
「それでも連れていけって言うなら」
グラウスは続ける。
「俺はお前を仲間としてじゃなく、守る対象として見る」
息が浅くなる。
「戦力じゃねぇ。お荷物だ」
その言葉だけが、嫌にはっきり聞こえた。
次の瞬間、頭の奥で何かが切れた。
気づいた時には、グラウスの肩を掴んでいた。
そのまま、頭を思いきり振り下ろす。
「オラッ!」
「いっでぇ!」
額と額がぶつかって、視界がわずかな時間ホワイトアウトした。
俺もグラウスも、その場で額を押さえてうずくまる。
なんでこんなことをしたのか、自分でも分からなかった。
ただ、何も言い返せなかったのが腹立たしかった。
グラウスの言葉は正しい。
でも、正しいからって、全部黙って認めれるわけじゃない。
「初心者なのは……分かってる……。弱いのも分かってる。足を引っ張るのも分かってる。だけどな」
俺はグラウスを睨んだ。
「いつまでも、お荷物のままでいるつもりはねぇんだよ」
グラウスは額を押さえたまま、何も言わなかった。
ミリアとアレンが目を丸くしてこちらを見ている。エイルは困ったように、俺とグラウスを交互に見ていた。フィーアは呆れたように片手で顔を覆っている。
誰も、何も言わなかった。
俺は立ち上がる。
「……悪い、グラウス」
今のままじゃ、何を言っても負け惜しみだ。
俺が何を言っても、グラウスの言葉はひっくり返らない。
だったら。
「行ってくる」
それだけ言って、俺は背を向けた。
「コウイチ様」
ミリアの声が聞こえた。
でも、振り返らなかった。
そのまま噴水広場を抜け、通りへ出る。
人の流れを避けながら、城門へ向かった。
門番に何か言われた気がしたが、冒険者証を見せると通された。細かい言葉は耳に入らなかった。
そんなことを気にしている余裕はなかった。
城外へ出る頃には、陽が少し傾き始めて空の端が、うっすら赤くなっている。
最初は小走りだった。
けれど、気づけばほとんど全力で走っていた。
悔しい。
グラウスに言われたことは正しい。
正しいから、余計に腹が立つ。
何もできない自分に腹が立った。
初心者。
足手まとい。
守る対象。
お荷物。
全部、その通りのことだった。
グラウスに助けられて、フィーアに治されて、エイルに守られて、ミリアに励まされて。
ありがたいと思っている。
感謝もしている。
でも、それだけじゃ駄目なんだ。
それだけのままじゃ、何も変わらない。
足元の小さな凹みに気づけずに、つま先が引っかかる。
体が前へ流れ、そのまま派手に転んだ。
「ぐっ……!」
土と小石が腕に擦れる。膝を打って、痛みが走った。
しばらく地面でうずくまっていると、隣を荷車が音を立てて通り過ぎる。御者のおっさんが何か声をかけてくれたが、返事はできなかった。
すぐにその音も遠ざかっていく。
俺は独りで道の端で土まみれになっていた。
やっぱり俺は、この世界では何もできない。
みんな優しくしてくれている。
でも、俺はまだ何も返せていない。
ここで生きていく力が、まだない。
「……なら」
小さく呟く。
腰の剣に手を当てた。
今の俺に、山の魔物なんて倒せるはずがない。
それは分かっている。
グラウスの言う通りだ。
でも、ジャイアントラビットなら。
あの時、何もできずに吹っ飛ばされた相手なら。
もう一度、向き合える。
低級のモンスター。
初心者向けの依頼。
それすら、今の俺にはまだまだデカすぎる壁だ。
なら、まずはそこからやっていくべきだろう。
「……ジャイアントラビットを倒す」
立ち上がって、服についた土を払うともう一度前を見る。
呼吸は荒い。
膝も痛い。
額もまだじんじんする。
それでも、足は止まらなかった。
あの時、何もできなかった相手に、今度こそ向き合うために。
俺は、あの森へ向かって走り出した。




