第25話
リューベールに到着して俺達は商品を納品した。
納品先の店を出る頃には、俺達の背負い籠は空になっていて、店に渡せるものは全部渡した。
それでも、いつもの量には全然足りないらしい。店主は怒りはしなかったが、帳簿を見ながら難しい顔をしていた。
被害を受けているのはヴェルデン農場だけではないらしい。
同じ方面の農場でも、納品の遅れや量の減少が出ている。家畜の様子がおかしいという話も届いていて、店としても仕入れが不安定になり始めているそうだ。
「それでも、ヴェルデンさんの品は信用してるから」
店主は最後にそう言った。
「こういう時こそ、お互い様だ。落ち着いたらまた持ってきてくれよ」
ミリアは何度も頭を下げていた。
アレンもその隣で、短く頭を下げる。俺も一応ヴェルデン農場の者としてここにいるので二人にならって頭を下げる。
店を出たあと、ミリアは一度だけ息を吐いた。
それから、空になった背負い籠の紐を握り直す。
「グラウスさんたちが待ってます。ギルドへ行きましょうか」
声は落ち着いていた。
でも、表情は少し硬かった。
***
ギルドへ着くと、先に戻っていたグラウスたちは食堂の席にいた。
食事を終えた直後らしく、テーブルには空になった皿とコップが置かれている。グラウスはパンの最後の欠片を口に放り込み、フィーアは椅子の背にもたれたまま水を飲んでいた。エイルは両手でコップを持って、ぼんやり湯気を見ている。
農場へ戻ってきた時よりは、少しだけ顔色が戻っているように見えた。
それでも、疲れが消えたわけではない。
グラウスの目の下には薄く影があるし、フィーアもいつもより口数が少ない。エイルは例の革袋を膝の上に置いていた。食事中も手放さなかったのだろう。
「終わったか」
グラウスがこちらを見る。
「はい。おまたせしました」
ミリアが答える。
「店主さんから、他の農場でも似たようなことが起きていると聞きました。納品が遅れたり、量が減ったりしているそうです。家畜の様子がおかしいという話も出ているみたいで……」
グラウスは口の中のものを飲み込んで、少しだけ眉を寄せた。
「ヴェルデン農場だけじゃねぇのか」
「そのようです」
ミリアの声が少し沈む。
グラウスは皿を端へ寄せ、立ち上がった。
「よし。じゃ報告しにいこうぜ」
俺たちも頷き、受付の方へ向かう。
ギルドの中は、前に来た時より受付側だけが妙に慌ただしい。
職員が何人も書類を抱えて奥へ入っていく。別の職員が受付の裏で地図らしき紙を広げ、何かを確認していた。机の上には紙が積まれている。
「……忙しそうだな」
「ああ」
グラウスは短く返事をしてカウンターにいた職員へ声をかける。
「報告がある」
職員は顔を上げた。
そして、グラウスの顔を見るなり、表情を変える。
「戻られていたんですね」
「ああ? ちょっと街を出てたんだ」
「なるほど。立ち話にもなんですから」
職員はすぐに隣の職員へ声をかける。
「奥の部屋を使いましょう。まずはグラウスさんたちのお話を伺います。こちらからも確認したいことがありますので、こちらへどうぞ」
グラウスは少しだけ目を細めた。
「そっちもあるのか?」
「ええ。実は少し困ったことになっていまして」
その言い方で、ただの依頼ではないのだと分かったのか、ミリアまで背筋を伸ばす。
「私たちも同席してよろしいでしょうか。農場の被害について、報告に来ました」
「ご一緒のようですから、もちろんです。ヴェルデン農場の方ですね」
受付の横にある扉が開かれる。職員の一人がその扉を抑えて、俺達を先に通してくれた。
グラウスが先に進み、フィーア、エイルが続く。
俺たちも、その後について奥へ入った。
***
通された部屋には、大きな机があった。
壁にはリューベール周辺の地図が広げられている。街道、川、森、農場の位置が細かく書き込まれていて、その上に赤い印がいくつも打たれていた。
ばらばらに見えて、どこか一つの方向へ寄っている。
机の向こうには、さっきの職員のほかに、丸眼鏡の事務員もいた。彼女は俺たちを見ると、軽く会釈しただけで、すぐに書類へ視線を戻す。
「……お疲れのようですね。申し訳ありません」
丸眼鏡の事務員が言った。
「ですが、早く確認していただきたいことがあります」
「あぁ。分かった」
グラウスは椅子に座る。
フィーアも黙って腰を下ろした。エイルは膝の上に革袋を置き、両手を添えるようにしている。
ミリアとアレンも並んで座った。
俺はその隣に座り、そのとき部屋の扉が閉じられた。食堂の騒がしさが遠くなる。
「まず、そちらの報告からお願いします」
職員が言った。
グラウスは短く息を吐き、話し始めた。
農場で聞いた話を、俺達に伝えたときよりも詳細に伝えていく。
水場の魔力。
上流へ向かうほど濃くなっていたこと。
水に混ざって流れていた異常な魔力。
土や草に染みついていた痕跡。
森の奥で見つけた、食い荒らされた死骸。
普通ならその場所にいないはずの足跡。
原因本体は見ていないこと。
これ以上進むのは、少人数では危険だと判断したこと。
エイルは革袋を開き、小さな瓶を机の上に並べた。
「採取したものです」
水、土、変質した草。
それから、紙片のようなもの。
「魔力の反応は、家畜小屋に残っていたもの、水場で感じたもの、異常種のジャイアントラビットに残っていたものと、かなり近いです」
エイルの声は静かだった。
「ただ、濃さが違います。上流へ向かうほどこれらは強くなっていました」
「水に混ざっている、という判断で間違いありませんか」
丸眼鏡の事務員が聞く。
「はい。残っているというより、流れているように見えました」
職員が書き留める音がする。
次に、ミリアが農場の被害を話した。
家畜が消えたこと。家畜が怯えていること。荷馬車が使えず、納品にも影響が出ていること。店主から、他の農場でも似たような話があると聞いたこと。
ミリアはひとつずつ言葉を選んで話していた。落ち着いてはいるが、膝の上で重ねた手には少しだけ力が入っている。
アレンも、聞かれたことにだけ短く答えた。
森の獲物が減っている。罠にかかる数が少なくなった。小動物の気配が変だった。
声は小さかったが、内容は整理されていて、はっきりと状況が伝わる。
俺はほとんど喋っていない。
でも、今まで見てきたものが、ひとつずつ机の上に並べられていく不思議な感覚を得ていた。
最初に俺が噛み砕いたスライムの核も、ただの偶然ではなかったのかもしれない。
やがて、丸眼鏡の事務員がペンを置いた。
「こちらの調査結果と、かなり一致しています」
その言葉に、グラウスの眉が動いた。
「そっちも同じ件について調べてたんだな」
「はい」
事務員は頷いた。
「コウイチ様の異常種スライムの報告以降、南西方面の記録を洗い直していました」
机の上に一枚の書類が置かれる。
「その後、ヴェルデン農場方面にある複数の農場から、家畜の不調、獣害の増加が報告されています」
場所と日付らしきものが並んでいた。
文字はまだ読めない。
けれど、同じ方面の名前が何度も出ているのは分かった。
「魔物やモンスターの目撃数が減っている、という報告もあります」
「減ってるならいい話じゃねぇのか」
グラウスが低く言う。
「単純にそうならよかったのですが」
職員が答える。
「残っている個体の一部が、本来より高い攻撃性を示しています。低級のはずの個体が、通常では考えにくい動きを取る。人や家畜を避けるはずの野生動物が、逆に近づいてきて攻撃をしてくる。そういった明らかに異質な報告が混ざっています」
ミリアの手が、膝の上で少しだけ握られた。
アレンは黙って地図を見ている。
赤い印が集まる場所を見て、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「原因と思われる中心地は、ほぼ絞れています」
事務員が壁の地図へ近づいた。
細い棒で、赤い印が集まる場所を示す。
ヴェルデン農場よりさらに奥の場所だった。
「この一帯です」
地図の上では、ただの山に見える。
でも、その周囲には赤い印がいくつも打たれていた。
「ただし、具体的に何があるのかはまだ確認できていません」
「なぜだ? これだけの調査をしているのであれば、確信に迫った情報を得ているとおもっていたんけどな」
グラウスの声が低くなる。
「……近づけないからです」
職員が答えた。
「山へ近づくにつれて、野生動物、魔物、モンスターの数が異常に多くなっています。統率された群れではないのがさらに厄介でして」
「斥候はだしたんだろう?」
「一定より先へ進ませていません。これ以上は死人が出ると判断しました」
部屋の空気が重くなる。
グラウスの顔つきが変わった。
さっきまでの疲れた顔ではない。
「……そこまでの案件か」
「はい」
事務員は頷いた。
「現在、複数のパーティーによる討伐隊の編成を進めています」
討伐隊という言葉が出た瞬間、グラウスたちの纏う空気が変わった。
フィーアが目を開ける。
エイルの指が、革袋の上で少しだけ動いた。
ミリアは何も言わず、アレンは地図から目を離さない。
俺は、地図の赤い印を見ていた。
ヴェルデン農場だけではない。
もっと広い。
そのことが、ようやく形になって見えてきたばかりだったのだ。
「グラウスさん。正式な依頼として、あなた方にも参加をお願いすることになると思います」
グラウスはすぐには答えなかった。
地図を見たまま、しばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐く。
「……思ってたより、でけぇ話になってんな」
俺はもう一度、地図を見る。
赤い印は、ヴェルデン農場だけに打たれているわけではなかった。
川沿いに、森の奥に、山へ向かって、いくつも並んでいる。
その全部が、俺たちが見てきた異変の続きなのだとしたら。
これはもう、農場の一件では済まない。もっと大きな何かが関係している事件の入口にしか過ぎないのだ。




