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第24話

 グラウスたちは、次の日の夜も帰ってこなかった。その次の日も、同じだった。


 その間も農場の仕事を手伝った。干し草を運び、餌をやり、水を汲む。けれど、誰もが時々、グラウスたちのことを考えている感じが分かった。


 母親は明るく振る舞っていたが、夕飯の支度をしながら何度も外へ目を向けていた。ミリアも、何かの拍子に手を止めて、柵の向こうを見ていることがあった。


 アレンはあまり口にしなかったが、耳をすませ何度も顔を上げていた。


 そして、三日目の昼前だった。


 最初に気づいたのはアレンだ。


 俺は家畜小屋の横で、水桶を下ろしていた。腕にじわっと残る重さを振り払うように手を開いた時、少し離れた場所にいたアレンが、森の方を見たまま動かなくなった。


「……戻ってきたよ」


 短い声だった。


 俺は顔を上げる。


 ミリアも、父親も、納屋の前にいた母親も、同じように森の方を見た。


 木々のあいだから、人影が三つ見えた。


 先頭はグラウスだった。


 見慣れた大きな体。背中の剣。けれど、いつものような軽い足取りではなかった。一歩ずつ、地面を踏みしめるように歩いている。


 その後ろにフィーアが続く。


 白い服は土で汚れていて、袖のあたりには草の汁みたいなものがついていた。いつもならすぐに文句を言いそうなのに、今は口を開く余裕もないように見える。


 最後がエイルだった。


 杖を抱えるように持ち、ローブの裾を泥で汚している。顔色が悪い。具合が悪いというより、長い間ずっと集中し続けたあとみたいな疲れ方だった。


 三人とも生きていた。


 それが分かった瞬間、安堵した。


 けれど、安心しきるには、三人の様子はあまりにもひどかった。


 グラウスの頬には乾いた血の跡があり、フィーアは普段より明らかに口数が少ない。エイルにいたっては、今にもその場に座り込みそうだった。


「よかった……」


 ミリアが小さく呟いて、俺と同じことを思っていたとわかる。


 三人は柵の前まで来ると、そこで足を止めた。


「悪い。戻るのが遅くなった」


 グラウスはいつもの調子で笑おうとしているのは分かったけれど、その顔は少しだけ硬い。


「無事だったんですね」


 ミリアが一歩前に出る。


「ああ。死んじゃいねぇよ」


 グラウスは軽く手を上げた。


「ただ、ちょっとばかし面倒なもんを見た」


「面倒?」


 俺が聞くと、グラウスの視線がこちらへ向いた。


 その目を見て、俺は少しだけ背筋が冷えた。


 いつものふざけた感じが薄い。


 ついこの間までのグラウスじゃないみたいだ。


 いや、違う。これもグラウスの一面なのだろう。いつもは明るく振る舞っていたが、今は冗談を出す余裕すらない。そんな感じに見える。


「少し、座らせてくれ。さすがに休みたい」


「私も同感よ……」


 フィーアが低い声で言った。


 母親がすぐに動いた。


「中に入りなさい! 水も出すし、食べるものもあるから! 話はそれからね!」


「助かる」


 グラウスは短く返し、家の方へ歩き出した。


 俺たちもその後に続く。


 家に入ると、母親はすぐに水差しとコップを並べた。ミリアが布を持ってきて、フィーアとエイルへ渡す。アレンは無言で椅子を引いた。


 グラウスは椅子に腰を下ろすなり、大きく息を吐いた。


 フィーアは水を一気に飲み、エイルはコップを両手で持ったまま、少しずつ口をつけている。


「怪我は」


 父親が短く聞いた。


「大きいのはない」


 グラウスが答える。


「小さいのはあるが、フィーアが直してくれてるからな、問題ないとおもうぜ」


「問題なくはないんだけどね」


 フィーアが疲れた声で言う。


「グラウスは少し無理しすぎだし、エイルも魔力を使いすぎなのよ」


「フィーアちゃんも、かなり疲れているように見えますよ」


 ミリアが言うと、フィーアは少しだけ目を逸らした。


「私はいいのよ」


「よくはないと思いますが」


「いいのっ」


 フィーアはそう言いながらも、少しだけ表情を緩めた。


 母親が皿に小さな焼き菓子を乗せて持ってくる。フィーアはそれを見て、ほんの少しだけ目を輝かせた。


 だが、グラウスがコップを置いた音で、部屋の空気はすぐに戻った。


「先に結論だけ言う」


 全員の視線がグラウスへ向くとグラウスは続けた。


「家畜が消えた原因は、正直まだ分かってねぇ」


 ミリアの肩が、ほんの少しだけ落ちた。


 だが、グラウスは続ける。


「ただ、上流で異常種が発生しているのはほぼ間違いない」


 部屋の中が静かになる。


「水場で感じた魔力と同じものが、上流へ行くほど濃くなった。最初は川沿いに薄く残ってる程度だったが、途中から土にも草にも染みてた。あれは普通のモンスターの痕跡じゃねぇな」


「魔力が、水に混ざって流れていました」


 エイルが小さく言った。


 声は弱い。けれど、はっきりしていた。


「ただその場所に残っている、という感じではありません。上流から意図的に流れてきて、土や草に染みて、下流へ薄く広がっている。水場の魔力も、家畜小屋に残っていたものも、おそらくその一部です」


「じゃあ、家畜もそのせいで……?」


 ミリアの声が揺れる。


「可能性は高いです」


 エイルは目を伏せた。


「でも、断定はできません。私たちが見たのは痕跡だけです。原因本体は見ていません」


「見に行かなかったのか?」


 俺が聞くと、グラウスは首を横に振った。


「行けるなら行ってた。だが、あれ以上進むのは危険だった」


「危険って、敵がいたのか?」


「敵、というより……」


 グラウスは少しだけ言葉を探した。


「森の中の雰囲気がおかしかったんだよ」


 そこで一度、言葉を切る。


「鳥はいねぇし、虫の音も少ない。なのに、地面だけは荒れてる。小動物の死骸、食い散らかされた跡、普通ならあの場所にいないはずの高位種の足跡。そういうのが異常に増えた」


「何かが大量に通った跡みたいだったわね」


 フィーアが低く付け足し、グラウスが頷く。


「何かが、生態系を大きく変えてる。俺たちだけで突っ込んでいい案件じゃねぇ」


「それで、戻ってきたの?」


 母親が心配そうに聞く。


 フィーアが椅子の背にもたれたまま答えた。


「一応、私たちの仕事は調査でしたから」


 エイルの言葉のあとに、フィーアは机の上に置かれた小さな革袋を見る。


「水、土、変質した草。死骸から採取したものもあるわ。エイルが魔力の記録も取ってる。証拠として足りるかはギルドが判断するでしょうけれど、何もなしで“変でした”って言うよりは信憑性もあるし、ギルドも動いてくれるはずよ」


 エイルは膝の上に置いた革袋へ手を添えた。


「少量ですが」


 俺はその革袋を見る。


 もっと大きな証拠品でもあるのかと思っていたが、よく考えればそんなものを森の奥から持ち帰る方が難しい。


 水や土や草。


 そして魔力について記録された紙。


 この世界では、それが証拠になるのだろう。


「ギルドへ報告にいく」


 グラウスは言った。


「早い方がいい。俺たちだけで判断するより、ギルドに情報を上げて、正式に依頼として動いてもらうべきだ」


「今からですか?」


 ミリアが聞く。


「ああ。今から街へ行こうと思う」


 その言葉に、母親が眉を下げた。


「戻ったばかりじゃない」


「休みたいのは山々なんだがな」


 グラウスは苦笑する。


「たぶん、休んでる場合じゃねぇんだよ。それくらい今回のは酷い状態だぜ」


 その一言で、また部屋の空気が重くなる。


 父親はしばらく黙ってから、ミリアを見る。


「予定通り、納品に行け。その時一緒に今回の件の報告を頼む」


「うん」


 ミリアはすぐに頷いた。


「取引先にも説明しなければいけませんし、牧場の被害についてもギルドへ伝えます」


「荷馬車は使えないので背負い籠で運べる分だけ持っていきます。少し準備してきますね」


 父親は次にアレンを見る。


「アレンも行け」


「……俺も?」


「荷馬車が使えないんだ。人手がいるだろ。」


 アレンは少しだけ目を伏せ、それから頷いた。


「分かった」


「俺も行く」


 気がつけば、そう言っていた。


 全員の視線がこちらへ向く。


「荷物運びくらいならできる。それに俺も当事者だ。説明できることはあるはずだろ?」


 少しだけ間があってからグラウスが俺を見る。


「そうだな。皆で行こう」


 そこからは早かった。


 母親はすぐに台所へ向かい、道中で食べられるものを包み始めた。ミリアは納屋から背負い籠を出し、アレンは必要な荷物を選んでいく。父親はグラウスたちが持ち帰った小さな袋を確認し、濡れないように布で包んだ。


 俺も言われるままに、籠へ野菜や瓶詰めを入れていく。


 荷馬車ではないから、たくさんは持てない。


「コウイチくん」


 母親に呼ばれて振り向くと、布に包まれた小さな包みを渡された。


「お昼に食べなさい。あと、あんまり無理しないこと」


「ありがとうございます」


「あなた、真面目だから、ちょっと無理するんだから」


 少し困っていると、ミリアが横で笑っていた。


「母はそういうところ、よく見ていますよ」


「じゃあ気をつけるよ」


「本当にね」


 母親はそう言って、今度はグラウスたちの方へ顔を向けた。


「あなたたちもよ。帰ってきたばかりなんだから、本当は寝かせたいくらいなんだからね」


「ありがとう。でも、もう少しだけ頑張らせてくれ」


 グラウスは笑って言った。


 母親は一瞬だけ言葉に詰まり、それから大きく息を吐いた。


「……ちゃんと帰ってきなさい」


「ああ」


 グラウスは短く答えた。


 そのあと、俺たちは家の外へ出た。


 空はまだ明るい。夕方になる前にはリューベールに着けるかもしれない。


 背負い籠の重みが肩に乗る。


 正直、軽くはない。


 グラウスは一番重そうな籠をすすんで背負い、フィーアは小さめの袋を持つ。エイルは革袋を大事そうに抱えていた。アレンは少量の荷物を背負い、ミリアは普段から使っているのだろう背負い籠を迷いなく背負っている。


 父親と母親が、家の前で見送っていた。


 柵の中では、さっき水を飲んでいた家畜がこちらを見ている。


 俺は一度だけその家畜に目を向け、それから前を向いた。


「行くぞ」


 グラウスが言った。


 俺たちは、リューベールへ向かって歩き出した。


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