表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/31

第23話

  食事が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。


 片付けを手伝おうとしたが、母親に「今日はもう座ってなさい」と止められた。さすがに逆らう気力もなく、俺は家の外へ出て、玄関脇の柵にもたれていた。


 夜の農場は、昼間とは全然違って見えた。


 昼間あれだけ広く見えていた農場も、今は闇に沈んでいる。家畜小屋の輪郭もぼんやりとしていて、風が吹くたびに、草と藁の匂いが少しだけ流れてきた。


 家の中からは、皿を重ねる音が聞こえる。


 母親の鼻歌と、時々それに返すミリアの声。父親の低い声。アレンが何か答える声。


 さっきまで俺もその中にいたはずなのに、外へ出ると、急にそれが少し遠いものみたいに感じた。


「コウイチ様」


 声がして振り向くと、ミリアがコップを二つ持って立っていた。


「母が、これを」


 ひとつを差し出してくるので受け取った。


 木のコップの中には、湯気の立つ甘そうな飲み物が入っている。ひと口飲むと、少しだけココアに似た味がした。甘くて、温かくて、疲れた体にじんわり染みていく。


「うまいな、これ」


「よかったです。母が疲れた時によく作ってくれるんですよ」


 ミリアは俺の隣に並んで、同じように柵の方を見た。


「今日は本当にありがとうございました」


「いや、こっちこそ。飯と寝床をもらってるしな。あれくらいは」


「あれくらい、では全然ないですよ。コウイチ様、途中からかなり疲れていたでしょう?」


「まあ、正直な」


「それでも最後まで手伝ってくださいました」


「途中でやめると負けた感じがしてな。絶対やり切りたかった」


「コウイチ様らしいです」


 ミリアは少しだけ笑った。


 家の中からは、まだ食器を片付ける音が聞こえてきている。外では虫の声と、吹き抜ける風の音だけが鳴っていた。


「……変な話だけどさ」


 気がつけば、そんな言葉が出ていた。


 ミリアは何も言わずにこちらを見る。


「午後からここ手伝って、飯食って、みんなが普通に話してるのを見てたら、ちょっと思ったんだよ」


「はい」


「俺、ここに帰る場所がないんだなって」


 口にしてから、思っていたより重い言葉だったことに気づいた。


 別に、暗い話にしたかったわけじゃない。


 でも、出てしまったものはしょうがない。止めてしまう理由もないし、話し続けることにした。


「俺のいたところとは、何もかも違うんだ」


 家の中から、皿の重なる音が聞こえる。


「文字も読めない。金の価値もまだ怪しい。どこが安全で、どこから先が危ないのかも分からない」


 そこまで言って、自分で少し笑った。


 コップの中の湯気を見ながら、俺は息を吐いた。


「飯はうまいし、魔法はすごいし、街もギルドも見てるだけで楽しい。剣を持った時も、正直かなりテンション上がった。そういうのは本当に楽しいんだ」


 一度、言葉を切る。


「でも、楽しいって思った次の瞬間に、普通に死にかけるんだよな」


 スライムに顔を塞がれた時のことを思い出す。


 冷たくて、ぬるついて、息ができなくて、指を立てても掴めなかった。


 昨日、ジャイアントラビットに吹っ飛ばされた時のことも思い出す。


 空と地面がぐちゃぐちゃになって、ひどい傷をおった。


「スライムに顔を塞がれた時も、昨日吹っ飛ばされた時も、ああ、俺、本当に死ぬんだなって思った」


 今まで、自分が死ぬなんて本気で考えたことがなかった。


 そんなことを思い返す。


「帰れるかも分からない。帰り方も分からない。そもそも、なんでこっちに来たのかも分からない。だから今は、とにかくここで生きるしかないんだけど」


 柵の上で、手を軽く握る。


「今までとは何もかも違う場所で、自分だけ何も分からないって、思ったよりきついな」


 ミリアはしばらく黙っていた。


 台所から皿を洗う音が聞こえる。外では風が鳴っている。昼間の農場とは違って、夜は静かだった。


「それは……怖くない方が、おかしいと思います」


 ミリアは静かに言った。


「私だって怖いです。スライムに襲われた時も、昨日の戦いを見た時も」


「ミリアでもか?」


「怖いですよ?」


 少しだけ笑って、ミリアは続ける。


「でも、コウイチ様は怖くても動いてくれました」


 ミリアは、手元のコップを見ながら言った。


「あの時、私の前に立ってくれました。理由とか、正しい判断だったかとか、そういうことは私には分かりません」


 そこで、ミリアは少しだけこちらを見る。


「でも、私はそれで助かりました」


 まっすぐ言われると、返す言葉に困る。


 俺は視線を少し外した。


「……買い被りすぎだ」


「そんなことありません」


 その言い方は、妙に強かった。


「コウイチ様は、目の前に困っている人がいたら動いてくれます。今日だって、疲れていたのに最後まで手伝ってくれました」


「それは、できることをやっただけだ」


「それでも、助かる人はいるんです」


 自分では、そんなふうに考えたことはなかった。


 ただ必死だった。


 流されないように、置いていかれないように、死なないように、その場その場でできることをやっていただけだ。


 でも、ミリアにはそれがそう見えていたらしい。


 しばらくして、俺は小さく息を吐いた。


「じゃあ、もう少しできることを増やさないとな」


 俺はコップの中を見た。


「今の俺、剣も半端だし、文字も読めないし、農場仕事でも家畜に囲まれるし」


「でも、明日は囲まれずに済みますね」


「たぶんな」


「文字は、私でよければ教えますよ」


「いいのか?」


「はい。私で分かる範囲なら」


「じゃあ、まずは文字だな」


「文字は大事ですよ」


「あとは剣だ。グラウスに教わらないと」


「それから農場仕事もありますよ」


「今日かなり鍛えられた気がするんだが」


「明日も明後日もできます!」


「もしかして俺はもう採用されてんのか?」


 思わずそう言うと、ミリアは楽しそうに笑った。


 その笑い声につられて、俺も少しだけ笑う。


 重かった空気が、少しだけ軽くなった。


 そのあとも、俺たちはしばらく他愛もない話をしながら、グラウスたちの帰りを待った。


 けれど、森の方から人影は戻ってこない。


 飲み物は、いつのまにか冷めていた。


 家の中から聞こえていた皿の音も、少しずつ消えていく。


 ミリアは何度か森の方を見た。


 俺も、そのたびに同じ方を見る。


 でもこの日、グラウスたちは結局帰ってこなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ